美鈴おかーさん   作:茶蕎麦

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第六話 レミリア・スカーレットの幻想入り

 

 レミリア・スカーレットは吸血鬼である。それも、彼女はドラキュラの祖であるヴラド・ツェペシュに連なる家系に生まれたのだとされた程の、生粋の血を啜るもの。

 父曰く、実際にかの串刺し公との繋がりは薄いそうであるが、それでもレミリアは生まれつき強力な吸血鬼であった。

 莫大な魔力妖力、そしてそれを抜きにした地力すら抜群の、悪魔。一等月が紅い夜の日の彼女の誕生はスカーレット家の様々な配下の魔のものに言祝がれ、支配下にある多くの人間に呪われたものである。

 

「お母様。どうして、私達は太陽を見つめることが許されないのですか?」

 

 支配を定められた、極めつけの大妖。穢れた異形らに傅かれる中、しかし、そんなことなんてどこ吹く風と、幼き日のレミリアは天真爛漫に生きた。

 敬語は取って付けただけ。鈴より透明な言の葉の音色を響かせながら、蝙蝠の羽をぱたぱたと。幼き紅い月は魔界産のロッキングチェアに深く腰掛け月を見る母を見上げる。

 それは、レミリアを統べることに取り憑かれることのないように育てた両親の方針もあったのだろう、彼女は未だ少女であることが許されていた。

 

「レミリア。それは、ただ嫌いだったものが弱点とされてしまったからよ」

「されてしまった? 私達は元々、日光の下に出られない、そんな定めだった訳ではないのですか?」

「日に曝され続けると消滅する。それは、決まりではないの。人間達の呪い。彼らのそうあって欲しいという、願いが叶ったことで、私達はもう太陽を望めないのよ」

 

 持ち前の柔らかき紫がかったブロンドの長髪に埋もれるように椅子に沈み込みながら、スカーレット家当主の妻たる母は話す。その持ち前の美しさを存分に娘達に継承した、彼女は知っている。陽光の温かさを、美しき広がりを。

 そう、吸血鬼は元々人の近くにあるどうしようもなかった、災害。しかし、それを克服するために彼らは呪ったのだ。色素薄いヴァンパイアが眩さを嫌う理由に、日光が苦手なのだという弱点を願って幻想を歪めたのだった。

 人々の想像に創造されて、陽の光を弱点とした欠陥妖怪は出来上がる。そう、自分たちの有り様は人の手に委ねられているのだ。このままでは何れ、人間に在ると思われなければ、失くなってしまう程に堕ちてしまうのではないか。そう、古の神々のように。

 まるで人間原理の鎖。スカーレット夫人はそんな風に考える。神の子たる人間の隣の悪は、そんな人の優遇に思う。けれどもそれはどうしようもないことだと、ただ今は我が子への愛を大切に、彼女はレミリアのくせ毛を撫で梳いた。

 

「人間って、怖いですね……」

 

 胸中にて、そんな親の諦観を感じ取ったのか、レミリアはぶるりと震える。生まれてこの方血液を食べやすい形でしか饗されていない少女は、人の形すらよく知らない。

 不明に恐れるのは妖怪も一緒。自分たちが呪わしき存在と思わずに、レミリアは自分を暗闇へと追いやる人間へ恐怖した。

 喜色を失われ、強ばる我が子の顔。それを、母はむしろ喜ぶ。目線を降ろし、言い聞かせるように彼女は告げた。

 

「そう。その感情を忘れないで、レミリア。きっと、食べ物に対するその恐れが貴女の助けになる日が来るでしょう」

 

 能力なんて持ち合わせていないスカーレット夫人に運命など判らない。けれども、一番の敵が何かは知っていた。だから、決して彼らを侮らないでと、伝える。

 人の間に潜む悪魔への恐怖の想像の形が吸血鬼である。ならば、何れ慣れと方便によって陳腐化されてしまうのは自明なのだから。そして、きっと無かったものにされる。

 そんなことを識る、人間出身で魔法を使う異端の吸血鬼は、だから今のありのままのレミリアを愛するのだ。きっと辛い未来がある。それを乗り越えるための愛を伝えるために。

 

「それでも、今は安心して。私が未だここにいるわ」

「むぎゅ。お母様……」

 

 その抱擁は、将来の花に贈るもの。今、娘のこれからを諦めることなんてあり得ない。だから、強く強く、縛して鼓動を伝えるのだ。貴女はここに居て生きていて、それでも良いのだと。

 しかし、母情のあまりの熱苦しさに、悶える声が上がる。幼きレミリアの膨れっ面は雪うさぎ。更に愛おしく思えども、それを直接伝えたらきっとこの子は耐えられないと、微笑んで。

 

「あら。ごめんなさいね」

「んぅ……」

 

 再び、撫で梳いた。スカーレット夫人は愛すべき流れのその途中に、一時絡まるものがあることを知りながらも、その後に続く平穏を望む。

 その日、紫色の揺りかごの中で、レミリアは眠った。

 

 

 

「これが、運命だった……とは思いたくないな」

 

 スカーレット家当主、レミリアの父は溜息を飲み込みながら、そう呟く。威厳のために特注した堅い椅子が冷たく、あまりに寂しい。

 貴方ほどの血と力の持ち主ならば、と持ち上げられた結果若気の至りで設けた玉座。一時は彼を王として本気で地の征服を目論む悪魔共が勢揃いしたその場は、今やがらんどう。

 安堵するように深く椅子に座してはいるが、決して彼が余裕を持っているという訳ではない。ただ、無事に残っているのがこの一室以外にないという事実に落ち込んでいるだけだった。

 

「それにしても、部下……いいや仲間だったあいつらを逃すのには苦労したな。ライカンスロープの娘の駄々には困ったものだった……」

 

 しかし、それでも良き思い出に吸血鬼は笑む。惜別の涙に、救いを覚えて。幾ら彼らが魔や妖な認めがたいものとはいえ、仲間の命をこの世に残すことが出来たこと、そればかりは誇らしい。

 妻を殺されたことで大いに荒れて暴れて、そうして人間の恨みを買い過ぎた結果破滅した、そんな馬鹿な君主にして彼らは過ぎた遺物であると言えた。

 

「……ニホン、か。レミリアは今絹の道を辿っているどころだろうか。イマイズミの伝手というのは信頼できるものだが……」

 

 そして、彼は一人この世に残した片娘の事を心配する。出来れば、最期まで手元に残しておきたかった我が子、レミリア。ウェアウルフの親子に小さな手を引かれながら、こちらを見ていた彼女の目の光なさを、思わざるを得ない。

 どうしようもない父だったと彼は自覚している。はじめは平和に任せて修めるべきものを修めさせずにただ眺め、しかし一度荒れ狂ってしまえば治まるまでレミリアの姿を目に入れることすらなかった。

 極端。自分のそんな欠点がもう一方の娘に受け継がれてしまったのは残念だと、彼は考えざるを得ない。そうして、今度はフランドールの歪んだ笑みを思う。

 

「フランドール……あの子には、父らしいことを、何一つしてやれなかったな。あいつが、魔法使いの娘等と共に、地下室ごと魔界に飛ばしてくれたが……果たして無事に、過ごしているだろうか」

 

 幼き吸血鬼、レミリア。彼女には五つ年下の妹が居た。しかし、彼女、フランドールはその持つ力の大きさと狂気故に、生まれつき父母すらろくに近づくことは叶わない、そんな存在でもあったのだ。

 父は、目に焼き付いてしまった光景を思い返す。持ち前の能力を持って館を破壊し、その破壊の中心にて日光を浴びて背中焼け焦がす赤子の姿を。その際のフランドールの壊れてしまった笑顔を振り返り、彼は悲しむのだ。

 以降フランドールは地下に籠もって外を嫌い、力を振るうようになった。それは心に残った、狂気にまで至る深い傷による行動だ。彼女が快復するまでは自分が居場所を守ろう、そう考えていたのに、現実としてそうはならなかった。

 人間界の隆盛に危機を覚えたスカーレット夫人。喧嘩の後に、彼女の先見の明を信じた彼は、その言を受け容れてフランドールを魔界に一時避難させた。

 全てを聞いても、狂った笑顔変わらせなかったフランドールの頷きを了承と捉えて。

 

「あの時は少し離れるだけ、と言ったが永遠となりそうだ……すまなかったな、フラン」

 

 そんな親の自分勝手を今更悔いて、孤独な吸血鬼は整いすぎた顔を苦渋で曇らす。温もり一つない、孤独の中で、これから日が明けたらやって来るだろう犇めく人間の足音を幻に聞く。

 全てを持っていた筈の彼は、今や己が力以外全てを失い、そうして最後に命すら亡くそうとしていた。悔いは沢山あった。その中でも、一つが表に現れて、ついつい彼は言った。

 

「せめて、昼夜関係なく我が紅魔館を守ってくれる妖怪が居たなら……いや、そんな存在なんて、そうは居まい。実際私のもとには居なかった。それが現実だ」

 

 彼は夜の王と呼ばれていたことがある。確かに、彼が独力で夜においては神すら下に見ることが出来る稀有な存在であることには未だ間違いない。

 しかし、日の下ではその力の多くが削がれた。それは、同調してくれた配下の者のほとんど全てが同じこと。日中には力を発揮できないという呪われし弱点が人間にこうまで攻め込まれる隙になったということは、彼が一番良く判っていた。

 だからこそ、もしもを思ってしまう。闇或いは光に深く人に呪われず、弱点などなく門前を守ってくれる強者の存在を。しかし、そんな者は自分の運命にはなかったのだ。とうとう、彼は嘆息した。

 

「はぁ。私は、ここまでか」

 

 どん詰まり。ここが華美に彩られた彼の呪われし生の終着点。一人きり、最期の抵抗の末に退治される。そんな未来は、決定的だった。

 吸血鬼は思う。確かに吸った、啜った。だが、果たしてそれは悪だったのだろうか。食事など、通常の行動ではないか。或いは隣合う者を食んだ先祖が間違っていたのか。しかし、人間こそ正しい。そんな道理にはどうしても馴染まない。

 考え、結局のところ自分の弱さに問題があると納得し、そうして労に痩けた顔を上げた、その時。鈴の音より綺麗な声色が直ぐ前にて響いた。

 

「……流石にお疲れのようですね、お父様」

 

 その声の主は、何より愛おしい我が子によるもの。人に紛れるために上質を汚したボロを身にまとっていながら、確かに彼女は一人きりで目の前に。可愛らしくも夜を確かに孕んだ小さなレミリア。その矮躯を見て、彼は狼狽した。

 

「レミリア! どうしてここに!」

 

 そう、彼女は居てはいけない。自らの死地に子を容れる親など存在するものか。最後にもう一度会いたかった。けれどもその願いは決して叶ってはいけないものなのに。

 はちきれんばかりの嬉しさを抱きながら、しかし父は我が子に叫んだ。どうして来てしまったのだと。

 怒気すら感じるその声にびくりとしながら、しかしレミリアは気丈に返す。

 

「お父様に、会いたくて……来ちゃいました」

「どうやって……この周囲は人間どもに取り囲まれていただろうに……」

「図書館に設置されていた召喚陣を、使いました。……お母様が、何時か使うことがあるかもしれないと、教えてくれたやり方で」

「あいつが、遺した魔法か……」

「道はまだ空いています。お父様も、一緒に逃げましょう?」

 

 レミリアは緊張を解いて、その頬を綻ばす。聡明なる母が遺してくれた、優れた方法。それを信じて、彼女は父の救出へとやってきた。

 遠くに設置した対となる陣に飛べば、親子揃って逃げられる。犠牲なんて、ないほうがいい。そうレミリアは考える。だがそれは子供の考え。父は、彼女を撫でて、言った。

 

「それは、出来ない」

「どうして!」

「全てのために、私は、死ぬべきだからだ」

 

 そう。彼はとうに覚悟しているのだ。この地で悪として、散ることを。

 人々の手により悪しき吸血鬼の親玉は、倒された。人の間にとっては喜ばしきその事実が広まれば、きっとレミリア等散り散りになった妖怪変化に対して深追いをすることもないだろう。

 それに、腐っても彼は統治者。ずっと、生きたかったが、それでも地には平和があることこそが望ましいものだと判っていた。故に、自分という癌を除くことは、この世のためになると、割り切れてもいたのだ。それはとても寂しいことだと、思うが。

 思わず子に向けた、諦観の笑顔。それに感じたレミリアは、涙を零して声を荒げる。

 

「そんなの、嫌です!」

「レミリア……」

「だって、私、返せていないです! 沢山の愛を頂いて……大好きなのに、愛しているのに、その一片もお父様に形として差し上げられなかった! これから、時間をかけて恩返し、したかったのに……」

 

 それは、恵まれた少女の涙と一緒にぽろぽろ溢れた本音。確かに、レミリアは愛を知っている。だから、返すべきだと思うのだ。

 だって、こんな心温かくなるもの、独り占めするなんてあまりにはしたない。好きな人にも、ぽかぽかになって欲しいと思うのはきっと間違いではないだろう。

 幼き吸血鬼はそう思った。けれども、年重ねた吸血鬼は、違う想いを持って、優しく語るのだ。

 

「違うんだ、レミリア。もう、十分なんだよ」

「ぐす……お父様?」

「私はね、君が生きているだけで、嬉しかったんだ。ずっと、とても、とても、温かかったんだ。だから、これからも君が生きていることこそ私にとって最高の恩返し、なんだよ」

「そん、な……」

「これは不出来な父親としての、最後の願いだ。レミリア、君は永く生きて……そうして、何時かフランドールと仲良く過ごすようになってくれたら、嬉しいな」

 

 それは、ありきたりな父親の願望。たとえ神が自分達を愛さなくても、だから辛くあったとしても、それでも我が子には生きて欲しいと思う。そんな想い。

 安心させるための笑みは、滑稽なまでに深く。それでいて、レミリアにはどこまでも優しいものに、見えた。

 ああ、この父の言葉は絶対に裏切ることは出来ない。そう、少女は思った。

 

「う……」

「なら、分かるね。こんな危ないところに長居してはいけないよ。さあ」

「お父、様……」

「行くんだ!」

「っ、はい! さよう、ならっ」

 

 声に追いやられ、疾く小さな影は消えていく。親子の邂逅の時間は僅か。それでも、確かに遺せたものはあった。

 

「私は、愛せた。幸せだ」

 

 多くに愛されしかし、向けた恋は一つ。それが成就したのは、きっと彼にとって最大の幸福だったに違いない。

 

 彼はしばらく留まり愛を想う。やがて静かに時はたち、空に光が顕れて、そのうちに彼は無粋者のざわめきを聞く。

 

「まあ。だからこれからは、八つ当たり、なのだろうな……」

 

 そして、自分を殺すだろう力ある者共に対するために立ち上がりながら、彼は零す。

 幸せだった。けれども、それと分かれるのは間違いなく、辛い。思わず当たりたくなってしまうくらいには。

 さて後は、果てるまでの戦いの時間だ。なら、それ相応の装いというものもあるだろう。そうして彼は普段の面を止めて、尊大な吸血鬼の仮面を付けて、襲い来る全てに向かって叫ぶのだった。

 

 

「――さあ、貴様らに、歴史に記せない程の、暗黒をここに残してやろう!」

 

 

 そして、彼の望みの通りに、スカーレットの名は人の世の中にて、無かったことになった。やがて、闇夜に少女の涙も人知れず、消える。

 

 

 

「苦しい……」

 

 それから、四百を越える時が流れ、多くの変遷を経た。多くの出会いと別れを繰り返し、その中でレミリアは、確かに闇の中で生き続けている。

 しかし、最早レミリアに貴族の如くに暮らしていた時の面影はない。穢れ、薄汚れた少女は人間に馴染まずに、影に生きていた。

 

「血が……足りないわ。お腹がひっついてしまいそう」

 

 前に人の血を啜った、いいや零したのは何時だったろう。呟きながら、レミリアは小さな手のひらにて自分のお腹を撫でる。そして、その未熟さにくたびれた笑みを作るのだった。

 そう、レミリア・スカーレットは小さいままろくに成長していない。それは、生来の少食に、更に過度の苦労が重なったがため。

 父親をよい教材として力を隠し続けた結果、随分と零落し弱々しい妖怪となってしまったレミリアがこれまで生き続けられたのは奇跡的だった。いいや、かもすればそうあることこそが運命だったのか。

 これまで、母親から教わった人に対する怯えに助けられたからこそ生きてこられたのだと、レミリアは自認している。力なんて、救いにはならない。全ては、意思によって紡がれた運命によるもの。それを、彼女は解していた。

 知らず運命に触れられるようになったレミリアは今も、生きるために立ち止まらない。

 

「幻想郷、ね」

 

 呟きは、冷え切った夜空に響いた。都市部から遠く離れた木々深く、続く石段を登りながら、少女は魔をすら受け容れる結界を感じる。

 

「私とフランと繋がる大きな運命。それは確かにこの先にある筈なのだけれど……」

 

 弱りきったレミリアはもう、隠した羽根で飛ぶことすら出来ない。一歩一歩、進みはまるで人のそれ。しかし、昇ることを止めなければ何時かはたどり着くもの。

 

「ああ、ここが……」

 

 鳥居をくぐり、その先の神社を認め、そうして、レミリア・スカーレットは幻想入りを果たした。

 

 

 

「血を、寄越しなさい」

「こんな夜更けに何かと思えば、大きな蚊だったのね」

 

 そして、彼女は黒髪の巫女と出会い。

 

「私を、私達を、守って……」

 

 運命を、自分の太陽をようやく見つける。

 

「私も、レミリアを助けてあげる!」

 

 そして、それは一つでは無かった。

 

「ああ……」

 

 吸血鬼は幻想の地にて、光を望む。

 

 

 


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