舞鶴第一鎮守府の日常 作:瀬田
「――駆逐艦野分、入渠修復作業完了しました」
「おう、お疲れ様」
あれから小一時間ほど経って、野分は戦闘後の処理を行う提督の元へと報告に向かっていた。
執務室には緩く空調が効いており、入渠後の彼女は存外に脱力していたのだった。
「野分さん、大丈夫でしたか?」
心配そうに、彼女を気遣ったのは練習巡洋艦の香取。片腕に抱えた半透明のファイルは執務用のものなので、本日の秘書艦を任命されているのだろう。
「はい。ご心配お掛けしました」
「何でも、僚艦の舞風さんを庇って被弾してしまったとか」
「損傷具合を見るに、敵艦の砲撃火力に対してもまだ小さいダメージで済んでいる。しっかりダメージコントロールと受け身の体勢をとれたようだな」
「そ、そうなのでしょうか」
思えば、敵軽巡の艦影を捉えてから、身体を動かすのは一瞬だった。だからこそ、防御行動に移る時間が僅かに生まれたのだ――という考えに辿り着く。
そんな思案中の彼女の表情を窺うように、香取が一歩近づいた。
「接近に気が付かなかった舞風さんが被弾していたら、どうなっていたか分かりません――本当に、ありがとう」
「あっ、い、いえ。私は――」
二の句を継ぐ暇がなかった。香取に抱きすくめられていたからだ。
ほのかな温もりが伝わってきて、改めて、自分が今、しっかりと
「え…」
「…心配だったんですよ。私もあの時、あの海域に居ましたから」
「あ…」
トラック島での惨劇――橙色の閃光に怯えたあの記憶が呼び起こされる。
自分が心配に思えば思うように、香取もそう思う筈であり、そしてそれは彼女にも言えることで――。
「出撃で疲れているところ申し訳ないが、舞風の様子がどうもおかしい。やはり、この件に関係していると思う」
「ま、舞風が…」
「史実と艦娘の精神的関係…運命の
香取が傍から離れるのを視界に捉えつつ、提督の言葉に耳を傾ける。
彼の言葉は正しい。自分自身も、艦隊生活の範たるあの香取でさえも、離別の過去を忌避する衝動に影響され続けているのだから。
「…私たちは強大な兵器としての側面と、人間としての繊細な感情を持ち合わせています。けれど、
香取の言葉が、すっと胸に沁み込んでいくのを感じていた。
大切にしすぎるあまり、すれ違う。過去の因縁に依存して、本当に大切なこと――今の関係から目を逸らしてしまう。
胸に手を当てる。確かな鼓動が刻まれている。
この時代に、今を生きているという証を、握り締めた。
「私たちに欠陥があるとすれば、それは胸にある思いを言葉にできないこと――。私、これが当たり前だと思っていて、負い目ばかりで、舞風と一緒にいる理由を片付けようとしていました」
「負い目…か。だとしたら、舞風が君に対して抱いている感情は、きっと引け目だろう。対等な関係でいたいと、そう願うからこそ」
「提督の声を聞いて、力を借りるということを拒んだ――だとすれば、辻褄が合いますね」
「引け目…なんで、舞風がそんな」
「お互いを大切にしすぎるあまり…だったな。野分が舞風を守りたいと思うように、舞風は、きっとあの後の戦いを生き抜いて、君の隣にいたかったと、そう後悔したと思う」
「…ッ」
提督は目を細めてそう言った。想いの大きさが、時に彼女らを束縛してしまうことさえある――
しかしながら、この試練を乗り越えれば、必ず彼女らは強くなれる。そう感じさせて疑いはなかった。
「もう一度、問い直して、そして舞風に会って欲しい」
「野分さん自身の言葉で、あの子を――舞風さんを、救って欲しいんです。運命の軛というものから」
「…はい」
戦友として、姉妹として、彼女とともに生きることに、史実も、理由も、その関係に名前を付けることも必要ない。
ただ、好きだから。関わりたいと思うからこそ、手を差し伸べる。声を交わす。
目を瞑って、決意する。
問いの答えは、出た。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「どこ…舞風…!」
鎮守府廊下にて、彼女を捜す。一抹の不安は確かにあったが、それでも足どりは確かで、今も両脚で、踏みしめるように歩いていた。
彼女と共に生きる訳を、理論で説明しつくすことは出来ない。だからこそ――突き詰めた理論の先に残った感情を見つけ出して、証明してみせよう。
過去との決別を、清算をしよう――
足が早まり、そして気付いた時には、走り出していた。
向かうのはこの廊下の先――
「はっ、はっ…!」
(舞風…!)
息切れも厭わず、無我夢中で彼女を捜す。すれ違う艦娘たちの間を、声もなく、風のように通り抜ける。
見えてきた廊下の出口は、光に溢れていた――
「舞風!」
飛び込んで、あまりの眩しさに目を覆った。
晩秋の広葉樹の黄金は、陽光を存分に反射して光りながら舞い落ちる。一人涙を零す彼女の一瞬を切り取った姿は、絵画かと錯覚するくらいに、美しいと思えた。
「え…嘘、のわっち?」
気付かれないようにと、急いで涙を拭う仕草に、心がざわつく。居てもたってもいられなくなる。今すぐ、駆け出したい。
(やっぱりそうだ)
この関係を、『負い目』で終わらせていい筈がない。野分は確信していた。
「心配かけてごめん。…少し、話したいことがあるの。いいかな」
「えっ?」
舞風は、唐突なその申し出に、首を傾げた。
× × ×
「…本当に大丈夫なの?」
「うん。損傷の具合もそこまでのものではなかったから」
「そ、そうなんだ…良かった」
俯く舞風を、横目で捉える。その表情は、自分の身をどれだけ案じていたかを克明に、安堵として示していた。
思い上がりではないだろう。立場が逆ならば、野分も舞風と同じような表情と感情を持つ自信があった。そのことは、とても嬉しく思う。
――しかしながら、素直には喜べない事情もまた、ある。
(本当に、舞風は私に――依存しているのかな)
とても自分から言い出すのは自意識過剰甚だしいのだが、それでも、提督の指摘は正鵠を射ているような気がしてならなかった。
引け目――彼女にとって、野分に追いつくこと、傍にいること自体が、全ての基準であり、目標となりつつあった。
だからこそ、野分が傍からいなくなることは、離別の悲しみというものよりもずっと、根本的な意義を失わせることに繋がりかねない。
野分は事の重大さを理解していた。自分が動かなければいけないという義務感も確かにあった。
しかし、何より強い感情は、ただあるべき関係を追い求める、その友愛の極致だった。
「…ねぇ、舞風」
「な、なに?」
怯えていた。
長年の朋友を前にして、舞風は怯えていた。それが、野分には手に取るように分かった。
色々な人々の助けを得て、今では心情が読める。
大切な人を残して逝く苦しみを、不安をよく知る彼女だからこそ、残される方の悲しみに脆い。
お互いに、あの時代の逆を体験しているのだ。
腕をそっと、彼女の方へ伸ばした。途端に身体がびくっと跳ね、ゆっくりとその手に触れる頃には、目を瞑ってしまっていた。
震える掌を、自分の掌で包み込むようにして握る。そうすると、なんだか驚いたかのように目を見開いた舞風の顔が見えた。
「…少し、いい?」
「え…」
「聞いて欲しいことがあるの。私たちに関わる、とても大切なこと」
「…うん」
短い言葉の肯定に覚悟するように、身を縮こませながらもこちらを見上げる仕草についつい苦笑してしまうが、きっと彼女は、その身に降りかかる責任感と重圧に、必死に耐えているのだろう。
そんな様子を前にして、つい言い淀んでしまいそうになるけれど。
「…そして、私の話を聞いて感じたこと、話して欲しい」
彼女の苦しみに、決意に応えなければならない。女は度胸と言うけれど、野分の胸中にある提督と香取の言葉が、そんな想いを加速させていた――。
「――長くなるけど、聞いてね。私、舞風の様子が変だって聞いて、不安になった。いつも明るいあなたが、らしくない俯き顔をしている姿が想像できなかった。…それくらい、なたが笑っていて欲しいと思っていて」
「…」
「ごめんなさい。こんなものはただ理想を押し付けているだけに過ぎない。あなたはいつもそうだって、私の理想だって、そう思いたかった。あの
「…っ」
その言葉を口にした瞬間、舞風の表情に動きがあったことを、確かに認めた。
やはり、間違いない。私と、目の前の少女との間には、あの時以来の因縁の鎖で繋がれた
野分は、確信を得た。
「…でも、もうそんな考え方はしない。私は負い目、あなたは引け目。お互いに大切な存在だと思っていても、そんなもののために傷ついて、踏み込めないなんて嫌だから」
「負い、目?」
「…ええ。あの時、私はあなたを助けられずに、ただ逃げてしまった。香取さんさえも…見捨ててしまった」
「そ、そんなことっ!」
「知ってる。あなたがそうは感じていないこと…むしろ逆に、その後を共に戦えなかったことを悔やみ、一人になること、離れることに恐怖を抱きすらしていること」
「っ…」
恐らく、彼女の胸中にある核心を突いたのだろうということを、その反応から悟った。
それを裏打ちするように、震えた口調で続けられるのを、黙って聞いていた。
「…や、やだなぁ、私、艦娘だよ? 一人になるくらい…」
「…」
「なんて…こと…っ」
強がる発言に背くように、頬に涙が流れる。彼女なりの、精いっぱいの抵抗だったことを、明確に示していると思った。
明るい表情は、悲しい過去と臆病さの裏返し。華麗な演舞の裏に、血の滲むような努力と、
感情は、あくまでも主観に過ぎない。それでも、彼女がそう感じるのであれば、その世界では事実となるのだろう。
「過去を忘れてしまう訳ではないの。もう二度と負けてはならない。あんな思いを繰り返さないように、胸に刻みながら…本当の私で、本当の貴女自身と向き合いたい。そのためには、思っていること、後悔したことを全て伝える必要があったと思ったから」
「聞かせて。あなたの全てを」
野分の独白は、舞風に引き継がれる形で幕を下ろした。吹き付ける風と沈みゆく夕日が、舞風を急かす。
けれど、震える口からは、野分がどれだけ待ち望もうと、答えは出ない。
ただ、涙と、嗚咽が漏れるばかりだった。
「…っ、ご、ごめんね」
「いいよ。幾らでも、待つから」
野分は見透かしていた。舞風自身の成そうとしていることに対する覚悟と怯えを。その想いのベクトルが、自分に向かっていることも。
全てわかったうえで、ひたすら待った。
孤独に耐え、必死に戦っている舞風を、ただ待った。
――けれど、思いは届かなかった。
「…ごめん、やっぱり話せない」
するりと手が引き抜かれて、身体が離れていく。伏せた顔から涙の筋が覗いた。
「…っ」
ダメだ。
思いは募って、もう押し殺した感情に抑えが効かなくなる。
一瞬のうちに瞑すると、自然に身体が動いた。
「ひゃうっ…!?」
「逃げないで、舞風」
背を向けた舞風の先に、手をついて逃げ場を塞ぐ。腰に当てた腕に力を込めて、しっかりと抱き寄せた。
狼狽える声を聞きながら、しばらくの間抱き締め続ける。
落ち着くのを待ってから、もう一度、言葉を紡ぎ出す。
「ごめんなさい」
「…どうして、謝るの?悪いのは、私なのに」
「分かっていたの、もしかしたら、あなたが…こうなってしまうかも知れないって」
「…ううん、それでも、私が…」
「ねえ。舞風、あなたはきっと、まだ後悔しているのだと思う。それは、私も同じ」
「…うん」
「それって、それだけ、あなたの中に、私がいたということの証明になる…それを、肯定してあげて欲しい」
「え…」
「それでも、罪悪感が消えないなら…」
過去の軛が、鎖が、心を縛るのならば、それを解き放つものはきっと未来にある。
二度目の生を得、出逢えた奇蹟は、そのために起きたのだと、確証を持って言えた。
「私のこれからに期待して欲しい。私も、あなたのこれからを、しっかり見ておくから」
「あ…」
願い、求める視線が交わされた。離れ行こうとした舞風の身体のこわばりが解れていくのが分かって、野分も、引き付ける腕の力を緩めた。
「あなたもそう思ってくれると嬉しい。
「…うん」
肩口に、温かく湿った感触があった。まだ嗚咽は続いているが、震えと怯えは感じられなくて、それがどういうことを意味しているか、悟った。
秋風が吹く。感情の高まりと、ぶつかりを経て火照った身体にを、ほどよく冷ます。
それでも、確かな熱と繋がりは、そこにあった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
お互いに理想を描き続けて、すれ違った。
私は一度、逃げてしまった。けれど、野分は、離してくれなかった。真っすぐに、感情をぶつけてくれた。
たとえそれが醜いと分かっていても、おぞましいものと断じられようとも、信じてくれた。
「駆逐艦野分、出撃する」
ふわり、雰囲気がピリリと張りつめる。痺れのようなものが、心に伝わるような気がしていた。
今では、理解できる。私の奥深くにある、不格好で、自分勝手な思いもひっくるめて、私を、野分を、そしてこの世界を護ろうとする気持ち。
本当に大切なものは過去だけじゃない。過去を引き継いだ今この時と、未来を生きる私と、あなたの繋がり。
「さあ、舞風」
「うんっ!駆逐艦舞風、出撃します!」
踏み出して、海原の水面へ両脚を放り出す。煌めく朝日の輝きを、身体に纏うような感覚がした。
手を広げて待ってくれている。視線がぶつかって、結ばれて。掌が重なる。
「さあ、華麗に舞うわよっ!!」
「うん…行こう」
水平線に影が伸びる。いつまでも繋がっていてと願う。
私はきっと、誓いを立てたあの日のことを忘れない――
なんだか大変なことになってますね…(小並感)
暇つぶしになればよいのですが、投稿頻度も上げようと思ってますので、よろしくお願いします。
海外艦、もし追加するなら初登場は
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ドイツ艦
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イタリア艦
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ロシア艦
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アメリカ艦
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