舞鶴第一鎮守府の日常   作:瀬田

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第七十六話:やさしさの理由

 ある時、彼女は言った。

 

『司令官、私がいるじゃない!』

『……?』

 

 確か、まだこの鎮守府も歴史が浅く駆逐隊の結成もままならない頃だった。

 遠征艦隊のローテーションを考えているとき、彼女は言ったのだ。

 

『対潜警戒任務でしょ? 駆逐艦が少なくてローテーションできないなら、私が行くわ!』

 

 元気よく、溌溂として彼女はそう言った。覗かせた白い八重歯が印象的だった。

 

『君は昨日も遠征ではなかったか? それだとローテーションになっていないぞ』

『ぜんぜん平気よ! だから、もーっと私に頼ってちょうだい!』

 

 そんな言葉にはにかんだ彼女の背中越しに、窓辺に差し込んだ日差しが漏れている。艦隊運営を模索し続け、徹夜が続く日々の中で、その姿はまるで後光を受けた御仏のようで──

 

「ま、眩しい……」

「あっ、起きた?」

 

 薄く目を開けて、まさにその笑顔を眼前に認めた提督は、夢の続きを見ているだろうかと、身体頭脳ともにしばらく静止していた。

 

「……司令官? 大丈夫?」

「雷、か」

「ええ、私は雷。司令官の艦よ! ……そんなことを言うなんて、まだ疲れているのかしら?」

「いや、目は覚めているよ。もう大丈夫だ」

 

 未だ混乱の渦中ではあるのだが、十分に英気を養った体を動かして()()()()()起き上がる。

 提督は、その混乱の理由を朝の挨拶に交えてみることにした。

 

「おはよう。しかし、これを自室で言うことになるとは」

「早起きしたから起こしに来ちゃったの」

 

 某睦月型よろしく、ぴょんと音を立てるようにベッドから降り立った彼女は、両手を後ろで組んだかと思うと、

 

「久しぶりだったから……えへへ」

 

 と朗らかな笑顔を見せた。

 自室云々も、そんな表情を目にしてしまえば自室の鍵もかけない緩みきったセキュリティ観念が悪いのだと思えてきてしまう。

 提督は、色々なことに苦笑するしかなかった。

 

「朝ごはん、作っておいたのよ! いっしょに食べましょ!」

「おお、それは嬉しいな。ちなみに和洋は」

「洋食よ!」

「じゃあコーヒーを淹れようか。少し身支度を整えてくるよ」

「ええ、準備して待ってるわ!」

 

 燦燦と──その形容が似合うくらいに彼女は笑みを絶やさない。提督はその理由が分からずとも、夢の中のそれよりずっと眩しいことだけは確信するのだった。

 

 ────―

 

「うん、美味いなこれは」

「そう? あり合わせよ」

 

 そんな物言いにしては少し嬉しそうだ。

「海外艦の子から教えてもらったの」と、明らかに手の込んだクロックムッシュを頬張る。

 思えば自室で摂る朝食というのも珍しいもので、しかも雷がここにいるというのがスパイスとして追加されているのだと思い至るのだった。

 

「──ふふっ」

「?」

 

 ふと、そんな独考に向かう自分を捕らまえるような──いや、包み込むの表現が正しいか──目に気付く。

 

「お腹が空いているのね?」

「食べだすと止まらなくてな。このままでは太ってしまうかもしれない」

「もう、上手なんだから。まだあるけど、お昼まで我慢しましょうか」

 

 冗談のようにとらえられたかもしれないが、実直な感想なのである。

 あっと言う間に完食してしまい、最後に二人してコーヒーを啜る。

 

「朝食からご馳走してくれる秘書艦というのも雷くらいだ。とても助かるよ」

「そうなのかしら? でも、これくらい朝飯前よ!」

「朝飯後だけどな。──いや、本当のことなんだ。この後も頼むよ」

「ええ!」

 

 捲ったセーラー服の袖口に覗いた腕は細く──つい彼女が艦娘であることを忘れそうになっている自分に気が付く。

 そんな気分になるたびに、提督の胸中には一つの疑問が生じるのだった。

 

 

 ⚓

 

 

「司令艦、連絡みたいだよ」

「あら、響!」

 

 執務中、ひょっこりと顔を出したのは雷の姉妹艦である響だった。聞けば書留で印鑑が要るという。

 しかしながら手の離せない提督は、雷にそれを頼むことにした。

 

「行ってくるわね! 響、ありがとう」

「うん。……じゃあ司令官、私もこれで──」

「ああ、少しいいか?」

「?」

 

 首をかしげる彼女を執務室のソファに導いて、()()()()()()()紅茶もついでに差し出すと、明らかに自分を怪しんだ表情が出迎える。

 

「……手が離せないんじゃなかったのかい?」

「いや、その……重要案件ということでな。古参の君にも意見を伺いたく」

「ご丁寧にジャムまで添えて、それはそれは重要なんだね」

 

 紅茶の取り合わせにジャム、というのはロシアに一般の嗜み方でもある。

 それはそれとして、再び自席に腰かけた提督は、組んだ手指に顎を乗せてその()()を口にした。

 

「……雷は、なぜあんなに優しいのだろうな」

「は?」

 

 カップ越しに腑抜けた声が届く。

 カップが大きいのか、それとも響が小顔なのか──どうでもいいことを考えているうちに、呆れたような問いかけがあった。

 

「どうしたんだい、藪から棒に」

「ああ、前々から、ふとした機会に考えていたことなんだが──」

 

 胸中にあったそれを、淡々と付き合いの長い彼女に吐露していく。

 夢で見た記憶や今朝見せた甲斐甲斐しさはその一片であり、この話を打ち明けようとする噴出口を切り開いたこと。

 その根源にあった疑問は、彼女の持ち合わせる優しさに理由を求めているのだった。

 

「……」

「どうしたんだ、響。やはり姉妹艦である君にもわからないくらいのことなのか」

「はあ……」

 

 純真無垢を極める上司と対照的に、長い溜息をついた響。呆れの影の色が深まっていくようだった。

 

「惚気話なら他所でやってくれるかい?」

「いや、俺に限った話じゃない。姉妹から見てもそうだろう」

「まあ確かに、長女は誰なのかと言われればさすがの私も迷ってしまいそうになるくらいには、雷は世話焼きだよ」

「そこは迷わないでくれ」

 

 どこかで長女のくしゃみが聞こえてくる。

 

「しかし、それだって私たちが姉妹であることの証でもある。その気はあるかもしれないが、誰にでも見せる行動ではないことくらい、司令官も分かっているだろう」

「そうであればいいけどな。彼女なりの考え方があるかもしれないだろう。俺はそれを知りたくてな」

「ふむ……」

 

 そこには曇りのない両の眼がある。

 良くも悪くも、彼は真剣に考えているのだろう、紅茶を流し込んで漏れ出た温かい香りを感じながら、そんな風に響は片づけた。

 

「そんなに知りたいなら、資料庫を探ってみたらどうだい」

「資料庫?」

「ああ。そこにあるのは歴史……私たちがもつ記憶、と言い換えてもいいかもしれないね」

「! そういうことか」

 

 カップを手に立ち上がってこくり、小さく響は頷いた。「これ、ありがとう」と背を向ける。

 

「私にしてくれたように、何か分かることがあるだろう」

「?」

「いや、なんでもないよ」

 

 帽子に隠す笑み、そこに潜む感情は提督の計り知れるところではなかった。

 

 

 ⚓

 

 

「ふむ……」

 

 駆逐艦「雷」は、駆逐艦「吹雪」から連なる特型駆逐艦の第23番艦、駆逐艦「暁」を筆頭とする特Ⅲ型としては3番艦となり、1930年、浦賀船渠にて起工、翌年に進水。

 かの戦争においては1941年に香港、1942年にインドネシアはメナド、同年中には北方部隊所属となりアリューシャン方面の作戦に参加する。かたやラバウルに進出するなど各地で転戦した──

 

 かつての彼女の経歴について説明した概略を読み込み、スペックデータにも目を通す。

 大まかな内容はオンラインで確認した通りではあるが、まだ記録されきっていない情報もここにはあるかもしれない。

 隊運営に必要な知識は散々叩きこまれてきたつもりではあるが、史実における一艦一艦(ひとりひとり)の戦歴についてまでは収集が追い付いていないのが正直なところである。

 

「これは、また叢雲にモグリと叱られてしまうな……おっ」

 

 頭上の装備が怒りにはね回る吹雪型の彼女を想像しながら呟く。そうしていくらか頁を読み通した辺りで、興味深い記載(コラム)を発見した。

 

「『敵兵救助──武士道の実践』?」

 

 続けて読んでいくと、そこにはメナド攻略後、蘭印作戦最終の目標となるジャワ島の攻略において発生したスラバヤ沖の海戦において、撃沈した敵艦隊の生存者救助の先頭に立ったのが「雷」と「電」だった──そんな史実が記述されていた。

 

 もしかすると、こんな逸話も彼女たちの今に繋がっているのかもしれない、とその先を求めて頁をめくる──

 

「──あ、ここにいた!」

「うおっ」

 

 ばたむ、と勢いよく開かれた戸の音に、思わず資料を取り落としそうになる提督。

 なんだか悪いことをしているところを見つかったような気まずさでぎこちなく振り返ると、ぶくりと頬を膨らませる本日の秘書艦の様子が目に入るのだった。

 

 ────―

 

「もう、勝手にどこかに行っちゃうんだから」

「すまない。つい夢中になっていてな」

 

 お詫びとしておやつに渡されたどら焼きを頬張る雷は、提督の言葉に彼の手元に目をやった。

 

「それ、あの戦いでの私のことを書いた記録よね。どうしてそれを読んでいたの?」

「あー……それはだな」

 

 もはや誤魔化しは聞かないので、洗いざらいを白状していく。話しながら、雷が笑いをこらえているのが伝わってくる。

 

「ふ……ふふふっ、なんで私が司令官に優しくするのかって、そんなことが気になっていたの?」

「言葉だけを聞くと、なんとも情けないな……。君の考え方の基になっているものを知りたかったんだ」

 

 響にも語った通り、自分に限った話ではない。艦隊への配属時期のこともあるが、多くの駆逐艦娘たちにとって、雷は優しく頼りがいのある先輩に映るに違いない。

 そのことを伝えつつ、そんな彼女の原動力になっているものが、これまでの彼女の航跡から導き出せるかもしれない──そんな考えを口にする。

 

 聞きながら、雷は湯呑を傾けて一息つくのだった。

 

「ふう……でも、それだったら直接聞いてくれればよかったじゃない」

「まずは俺なりに考えをまとめてみたくてな」

「司令官は真面目さんなのね。じゃあ、だいたいの予想はできたのかしら?」

「ああ。だから、答え合わせを頼みたい」

 

 聞かせてくれ、と申し出ると、「ふっふっふ」と悪だくみの目つきが出迎えた。

 

「タダで、というわけにはいかないわね!」

「た、対価が必要というわけか……ちなみにいくらだ」

「お金じゃないわ! お財布しまいなさい!」

 

 金に糸目は付けぬという覚悟で広げた財布が撤収させされる。

 持っていたポーチから何やらごそごそと音を立てたと思えば、取り出したのはフワフワの毛先がついた細い棒──

 

「耳かきさせてくれたら、教えてあげるわ!」

 

 

 ⚓

 

 

「わざわざ膝に乗せてもらう必要はないと思うが」

「この方が簡単なのよ」

 

 窓の向こう、風にそよぐ新緑と木漏れ日に季節の移り変わりを感じながら、しかし駆逐艦娘の膝の上という自らのひどい絵面に、提督は胸中の困惑を隠せずにいた。

 わずかな抵抗も意味を成さず、「司令官の髪はかためなのね」と触れる細小な手指に遊ばれるままであった。

 

「動かないでね~」

「あ、ああ」

 

 思えば人に耳掃除をしてもらうというのも随分と久しぶりの経験であり、自分の意思から離れて動き回る竹棒の感触がどこか不思議な気分であった。

 触れている方の頬に伝わる体温も相まって、気を抜くと意識を吸い取られてしまいそうになる。

 

「ふふっ、寝ちゃってもいいのよ?」

「そうなってしまいそうだ。だが、知りたいことがあるんでな」

「そうだったわね」

 

 雷にとっては些事なのかもしれないが、こちらはそうもいかない。そんな思いで眠気に抗いつついると、呟きが漏れ出る。

 

「はっきりとしたことは、私も覚えていないの。ただ、思いがあるだけ」

「思い、というのは?」

「うーん、何ていうのかしら……」

 

 しばらくの間考え込んだ雷。

 

「たとえ敵であっても、助けたいという感情か?」

「それも、確かに思いの一つだけど……それだけじゃないのよね」

 

 艦としての経歴を思えば、こちらも想像はできるがあまり確かではない。

 先ほど知ったばかりの浅い知識ではヒントにすらならず、うんうんと唸る声が振動になって伝わってき、それと一緒になって梵天が耳の中をくすぐった。

 

 答えが出ないまま、「じゃあ、反対ね」と肩に手を置かれる。一度立ち上がろうと思ったが艦娘パワーには勝てず、くるりと腹部越しに彼女の顔を見上げるような体勢になって目が合うと、その表情は何かに気付いたようなそれに移り変わった。

 

「雷?」

「そう……ね。『ただ強いだけじゃだめ』ってことなのかも」

「?」

 

 意味が咀嚼しきれず言葉を待っていると、くしゃりと髪が指で梳かれる感触。そのままされるがままになる。

 

「力をぶつけ合うだけじゃ、戦いはいつまでも終わらないじゃない? 

 たとえ終わりがあったとしても、何も残らないわ」

「あの戦いのことを言っているのか?」

「どんな戦いだってそうよ。私たちの戦いもそう」

 

 再び耳掃除に戻って、雷はまるで独り言のように言う。その台詞に込められた思いを、自分はすべて汲み取ることができていないのだろう──そう感じるくらいの重みがあった。

 仮に言葉通りであるなら、今この時も続く深海棲艦との戦いを、彼女はどう捉えているのだろうか。

 

「戦いを終わらせるためには、力の強さだけじゃないなにかが必要だと思うの」

「それは……一体なんだろうか」

「まだ、はっきり分からないけどね。……それでも、司令官なら見つけてくれるでしょ?」

「俺か?」

 

 そう言うと、悪戯めいた口調とともに「司令官じゃなきゃだめなのよ」と返ってくる。

 優しげな手つきが頭を撫でたかと思えば、そこにはとびきりの笑顔があった。

 

司令官(あなた)が進む方へ、私たちもついていくわ!」

「そう言ってくれるのは嬉しいが、責任重大だな」

「司令官は大丈夫。だって、私がそばにいるんだから!」

 

 わずかな瞬間、窓辺から陽光が差し込み、その光の中で雷がはにかむ──その光景はまるで今朝見た夢の再現のようで。

 

「!」

 

 そして提督は理解した。

 雷は、雷の信じるものに従って、自分に信頼を寄せてくれるのだと。

 

「……そうだな。雷がいてくれれば、俺は頑張れる気がするよ」

「その意気よ!」

 

 身体を起こして、そんな風に励ましてくれる雷に対して自分ができることを考える。

 それは、信頼に対して信頼で返すことだった。

 

「俺にもたくさん頼ってもらおう」

「へ?」

 

 

 ⚓

 

 

「はい、あーんだ。雷」

「あ、あーん……」

 

 食堂がざわめきで満ちている。

 艦娘たちの生温かい視線の先にあったものは、提督の膝の上で繰り広げられる一連のやり取りであった。

 

「美味しいか?」

「むぐ……お、美味しいわ! けど、これってちょっと恥ずかしいというか」

「なに、気にすることはない。今日のお返しだ。ほら」

「も、もう一口? あむ……」

 

 慣れない施しへの困惑と羞恥、ついでに自分たちを囲む姉妹艦の視線に襲われる雷。

 

「まだまだ雷もおこちゃまね! 今度は私がしてあげるわ!」

「ちょ、ちょっと暁まで!?」

 

 事情をよく理解していない長姉の参戦に慌てる雷を横目に、困り果てた電は響に問いかける。

 

「……これはどういう事情なのです?」

「まあ、司令官なりの答えというわけだ。……的を射ているような、むしろ射貫いているような──」

「? 電にはさっぱりなのです……」

 

 もっとよく教えてください、と袖を引かれる響は、「やれやれ」と魚の一切れを電の口に運んで大人しくさせる。

 

「雷、どうだい司令官の信頼の味は」

「どうもこうも、よく分からないわよ! こんなの初めてなんだから──あむ……あ、これ美味しい」

「もはや受け入れているんだね」

 

 しかし特に嫌がらない──それどころか受け入れているところを見ればまんざらでもないことが分かる。

 どうやら彼の取り組みは奏効したらしいと結論付けて、響はもう一切れを口に放り込んだ。

 

「響、おかげで助かったよ」

「私は何もしていないさ。ただアイデアを出しただけだよ」

「それが効果的だったということさ。なにかお礼をしないとな」

「それなら、私の信頼を受け取るといいさ。ほら」

「……」

「なんだい、受け取れないっていうのかい」

 

 私の酒が、と続きそうな台詞で迫る響に対して、提督は観念したように口を開いた。

 

「なに、司令官もしてほしいの? しょーがないわね!」

「なんだか楽しそうなのです。電も混ぜてください!」

 

 自分の分などどこ吹く風と次々に運び込んでくる姉妹たち。目が合った雷と提督は、忙しないお互いの姿がおかしくて笑ってしまう。

 

「ねえ、司令官?」

「?」

「私、みんなでこうしている時間が一番楽しいわ。だから──」

「ああ」

 

 その先は、何度も聞いた言葉だ。けれど、改めてその意味を噛みしめる。

 

「もーっと私に頼っていいのよ!」

 

 その笑顔は、今までのどんなそれよりも輝いていたのだった。

 

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