舞鶴第一鎮守府の日常   作:瀬田

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すみません、なかなか書き切れなかったので遅れちゃいました!


第五十八話 名前を呼んで

「むうう…」

 

金剛は、そんなうなり声を上げた。ついでにほんのり赤い片頬が真ん丸な膨れっ面であった。

彼女がまあまあ面白い表情をしている理由――それは、彼女が般若の如く睨んでいるその先にあった。

 

「はいっ、てーとく。資材報告でち」

「いつもありがとう。本当に助かるよ()()()

「むむっ、ゴーヤだけですかー?」

「これは失礼、()()()もありがとう。しかし、初めは周回なしの予定だったのに、大丈夫か?」

「こんなのへっちゃらでち」

「キス島の方がたのしーけどねぇ。ま、外しちゃうとちょっと大変だけど」

 

頭を撫でてもらおうと提督の元に集まってきた潜水艦の二人に、金剛は例の目線を向けているのだった。

 

製油所地帯沿岸の防衛作戦では、端数となった量の燃料をドラム缶輸送することができる。

今月は舞鶴鎮守府がその警備哨戒にあたるということで、燃費の良い潜水艦の雷撃や、大容量の補給艦の水上機攻撃を用い、敵侵攻部隊の早期撃滅を主眼とした艦隊が結成されたという訳だ。

 

「キス島付近の敵艦隊は対潜能力も高いからな。六隻はともかく、単艦出撃なんて、幾ら高練度でも俺の心臓がもたない」

「心配してくれてるんでち?」

「勿論…と言いたいところだが、生憎俺は君たちのように対艦戦闘ができる訳でもないのでな。(いささ)か偽善的かも知れない。せめてこれでも受け取ってくれ」

「おおー!」

 

これも提督業の性なのではあるが、戦闘を行う現場の艦娘たちとの温度差は、簡単に埋められるものではない。

だからこそ、提督は身を削って艦娘たちのサポートに努めるべきなのだと、少なくとも東雲(しののめ)は考えていたのだが、どう見てもオーバーワークであることに変わりはない。

懐から差し出された間宮券に目をきらきらと輝かせる伊401の傍らで、伊58に半目で凝視されていることに気付く。

 

「…ゴーヤ?」

「まったく、てーとくはめんどくさいこと考えるんでちね」

「よく言われるよ」

「てーとくならどっしり構えてればいいんでち。そしたら、ゴーヤもっと頑張れるから」

「しおいもね」

 

もう一度、強く抱き着いてきた伊58の髪を撫でながら、その小さい身体に秘められた勇気の大きさを思うと、自分の躊躇など些細なことのように思えた。

伊401の向ける純真無垢な視線もまた、彼女らが寄せてくれる信頼に、行動で応えたいという思いを膨らませる。

彼女たちに求められているのは、遠慮ではないということを、提督はその身をもって噛みしめていたのであった。

 

「…ああ。ありがとう、二人とも」

「分かればよろしい、でち」

「えへへっ」

 

間宮券ありがとね、と手を振りながら執務室を出て行った二人を見送って視線を戻す。

――そこには、真っ白になった金剛の姿があった。

 

「うおっ、い、一体どうした金剛」

「どうもこうもないデース…目の前であれだけいちゃつかれたら流石のワタシも燃え尽きマース…」

「いちゃつく…?」

 

身に覚えのない単語に首を傾げるばかりの提督に、溜息をついた金剛は「ともかく」と座り込んでいた椅子から立ち上がって、こほん、と咳ばらいを一つした。

 

「ワタシもゴーヤやシオイみたいなnicknameが欲しいデス!」

「ニックネーム?」

 

唐突な秘書艦の要望に困惑してしまう提督。

吹雪や鳳翔など、最初期の面子に次いで秘書の経験があったこともあり、彼女とは(対人、対女性会話に慣れないながらも)比較的近い距離にいたつもりではあったのだが、ここにきてそれが揺らいでいる。

 

「まあ、潜水艦はみんな数字呼びだからな。そういう意味ではニックネームが名前ともいえる」

「むぅー…でもでも、ワタシなんて『金剛』ですヨ!?とても女の子のつける名前じゃないデース!」

 

まあこの名前も好きですケド、なんて付け加えた金剛はふてくされたような表情であった。

 

艦歴にして実に100年以上、この名前とともに戦い抜いてきたこともあり、愛着をもつのは当然のことなのであるが、彼女――もとい艦娘となった金剛からしてみれば、可愛らしさどころかある種の男気すら溢れてくるような『金剛』の名には何か感じるところがあるのかもしれない。

 

「女の子らしい名前って言うと、例えば誰だ?」

「ンー…あっ、妹の榛名なんて素敵デス!」

「榛名…か。なるほど、現代の女の子でも通用するな」

「他には…皐月なんてどうですカ?摩耶なんて、very prettyデース!」

 

両腕をぶんぶん振ってはしゃぐ金剛に苦笑する。

確かに彼女らの名前を聞けば、人間の女の子と同じように呼ばれてみたいような気になってくるのも理解できる――

 

「おーっす、提督いるかー?」

 

思わず頷いてしまいそうになったその瞬間、ノックもなしに勢いよく開かれた執務室の扉。

これまた元気のいい声に金剛と似たものを感じさせていた彼女は、まさに話中の人であった。

 

「おう、摩耶。どうしたんだ?」

「Rumorをすればマヤ、ネ」

「あぁん?金剛、そりゃあどういう意味だよ」

 

恐らく執務室を訪れた目的であろう、バインダーに挟まれた手元の演習報告書を捲る摩耶が、胡乱げな目線を金剛に向けた。

 

「Ah, well…それは先に報告書を渡してから話すネ」

「んだよ、もったいぶって」

「済まないな。お言葉に甘えるよ」

「That's fine!」

「ったく…ならそうするけどよ」

「ああ。それで、初月たちはどうだった?」

「んまあ、概ね及第点だな。第一次攻撃は無傷、第二次攻撃で涼月に被雷判定だ。それでも対爆射撃は成功して、艦攻の雷撃に掠る寸前ってとこだったから、あのまま続行できてた可能性は充分にある。初月の判断が少し遅れた感じだったな」

「ふむ…機動部隊の攻撃力を高く設定しすぎたと思うか?」

「まあ、秋月たちは全機撃墜だったからな。厳しすぎることはないかも知んねーけど、アイツらにはまだ高い壁だったみてぇだ」

 

相変わらず秋月と照月の対空戦闘能力には舌を巻くことが多いのだが、そんな彼女らに負けるどころか率先して牽引してきた摩耶の言葉には重みがある。

 

今回は低高度の爆撃を仕掛ける伊勢型の水上爆撃機部隊を、通常の艦載機部隊に加えている。様々な高度から飛来する敵機にどれだけ対応できるかが要になってくるのだ。

「ま、いい経験だったってことだな」と一言付け加える摩耶の表情からは、後輩の奮闘ぶりに喜ぶ笑みが見て取れた。

 

「ふふっ、摩耶もすっかりお姉さんデスネ」

「頼りになるよ。これからも秋月型に限らず、対空指導を頼む」

「お、おうよ!」

 

胸を叩いた摩耶。三女ということもあって、まだ少し背伸びしたような表情ではあるが、そういう自覚を持つということが大事なのだ。

 

「んで、結局なんなんだよ?金剛が話してたことって」

「ああ、それはだな…」

 

両手を腰に当てて訊いた摩耶に、二人は事の経緯を話すことにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まあ確かに、女の『金剛』はキツいな」

「キっ、キツい…!テートクぅ!」

「お、落ち着いてくれ」

 

勢いよく身体を抱き締め(上げ)てくる金剛を制しながらも、カレーを頬張る摩耶に目を向ける。

食堂の奥では摩耶に率いられていた防空訓練の演習艦隊が遅い昼食を摂っており、目の前の彼女も同様であった。

 

「でもさ、アタシらは女である前に艦娘な訳だろ?社会の中の扱いは別としても、名前はどうこうできる問題じゃねーんじゃないか?」

「だって、ゴーヤが羨ましかったシ…」

「許してやれよ。アタシだって番号で呼ばれるのは流石にヤだぜ」

「それはそうですケド…!」

 

子供のような金剛を宥める摩耶に、なんだか成長のようなものを感じる傍ら、金剛の意見にも耳を傾けていた。

 

「ま、摩耶は名前が可愛いからイイじゃないですデスかー!」

「は、はあ?か、可愛くなんてねえよっ。大体、重巡の艦名は地形の名前から取ってるんだから関係ないって…」

「まあ、摩耶の由来になっている兵庫県の摩耶山は、釈迦の母である摩耶夫人からつけられているからな。あながち間違いでもない」

「お、おい提督!?」

「ほらァ!なんて素敵な名前デスか!?」

 

訳の分からない逆ギレをして立ち上がった金剛に、摩耶がやや面倒くさそうな表情をして、恨みがましげな視線を浴びせてくる。

本当のこととはいえ、発言のタイミングを間違えたらしく、口を噤んでももう遅い。

 

「…じゃ、じゃあ、例えば金剛はどんな名前が欲しいんだ?」

「そ、そうだな。言ってみろよ金剛」

 

ともかくこれ以上の混乱を避けるため、ここは彼女の希望を聞いておくことにする。

 

「そうですネー…金剛石、ということでDiamond...『ダイヤ』なんてどうでショウ?」

「とても日本人としては受け入れがたいんだが…漢字でなんて書くんだよ」

「ま、まあ最近はそんな名前もあるって言うしな」

 

咄嗟にフォローを入れるが、彼女をそう呼ぶ自分の姿が想像できないので困る。

その辺りの命名センスのようなものは人によってそれぞれであるので、反対する意思も権利もないのは勿論なのだが、出来れば思いとどまって頂きたかった。

 

「じゃあどんな名前がいいデスか?」

「うえっ!?て、提督はどーなんだよ」

「お、俺か」

 

見るからに、さほど思いつかなかったのを隠したように感じられたが、あえて口には出さず、ここは一つ考えてみる。

大戦での艦歴、そしてこの鎮守府で活躍する彼女の姿を改めて振り返り、思うことはあるにはあった。

 

「…うーん、どうも、金剛は”先輩”っていうイメージがあって、あだ名をつけられないな」

「せ、先輩デスカ?」

「ああ。もちろん大和や長門たちの活躍は大きい。けれど、金剛は始めの方に着任してくれたこともあることを差し引いてもかなり貢献してくれているから」

 

当時まだまだ新米だった自分にとって、強敵をばったばったと薙ぎ倒していく彼女の存在は頼もしかった。

それは、確かに自分の指揮のミスをカバーしてくれる、戦艦特有の能力への率直な思いだったかも知れない。

でも、それ以上に、きっと金剛のあの明るい性格が背中を押してくれたのだろう。

 

「なるほどなぁ…。まあ、あの戦いでも長かったしなぁ金剛は。武勲艦だぜ」

「な、なんだか照れますねェ…でも、それが”先輩”なのデスカ?」

「ああ。なんというか、ついていきたい、って思えるんだよな。実際はともかく、そういう気持ちになる」

「分かるぜそれ。安定感が違うっていうか、年の功っていうか…」

「摩耶?」

「わりいわりい…だから握り拳はよせって」

 

笑顔の奥に般若が見える金剛。

一連の会話に苦笑していると、そんな彼女が膨れっ面でこちらを睨み付けた。

 

「提督も提督デース!女性に対して年の話はtabuデスヨ!」

「せ、先輩といっても、そんな年の差のあるものじゃなくてだな…。精神的に、心強いという意味で」

「ほんとデスカー?」

「勿論」

 

訝しげに顔を覗きこんでくる金剛に、摩耶が「皺がバレるぞ」と茶化して鉄拳制裁を喰らう。

 

本人の名誉のために注記しておくが、彼女はそんなことを心配する年ではない。

 

「じゃ、じゃあさ…」

 

そんなことを考えていると、痛みの残る頭頂部を押さえていた摩耶が、一つの提案を申し入れたのだった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「…あっ、来まシタネ」

「おう、金剛」

「今は『先輩』デショ?」

「…そうでしたね、『先輩』」

 

執務を挟んだ日暮れ頃、提督は金剛の待つ屋上へと向かったのだった。

摩耶の提案によると、実際に『先輩』、それも士官学校での上下関係を想定して会話をしてみてはどうか、ということだった。

 

「この制服もなかなかイケるデショ?」

「ええ、似合っていますよ」

 

流石にセーラー服は無理デス、と金剛が観念したこともあり、かつての海上自衛隊の青紫色の制服を着ている。実年齢では違和感がないのだろうが、比較的長身の彼女にはこちらの方が似合うだろうと、提督は思ったりしていた。

 

「テートク…おほん、東雲クンの学ランもgoodダヨ。blackが格好いいネ」

「ありがとうございます。久し振りに着たので、かなり違和感がありますが」

 

制服の衿を抓んで、そんなことを口にする。今では少しだけ小さく感じられるそれは、士官学校時代に必死に溜めた金で買って、捨てられずに残しておいたものである。

おそらくそのままの大きさだったら着られなかったのだろうが、妖精さんが不思議なパワーで修繕してくれていた。

 

「…ねえ、東雲クン」

「はい」

 

ふと、金剛の口調が静かなものになった。

さあっ、と流れる秋風が彼女の背中に僅かな寂寥感を残していく。

 

「今日一日、ワタシのわがままに付き合わせてしまってゴメンネ」

「…らしくないですよ。俺も楽しかったですし、気にしていません」

「ホント?」

「本当です。それに、艦娘からそういう話を聞けるということも大切ですし」

 

口にする、どの内容も本当のことだ。

意図的にその存在を分かつべく動く市民団体があるくらいだ。その背後にある様々な利害関係を抜きにしても、やはり民衆の間での艦娘という異次元の存在への距離は、未だ遠い。

そういう意味で、彼女が語った言葉一つ一つが、彼にとって貴重なものに思えていた。

 

「…提督という立場にいる者として、そして何よりも、この海で、この鎮守府で隣に立って戦う仲間として。いつも『先輩』方を知りたいと思っています」

「…そっカ」

 

夕映えにシルエットを遺す金剛の後ろ姿からは、その表情を読み取れなかった。

ただ、吹き抜ける風に長く、流麗さすら感じさせる髪が靡いた。

 

「今、アナタにとってのワタシは、『先輩』なんですよネ」

「ええ」

「じゃあサ…」

 

髪を押さえながら振り返って、初めてその表情に気が付いた――潤んだ瞳に、紅く紅く染まった頬。

目が見開かれ、言葉を奪われた。

その瞬間、一歩、駆け寄った彼女がふわり、胸元へ飛び込んできた。

 

「…少しだけこうさせてネ」

「…先輩」

 

緩く抱き留めた金剛は目を瞑っていた。ともすれば心拍まで伝わってきそうな至近距離で、彼女の温もりが秋の空気に冷めた身体の緊張を解きほぐすようだった。

 

「Nicknameが欲しい、なんて言ったけれど、やっぱりワタシは『金剛』の名前が好きデス」

 

「先輩ごっこは終わりにしまショウ」と、照れ笑いを浮かべて言った金剛。

想像よりも早くその結論に帰着したため、少し拍子抜けしてしまった。

 

「…それにしても、なんで急にあだ名なんて」

「そうデスネー…」

 

一考して、金剛は顔を上げた。

 

「繋がりが欲しかったのかも知れまセン。提督に、ワタシを覚えていてほしくて」

「忘れたりしないさ」

「もちろん、提督のコト、信じてますから心配してませんヨ。…というより、寧ろ」

 

そこで一度言葉を切った彼女は、なにか言いたげにして、躊躇しているようだった。

提督にはそれが珍しく感じられた。素直で、何者にも臆さない彼女を見てきたのだから尚更だろう。

それでも、彼女は意を決した瞳で告げた。

 

「…ワタシだけ、ワタシだけを、見て欲しかったんデス。もちろん、提督にとってそれがどれだけ難しいことか、分かってたケド」

「…」

 

空虚さを感じさせる金剛の微笑み。その表情は、言葉では表しようのない気持ちを湛えており、提督自身、()()()()()をしているな、という自覚を持つ瞬間はあった。仕事の疲れを気に掛けないふりをするとき。反りの合わない上官との宴席で酌を注ぐとき。

だからこそ、彼女の気持ちが、今では分かる。

本当のものだと、信じられる。

 

「最近、どんどん艦娘の数が増えていますヨネ。とっても嬉しいことだけど…ホントのことを言うと、ちょっと寂しかったデス。ワタシ、もしかしたら提督に必要とされてないのかもって。勝手に凹んでマシタ」

「そんな風に感じさせてしまっていたのか。申し訳ない」

「ううん、お仕事だって忙しいし、秘書艦も平等に回していたら機会も減りマス。…だから、これはワタシの思い込みとわがままなんデス」

 

詫び言に首を振って、彼女は俯きながら、それでも笑みを崩さぬよう、気丈そうに振舞っていた。

しかし、それは仕方ないことなのだから、と自分を説得しているようにも見えた。

 

「そんなことはない。少なくとも、俺にとっては」

 

だから、提督は切り出す。金剛の背に腕を回して抱き締める。

これ以上、そんな金剛の表情を見たくないと思ったから。諦めと自責に満ちた、その表情を――。

 

「俺は、今まで人と触れ合うことを極端に怖れて生きてきた。頼れば足元を見られるし、縋ったところで呆気なく見放される。たった一度の経験が、ここまで自分を臆病にさせてしまうなんて、思ってもみなかったが」

「…ワタシは、私たちは提督(テートク)を裏切るなんて…!」

「もちろんそんなことは思ったこともない。君たちこそ、()()()事件のあった鎮守府で、よく着いてきてくれたと思う。俺にとって君たちは…」

 

提督はそこで言葉を呑んだ。否、一言も発せられなかったのだ。それを自覚するのと同時に、眼前の金剛が呆気に取られたような表情を浮かべていることに気付く。

 

提督(テートク)、涙が…!」

「…君たちが、この命も軽いと思えるほどに、愛しいからこそ…っ」

 

嗚咽に遮られる言の葉。

こうして人前で涙を見せるのはいつぶりだろうか。少なくとも、家族を喪ったあの一瞬、絶望のあまり立ち尽くすことしかできなかった彼にとっては、この感情はほぼ新鮮なものといっても過言ではなかった。

――もしかすると、この涙は、あの時感じることのできなかった悲哀の一部なのかも知れないと、冷静な理性が告げていた。

 

「…俺は、君たちを喪うのが、何よりも恐ろしいと思うんだ」

「…っ」

 

金剛の胸中で、一つの仮説が繋がって、浮かび上がってきた。

ずっと彷徨い続けていた心の居場所を、彼は本当にこの地に見つけたのだ――あまりにも大きすぎる離別の悲しみと、襲い来る不安、そして何よりも、身勝手で理不尽な大人たちへの恐怖心から逃れようと、しかしそれらに絶え間なく苛まれ続けた彼にとって、この瞬間まで、この世界に信頼でき得る存在などなかった。

 

そんな彼が艦娘たちに少しでも近づこうと、心の葛藤にもがき苦しみながら、日々の激務をこなしていた。

言い訳を嫌い、そして何よりも、自分たちを信じられない彼自身を憎み、時には自分を責めながらも辿り着いたこの場所で、今、金剛は何を言えるだろうか。

 

「…頼りない司令官で申し訳ない。部下の前で泣くなんて、言語道断だな」

「…泣いても、いいんじゃないデスカ」

 

頬を伝う雫にも厭わず苦笑した提督を、今度は自分から、というように抱き締め直す金剛。

仮にも戦艦娘である。そのくらいの膂力はあるし、寧ろ、だからこそ、彼の身体が今にも崩れ落ちてしまいそうな、そんな儚い存在に感じられてならなかった。

 

「…ワタシ、ずっと誤解してマシタ。提督はずっと、何があっても前を向いてるっテ」

「本当はそうでないといけないんだがな」

「いいえ…そんなの、誰にも出来ませんヨ。できる人がいたとしたら、それはもう、『壊れて』しまっているんですカラ」

「…」

 

胸元に提督を抱き寄せる。

艦娘の中では少しばかり背が高いと言っても、彼との身長差は10センチほどある。したがって、靴が伸ばしてくれたそれは、お互いに殆ど同じような目線をもたらしていた。

 

「今はこうさせてくだサイ」

「ああ…ありがとう」

 

今まで、誰にも支えられたことなどなかった。支えを喪ってしまえば、自分が無くなってしまうような気がして。

けれど、今この瞬間に関しては言えた――きっと、この子たちとなら――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ただ呼び名の話だったのに、なぜこうなってしまったんでしょうネ」

「名前というのは、その人との繋がりを示すものでもある。…呼ばれて初めて、その人にとっての自分が存在できる、ということかもしれないな」

「…ウーン、難しいデスネ」

「まあ、俺も曖昧なイメージしかないよ」

 

僅か10分かそこらではあるが、金剛の膝元で眠りについていた提督。

まだこのままでもいい、と主張する部下に対し、思い切って自分の膝元で寝ることを提案し、速攻で許可された。

何気なく、二人で眺める落陽が黄金に輝いて、その光の眩しさに金剛が手をかざす。

 

「でも、今日はそのお陰でいっぱい知っちゃいました。…提督(テートク)のヒミツ」

「幻滅されるだろうが、言ったって構わないさ」

「言わないですヨ。だって、ワタシだけが知っているなんて、なんだか特別な気がしますカラ」

 

そう言って、見上げる姿勢から、くるりと転がって腹に寄り縋ってくる金剛。

可愛いらしくもあり、同時に、守りたいと思うその心が、強い脈動を響かせていた。

 

「でもやっぱり、俺は君のこと、『金剛』って呼びたいよ」

 

髪をゆっくりと撫でながら、そんなことを口にしてみる。他意はなく、それは事実だった。

 

「じゃあ、ワタシは提督(テートク)って呼びマス。いつものが一番ネ」

「そうだな」

 

お互いに、顔を見合わせて微笑むこの瞬間が、なにより尊いものに感じられてならない。

きっと、その根源にある気持ちは同じで――。

 

「…金剛」

「どうしタノ?」

「これからも、できれば長い間…ここに居たいんだ。よろしく頼むよ」

「Yes!食らいついたら離さないからネっ!」

「…ああ」

「ちょっ、そこツッコミ入れるとこデース!」

 

「さては聞いてませんでしたネ?」なんて、抗議代わりにしがみつく力を強める金剛。

そこに心地よさを感じつつ、もう一度、顔を上げる。

 

もうここにはいない、大切な人たちの名を、口に出すことはないも知れない。言ってしまったら、思いが溢れてしまうから。

代わりになるなんて思ってはいないけれど、今は誰よりも、この子たちが大切だから。

 

 

生きていこう、と思えた。

 

――その名前を、いつまでも呼び続けるために。

 

 

海外艦、もし追加するなら初登場は

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