銃と私、あるいは放課後の時間   作:クリス

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書いていて思うこと、私も親以外からチョコが欲しかったです。

※注意、バレンタインの話なので恋愛メインになります。ちなみにメインはカルマです。あと長いです。


放課後 チョコの時間

「バレンタインデー、ねぇ」

 

 何気なく呟いた一言に隣にいたあかりの肩がびくりと震え、こたつの上の緑茶が揺れた。銃を手放し私の今までの過去を清算し、殺せんせーがあかりに追い出されてからしばらくたったが、私の頭の中はバレンタインデーと言う言葉で一杯だった。

 

「はぁ、ほんとどうやって渡そう……」

「なぁあかり」

「うん、どうしたの?」

 

 私を見ているが、どこか遠い目をしている。顔も心なしか赤い。きっと例の女顔の殺し屋を想っているのだろうが私には関係のないことだ。それよりも今は大事なことがある。

 

「バレンタインデーって、なんだ」

「祥子知らないの?」

 

 頷く。バレンタインの日。名称からしてアルファベット圏の文化だろうと思われる。しかも十中八九キリスト教絡みだろう。一応アフリカもキリスト教圏だが、内戦真っただ中の国でそんなイベントあるわけもない。中東は言わずもがなだ。

 

「単語自体は一年の三学期に聞いたような覚えがある。しかしどういうイベントなのか全くわからない。店先やテレビでやたらチョコレートの宣伝をしているがそれと関係あるのか?」

 

 ずっと不思議に思っていたのだ。別にカカオ豆の旬の時期というわけでもない。バレンタインという名称もただのファミリーネームだ。少し前までは正月一色だったのに、本当に日本は色々と忙しい国だ。

 

「祥子は知らなくてもしょうがないか。えっとねバレンタインデーっていうのは──」

 

 それからあかりはバレンタインデーについて大雑把にではあるが説明をしてくれた。その内容は概ね私の予想通りであった。

 

「なるほど、好意を持つ男性にチョコレートを贈る風習か。よく意味が分からないな。何故チョコレートなんだ?」

「そういえば……なんでだろ?」

「私に聞かないでくれ……まあつまり、あかりは渚にチョコレートを贈りたいってことなんだな」

「……はい」

 

 いつもの元気は何処へやら、顔を赤くし力なく返事をするあかり。いつもは尻に敷かれている私だが、渚のことにだけ関しては私のほうに主導権がある。少しだけ気分がいいのは秘密だ。

 

「渚は本当にいい奴だからなあ。君が好きになるのもわかるよ」

「も、もう! 私のことはいいでしょ! それよりも祥子はチョコあげたい男子いないの?」

「私? 私か……」

 

 すくなくともこの国では2月14日にチョコレートを男子に渡すということは渡す相手を異性として意識しているという認識になるらしい。恋愛以前に人としてようやくスタートしたばかりの私とって、恋愛なんてものは彼岸の彼方の存在だ。

 

「そろそろ気になる男子とかいてもおかしくないと思うんだけなー」

 

 ニコニコと、いやニヤニヤと私に詰め寄る。どっかの下世話な教師の性格がうつってないか? 

 

「ああ、そう言えば一学期に凛香達とこんなやりとりしたっけな」

 

 あの時は大まじめに人に好かれる資格などないと言って盛大に呆れられた。今思えばおかしなことを言ったものである。それにしても気になる異性か……

 

「そもそも恋愛感情すらよくわからない。人を好きになるのと異性として好きになるのとは何が違うんだ」

「え? それはその人とずっと一緒にいたいとか、抱きしめてほしいとか?」

「抱きしめてほしいかは別として、私は渚ともカルマともずっと一緒にいたいぞ」

「うーん、多分違うと思う」

 

 どうやら違うらしい。あかりくらい露骨なら恋愛感情を抱いていることはわかるのだが、肝心の恋愛感情がどういうものなのかはまだわからない。

 

「別に好きな相手じゃなくても感謝している人とか、お世話になった人にもあげていいんだよ。というか海外だとそっちがメインじゃなかったっけ」

「それならわかりやすい。恋愛は私にはまだ早すぎるよ」

 

 人ではなく異性として好きになるなんて、どういう意味なのかまるで理解できない。流石にLoveとLikeの違いくらいは私にもわかる。けれど、それを男性に当てはめろと言われてもなあ。

 

「そもそも私が色恋なんて似合わないだろ」

 

 平気で泥塗れになり虫や蛇も真顔で食べられる私が異性に夢中になって顔を赤くする様なんて想像がつかない。というか違和感しかない。

 

「別にそんなことないと思うけどなー。祥子だって女の子なんだし恋してもおかしくないって」

「そうかー?」

「だって殺せんせーも恋するんだよ?」

「……凄い説得力だ」

 

 それを言われると言い返せない。しかしいくら頭を捻ってもピンと来るような相手は思い浮かばないので、私にはまだまだ先の話なのだろう。

 

「まあ、そう言うイベントならチョコでも買って皆に配るとするかな」

「あ、そうだ! まだ時間あるしこれから一緒にチョコレート作ろ! いくよ、祥子!」

「あ、おい! 手を引っ張るな!」

 

 いつも通りの行動力。そうと決まれば一直線とはよく言ったものだ。まあいい、まだ恋とか愛とかそういうのはわからないが、今はあかりと一緒にバレンタインデーとやらを楽しむとしよう。

 

 

 

 

 

「やはりというか、なんというか様子が変だな……」

 

 あれから少し経った2月14日、遂に迎えたバレンタインデー。学校に登校した私を迎えたのは妙にそわそわした男子達であった。外面はいつもと変わりがないのだが、あきらかいつもと様子が違う。

 

「そうですか? いつも通りな気がしますけど」

 

 誰に話したわけでもないのに、前に座っていた愛美が当たり前のように私の呟きをキャッチした。いつもなら千葉やカルマが混ざってくる頃だろうが、今日はまだ来ていない。

 

「いや、愛美は聞こえないかもしれないが呼吸音がいつもより乱れている。明らかに動揺している証拠だ。特に岡島なんかは凄いぞ」

「た、確かに……」

 

 岡島に限って言えばそわそわというよりも挙動不審といったほうがいい。あれは私でなくても誰だっておかしいとわかるだろう。しかし期待している彼には悪いが岡島にチョコレートをあげたいと思う女子がE組にいるかは怪しいものだ。

 

「そう言えば愛美は誰かにチョコレートあげるのか?」

「はい、カルマ君に頼まれて私もチョコレート作りました。凄い上手にシアン化できたんですよ!」

「まあ、その……楽しそうで何よりだ」

 

 何故こうも目をキラキラさせているのだろうか。シアンって思い切り毒殺する気満々じゃないか。というかカルマはいったい何を考えているんだ。

 

「ああ、そうだ」

 

 鞄にしまっていたチョコレートの小袋を取り出し差し出す。あかりはバレンタインは友達やお世話になった人にも渡していいと言っていた。ならば友人である愛美にも贈ったとしてもなんらおかしな話ではないはずだ。

 

「色々ありがとう。これからもよろしくな愛美」

「わぁ、ありがとうございます! 祥子さん」

 

 目を輝かせ大事そうにチョコレートを見つめていた。喜んでもらえたようで何よりだ。こういうのを友チョコとか言うのだろうか。本来の趣旨からは外れている気がするが、愛美が嬉しそうならなんでもいいか。

 

「おーい、凛香」

 

 同じように愛美の前に座っていた凛香にもチョコレートの包みを手渡す。私から貰うなんて思っていなかったのか、珍しく目を見開いて驚いていた。

 

「チョコレート? 私に?」

「ああ、君にも散々世話になったからさ。ありがとう、これからもよろしく」

「うん、私もよろしく」

 

 生まれて初めてのイベントだが、調子が出てきた。ようはいつも通りに好意を示せばいいだけのようだ。私はこの後も陽菜乃や桃花、今まで世話になった人間全てにチョコレートを渡し続けた。例によって本来の趣旨からはそれているようだが、知ったことか。思いが伝わればそれでいいのだ。

 

 

 

 

 

「臼井さんまた明日ー、チョコありがとね」

「ああ、また明日」

 

 オレンジ色に山道に続く階段に腰かけ、去って行く不破達に手を振る。ふと横に置いた鞄を見た。

 

「あと一つか……」

 

 中には一つだけチョコレートの包みがあった。最後の一つだ。さてどうしようか。親しい人にはほぼ全員渡した。寺坂に渡したら酷く驚かれたのを思い出すと今でも少し腹が立つが、その後は普通に受け取ってくれたのでよしとしよう。

 

「あと渡していないのはカルマくらいだ」

 

 チョコレートの包みを手に取って眺める。なんだかんだ言って彼には本当に世話になったと思う。直接助けられたわけではないが、彼の言葉はいつも私を動かす切っ掛けになった。

 

「ま、今頃中村と一緒にあかりをおちょくっているんだろうけど」

 

 帰り際、初めての夫婦喧嘩と称して渚との口論の動画を見せつけからかっていたのは記憶に新しい。まあ、ああ見えて面倒見の良い二人のことだからサポートしてくれるだろう。むしろあかりのほうが折れてしまわないか心配だ。

 

「今日は絶対からかってくると思ったんだけどな……」

 

 一人呟く。あいつがこんなイベントを前にして私をからかわないわけがない。そう思っていたのだが、予想に反してカルマは至極いつも通りだった。別にからかってほしいと思っているわけではないが、身構えていただけあって拍子抜けしてしまったのは否めない。

 

「そう言えば、私あいつのことあんまり知らないんだな」

 

 友人だとは思っているが、いつもあかりや渚と一緒で彼個人と話すというのはあまりない。親がインドかぶれということと甘い物が好きということくらいしかプライベートに関することは知らないのだ。

 

「向こうは私のことどう思ってるんだろ」

 

 私は友人だと思っているが、もし向こうがただのクラスメイトとしか思っていなかったらと想像すると、理由はわからないが凄く嫌だった。流石にそこまで酷い認識はされていないだろうが、良くてからいかいがいのある友人といった認識だろうな。

 

「コート、暖かったな……」

 

 羽織ったコートの襟を両手で引き寄せる。あの冬の夜、私の肩に掛けられたコートの暖かさを思い出した。地雷で吹き飛ばされボロボロだった私、シャツはとうの昔に襤褸切れで、痛くて寒くて……そしてなによりも寂しかった。

 

「酷いこと言っちゃった」

 

 あの時は意地を張っていたせいで酷い対応をしてしまったが、本音を言えば泣きそうになるほど嬉しかった。もし彼が引き止めてくれなかったら、私はきっと誰にも助けを求められず、家に帰り独りぼっちで泣きながら傷の手当てをしていただろう。孤独で惨めだった昔のように。

 

「こんなチョコ一つじゃ足りないよ……」

 

 感謝の気持ちも、謝罪の気持ちも、こんなビニールに包まれたチョコレートの包み程度では到底足りない。私が今ここにいるのは本当に色々な人のお陰だ。まったくここには恩人が多すぎる。

 

「そう言えば岡島はチョコレート貰えたのだろうか」

 

 皆が帰っていくなか、彼は相変わらず挙動不審のままだった。あの様子ではきっと誰にも貰っていないのだろう。今朝見た時は随分と浮ついていたので相当に期待していたに違いない。彼に関しては日ごろの行いのせいもあるだろうが、少しだけ可哀想だ。

 

「待ってろよ!! 終わらん!! このままでは終わらんぞぉ!!」

「ん?」

 

 振り返る。噂をすればなんとやら、玄関から凄まじい顔の岡島が出てきた。どう言えばいいのだろうが、筆舌に尽くしがたい表情をしている。本当に誰にも貰えなかったらしい。おかしいな、陽菜乃達はクラスの全員に配っていたはずなのだが……

 

「おい臼井! 俺宛てのチョコ隠した奴知らねえか!?」

「……いや」

「そ、そんなはずがねえ! 絶対あるはずなんだ!! 畜生、俺はこんな結果認めねえぞ!!」

 

 文字通り血の涙を流して山の中に入っていこうとする。流石にちょっと可哀想になってきたなあ。陽菜乃たちも悪気があったわけではないだろうが、多分素で忘れてしまったのだろう。仕方ないな。

 

「おい岡島!」

「なんだ臼井! 俺は今忙し──」

 

 最後のチョコレートを彼に放り投げる。放物線を描いて飛んでいった包みはすんなりと彼の手の中に収まった。

 

「う、臼井……こ、これって……」

「自分で食べようと思ったものだが、君にやるよ」

 

 嘘だ。本当はカルマにあげる予定のものだったが、それを彼に面と向かって言うのは恥ずかしい。当たり障りのない理由でごまかしておく。何故恥ずかしいと思ったのかはよくわからない。

 

「…………」

 

 こうして遂にチョコレートを貰った岡島なのだが、何故だかさっきから人形のように動かなかった。と、思ったら今度は振動しだした。こいつ大丈夫か?

 

「……あ」

「あ?」

「あ゛り゛か゛と゛よ゛ぉぉぉ!!!」

 

 それは狂喜だった。鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった顔でこちらに抱き着きそうな勢いで詰め寄って来る。流石にそれは嫌なので立ち上がり回避。

 

「臼井、お前ほんといい奴だなぁ!! ずっとスカート短いわりに大股で歩いててパンツ見えそうって思っててごめんよぉぉ!!」

「あ、うん」

 

 こいつずっとそんなこと考えてたのか……。いや、まあ岡島に限って言えば平常運転だから驚きはしないが。早くもチョコレートをあげたことを後悔してきた。そんな彼はチョコを貰ったことが余程嬉しいのか天に掲げて飛んだり跳ねたりして非常に鬱陶しい。

 

「じゃあな臼井! いやっほぉおおう!!」

 

 そして私に礼を言うとそのまま奇声を上げながら走っていった。なんというか、ちょっとしか話していないのにどっと疲れた気がする。喜んでもらえたのは嬉しいが明日から彼の近くを歩く時は足元に注意しておこう。

 

「はぁ……やってしまった」

 

 あまりにも不憫だったとはいえ本来カルマに渡す予定だったチョコレートを渡してしまった。皆に渡して彼にだけ渡さないというのは私の信条に反する。家に材料の余りがあるはずなので明日改めて渡そうか。

 

「あれ、さっちゃんさん、何してんの?」

「ほんとだ、どうしたの祥子?」

 

 振り向く。玄関から出た渚が私を不思議そうに見ていた。そしてその隣には頬を赤く染めて恥ずかしそうで嬉しそうなあかり。しかも何故か腕を組んでいる。いや、組んでいるというよりはあかりが渚の腕を一方的に握っていると表現したほうがいい。

 

「ちょっと野暮用でな。まあもう終わったんだが」

 

 終わったというか、終わらせざるを得ないといったほうが正しい。このままここにいても仕方がないので私も帰るとしよう。

 

「ていうかあかりは何故渚の腕を掴んでいるんだ?」

 

 その言葉にはっとしたように自分の手を見て飛びのくあかり。どうやら無意識だったらしい。雰囲気を見る限りどうやらチョコレートはちゃんと渡せたのだろう。

 

「えっ!? ご、ごめん渚!」

「あ、うん。でも別に嫌じゃないよ」

「そ、そうなんだ……」

 

 これから一緒に二人で帰るといったところだろう。ここでついていったら二人に悪いな。あかりもチラチラと私に目配せしてきている。ここはあかりを立てておこう。

 

「あ、よかったらさっちゃんさんも一緒に──」

「いや、殺せんせーに進路で聞きたいこと思い出したからしばらく残るよ。悪いが二人で帰ってくれ」

「うん? そうなんだ、じゃあしょうがないね。殺せんせーならまだ校庭のほうの木の上にいると思うよ」

 

 というか渚はよくこの状況で私を誘おうと思えるな。他人の感情には敏感な割には自分に向けられる感情には鈍感らしい。これはあかりも苦労するだろうな。

 

「二人とも、また明日」

「また明日。じゃあ帰ろっか茅野、じゃなかったあかり」

「うん、いこっか渚。またね祥子……あとありがと

 

 手を振りながら二人を見送る。いつもと大して距離感は変わらないというのに、何故だか今朝よりもずっと距離が縮まった気がする。

 

「あれ? 今渚あかりって呼んでいたような……」

 

 まあいいか。あかりの名前を呼んでいたのは私だけだったので、彼女の本当の名前を呼んでくれる人が増えるのはいいことだ。二人の仲が順調に進んでいるようで安心する。ずっと自分を殺し続けていたのだ。あかりにはもっと自由に生きてほしい。

 

「さて、私も帰るかな」

「あれ、臼井さんじゃん」

 

 またか。私はやれやれと思いながら後ろを振り返った。案の定チョコレートを渡そうと思っていたカルマがいつものように煮オレジュース飲みながら私を見ていた。中村は一緒ではないのだろうか。

 

「一人で何してんの?」

「いや、ちょっとな。それよりも渚とあかりはどうだったんだ?」

 

 君を待っていたというわけにもいかない。そんなことを言ってしまえばこいつがどんな顔をするか簡単に想像がつく。

 

「名前呼びまでは行ったんだけどねえ。肝心の茅野ちゃんが途中でヘタレちゃってさ。せっかくくっつけて弄り倒そうと思ったのに」

 

 相変わらず魂胆が厭らしい。善意も含まれているのだろうが、こいつの場合は七割以上が悪意でも驚かない。まあ流石にそんなことはないだろうけれど。

 

「まあ、あかりは渚に関しては私以上にポンコツになるからな」

「それ自分で言う? まあ渚も満更じゃなさそうだし、あの調子なら来年くらいには付き合ってんじゃない?」

「私もそうなることを祈ってるよ」

 

 不意に先ほど岡島に渡してしまったチョコレートを思い出す。このまま帰ろうと思っていたのに悩みの張本人が現れてしまい少々混乱している。

 

「そう言えば中村はどうしたんだ?」

「中村は殺せんせーと進路の話したいらしくて残るみたいだよ」

 

 つまり彼は今一人。そう思うと何故だか妙に緊張してしまう。これはどうするべきなのだろうか。このまま彼が帰るのを見送るか、それとも……

 

「ん? どうしたの臼井さん」

 

 この時の私は緊張によるものかチョコレートのことばかり考えて視野が狭くなっていたのか、少々頭が混乱していた。だからだろうか口が非常に軽くなっていた。

 

 つまり何が言いたいのかと言うと。

 

「じゃ、じゃあよかったらこれから一緒に付き合ってくれないか?」

 

 こんならしくないことを言ってしまうのも何もおかしくはなかったということである。

 

 

 

 

 

 周囲から漂うコーヒーと甘い匂い。視界の端では店員が忙しなく接客を行っている。現状から気を紛らわすために店員のテーブルを片づける動きに意識を集中させる。なるほど、効率的な動き方だな。

 

「おーい、どこ見てんの臼井さん」

「へ?」

 

 急に視界の前で手を振られ我に返る。現実に戻り前を見ればテーブルの向かいにカルマが座って私を不思議そうに見ていた。

 

「い、いやなんでもない」

「ふーん、ていうか臼井さんがこんなとこに誘ってくるなんて超意外なんだけど」

「私も驚いている」

 

 私達は現在何故か駅前の喫茶店で一緒に注文を待っていた。何故かというか私が誘ったからなのだが、本当に私は何故あの時あんなことを言ってしまったのだろうか。

 

「何それ、変なの」

「あ、あれだ。君にも色々世話になっているからな! そのお礼といったところだ」

「お礼なら普通にチョコレートでも渡せばいいじゃん」

「しょーがないだろ! 岡島に渡してしまったんだよ!!」

 

 周囲の客が私の声に反応して一斉に振り向く。やってしまった。顔が熱くなりテーブルに突っ伏す。早く注文したチョコレートケーキこないかあ……。というかカルマ笑うな。

 

「岡島にってことは、もしかして俺にもチョコ作ってくれてたの?」

「ああ……けれどタイミングが掴めなくてさ。言っておくがそう言う意味じゃないからな」

「へぇー、そうなんだ……」

 

 テーブルに突っ伏したまま彼とやり取りする。やっぱり慣れないことはするものじゃない。以前にも磯貝と似たような状況で話したことがあるが、あの時とは過程が違い過ぎる。

 

 しかも、よくよく考えてみれば私がこうして男子と二人きりでどこかに行くのなんて初めてだ。女子ならあかりや陽菜乃と何度もこうして店に寄ったことがあるが男子、しかもよりにもよってカルマとなんて想定外にもほどがある。

 

「ていうかなんで俺に渡してくれなかったの?」

「いや、岡島があまりにも不憫でな」

「あはは、臼井さんらしいや」

 

 カルマは何が面白いのか軽く笑った。なんだ私らしいって、彼の中での私に対しての認識が気になるところだが、それを聞くのは怖いので止めておく。

 

「そういや何気に臼井さんと二人きりって初めてじゃね。いつも渚とか茅野ちゃんが一緒だよね」

「確かに、君と話すようになったのは渚経由だからな」

「渚って意外とコミュ力高いからねえ」

 

 渚というか皆はよく当時の私に話しかけようと思ったものだ。明らかに目つきが堅気じゃなくて素性を一切語らない怪しい奴なんか普通信用しないと思うのだがな。まあだからこそ今の私がいるのだから感謝しかないが。

 

「あ、注文きたよ」

 

 と、そんな昔のことに思いを馳せていると注文した二人分のコーヒーとチョコレートケーキがやってきた。前にあかりと行った時は美味しかったのでこのケーキもきっと美味しいだろう。

 

「うん、早速食べるとしよう」

 

 しかしまずはコーヒーからだ。カップを傾け濃褐色の液体を啜る。冷え切った身体に温かいコーヒーが染みる。

 

「美味しい……」

 

 苦みと酸味のバランスが素晴らしい。理事長と出会った喫茶店のほうが美味いが、ここも悪くはない。

 

「臼井さんコーヒーブラックで飲むんだ」

「飲み物に関してはあまり甘いのは好きじゃないんだ。そういう君は随分と砂糖とミルクを入れるんだな」

「まあね、俺甘いの好きだし」

 

 砂糖壺とミルクピッチャーから結構な量を入れてスプーンでかき混ぜている。伊達に毎日のように甘ったるそうな煮オレジュースを飲んでいるわけではないらしい。

 

「私も酒に関しては甘いのが好きなんだがな……あ、すまない、今のは忘れてくれ」

 

 もう飲んではいないが、友人の前で飲酒の話をするのはあまり褒められたものではない。そんなことを考えながらケーキを頬張る。ラム酒を使っているのだろう。皮肉なものだがとても上品で美味しい。

 

「へぇ……臼井さんやっぱ酒飲むんだ」

 

 どうしてか普段よりも一段と声が低い。怖いとは思わないが困惑する。

 

「言っておくが昔の話だからな。ん、やっぱ?」

「結構飲んでたんでしょ? 一学期のころたまに酒臭かったし」

「え、気付いてたの?」

 

 肯定するように頷く。意外すぎる事実、まさかあかりだけではなくカルマにまで感づかれていたなんて……匂いには気を付けていたはずなんだがな。自分で気が付かなかっただけで臭っていたのだろうか。

 

「そりゃ毎日隣にいたんから気が付くに決まってるじゃん」

「普通気が付かないだろ。けどそうだったのか……ああ、少し前までは浴びるように飲んでたよ。そうでもしないと心が壊れそうだったんだ」

 

 改めて思い返してみることでわかる当時の異常な生活。いつ身体を壊してもおかしくなかった。私の日常は薄氷の上で成り立っていたと言っても過言ではない。

 

「まあ、あかりに見つかってこっ酷く怒られて止めたよ」

「それがいいよ。臼井さんに酒なんか似合わないし」

「自分で言うのも何だが結構様になっていたと思うんだがな」

 

 その言葉に彼はどこか優し気な笑みで首を振って否定した。知り合って一年になるが、今まで見たこともない優し気な顔だった。

 

「……臼井さんは今みたいにケーキ食べて笑ってるほうが全然似合ってるよ」

「そ、そうだな」

 

 12月の一件の時、煙草を握り潰されたことを思い出す。ああいう感情的な行動を取るほどには心配されていたらしい。悪いことをしてしまったな。

 

「ああ、そうだ。君にはあまり関係ないが少し前に銃を捨てたよ。綺麗さっぱりね」

「ほんと? よかったじゃん」

 

 口調こそぶっきらぼうだったが、純粋に喜んでくれているのが表情からわかった。彼にも心配ばかりかけていたからようやく安心させられたと思うと喜びが込み上げてくる。

 

「君のお陰でもあるんだぞ」

「俺?」

「君があの夜コートを貸して引き止めてくれたから、暗殺サバイバルゲームで凛香に指示を出して私を殺してくれたから、私は八年の過去に踏ん切りがついたんだ」

 

 多分決定的だったのは凛香との対決だ。あの件で私の中にいた兵士は完全に殺されてしまった。つまり間接的ではあるが、私を殺してくれたのはカルマのようなものだ。もしあれがなかったら、私はきっと今も過去に縋っていただろう。

 

「あの夜は酷いことを言ってごめん。本当はコートを肩に掛けてくれて凄い嬉しかったんだ。君はいつものように優しくしただけなんだろうけど、それでも私は泣きたくなるくらい嬉しかったんだよ」

 

 だから本当にありがとう。そう言って頭を下げる。私の思いがけない姿に面食らったのか、目を見開いてこちらを凝視していた。

 

「まあ今更言われても困るよね……」

「……別に、ちゃんと言えたんだからそれでいいじゃない? 少なくとも俺には伝わったよ」

「そう言ってくれると嬉しいよ」

 

 自然と笑顔になる。言いたいことは全て伝えた。バレンタインデーなんて意味がわからなかったけれど、私は切っ掛けになったこの日に感謝したい。

 

「私ばかり話してすまなかったな。せっかく君が付き合ってくれているのに」

「君……」

「どうした?」

 

 私の何かが癪に障ったのか、彼は頬づえをついて私を見つめていた。口元はいつも通り笑顔だが目が笑っていない。

 

「俺は臼井さんのことちゃんと臼井さんって呼んでるのに、臼井さんは俺のこと名前で呼んでくれないよね。いつも君とかそんなのばっかり」

 

 言われてみれば渚やあかりに比べれば名前で呼ぶ回数はずっと少ない。学園際の時も桃花に言われたが全部君ですませるのは私の悪い癖だな。

 

「ごめん、気を付けるよカルマ」

「別に怒ってるわけじゃないからあんまり気にしないでいいよ。さっきからずっと君ってしか呼ばないから気になっただけで」

 

 まあずっと君君言われたら気にもなるか。三人以上なら呼び分けなければならないので名前呼びも多くなるが、二人きりだとその必要もない。殺せんせーに国語の勉強が必要だと言われたのはこういうのもあるのだろう。

 

「面目ない。まだまだ昔の話し方が抜けなくてな。もう少し女らしい話し方ができればいいんだが……」

「ま、俺は臼井さんの話し方結構好きだけどね。他にそんな面白い話し方する女子見たことないし」

「面白い話し方って……カルマは本当にぶれないな」

「臼井さんはブレブレだけどね」

「あはは、それは確かに否定できない」

 

 二人きりだとどうなるかと思ったが、案外話が弾む。お互いに性格を把握しているというのもあるが、それ以上に彼が私に合わせてくれているのだろう。カルマとは住む世界が真逆と言ってもいい愛美が懐くのも頷ける。いつもはふざけきっているが、彼の本質はとても優しいのだ。

 

「それにしても臼井さんって意外と勇気あるよねえ。バレンタインデーに二人っきりでお茶に誘うなんて」

「ん? 大切な友人に礼をしたいと思うのはそんなにおかしなことなのだろうか」

「あー、うん……やっぱ臼井さんは臼井さんか」

 

 私の言葉に一瞬呆気に取られると納得したように溜息をついた。前にも似たような反応をされた経験がある。確かに何も知らない人間が見れば私達はそういう関係に見えないこともないのかもしれないが、実際は違うのだからどうでもいいことだ。

 

「そう言えば臼井さんは茅野ちゃんと同じ高校行くんでしょ?」

「ああ、君は椚ヶ丘に入りなおすんだったか」

「うん、だって俺と張り合える奴なんて椚ヶ丘にしかいないし」

 

 多分浅野のことだろう。彼くらいしか思いつかない。こういうのを見るたびに彼が男だということを再認識する。私とはやはり違う生き物だ。

 

「でも、臼井さんもいたらもっと面白かったんだろうなー。臼井さんの成績なら俺らと同じクラスになっただろうし」

「君と浅野か……確かに悪くはないだろうが、酷く疲れそうだ」

 

 どうせ浅野は速攻で高校を支配下に治めるだろうから、私とカルマは孤立とまではいかないがそれなりに肩身の狭い思いをするだろう。まあ賞金を懸けられた時に比べればどうということはないか。

 

「それ本人の前で言っちゃう?」

「言うよ。どうせ椚ヶ丘に残ったところでカルマはことあるごとにちょっかいを掛けるんだろ? もうわかっているんだ」

「まあね、臼井さん弄ると面白いし」

「はいはい、どうせ私は君の玩具ですよ」

 

 不貞腐れてケーキを食べ進める。まあ、実を言うとこうして彼とじゃれあうのは楽しかったりするのだが、それをこいつに言うと増長するに決まっているので絶対に言わない。

 

「でも、それももうすぐ終わりだな……」

「え、何? もしかして寂しいとか思ってくれてるの?」

 

 何気なく呟いた一言に目ざとく反応しニヤニヤとこちらを覗き込む。本当にこいつはムカつくくらいぶれないな。でも、この期に及んで意地を張るのも意味はないか……

 

「……そうだよ寂しいよ! ほんとはもっと一緒にいたいよ悪いか!」

「あはは、やっぱそうなんだ」

 

 案の定こいつは言質を取ったと思っているのか、微笑ましいものを見るように笑うだけだった。自然と頬に熱が籠っていく。畜生、だから言いたくなかったんだ。

 

「いつも思うけど臼井さんって俺らのことほんと好きだよね」

「だってしょうがないじゃん。生まれて初めてなんだよ。友達ができたのなんて。たった一年だったけど、本当に楽しかったんだよ……」

 

 コーヒーを一口飲み窓から街を眺める。そろそろケーキも食べ終わるころだ。この楽しい時間も終わらせなければならない。

 

「……俺も臼井さん、達のこと好きだよ。二年まではみんな俺にビビッて近寄ってこなかったし」

「それは自業自得じゃないか?」

 

 詳しくは知らないが、喧嘩っ早いのは見ていればすぐにでもわかる。理由はなんであれ暴力を振るう人間が疎まれるのは必然だ。

 

「別に誰彼構わず喧嘩吹っ掛けてたわけじゃないんだけどねー」

「関係ないさ、どんな理由があったとしても暴力を肯定していい理由にはならない」

「臼井さんって、そういうところだけは凄い大人だよね」

「大人になるしかなかったんだよ。あと最後の言葉は余計だ」

「14歳」

「…………」

 

 そこでそれを引き合いに出すのは卑怯だろ。畜生、自分の本当の年齢が恨めしい。というかこいつだって先々月15歳になったばかりだろうが。

 

「まあまあそんな怒らないでよ。俺のケーキ一口あげるからさ」

「……仕方ないな、それで手打ちにしてあげようじゃないか」

 

 いつの間にか半分ほどになっていたカルマのケーキをフォークできり分け口に運ぶ。ささやかな仕返しに気持ち多めに持っていく。

 

「あれ、それ一応俺の食べかけなんだけど……反応薄くね?」

「そうだな、それがどうかしたのか?」

「別に、なんでもない……」

 

 呆気に取られるカルマに少しだけいい気分になる。意味が分からないが、どうせからかおうとしたのだろう、ざまあみろだ。それにしてもこのケーキ美味しいな。こっちも頼むべきだったか。

 

「というかさっきから私ばかり話してるじゃないか。不公平だぞ、カルマも自分のこと話せ」

「え? じゃあこの前寺坂に──」

 

 こうして、楽しい時間は過ぎていった。話は弾み自分でも驚くほど有意義な時間を過ごせたと思う。カルマがどう思っていたかはわからないが、きっと向こうも楽しいと思ってくれたと思う。

 

 

 

 

 

「あ、もうこんな時間じゃん」

 

 空の色がオレンジからダークブルーに変わる頃。カルマが携帯電話を見て呟いた。私もつられて腕時計を見る。あれからかなり時間が経っていた。楽しいと時間が経つのが早いというが、本当にその通りだ。

 

「お開きだな。代金は私が支払っておくよ。一応バレンタインだからな」

「そうやって無駄遣いしてたらまた茅野ちゃんに叱られるんじゃない?」

「今回は無駄遣いじゃないからいいのだ。もしまた奢ってほしかったら来年も私に恩を売っておくことだな! はっはっは」

 

 笑ってごまかす。本当はこんなものでは恩など返せはしない。けれど、これ以上のものを差し出そうとしてもカルマはきっと受け取ってはくれないだろう。

 

「そっか、じゃあまた貸し作っとかないけないじゃん。俺臼井さんと話するの好きだし」

「はっはっは……え?」

 

 今何か凄いこと言われたような。また貸しを作っておく、それって来年もこんなことをするつもりなのだろうか……

 

「じゃあねえ、臼井さん。また明日」

「あ……うん」

 

 そうこうしているうちにカルマは手を振って去って行った。来た時よりも静かになった店内。一人残された私は彼のいなくなった座席を眺めて溜息を吐いた。また明日になったら会えるというのに、何故だか帰ってしまったことが酷く寂しい。

 

「なんだこれは……」

 

 随分と長く話していたはずなのに、もっと話がしたかった。そんな不思議な感情に見舞われる。あかりや陽菜乃と別れる時に似ているが何か微妙に違う気がする。

 

「ま、いっか。私も帰ろう……あれ?」

 

 立ち上がりコートを羽織って伝票を回収しようとしたのだが、伝票差しに入っているはずの伝票がなかった。今の今まで視界の端にあったはずなのだが……

 

 いや、一人だけ心当たりがある。

 

「カルマの奴、奢りだって言ったじゃないか……」

 

 これじゃあお礼にならないだろうに。いつもからかってくる癖にこんな時だけ気を使うなよ。本当に調子のいい男だ。

 

「ふふっ、また明日か」

 

 毎日交わしている言葉のはずなのに、何故だかいつもと違って聞こえる。面白いわけでも楽しいわけでもないのに、自然と笑みが零れる。初めて経験する感情だが、これは中々どうして悪くない。

 

「すいません、注文お願いします」

 

 コーヒーでも頼もう。口の中が甘ったるい、きっとさっきのケーキが残っているからだ。

 




用語解説

主人公のスカート
意外と短い。本人は多分緊急時の初動とか意味不明なことしか考えてない。

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