さようなら、という多数が男子に占められている掛け声に対して、私は軽い礼をしながらぼそっとさようなら、と合わせてつぶやいた。その後は慌ただしく、せっせとランドセルを背負って帰る人、日直の仕事を残ってする人、おしゃべりを再開する人で溢れかえり、そのざわめく中で私は引き出しから教科書類をランドセルに入れるなどして帰りの身支度をした。先ほどの形式に従うだけのある意味反抗的態度に対しての罪悪感を覚えることはなかった。このようにすぐに普段の日常が続き、それは私の関心に留まることはなかった。
ランドセルを背負い小学校を後にして、下校を始めた。陽はまだ沈んでおらず、中学生や高校生はまだ下校時間ではなく、小学生特有の下校時間に多少の優越感や自宅に帰れるという安堵感、足の疲労感をいつもなら覚えていただろう。ただ隣で、ジャラ、ジャラ、とストラップがランドセルに当たる音が聞こえ、その音は新鮮さよりも違和感の方が大きかった。
同級生と一緒に下校をしているという非日常に私は戸惑いを隠せずにいた。普段なら小石でも蹴って歩いたり、ずん姉さまやゲームのことを考えて、一人の時間を満喫するだろう。だがもう普段の下校の時間ではなく、その余裕は音街が、帰ろう、と言って私の横に付いた時点でなくなった。ランドセルに付いているストラップがマイペースな音街の歩くペースでぎこちなく揺れ響き、ただ同級生と一緒に下校しているというだけで私は今、緊張している。
「ねぇ、東北。朝礼の校長先生の話、いつもに増して長かったねー。東北、ちゃんと聞いてた?」
音街はあのさ、と話の前に一度弾みを付けてから、話を始めた。
「全然聞いてなかった」
本当はゲームのこととずん姉様のことを考えていた、と言いたかった。しかし、それは咄嗟に押し込めて、妥当な解答をした。私はほんの少し視線を下げて、対応をしていた。頭を上げ、音街と目を合わせて会話するのは単純に恥ずかしかった。
「そうだよね。私も全然、聞いてなかった。立ったまま、寝ちゃうかと思ったよ。東北って、帰ったらいつも何してるの?ゲームとかする?」
「うん、まぁ、宿題やって、ゲームもそれなりにはするかな」
本当のことが素直に言えないもどかしさをランドセルの肩ひもに爪を立てて握ることで、自分の中で表現していた。この無愛想さは決して音街を拒絶しているのではなく、自分をさらけ出すことに対する言いようのない不安からくるものだった。
ふーん、と音街がどこか退屈そうな、ため息でも出しているような声を漏らすと、彼女の歩みのペースは安定し始めた。私達は横並びになって、沈黙と共に淡々としばらく歩みを進めていた。この状況をどうにかしたいと蓋をしている喉を開こうかと思ったりもしたが、諦めの感情の方が強かった。
「東北って、お兄ちゃんとか、お姉ちゃんっている?」
音街は話の種の一つのつもりで、おもむろにそう切り出した。
「姉が二人、いるよ」
「へぇ、お姉ちゃんいるんだ。私、お姉ちゃんとかいないから、よく分からないや。お姉ちゃんのこと、好き?」
「えぇ、もちろんです!特にずん姉様は本当に大好きで・・・、あ、ごめん」
顔を上げ、喉にした蓋をとっぱらい、人差し指を上にかざして早口にしゃべったが、しまった、と思い顔を伏せ、口を濁らせた。
「何で、謝るのさ。東北って、そんな風にしゃべるんだ。東北のこと少し知れて、私、嬉しいよ?」
「え、嬉しいの?どうして?」
思わず私の顔は上がっていた。一緒に歩みを進めながら、微笑んでいる音街に自然と疑問を投げかけると、音街は気恥ずかしさを表面に出さないためなのか、事前準備のように両手を平行で横に出した。
「どうしてって、だって友達のことは何でも知りたいって思わない?普通」
そうしゃべりながら、ほ、ほ、ほっと右、左、右足とリズムよく足を前に大きく動かしていた。普通、と言った所で横に出していた両手をパシン、と下ろすのと同時に足を揃えて着地した。そして少し前に行ってしまった音街は私の方を向く。
「友達・・・?」
聞き慣れない単語を復唱するように言いつつ、開いてしまった差に対して歩幅を大きくして詰めた。
「あ、ごめん。私が勝手に突っ走って思っちゃってたけど、嫌だった?」
その音街の申し訳なさそうな態度に私は動揺しなかった。表情に影はなく、前提に明るさがあり、その中にある申し訳ないという気持ちから言っていると分かったからだ。
「嫌じゃないよ・・・。嫌じゃないよ。でも、いいの?」
またお互いに隣り合って歩みを再開して、私は首だけ音街の方に向けて、不安そうに尋ねた。
「もちろんだよ。私って、アイドルの仕事をしてるからさ、皆その話ばっかりするんだよ。あの俳優さん、知ってる?とか。どんな仕事してるの?とかさ」
疲れるんだよね、と音街は億劫そうに言って頬を少し強張らせていた。そう言った後に音街はでも、と嬉しい事を言う前でワクワクするように前置きをした。
「東北はそういうことしつこく聞いてこないから、一緒にいると凄く落ち着く。だから私、東北と友達になりたいんだよ」
音街は素直な願いを込めて言い、ニコッと私に向けて嬉しそうに微笑みを見せていた。聞いた直後はどこか違和感があった。どんよりとした不信とかそういう類いのものだ。だが音街のその混ざりっ気のない微笑みや言葉にそれは段々と熱を発するようになり、きっと歩みを止めたらこの感情が溢れかえってしまうかもしれない。
「あの、音街・・・」
「ん、どうしたの?」
音街は今、私が言おうとしているこの言葉を待っているつもりでは特にないだろう。ただ首を少し傾けて、こちらに意識を集中しているというだけだろうが、私は言いたい。この言葉をちゃんと言いたい。
「その、あの、えっと、ありが・・・」
私はんー、と喉を鳴らし言葉を詰まらせてから、何でもない、とわざとらしくボソッと言い突っ張ってしまった。
「えぇ!?気になるよ!何て言おうとしたの、教えてよ!」
「何でもない」
一単語、一単語を強く発音して、素直じゃない駄々っ子のように言っていた。
「教えろー、東北!」
音街は私からこの言葉を白状させようと、ランドセルの横から覆いかぶさるようにまとわりついてきた。
「言わない!」
自宅まであと少しという距離の所で私は頬が緩み切っているというのにそれでも反発する態度を取り、音街はお構いなしに私にじゃれあってきた。この言葉はまだ言えないでいるが、私はこの非日常を明日からは素直に楽しめるだろうと友達と一緒にそう思えた。<了>