Second Windの気分転換に加筆を入れて投稿しています。
需要があれば続きを書きます。
「……アンノウン捕捉、トラックナンバー、ノヴェンバー0239。方位二六〇、高度二〇〇〇〇フィート近傍……」
ほぼ真西から、アンノウンの侵入。
俊敏な戦闘機か、または大型の爆撃機か。そもそも軍用機なのか?
ひょっとすると、トランスポンダの設定を間違えている旅客機かもしれない。
そうであれば、この心臓はもう少しだけ、穏やかに拍動してくれるのだろうけど。
『それ』が何であるにせよ、何らかの形で排除するのが、私たちの仕事だ。
「速度……の……が接近。南蒼防空指令よりアンバー隊、アンノンに対処せよ。現在位置は領空まで三〇〇マイル──」
ノイズの波間に消えてしまいそうな、管制官の声。
ここは海上。
漁船の電波か何かでも刺さったのだろう。
「アンバーより南蒼指令、機種は?」
「不明だ。判別できない」
また、それか。なんでもかんでも『不明』だな。
技術的には、不明機のエンジンブレードに跳ね返るレーダー波を解析することで、ある程度機種を絞り込めるはずなんだけど。
実戦では、そう都合のいい状況ばかりでもない。
「んーん、しょうがないなあ……」
二番機のパイロットが、諦めたようにため息をつく。
編隊内の通信には高解像度の専用データリンクを使っているので、音声はきわめて明瞭だ。
ヘルメットのバイザーを下ろす。パチン、と軽い音がして、バイザーは固定された。
きちんとロックしておけば、もし何かあって脱出したときも、目を潰さなくてすむ。
「──アンバー隊、迎撃に向かう」
闇が消えていく、夜明けの海。雲もまばらな、二〇〇〇〇フィート付近の高空をすっ飛ばしていく。
私が搭乗しているのは、『ラファール』という名の単座戦闘機。カナードつきのデルタ翼で、ふつう人々が目にする旅客機などとは大きくシルエットが異なる。
我が国が戦力として保有している、最新鋭の戦闘機だ。列強の一線機のなかではわりあい小型軽量な方で、とくに格闘戦能力に秀でている。
「アカツキ、不明機の左上方からかぶせるよ」
「了解っス」
オレンジに照らされた薄い帯のような雲を、上昇しながら突っ切る。視界が遮られ、機体がガタガタと振動した。
「レーダー付けるか……」
握りしめたスロットルレバーから左手を離し、レーダーのスイッチを入れて、『広域索敵』モードに。
こういう類のスイッチは、うっかり押してしまわないようにフタがついているのが普通だが、戦術航空士になりたての頃、フライトグローブを付けたままこのフタを開けるのに苦労した。
今はこの動作にもすっかり慣れてしまって、なんなら親指でだって開けられる。
力加減が重要。
同時に火器管制システムが目を覚まし、機体制御プログラムも、安定性よりも機動性を重視した空対空モードに切り替わる。
両翼に積んだ中射程ミサイル四基、短射程ミサイル四基、それから機関砲が覚醒する。メインディスプレイの表示が少し騒がしくなった。
「アンノン捕捉──」
「捕捉っス!」
二番機はレーダー波を放出していない。
しかし、先述のデータリンクが繋がっているので、同じ情報がコクピットのちょうど真ん中にあるディスプレイに表示されている……はずだ。
「……邀撃シークエンスに入る」
スロットルに左手を戻し、真ん中で二つに分かれたグリップを握って、ゆっくりと前に押し出す──出力が上がる。二基のジェットエンジンが、ほんの少しだけ、さっきより高い音を奏ではじめた。
一呼吸置いて、なおかつゆっくりと、右手の操縦桿を手前に。
この、『ラファール』という戦闘機は、その挙動制御をコンピュータに頼っている。
空力特性上、非常に不安定だから、人間の操縦では追いつかないためだ。だから、教官達は何度も繰り返し口を酸っぱくして、『丁寧に扱え』と訓練生に教える。
HUDの高度計が、ゆるやかにカウントアップ。
──……二七〇〇〇、二八〇〇〇、二九〇〇〇……──。
「南蒼指令、こちらアンバー隊。ノヴェンバー0239の諸元を求む」
「こちら南蒼指令。ノヴェンバー0239、高度二五〇〇〇から急激に降下中。速度やや微増、マッハ一・二──」
「──ちッ」
まっとうな戦闘機なら、レーダー警戒受信機はあるはずだ。
つまり私──向こうにとっては『敵機』──がレーダーを起動していて、少なくとも自分が捕捉されていることは分かっているはずなのに。
それでも突っ込んでくるって?
「……アカツキ、高度を下げて、不明機正面から当たれ」
「了解っス~」
左後方に附いていた僚機が、エンジン音を響かせながら高度を下げていく。
こちらの上昇に合わせて、国籍不明機も高度を取ってくると思ったが、それとは逆に、高度を下げて早期警戒レーダーの視界から消えようという腹づもりだろう。
「不明機との相対距離、六〇マイル」
努めて冷静な指令の声が、かえって私の緊張を高まらせた。
「高度一〇〇〇〇っス……──ECM探知!」
一定の間隔で続いていたビープ音が、ランダムに音程を変化させたあと、フッと途切れる。
「あれっ?」
「ん──ただちにECM源を探索しろ!」
「了解、レーダー起動するっス。パッシブサーチ・モードっ!」
おそらく、不明機とアカツキは正対している。妨害電波を真正面で受けていれば、レーダー波はほとんどかき消されてしまう。
強烈な目潰しを喰らい続けているようなものだ。
「……消えた。いや、ノイズで見えないっス」
不可解なほどに、攻撃的な態度。
──慌てるな。
そう、自分に言い聞かせる。消えるわけがない、不明機は、そこにいるんだ。
この距離なら、あと数十秒でこちらのレーダーがECMをバーンスルー(突破)。つまり、不明機の放つ妨害電波に打ち勝って、その所在を明らかにするはず。
「レーダーをアクティブサーチに。前方に注意せよ。アンノンを視認次第、直ちに報告。のち速やかに上昇して離脱だ」
「はいっス」
ちょっとした『誤解』で、世界が火の海になる引き金を作らないために。私たちは必ずアンノンを自らの肉眼で確認しなければならない。
国籍、機種、搭載している兵器……。どこから来て、何の目的を持っているのか。レーダーに出ているアイコンをいくら見つめても、それだけでは決して、答えは出ない。
「距離、四〇マイル。針路変わらず──」
「アカツキ、反応は!?」
「──いたっス!」
不明機に近いアカツキの機載レーダーが、いち早くバーンスルー。ECMの撹乱を打ち破り、その所在を明らかにした。
次は機種同定だ。可能かどうかは状況によるが、ここまで彼我の距離が近ければあるいは──。
「機種不明っス。めんどいし、このまま突っ込むっスよ」
「……ああ」
データリンクを通して送られてくる、不明機の軌跡。自機との距離から交差地点を逆算して、そこに向けて緩やかに弧を描くように飛行。
対領空侵犯措置行動における、基本的なメソッドだ。
ほどなくして、もやがかかったようになっていた私の機のレーダースクリーンも、不明機の輝点を鮮明に捉える。
「南蒼指令、こちらアンバー・ワンだ。後続機は居るのか?」
「ネガティブ、不明機は当該の一機だけだ──が、民間機が近隣の航空路を飛行中。注意せよ」
「了解」
「三〇マイルっスよ~」
「これより、不明機へ応答指示を送る」
あと数十秒。
レーダー上で、黄色と緑の輝点が接近していく。
「十五マイル、そろそろ……──発見っ!」
ディスプレイ横のボタンを操作して、レーダーの縮尺を拡大。その瞬間、黄色とすれ違った緑色の三角形が、鋭く向きを変える。
アカツキ機のシンボルだ。シンボルのすぐ右下に表示された高度の数字が、勢いよく増加していく。
「あとは任せるっス!」
翼端からベーパートレイルを引いて、アカツキの機体が急上昇。不明機は針路を変えることもなく、領空へ向けて飛行を続けている。
──なんとかしなければ。
「追撃する──機種は?」
「ミグ29っス。タンク三本装備、対空のみ」
「了解」
溜め込んだ位置エネルギーを吐き出しながら、急旋回で不明機を追う。
ふと、レーダーの端にもう一つの反応──。
自ら識別信号を発しているそれが、さっき聞いた民間機だと判別できるまで、そう時間は掛からなかった。
距離はだいぶ離れているから、飛行を阻害することはないだろう。
「回り込んだ。アカツキ、上を抑えて!」
「はいっス!」
私たちの機も、もちろん向こうだって、空対空ミサイルを搭載している。射程は軽く五〇マイル以上。
だけど私たちは、それを『敵』と認識しても、命令がなければ撃墜することは出来ない。
最初の接敵で、ひとつ情報を得た。近隣の空軍でミグ29を装備しているのは、2カ国しかない。
海を挟んで対峙する超大国、マグルトニア連邦。あるいは、その属国のタウファ社会主義人民共和国。
ゆうに二千を超える(これは我が国の航空戦力の十倍だ)「連邦軍」戦闘機のうちの一機だった。
「南蒼指令、アンバー隊だ。機種同定、マグルトニア連邦のミグ29だ。これより追従し、国際共通周波数および、機体信号による警告を試みる」
「了解、アンバー隊」
中型のミグ29戦闘機は、武装搭載量と機動性のバランスに優れる。ただし、もともと空母艦載機として設計が始まった機体だから、航続距離はそれほどでもない。
増槽三本を満タンにした状態では、空母からの発艦は困難なはず──とすれば、本土の陸上基地から出撃して、途中で空中給油を挟んだんだろう。
タウファに輸出されたバージョンは空中給油機能を省いた劣化版だから、この機は本国、つまりマグルトニアのものだとわかる。
ミグというのは、連邦軍に数多ある戦闘機設計グループのひとつの略称だ。
ミグ29以外にもいくつか現役のファミリーがあって、こうした長距離任務には、小回りは効かないが速度と航続距離に優れるミグ31の方が適当ではある。
もっとも、「すべてよし」の戦闘機は存在しないものだ。
とはいえこちらも、ホームの空軍基地からかなり海上に進出しているし、決して燃料に余裕があるわけではない。
「ミグ機に告ぐ。こちらはアスールヘイム戦術空軍機である。貴機は、我が国の領空に接近してい──!?」
あってはならない『誤解』を避けるために、ミグの横に並ぼうとした瞬間。
『不明機』は増槽を投下し──おそらく、既に空っぽだったのだろう──煌めく排気炎を曳いて、機首を天に向ける。
「ミグが急上昇した、アカツキ!」
「アタマは取ってるっス。大丈夫っスよ」
それはいいが、いやに挑発的だな。
インターセプトを受ければ、借りてきた猫のようにおとなしくなるのが普通だけど……。
「──接敵を続ける」
半円を描いて上昇し、高度を稼いだミグは先刻よりもさらに激しい機動を見せる。一瞬の間をおいて、今度は九〇度ロール、からのハイGターン。
恐ろしくも優美な流線型の主翼形状を十分に見せつけたかと思えば機体を翻し、海面へ真っ逆さま──また急上昇──。
電子戦支援機はおらず、単機のECMならば、ロストすることもないだろうが。
「アンバー隊より南蒼指令! レーダーロックによる威嚇許可を要請するっ!」
酸素マスクと一体型のインカムをハウらせながら、私は必死にミグの六時を追った。
「────」
よく見れば、ミグの排気ノズルが細かく収縮している。
オーバーシュートを狙いつつ、失速の危険を最小限に減らす。巧みな出力調整だ。
『マグルトニアのパイロットは頭数ばかり多くて、ヘボばかり』なんて噂話を思い出した。
こいつがヘボなもんか。
くそっ、アタマが酸素不足だ。
旋回も鋭い。右へ左へとわずかに捻りながら、少しずつ私を『六時』から外しつつある。
逃がすわけにはいかない。
「指令っ!? どうした、応答してくれっ!」
「──現在、協議中だ。少し待て」
「んなっ……──」
ばかやろう。
どういう悪態をついていいかわからず、とりあえずヘルメットの中で一言だけ吐いた。気を取り直して、不明機を追う。
『協議中』だと。言うに事欠いてそれか。
「アカツキ! どこにいる!?」
「後方二マイルっス。ロックオンしていいスか?」
「やれっ! こいつを黙らせる!」
キャンキャンと逃げ回りやがって──。
ブン、というノイズが無線に乗る。アカツキがレーダーのモードを切り替えたんだろう。
広角に電波を出して、空域を探る索敵モードから、目の前の敵を撃破するための攻撃モードへ。
私の機とミグの距離はいくぶん近すぎるが、アカツキの位置からは余裕を持って戦況を把握することが出来る。
「──よしっ」
観念したのか、ミグは急におとなしくなった。ただ惰性のまま、放物線を描いてゆるやかに高度を下げている。
三〇マイルを切っても奴は発砲しなかった。空対空ミサイルの射程にのこのこ近づいていった私達を撃たなかったのだから、自分も撃たれないと思っていたのだろう。
だが、やりすぎた。あまり我が国を舐めるな。
操縦桿の頭に付いているトグルスイッチを押して、赤外線誘導の空対空ミサイルを選択。
不気味な唸り音が、コクピットに響く。
発射ボタンに親指を載せ──そこでようやく、がなりたてる無線に気がついた。
「南蒼指令よりアンバー隊、応答せよ! 頼むから勝手なことをするな!」
うるさいな。
「……アンバー隊より南蒼指令。我々はミグをロックオンしている。ミグの針路一九五、高度一二〇〇〇」
「こちらでも確認している。敵対行動が確認されないならば、速やかにロックを解除せよ。命令だ」
「……了解。アカツキ」
「へいっス」
残念そうな、気の抜けたアカツキの声。私も同感だ。
もちろん、本気で撃墜しようとはしていない。多少挑発的な行動を取ったからといって、インターセプトした国籍不明機を撃墜していいわけがないからだ。
「距離をとって追尾を続行せよ。周辺空域に注意」
「りょーかいっス~……」
「まったく──?」
ミグが左右に翼を振る。その後一、二秒ほど水平飛行をして、彼は大陸の方角へ機首を向けた。
「──南蒼指令。こちらアンバー隊。ミグは撤退していく」
「了解、アンバー隊。防空識別圏を出るまで随行せよ。──無駄な刺激を与えないように、ミグとの距離には十分注意を払え」
「あーあ……」
皮肉を込めて馬鹿丁寧に復唱してやろうとした私を遮って、アカツキが大きなため息をついた。
「……アンバー隊、了解」
その短い交信を最後に、無線は静かになった。そして、この空も。
ホワイトノイズの裏でときたま、ほとんど関係のない空域の交信が流れるだけの、静かな空間。
計器板から顔を上げると、HUDのちょうど真ん中あたりで、ミグがこちらを伺うように緩くバンクを取る。コクピットの中で、おそらく腕利きであるだろうパイロットがこちらを見ていた。
そう、君を追い詰めたのは私──とアカツキ、1マイルほど左翼に離れたあの子。
君の『飼い主』はどこの誰だ? 躾がなってないな。
「………………」
相手の無線周波数はもちろん分からないし、その疑問が解決することはなかった。
ふわり、とミグが浮き上がる。
一瞬呼吸が止まるが、それは戦闘機動ではなかった。
ゆったりと高度を上げ──私もそれに追従する。
一五〇〇〇フィート……二〇〇〇〇……。
機首をもたげ、水平飛行に移り変わったとき、私とミグは高度二六〇〇〇メートルほどの空中にあった。ミグのパイロットはときおり、ゆっくりと旋回しては、六時方向の私たちを確認している。
やがて、アスールヘイム本土から五〇〇マイルほどの距離にある、防空識別圏の外縁にたどりついた。
たいていどこの国も、防空識別圏というものを設定していて、その範囲を隣接する諸国に通達している。
もちろん、大陸連邦も彼らの防空識別圏を設定しているが、アスールヘイムとのあいだには五〇マイルほどの空白地帯がある。
目印があるわけでもないが、その細長い帯状のエリアが、破綻を回避している存在だ。
そして、ミグ29戦闘機がそのエリアに進入していく。招かれざる存在。
「……さよなら」
おそらくコクピットの彼、あるいはひょっとしたら彼女も、そう言っていたかも知れない。
ミグは手を振るように、何度か機体を左右にバンクさせ、少しだけ鋭い旋回でベイパーを曳いてみせる。
名も知らぬ、仮想敵国の戦闘機パイロット。それでもあいさつを交わすのは、同じ空の住人だからだろうか。私は、ぐるりと三六〇度ロールを繰り出して、返礼した。
機載レーダーの探知範囲からミグが消えるまで、そう時間は掛からなかった。針路も高度もほとんど変化せず、ホームであるだろうマグルトニア沿岸の空軍基地を目指している。
「──帰投する」
「了解っス!」
彼と同じように、私たちも燃料に余裕がない。
アラート発進では、不明機を捕捉するまでほぼエンジン全開だ。
空っぽの増槽を投棄するかどうか迷いながら、私たちは踵を返した。
あまり強いGをかけると、増槽の給油口が歪んで開かなくなってしまうことがあるが、今日の機動ぐらいなら、まあ大丈夫だろう。
最悪、機体から降ろして、主翼との接続部から給油すれば使えなくもない。
三〇〇〇〇フィートほどまで上昇し、燃料の消費を抑えながら飛行する。
「……ふぅ」
酸素マスクの金具を片側だけ外し、フライトグローブの甲で口元の汗を拭う。できれば、ヘルメットも脱ぎ去りたいところだが、この高度では数十秒で酸欠による頭痛が始まるだろう。
「デュークシャーまでは四〇〇マイルっスね~」
「ああ……」
帰投したら、適当に報告書をまとめて──。
……なんだか、すこし眠いな。
夜通しアラート待機で、そろそろ上がりという頃合いに舞い込んだ出撃命令。
私は再びマスクを口にあてがい、脳細胞のひとつひとつに酸素を行き渡らせた。宇宙飛行ではないから、いきなり窒息ということはないけれど、タバコを吹かすほどの余裕はない。
アスールヘイム中部のデュークシャー基地には、二つの戦闘機部隊がある。定数三十二機のラファールと、八〇人ほどの戦術航空士。
随分と大所帯なようだが、年中無休の二十四時間営業では、一週間に二度ぐらいは当番が回ってくる計算だ。
こちらの戦力規模を悟られないために、ローテーションはある程度ランダムになっている。
私とアカツキが所属するのは、第二〇一戦闘攻撃航空隊の、第二飛行小隊第二班。
二人とも、二機編隊の隊長資格を取ったばかり。『エレメントリーダー』になって、まだ両手で数えられるほどしか、アラート出撃をこなしていない。
「今日はちょっと、変だったスね~……」
「ああ……」
対して、マグルトニア軍機による我が国の防空識別圏への侵入は、ほぼスケジュール通り。
アカツキの言う『ちょっと変』というのは、いつもやってくるのは偵察や通信機能を詰め込んだ大型機だからだ。
たまに戦闘機が来ることはあるが、それにしたって、今日のような攻撃的な動きは見せない。
「────デュークシャー・コントロールよりアンバー隊、アンバー隊応答せよ」
と、さっきまで存在すら忘れていた無線に通信が入った。反射的に酸素マスクを装着する。
声の調子からして、さほど緊急度の高いものではなさそうだが……。
「こちらアンバー隊だ」
「アンバー隊、こちらデュークシャー・コントロール。帰投針路〇八五、基地まで五〇マイル地点で位置を報告せよ」
「帰投針路〇八五、基地まで五〇マイルで報告の旨、了解」
「復唱オーライ、……」
旅客機と違って、戦闘機の自動操縦というのは単純な機能しか持っていない。せいぜい高度と針路、あとは翼の水平を保つレベライザーぐらいだ。
ボタンを押せば、その時向いていた方向に機種が固定される。それだけのことで、しかもちょっと操縦桿を動かせば解除されてしまう。
「アカツキ、編隊解除。距離を置いて自動操縦に切り替えろ」
「了解っス! 機種方位〇八五にセットっス~」
左後方に収まっていたアカツキが、機体の腹を見せて間隔を取り、すうっと横に並ぶ。
「……はあ……」
再び酸素マスクを外す──今日も、一仕事終わった。
よその基地から上がってきたらしい二機編隊が、レーダーの隅にちらっと写る。もう『不明機』はいなくなったとわかれば、彼らもまたホームに戻るだろう。
広域表示になっているせいで、ほとんど重なっている、友軍機を表す青色のシンボル。
同じ戦術単位で、データリンクが接続されている(この場合は、私とアカツキの二機編隊)場合は緑色で表される。
バイザーを上げて、空を眺める。フレームのない、強化アクリルの一体成形キャノピー。構造上どうしても多少の屈折はあるものの、前方や頭上の視界はきわめて良好。
それに比べ、後方視界はさほどよくない。エンジンを収める一対の膨らみや、真ん中の垂直尾翼のせいだ。レーダー反射面積を可能な限り減少させるために、キャノピーの張り出しを抑えたこともある。
そのため、コクピットには小さな鏡が備わっていて、ラファールに乗るパイロットはここで『六時』を目視確認することになる。
ちらっと流し見るだけ。
そこに何かが居るはずはない。きな臭さはそこら中にあふれているが、今はそれでも平時だからだ。
デュークシャー基地まで一〇〇マイル。陸地の影が、水平線上にぼうっと見えている。
やがてそれらが徐々に鮮明な輪郭を表して、私は、長い任務がいよいよ終わろうとしていることを悟った。
「………………」
周辺空域の情報が、沿岸のレーダーサイトから、データリンクを通して送られてくる。
異物は何もない。
定められた国際航空路を、陸地を目指して飛んでいる旅客機がいくつか。便名も、良く知られた航空会社のものばかりだ。
おそらくは、彼らのいずれもが、首都バーガンディの国際空港を目指しているだろう。私たちのデュークシャー基地とは、ちょうど島の反対側だ。
アスールヘイム──またの名を蒼国連邦。
北大王海に浮かぶ、小さな島国。幅三キロほどの地峡で繋がっている、二つの比較的大きな島と、南洋に広がる弧状列島からなる。
空軍基地は六つあるけれど、マグルトニアと対峙する西海岸に位置するのは、デュークシャー基地だけだ。アラート発進の回数も、飛び抜けて多い。
だから、デュークシャーの航空隊に配属される戦術航空士はみな、精鋭揃いだ。
「──うぇっくしゅん!」
「どうした? アカツキ」
「なんでもないっス~」
……私も彼女も、とりあえずその精鋭の一人であるらしい。四機編隊を統括する、『フライトリーダー』になるのは、まだまだ先の話だが。
「基地まで六〇マイル──アカツキ、燃料は?」
「あるっス!」
「よし……」
どちらかと言えば、初っ端ミグとやりあった自分の方が、燃料は多く消費しているだろう。
自機の燃料系をちらっと流し見て、残量が十分あることと、異常がないことを確認する。
「──デュークシャー・コントロール、こちらアンバー隊。現在基地まで五十五マイルにいる」
「アンバー隊、こちらデュークシャー。お疲れ様でした」
応答したのは女性の管制官だった。
身体が小さい方が対G能力には優れているので、女性の戦闘機乗りも少数派ではあるが、決して珍しくはない。もっとも、管制官のような、後方での地上勤務が主ではある。
「──基地へ誘導します。右旋回して、高度八〇〇〇フィートで針路一一〇へ向かってください」
「右旋回、高度八〇〇〇で一一〇へ──アンバー隊、了解」
「アンバー隊、復唱オーライ」
旅客機ならば、寝ている客を起こさないように、コーヒーをこぼさないように、スポイラーを開いておだやかに減速し、ゆっくりとバンクを取って、機首を指示された方位へ向けるだろう。
私たち──戦闘機は違う。こうだ。
スロットルをアイドルまで戻す。少しだけ、エンジンの音が小さくなる。
百八十度ロールで背面飛行の状態になり、操縦桿を手前に引く。機首が持ち上げられ──つまり、機体は海面に向けて急降下を始める。
キャノピー一杯に広がる、まあ、どちらにしても、青い景色。この季節は色がくすんでいるけれど、海は好きだ。
アスールヘイムの西海岸沿海には暖流が流れていて、冬でもそれなりに水温が高い。もちろん、このまま突っ込めば死んでしまう。
高度計の針が一〇〇〇〇を切る。もう一度百八十度ロール、機は水平飛行の状態に戻った。景色が回転する刹那、半マイルほどの距離で翼端からベイパーを曳いているアカツキを目視。
これでいい。あとは少し機首を下げるなり上げるなりして、おおよそ八〇〇〇フィートぐらいに合わせる。
方位を修正していると、再び管制官から通信が入る。
「アンバー隊、こちらデュークシャー・コントロールです。針路を維持し、基地上空を六〇〇〇フィート以上で通過してください」
「デュークシャー、アンバー隊。基地上空を六〇〇〇フィート以上で通過を了解」
先刻の一件で、基地司令から呼び出しを喰らうかも知れない。そう考えて、私は少しだけ、ふだんより余分に憂鬱になった。
フライトの終わりは、いつだって寂しいもの。
デュークシャー基地のシンボルと、私の機のシンボルが重なる。
沿岸部を縫うように走る高速道路上は、南北を行き来するトラックや何かで軽く渋滞している。
地面に這いつくばってのたくたと動き回るなんて全く鬱陶しいこと。けれど、彼らにとってはそれが日常で、私たちにとってはこれが日常なんだろう。
市街地から小高い丘陵地帯を挟んで、滑走路が姿を現した。
朝靄を突き抜けて煌々と、一直線に並ぶ標識灯。ひときわ目をひく管制塔の前を、大型機がのそのそと進んでいた。
他方、ハンガーの前では、朝イチの訓練フライトに向けた準備が急ピッチで進んでいる。赤や黄色のまだら模様で地上にいてもよく目立つのは、アグレッサー部隊所属の複座機だ。
拍子抜けするくらい、普段通りの光景。デュークシャー空軍基地の日常だ。
滑走路16レフト、私とアカツキは二マイルの間隔をおいて、着陸した。
「中尉っ!!!」
ヘルメットを脱ぎ、ふうっと一息ついたらこれだ。
赤い顔をした飛行隊長が、今にも殴り掛からんとする形相で私たちを呼びつけた。列線まで出張っているのだから、その苛立ちようといったら……。
「……隊長」
とりあえず、敬礼でもしておこう。ちらりと後ろを振り返る。
アカツキもどうやら空気を読んだらしい。
「おはようございますっ!」
「朝の挨拶などどうでもよいっ!! 基地司令はカンカンだぞ!」
あんたよりか? とは訊かなかった。
大げさに両手を広げてみせたあと、隊長——アントニオ・”シューター”・シュテルマン大佐は背中を向けて歩き出した。
カーキ色の地上勤務用制服の背中に、私たちの隊のモットーが刺繍されている。いわく、『蒼紺の誇り』。プラウダ・レ・アスール。