舞鶴第一鎮守府の日常 作:瀬田
とはいえまだまだ寒い日も続いてますので、お体にはお気をつけてお過ごしください。
夕暮れ時の母港。
遠く水平線上に沈もうとする太陽の光輝に、波打ち際が煌めいている。
「あー…今日も疲れた」
鎮守府の面々にとってはもはやすっかり慣れた光景だ。はじめのうちは感動に目を輝かせる艦娘たちも、次第に慣れてしまって、今では西日を煩わしげに眺めるだけだ。
「北上さんったら、また私の髪いじるんだから…もうっ」
しかしながら、今日の彼女――阿武隈は、それも何故だか悪い気はしなかった。
それは北上との一件のことでもあるし、目の前に燦然と照り輝く夕日のことでもあった。
そもそも演習後にわざわざ
「ふふふ…」
「あっ、笑いましたね!?」
「いや、なんだ…すまん。…ふふっ」
「もぉ~っ!」
ぽこぽこ、と可愛らしい擬音が鳴るように叩くのは、我らが提督の背中。
そう、阿武隈にとって、彼との会話は演習や訓練後の疲労も吹き飛ぶものであったのだ。
「五年も経てば、すっかり仲がよくなるものだな、と思ってな」
「もうそんなに経ったんですね…仲良くないけど!」
腕を組んでそっぽを向く阿武隈、提督からすれば、それは照れ隠しであることは疑うまでもなかった。
五年間――つまりは鎮守府草創から戦場を共にしてきた古株の絆は、もはや言葉なくしても通じ合えるものとなっているから、仲が良い、などという言葉で語ることのできるものではないということくらい、阿武隈も理解しているだろうと思ったからだ。
「一水戦創設以来、君たちにはとても助かっているよ」
「私としては、そろそろ提督に指揮して欲しいんですけど?」
「面目ない」
一水戦はキワモノ揃いである。
阿武隈が旗艦ということになってはいるが、主人公、とまで言われるカリスマ性を持ち合わせる吹雪に、マイペースな響、吹雪にべったりな白雪、そして速度を追求するあまり軍装の軽量化に手を出した島風と、尖りすぎる個性を取り纏める難しさは以来彼女の悩みの種となっている。
溜息をついている阿武隈に、提督は苦笑いを浮かべて平謝りする。
「最近は出撃自体も二水戦以下に任せていたから、一水戦は夏の特別海域以来か」
「あのときもそうでしたけど、提督、ぜっっったいに一水戦に北上さんか大井さん加えてきますよね…」
「実力順だよ。他意はない」
「木曾さんだっているじゃないですかぁ!」
「実力は姉二人にも劣っていないんだが、『俺では
「それ確信犯!!!」
「誤用…と思ったが、それが正しいことだと信じてやっているのだから、あながち間違いでもないか」
抗議を声をわあわあと上げて騒ぐ阿武隈の傍で、そんな風に考え込むふりをする提督。
木曾なりに考えるところはあるようで、特に阿武隈と艦隊を共にするときの北上の表情をよく見ていたようだった。
「…阿武隈の指揮で夜戦に出撃する前、青葉が写真を撮ってくれたんだが」
「ちょ、なに撮ってくれてるんですか!」
「…はっきりいえば、阿武隈にピントが合っている訳ではなかったから、よく見えなかった」
「あ、ならよかった」
「写真は北上を撮ったものだ。阿武隈の髪を弄りながら、普段とは比べ物にならないくらい良い表情をしていた」
「それ絶対私の髪映ってますよね!?ついでにひどいことになってますよね!」
「…まあ、海上は潮風もひどいだろうからな。それは仕方ないというか」
「やっぱりひどかったんですか!?」
忘れてくださいぃ!とまたぽこぽこを繰り返す阿武隈はその顔を羞恥に染めているようだったが、嫌悪を帯びたものではないようだった。
出撃の過剰な緊張感が漂う中、彼女のような存在がそれを緩めてくれることが、どんなに助かることだろうか。
五年という年月のなかで、提督が見つけ出した阿武隈の真の強み。どんなに強力な先制雷撃よりも、卓越した夜戦火力よりも魅力的な彼女の持ち味。
――ああ、やはり、この子を初めての水雷戦隊の旗艦にしたことは、間違っていなかったんだな。
提督の胸の中を、そんな感慨が包み込んだ。
× × ×
「しかし、その髪型は確かにセットが大変そうだよな。やっぱり時間はかかるのか?」
「梅雨なんかは髪が暴れてしんどいですねぇ…でも、なんだかこうしてないと落ち着かないというか」
「阿武隈の中で、ジンクスのようなものがあるんだな」
「そうですそうです。…あ」
「?」
「会心の出来だ、って思った日に限って北上さんや駆逐艦のいたずらっ子が来る…」
「…なるほど」
瞳のハイライトを消して俯く阿武隈は、その深刻さを伝えるのに十分すぎた。頭を抱えて「うう~っ」と呻く様子に、提督は女の子の髪型への思いの深さを知るのだった。
「確かに、阿武隈らしさが詰まっているような気がする」
「ほんとですか?」
「言葉にするのは難しいが…そうだな、他の子でも似通った髪型をしている子がいるが、どの子たちも自分の髪型にこだわりを持っているというか」
「そうですよぉ。女の武器、とまで言われていますからね。主砲や甲標的より大事な武器です」
「違いない」
おどけた調子でそう語る阿武隈に、提督は苦笑を浮かべながら首肯した。
「提督の髪は武器じゃないんですか?」
「俺は男だが」
「最近は性別の壁も薄まってきているとかなんとか」
「こと
「まあまあ、それでも気になります」
性別の話は、そもそも艦娘である阿武隈には関係のないものだから、ついでに言ってみたくらいのものだろう。比較的古い価値観の残る海軍では、特に下級士官などは未だに丸刈りが鉄則であるが、提督としては賛成も反対もする気はなく、敢えて言うとするならば訓練の邪魔になるのであれば不要である、くらいのものだった。
「髪型は意識したことがあまりないな。染めたことはもちろん、直すといえば寝ぐせくらいだ」
「提督の髪は真っ黒で綺麗ですね」
「ありがとう。まあ、この国では標準的だけど。この鎮守府ではそうでもないな」
「少し憧れます。由良が艦娘になる前も、色は提督よりも淡い感じがしましたけど、やっぱり澄んでいて綺麗でした」
「阿武隈が髪を黒くしたら…うん、あまり想像できないな」
「似合ってない?」
「いや。本当に想像できない。髪型もそうだが、髪の色も今が一番しっくりきていると思ったんだ」
「えへへ、そうですかね…」
「五年も経つとそうなるのかもな。よく似合っているよ」
「五年目にして始めて髪を褒められた!?」
提督からすれば、揃いも揃って美麗な艦娘たちにあえてそういった言葉を与えることはあまり意味もなく、かえって不審に映るのではないかと考えていたが、実際のところは艦娘たちを嘆息させるばかりであったことに気付いていない。
先程話題に上った由良が着任したから、色々とお小言を頂いたのである。
「申し訳ないんだが、生来その辺りには疎くてな」
「知ってますよ。色々とお話を聞いたこともあるし、五年もすれば」
「成長していないな、俺も」
「あはは…でも、いいんじゃないですか?変わることって難しいし、それを成長と呼べるかは分かりませんから」
妙に核心をついた弁に、提督は目を見開く。
それを見越していたように、その反応を待ち受けていた阿武隈は、目を細めてにっと微笑むのだ。
「…君は時々、鋭いことを言うようになったな」
「別に、
「…五年では知ることのできないこともある、ということか」
「そうです。だから、もっと知ろうと思うんです。…提督のことも」
「生憎中身が空っぽだと言われるものだから…」
「そうやって謙遜したふりをして一歩引いてしまうところを知っているのは、由良だけじゃありませんよ?」
むっと膨らませた頬を提督に向けて近づける阿武隈。
これは敵わない、と悟った提督は、頭を掻きながら乾いた笑いをもって応えた。
「…すまん、悪い癖だ」
「いいですよ。心の中を曝け出すことって、あたしも少し怖いですから」
「…歴戦の艦娘もそう思うのか」
「思います。だって、歴戦の艦娘を指揮する歴戦の提督でもそう思うんですから」
「…誰のことかな」
「今更とぼけたってダメなんですからね!」
まったくもう、とご立腹の阿武隈は、しかし上機嫌なようでもあった。
「私、実はちょっとだけ嬉しいんです。提督も、おんなじ悩みを抱えていたんだって」
「同じ悩み…というのは、自分のことを知られるのが怖い、という話か」
「はい。改二になる前とか、特に得意な戦術も、誇れる知識もなくて…一水戦のみんなは、艦娘としての経験も私より豊富で…それでも、旗艦になった以上、それを悟られるわけにはいかないから」
「…そうだったな」
過去を慈しむように語る阿武隈。
報われない努力に自分を責めて、懊悩が心を支配したときもあった。けれど、それをまるで苦とも思わずといったように晴らせてくれたのは――
「提督だったんです。提督が、あたしを深い水底から引き上げてくれた。そして、新しいあたしへ――今までのあたしを、否定することなく成長させてくれた」
「俺は何もしてないよ。阿武隈の頑張りがあったからこそだ」
「それはたぶん、間違いじゃないかも。だけどね、提督――」
渚へ、波が寄せる。
深海棲艦が襲来する前から、あの戦争が始まるよりも前から、ずっと繰り返してきたことだ。
けれど、提督には、その瞬間の音がこれまでになく強く、耳に残り続けた。
時を同じくして、阿武隈が右手を取って両掌で包み込んだ。
「あたしの改装のために、あたしが悩みを打ち明ける前から、ずっと悩んでいてくれた。工廠の妖精さんや、大本営の明石さんと協議を続けてくれていた。それを知ったら、もうあたしだけの力だなんて、言えないよ」
「…」
「こんなあたしでも、やればできるって教えてくれた。あたしを知って、受け入れてくれた。…本当にありがとうっ」
静止した時の流れが、堰き止められていたものを打ち壊したように流れ出す。
笑顔を浮かべる阿武隈の瞳に溜まった雫が、その命の最後に輝きを増した夕日に晒されて、光の筋を作った。
「…こちらこそ。思いを伝えてくれて、俺に、踏み出してくれて――ありがとう」
「…っ、えいっ!」
「おっと」
勢いよく胸元に飛び込んできた阿武隈を、焦ることなく受け止める。
仄暗くなって、温度の下がった波打ち際では、確かな温もりが感じられた。
「…撫でても、いいか?」
「――提督さんなら、いつでもオッケーですよ」
彼女なりの、信頼の証なのだろうか。
もしそうならばいいなと、努めて優しく、せめてこちらの信頼と感謝をこめて彼女の髪を撫でつけた。
胸の中で、眩い微笑みが、夕日の沈み切った渚を照らした。
× × ×
「いやあ、昨日はすごかったねえ」
「ふわあ…何がですかぁ…?」
翌朝、出撃はないが規則正しい生活を送る阿武隈は間宮食堂にて朝食を摂っていた。
欠伸をして、開いた口元を隠すように手で覆っているその隣に、どこから湧いて出たと言わんばかりに、北上が腕組をしながらそんなことをのたまっていた。
一体彼女は何故ここにいるのだろうか。というよりいつも気付かないところから忍び寄って驚かせてくるものだから、もうこうした事態は慣れっこなのだ。だから、そんな疑問ももはや胸中で渦巻くことは決してない――
「『提督さんなら、いつでもオッケーですよ』ってねぇ。いやはや、お熱いことで」
――んん?
「…い、いつそれを」
「いつってそりゃあ、昨日の夕方じゃん。いつもは訓練帰りなんてくたびれたカエルみたいな感じなのに、いそいそと支度して走って行っちゃうんだから、不思議に思うでしょ」
「…どこからどこまで、聞いてたんですか」
「え?どこからどこまでって――」
きょとんとした表情の北上が、問いに笑顔で答える
――間違いなく、悪魔の笑顔と称されるそれであった。
「一から、十まで?」
「忘れてくださああい!今すぐにっ!」
「忘れられるわけないでしょー。いやぁあれは大胆だったなぁ。でも北上さんとしては妬けちゃうなぁ。いつでも髪を撫でまわしていいなんて、提督が羨ましいよお。ねー、大井っち?」
「そ、そうですね…」
「お、大井さんまで!?」
北上が、いつの間にか隣で食事を進めていた大井に横目で話しかける。
少し言い淀んで反応した彼女は、おおよそのことを知っているのだろう。顔を真っ赤にしながら開いた口の塞がらない阿武隈の方を向く。
「あ、阿武隈さん…あなたって、結構…その、大胆なのね。私、誤解していたわ…」
「いやあああああ!」
叫び声を上げる阿武隈に、周囲の奇異の目線が一斉に向けられる。
「あっはっは。阿武隈、目立ってるよ?」
「誰のせいですか!忘れてくださいいいい!」
「えー。それは難しいなぁ。ねえ?」
「は、はい…というより、
「うわああああああ!?」
まさに狂乱。
頭を抱えて叫ぶ一水戦旗艦に、その隣でいつになく笑い声を上げる北上、そして顔を真っ赤にして俯く大井は、新入りの駆逐艦にしてみればそれはそれは奇怪に映ったという。
そして、当の提督といえば――
「…?騒がしいな」
「元凶は確かに青葉ですけど、提督はもっと事態を正しく認識するべきだと思いますよ?」
「…何のことだ?」
秘書艦の青葉が、「まあ、人は簡単に変われませんからね」と苦笑する。
彼は一人、そんな反応に首を傾げながら、朝餉の味噌汁を啜り、「今日も美味いな」と零すのであった。
評価をつけてくださった方、ありがとうごさいます。
やはりまだまだ文章が拙いので、艦娘の魅力や情景の美しさを伝えきれていないかもしれません。
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