銃と私、あるいは放課後の時間   作:クリス

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書いていて思うこと、この子誰?

※サブタイ通り混じり気なしの恋愛ルートです。カップリング要素が多分に含まれるので先に宣言しておきます。一応チョコの時間の続き的な話になっています。


放課後 カルマの時間(1)

 初めはただのクラスメイトだった。延々と続く戦場の光景に一瞬だけ紛れ込んだ赤色。赤なんて好きじゃない。目立つし、何より血を思い出す。

 

 でも、あいつの赤い髪は嫌いになれなかった。

 

 

 

 

 

 それはあの騒々しい教室を卒業してから少し経ってからのこと。殺せんせー絡みの騒動に一段落がつき、ようやく落ち着いて高校生活を楽しみ始めた五月のことであった。

 

 カルマから一通のメッセージが届いた。ホワイトデーのお返しがしたいから付き合ってくれ、文面にはそう記されていた。ホワイトデー、日本ではバレンタインデーのお返しにそういう風習があるらしい。

 

 だがホワイトデーの3月14日はとっくの昔にすぎてるしそもそも奢ったのは彼じゃないか。そう思ったが、反論して彼の好意に水を差したくなかったので私は二つ返事で了承した。

 

 多分、それがきっかけだったのだろう。今ではそう思う。

 

 

 

 

 

「流石にまだ来ないよね」

 

 私は腕時計を眺めて一人ごちた。駅から流れ出る人混みの喧騒に私の呟きが吸い込まれていく。今日は休日、カルマと予め決めていた待ち合わせ場所で私は彼がやってくるのを待っていた。

 

「はぁ、この格好派手すぎるぞ」

 

 自身の服装を一瞥して羞恥心の混じった深い溜息を吐く。紺のクロスニットのオフショルダーに白のフレアスカート、足元はヒールサンダルで固めている。これだけでも十分派手なのに、薄く化粧まで施され爪にはマニキュアとかいう塗料まで塗っている始末だ。

 

「気合入れ過ぎだって、お姉ちゃん……」

 

 勿論自分の意思ではない。私はあの最近黒髪になった姉を思い出して顔をしかめた。先日、件の話をあかりに話したところ何故かテンションが振り切れたあかりにあれやこれやとやられたせいだ。

 

「デートじゃないって言ったんだけどなあ……」

 

 何度もデートじゃないと言ったのに知ったことかと言わんばかりに慣れた手つきでメイクを施しいつかの罰ゲームのように女の子らしくすることを強要された。お洒落をするのは嫌いじゃないが、これは流石に恥ずかしい。

 

「引いたりしないといいんだけど……」

 

 携帯電話で顔を映しながら髪を弄る。いつも通りなのはポニーテールとネックレスだけだ。こんな格好で来られて彼が困ったりしないか不安だ。

 

「あと十五分か、やっぱり早く──」

「……もしかして、臼井さん?」

 

 聞き慣れた声がして慌てて携帯電話から目を離す。そこには珍しく目を丸くしたカルマが私を見つめていた。

 

「一年も一緒だったクラスメイトを忘れるなんて、随分と酷いんじゃないか?」

「なんだ、やっぱり臼井さんか。久しぶり」

 

 相変わらず失礼な物言いに思わず半目で睨みつける。カルマは思うところがあったのか頬を少し赤くさせてバツが悪そうに頭を掻いた。

 

「なんだとはなんだ」

「……ごめん、臼井さんがあんまりにも可愛い恰好してるからさ」

「ん? 可愛い……あっ」

 

 彼の言葉で私はようやく自分が今どんな格好をしているかを思い出した。ベルトリンクを撃ち切った機関銃のバレルのように顔に熱が籠る。傍から見れば私の顔はきっとリンゴのように真っ赤になっていることだろう。

 

 畜生、恥ずかしくて仕方がない……

 

「こ、これはだな! あかりが無理やり着せたのであって私が選んだんじゃないからな! 私だってわかってるんだ! こんな格好似合わないっ──」

「臼井さん」

「な、なんだ?」

 

 名前を呼ばれしっちゃかめっちゃかになっていた感情が落ち着きを取り戻す。改めてカルマの顔を見つめればいつもよりも少しだけ優し気な笑みを浮かべた彼が私を見ていた。

 

「服すげー似合ってる。可愛いと思う」

「……あ、ありがとう」

 

 こうはっきりと言われてしまえば最早何も言えはしない。蒸気が抜けるように顔に籠っていた熱が霧散していく。消えていく羞恥心の代わりに込み上げてくるのは喜びの感情。

 

「そうか……可愛い、か」

 

 俯き自分の抱いた感情に戸惑う。あかりや陽菜乃に褒められた時とは全く違う。彼の可愛いという言葉がいつまでも脳内でリフレインする。こんな感情は生まれて初めてだ。なんだこれは……

 

「臼井さーん?」

「…………ひゃ!?」

 

 私の視界にカルマの顔のドアップが映りこんだ。思考の海に潜っていた私は思わず変な声を上げて飛び跳ねる。駄目だ。彼に会ってから調子がおかしい。カルマはそんな私のリアクションが面白かったのか、からからと笑った。

 

「大丈夫? 俯いてたけど」

「いや、少しぼうっとしていただけだ。そ、それよりもだな」

 

 褒められっぱなしは性に合わない。改めてカルマの服装を観察する。シンプルな紺のジャケットに白のデニムが映え…………あれ?

 

「な、なあカルマ、一つ言いたいことがあるんだが」

「……奇遇だね、俺も言いたいことあるんだけど」

 

 眉がひくつく。彼の瞼も同じようにひくついていた。言いたいことはもうわかっている。二人で同時に溜息をつく。そして同じように眉を顰め、同じように頭を抱え、同じように口を開いた。

 

「「被った……」」

 

 服の種類こそ違うが色合いが全く一緒だった。予想外にもほどがある。まさかここまで完璧に被るなんて……

 

「ペアルックとか痛いカップルじゃないんだからさあ」

 

 そこまで知識があるわけではないが、男女で同じ服を着て街を練り歩くのは恥ずかしい行為ということくらいは知っている。でも言葉にしなくていいだろうが、せっかく考えないようにしてたのに……

 

「想像させないでくれ……あとこういうのはシミラールックって言うんだぞ。雑誌で読んだ」

「知らないし、どうでもいいし」

 

 うん、確かにどうでもいいことだな。私達の会話はそこで途切れた。喧騒の中で二人で見つめ合う。そうすると今までのやり取りが急に馬鹿らしくなって、私達は同時に噴き出した。

 

「「あははは!!」」

 

 別に面白いわけでもないけれど、何故かわからないが笑いが止まらない。行きかう人々が奇異の視線も無視して二人で笑い続ける。なんか、こういうの楽しいな。

 

「あーあ、面白かった。なんか久しぶりに本気で笑ったわ」

「私もここまで笑ったのは久しぶりだよ。ペアルックって!」

 

 笑い過ぎたせいで滲んできた涙を拭い余韻を楽しむ。やっぱり彼と話すのは楽しい。久しぶりの友人との再会ということもあったのだろう。私は今こうしているのがとても楽しかった。

 

でも、俺は別にいいけどね

「ん? 何か言ったか?」

「聞き間違いじゃない? それよりも時間勿体ないしもう行こうよ」

「それもそうだな」

 

 何かごまかされた気がしなくもないが、どうせ大したことではないのだろう。カルマはごく自然な動作で私の手を繋ぐと歩き出した。いや、まてよ。あんまりにもスムーズに繋いできたせいで流してしまったが私は今彼と手を繋いでいるのか……

 

「か、カルマ、その……」

「何? 臼井さん」

「て、手が……」

「手を繋いでるのがどうかしたの?」

 

 あれ、そういう反応なのか。私が知らないだけで仲がよかったら男女でも手を繋いだりするのだろうか。まあ別に不快でもないし、彼と手を繋ぐのは吝かではないが、初めて見るカルマの一面に戸惑いを隠せない。

 

「なーんてね、仕返し成功」

 

 困惑する私を余所に彼は悪戯が成功した子供のように笑いながらそう言った。その顔は年相応の幼さがあり、私は少しだけ可愛いと思ってしまったのであった。というか仕返しってなんだ?

 

「わかばパークで臼井さん俺に身体押し付けてたじゃん。だからその時の仕返し」

「そういえばそんなこともあったような……」

 

 あれは楽しかったな。また暇がある時にカルマでも誘って遊びに行こう。ノリが良くて案外面倒見がいいし子供受けしそうだ。

 

「もう雪村ちゃんから言われてるだろうけど、そういうの気軽にしないほうがいいよ。勘違いする奴もいるだろうし」

 

 勘違い、度々言われる言葉だ。ビッチ先生からも似たような言葉を貰った記憶がある。彼女達曰く私は色々と無防備だそうだ。私以上に警戒心の塊の人間なんてそうはいないと思うのだが、どうにもそう見えるらしい。

 

 私はそこまで考えて、ふと変な疑問が頭を過った。

 

「カルマも、勘違いするのか?」

 

 思わず口にしてしまった言葉にカルマが黙り込む。いや、私は何を言っているんだ。勘違いするわけないだろう。そう思って茶化そうとしたその時だった。

 

「……秘密。なんかムカつくから教えない」

「いや秘密ってなんだ。気になるだろ! 教えてくれたっていいじゃないか」

「やだ絶対教えない」

 

 腕を掴んで揺らしても暗殺で鍛えられた体幹のお陰でびくともしない。本気で揺らせば話は別だろうが本気で聞きたいわけでもない。いわばじゃれているようなものだ。

 

「というか今日は一応バレンタインデーのお返しってことなんだよな」

「まあ、一応ね」

「おかしくないか? そもそもあれは君が勝手に会計を済ましてしまったから私は何も贈れてないんだけど」

 

 お礼を言うことはできたので目的は達成できたと言ってもいいくらいだが、カルマが変に気を回したせいで肝心の贈り物はできなかった。

 

「ん? なんのこと?」

「また惚けて……」

 

 貸し借りはきちんとしておきたい私にとって彼の態度は度が過ぎる。抗議の意思を込めて睨みつけると流石に気付いたのかうなじを掻きながら口を開いた。

 

「ごめんごめん、ホワイトデー云々っていうはただの口実」

「口実?」

「そ、ほんとは俺が臼井さんと遊びたかっただけ」

 

 目を見る。綺麗な琥珀色の瞳だ。嘘を言っている目ではない。多分本当に私と遊びたかったのだろう。何故私なんかと遊びたいと思ったのかはわからないが、とにかくそういうことらしい。

 

「そういうのじゃ駄目?」

「まあ、そういうことなら……」

 

 でもお礼でも、ましてやデートでもない。そう思うと少しだけ、本当に少しだけ嫌だった。

 

「……なんだこれは」

「ん? どうしたの?」

「いや、なんでもない」

 

 首を振って今抱いた謎の感情を打ち消す。今日の私は何かがおかしい。きっと慣れないことをしているから戸惑っているだけだ。そうに決まっている。

 

「確か映画館だったよな、早く行こう!」

「ちょ、臼井さん!」

 

 手を繋ぎ走り出す。走っていればこの初めての感情もどこかに行ってしまうだろう。流れていく景色と右手に感じる彼の掌。大きくて温かくて、どうしようもなく男の手だった。

 

 もっと繋いでいたい。そう思ったのは多分気のせいだ。

 

 

 

 

 

「ここが本当の映画館か……」

 

 溢れ出る好奇心を隠そうともせず周囲を見続ける。壁に張られたいくつものポスター、設置されたテレビから流れる映画の予告。ポップコーンやジュースの甘い匂い。行きかう大量の人々。

 

「日曜だからやっぱ人多いね」

 

 カルマがぼやくが、私は初めての映画館に夢中になってしまい話など聞いてなかった。テンションが振り切れた私を見て、周囲の人が怪しげに私を見るがそんなことお構いなしにくるくる回りながら初めての映画館を目に焼き付ける。

 

 冷房が効いている。ちょっと寒いな……

 

「もしかして臼井さん映画館初めて?」

「ああ、映画館の廃墟で戦ったことはあるけど、そうじゃない映画館に来るのは生まれて初めてなんだ! ほんとに凄いな、人がいっぱいだ! 全員映画見に来たのかな?」

「そっか、初めてなんだ。じゃあ思い切り楽しまないと」

「うん!」

 

 そうと決まれば話は早い。あれよあれよという間にチケットやポップコーンが用意され後は上映時間を待つだけとなった。戦場暮らしでこういうことに不慣れな私には彼の手慣れた感じがとても頼もしかった。

 

「はいチケット、ポップコーンは一緒でいいよね」

 

 荷物起きのテーブルに買った物を置いて一段落つく。大した大きさもないテーブルにお互いに肘をついているせいで顔が凄く近い。

 

「勿論いいぞ。そうだ。お金払わないと」

「気にしないでいいから、これくらい俺が出すって」

 

 二人分のチケットとお菓子やジュース。私にとっては端金もいいところだが、学生の彼にカルマにとっては決して安い額ではないはずだ。気を使っているのだろうか、だとしたらそれは無用な気遣いだと言わざるを得ない。

 

「むむ、無駄遣いは良くないぞ」

「お礼だから無駄遣いじゃないのだってね」

「……どっかで聞いたことあるぞ、その台詞」

「さぁねー」

「あ、思い出した。それ私が前に言った台詞じゃないか!」

 

 私が抗議しても彼は楽しそうに笑うだけでまるで手ごたえがない。暖簾に腕押しとかいうのだろうか。腕時計を見る。上映にはまだ少し時間があるな。

 

「こんな女の子らしい恰好しててもやっぱ臼井さんは臼井さんか」

「どうしたいきなり」

「腕時計が凄いごついってこと」

 

 そう言われてみれば……自分の腕時計を見る。オメガのシーマスター600、間違ってもこんな格好で着けていく腕時計ではない。

 

「やはり変か?」

「別に、俺は臼井さんらしくて好きだよ。むしろギャップがあっていいんじゃない?」

「そ、そうか……そう言われたのは初めてだ」

 

 特別愛着があったわけではないけれど、こうやって自分で選んだものを褒められると嬉しく思う。もし今度カルマと遊びに行くことがあったら、その時は服も自分で選んでいこう。

 

「そういや、高校どうなの?」

「うん、すっごい楽しい。あかりと一緒のクラスにはなれなかったけど友達もできたし毎日が楽しいよ」

 

 私のずっと求めていた生活だ。楽しくない訳がない。でもカルマとも一緒だったらもっと楽しかったのだろう、と思うのは我がままがすぎるだろうか。

 

「そっか、よかったじゃん」

「そういうカルマは? 浅野にちょっかい掛けてないよな」

「あいつがどうやって飲み物噴くか知ってる?」

「……浅野に同情するよ」

 

 おおかた何か仕込んだのだろう。色々成長したはずなのにこいつのこういうところだけは何も変わらないな。まあ気を許せる相手がいるようで何よりだ。

 

「あ、そうだ聞いてくれよ。私最近告白というものを体験したんだ」

「……は?」

 

 私が最近一押し近のニュースを話した途端、今の今まで楽しげだったカルマの表情が一気に曇った。琥珀色の瞳が私を見つめる。その目には隠しようもない嫌悪の色が浮いていた。

 

「ど、どうしたんだ。目が怖いぞ」

「いいから続けてよ。それでどうしたの?」

「断ったに決まっているだろう。入学してまだ一月ちょっとしか経ってないんだぞ」

 

 あの時は酷く驚いたのと同時に凄まじい嫌悪感が湧き起ったものだ。私は相手を知らないし、向こうだって私のことなど碌に知らないだろう。それが凄く嫌だった。

 

「理由を聞いたら可愛いからって言われて、思わずそれだけと言ってしまった。ちょっと悪いことをしたと思う」

「別にいいでしょ。そいつ臼井さんの見た目しか見てないの丸わかりじゃん。振って正解だよ」

「でもなあ、もう少し言い方を気を付けるべきだった」

「いつも思うけど臼井さん気使い過ぎ。寺坂くらい適当でいいと思うよ」

「それはちょっと……」

 

 流石に彼には悪いがあの適当さは見習いたくはない。でも彼のアドバイスはよく伝わった。少し気にし過ぎだったようだ。まだまだ見習うべきところは多い。改めてそう思う。

 

「……それで、そいつどうだったの?」

「どうって?」

「一応臼井さんも女子なんだし、かっこいいとかそういうのあるでしょ」

 

 何故そんなことを聞くのだろうか。ルックスを気にするような性格でもないだろうに。でもそうだな。私は記憶にある彼の顔と今目の前にいるカルマの顔を見比べた。

 

「君のほうがずっとかっこいいよ」

「え……」

 

 突然のパンチに彼の目が見開く。どうやら驚いているようだ。いつもからかわれてばかりだからな。少しくらい仕返しといこう。

 

「髪も目も口も鼻も輪郭もスタイルもカルマのほうがずっとずっとかっこいい……って、どうした?」

 

 べた褒め作戦を実行すると、何故か彼がテーブルに顔を突っ伏していた。滅多に見ない彼の姿に驚かせるつもりが逆に驚いてしまった。

 

「いや、予想以上にドストレートで来たから……」

「友達の容姿を褒めるのが、そんなにおかしなことか?」

「……まー、うん。わかってたけどさ」

 

 何がまあなのかわからないがとにかく仕返しは出来たようだ。テーブルの下で小さくガッツポーズをする。昔みたいにやられっぱなしの私ではないのだ。

 

 と、そこで館内のスピーカーから目当ての映画の上映が始まるとのアナウンスが流れた。どうやらおしゃべりもここまでのようだ。生まれて初めての映画館での映画。とても楽しみだ。

 

「じゃあいこっか。ポップコーンとジュースは私が持つよ」

「あ、待って臼井さん」

 

 歩き出した私の肩にふいに温かいものがかけられた。この感触は覚えている。忘れもしない12月のあの時と同じ温かさだった。

 

「その恰好じゃ寒いでしょ。俺のジャケット貸すよ」

 

 先ほどの動揺した様はどこへやら。優し気な笑みで私を見るカルマ。確かに少しだけ寒いとは思っていたが……

 

「あ、うん……」

 

 今さっきまで彼が着ていたジャケットはまだ温かさを残している。露出した肩に彼の体温が直に伝わる。人によっては気持ち悪いと感じるのかもしれないが私はこの温かさがとても心地よかった。

 

「君は寒くないのか?」

「俺は大丈夫。体温は結構高いほうだし」

「そっか……ありがと」

 

 これは一本取られたな。赤くなる頬を見せたくなくて先に歩き出す。やっぱり今日の私はなんだかおかしい。初めての映画館だと言うのに、頭の中にあるのは彼の姿や言葉ばかり。

 

 いったいどうしてしまったというんだ。まあいい、映画でも見ればこの動揺も治まるだろう。きっとそうだ。

 

 

 

 

 

「すごかったな、映画! どかーんってなってびしぃってきて!!」

「臼井さん、楽しかったのはわかるけど語彙が幼稚園児レベルになってるからね」

 

 テーブルの向かい側に座ったカルマが少し呆れながら指摘してくる。確かに恥ずかしい言動だというのはわかる。だが理性を上回る興奮が今私を包んでいるのだ。彼には悪いがこの興奮はしばらく治まりそうにない。

 

「ああもう! こんなに楽しいならもっと早く行けばよかった!」

「俺も初めて映画館行った時そんな感じだったよ。楽しいよね映画館って」

「うん! ありがとうカルマ!」

 

 あかりに良い土産話ができた。こんな楽しい時間を提供してくれた彼には感謝しかない。彼と友達になれて私は本当に幸せだ。

 

「今度面白そうな映画あったらまた誘うよ」

「そうだな。あかりや渚と一緒に行ったらきっと楽しいだろうな!」

「……俺は騒がしいの好きじゃないし二人で行きたいかな」

「そっか、じゃあ二人で行こう!」

 

 そんな感じで私達が映画の内容についてあれこれ語り合っていると、不意に美味しそうなスパイスの香りが鼻をくすぐる。顔を向ければ店員が料理を持ってきているのが見えた。

 

 深皿に盛られたカレーと私の顔よりも大きいナンにヨーグルトドリンクを添えた本格的なインド料理。どれも初めてだがとても美味しいそうだ。

 

「こういうカレーは初めてだな」

「ここ俺の家族の行きつけ。冷めないうちに早く食べようよ」

「そうだな、じゃあ食べるとしよう」

 

 ナンを適当な大きさにちぎってカレーにつけて口に運ぶ。バターと鶏肉。そして複雑なスパイスの旨味が口いっぱいに広がる。

 

「カルマ! これ美味しい!」

「でしょ?」

 

 そう言ってカルマもクレープのようなものをちぎって緑色のカレーにつけて食べ始める。匂いからしてほうれん草とチーズを使っているのだろう。あっちも美味しそうだ。

 

「もしかして、これ気になるの?」

「ああ、そういうのは生まれて初めて見る。それもカレーなんだろう?」

「じゃあ一口食べてみる?」

 

 ニヤリと笑いながらスプーンルーを掬って私の顔に持ってくる。ちょっと下品だが少しくらいなら大丈夫だろう。私は少しだけ身体を起こし差し出されたスプーンを咥えてカレーを食べた。

 

「想像とはちょっと違ったけどこれも美味しいな! ん、どうしたんだ」

「いや、別に……」

 

 何がやっぱなのか知らないがまあいいか。ああ、そうだ。私は自分のカレーをスプーンで掬いカルマがやったように差し出した。自分だけ食べるのも悪いしな。

 

「はい、どうぞ」

「俺も食べろ的なやつ? 味知ってるからいいよ」

「それは駄目だ。貰いっぱなしは性に合わない」

 

 貸し借りだけが人間関係ではないとあの教室で学んだが、それでも私の根幹にあるのはギブアンドテイクだ。一方的に与えるだけの関係など健全とは言えない。無償の愛がこの世にないのと同じだ。

 

「臼井さんはどっちかって言うとあげっぱなしでしょ」

「ん? なんのことだ」

「……まあいいや、スプーン借りるね」

 

 差し出したスプーンを掴み取ると彼はすぐに口の中に入れた。同じように食べてくれなくて少しだけ残念だったのはどうでもいいことである。

 

「ん、やっぱ美味しい」

「よかった。ところで話は変わるがさっきから君が食べてるクレープみたいなものはなんだ? 私の食べているのとは違うみたいだが」

「チャパティのこと? 確かにナンと違って全粒粉だし発酵もさせてないから味も食感も全然違うよ。俺はこっちのほうが好きかな」

 

 感心する私を余所にカルマは解説を続ける。その顔はどことなく楽しそうだ。彼の楽しそうな顔を見ると私も不思議と楽しい気持ちになって来る。

 

「日本だとインド人は皆ナン食べてるって思われてるけど、実はナンって高級品なんだよね。どっちかっていうとチャパティのほうがメジャーなんだよ」

 

 意外な事実だ。てっきり米に相当する食べ物だと思っていたのだが、流石親がインド好きなだけはあって詳しいな。

 

「なるほど、日本人が毎日寿司を食べていると思われているようなものか」

「そうそう、流石に今時そんなステレオタイプな日本人像抱いてる人なんていないだろうけど」

「……そ、そうだよな」

 

 言えない、日本に来る前はそう思っていたなんて。だって仕方ないじゃないか、あの時は外国みたいな認識だったのだから。とはいえ自分がこれから住む国の常識くらい調べておけとあの時の私に言いたい。

 

「どうしたの臼井さん」

「い、いや、なんでもない」

「ふーん、そうだ。今度うちに来なよ。インド料理作ってあげるから」

「作れるのか!」

「うん、道具もスパイスも一通り揃えてるし、結構自信あるよ」

 

 E組で調理実習をやった時も明らかに手慣れていたし料理は得意なのだろう。両親があまり家に帰ってこないと言っていたのでそのせいもあるのかもしれない。

 

「是非行かせてくれ。カルマの家か……楽しみだなあ!」

「俺んち変なものばっかりだから多分面白いんじゃない? ま、それは置いておいて今は食べよっか。冷めたら勿体ないし」

「同感だ。こんな美味しいものを冷めさせてしまったら店の人に失礼だ」

 

 そう言って私達は再び昼食を食べ始めたのであった。その際、店の人にカップルと勘違いされてデザートをサービスされて困惑したのはどうでもいいことである。カルマも否定してくれよ……

 

 

 

 

 

「臼井さんってさ、色々凄いよね」

 

 日もすっかり暮れてオレンジ色の西日が椚ヶ丘の街を照らす中、カルマが唐突にそう言った。

 

「いきなりなんの話だ?」

 

 公園のベンチに腰掛け鯛焼の最後の一かけらを飲みこみ聞き返す。脇には本やぬいぐるみの詰まった紙袋。全て思い出の詰まった大切な物だ。

 

 あれから私たちは時間の許す限り遊び続けた。慣れない高校生活でフラストレーションも溜まっていたのだろう、久しぶりの友人との交流に私は我を忘れてはしゃいだ。

 

 本当に楽しい時間だった。こんな一日を演出してくれたカルマには感謝の念を禁じ得ない。またいつか遊びに行きたいものだ。

 

「殺せんせー助けるために三千万使ったり、雪村ちゃんとの約束守るために地雷原の中突っ込んだり、普通はそこまでできないでしょ」

「そうか? 助けたい人がいて、助けられる手段が手元にあるなら誰だって同じことをするはずだ」

 

 私にはその選択肢が皆よりも多くあった。ただそれだけのことなのである。もし普通に育っていたら殺せんせーを助けることもあかりを守ることもできなかっただろう。本当に、人生何が役に立つかわからないものだ。

 

「そう言えるのは臼井さんだからだよ。口ではいくらでも言えるけど、本当にあそこまでやらかした人は俺臼井さんくらいしか知らない」

「やらかしたって……」

 

 まあ、言い得て妙かもしれない。殺せんせーを助けるためとはいえ完全に犯罪に手を染めてしまったからな。と言っても私の手はとっくの昔に真っ黒ではあるのだが。

 

「臼井さんは俺がなんでE組に来たか知ってる?」

「確か、暴力事件を起こしたんだっけ」

 

 詮索していい内容ではないし大して興味もなかったからスルーしていたが、改めて話題に出ると気になる。きっと彼の存在がそれだけ私の中で大きくなっている証拠なのだろう。

 

「そ、でもなんでそうなったのか知らないでしょ?」

「……教えてくれるのか?」

 

 カルマはゆっくりと頷いて静かに語り出した。その内容は中々に悲惨なものだった。暴力沙汰を起こしていた彼にも非はあったとはいえ、いつでも味方とまで豪語した教師は都合が悪くなるとあっさりと裏切った。

 

 初めの頃あれだけ荒れていたのはそういうことが原因だったのだろう。信頼していたはずの教師に裏切られる。いったいどれだけショックだったのだろうか。私には想像ができない。

 

「それは、酷いな……」

「今思い返せば俺もガキみたいなことしてたって自覚はあるんだけどさ、あの時のこと思い出すと今でも殺したくなるくらいムカつく」

 

 口では物騒なことを言っていてもその瞳はどこか寂しそうだった。いくら普段から飄々とした性格のカルマとは言え、彼だって一人の人間だ。悲しければ泣くし楽しければ笑う。そんなどこにでもいる子供なのだ。

 

「臼井さんはさ、最後まで雪村ちゃんの味方だったよね。俺らに白い目で睨まれても、殺せんせーのこと裏切っても、地雷で吹き飛ばされて血塗れになっても、最後の最後まで約束を守り続けた」

「そんな大層なことじゃないさ。私はあかりを独りにしたくなかっただけだ」

 

 私の魂を救ってくれた大事な家族が苦しんでいた。例えそれがどれだけ間違っていたとしても、あそこで見捨てる選択肢など私にはありはしなかった。もしもう一度過去に戻ったとしても私は同じように味方になるだろう。

 

「少なくとも俺には大層なことだったよ。あんなボロボロになってもああ言える臼井さんが凄いかっこよかったし、凄い眩しかった」

 

 初めて聞く彼の本心に私は驚きを隠せなかった。普段私をからかってばかりの彼が、私のことをこんな風に思っていたなんて誰が予想できるだろうか。

 

「だからこそ意地張ってるのがムカついたんだけどさ」

「……本当に悪かった」

 

 あの時のカルマの言葉にどれだけの意味が込められていたのかを知り、私は過去の自分の行動を恥じた。本当にいくら謝っても謝り足りない。でも謝ったところで彼は喜ばないだろう。だから行動で示すしかないのだ。

 

「もうしない?」

「うん……」

「そっか……じゃあいいや」

 

 とても優しい「そっか」だった。あかりとは違う、だけど同じかそれ以上の感情が込められた言葉に私の心が満たされていく。とっくの昔に満たされていると思っていたのだが、いつのまにか私の心の器は大きくなっていたようだ。

 

 もっと優しくしてほしい。不意にそんなことを思った。

 

「そう言えば、右目大丈夫?」

 

 心配そうに私の目を見つめる。あの時の事を思い出しているのかもしれない。あのカルマがこれだけの顔をするということは、きっと物凄い酷いことになっていたのだろう。

 

「大丈夫だよ。あの後病院に行ったけど視覚と色覚に異常は一つもなかった。精々医者に視力が良いから大事にしろって言われた程度だ」

 

 測定器の一番小さい記号まで完璧に当てた時は驚かれたものだ。私としてはあれでも余裕だったので本当はもっと小さなものが欲しかったが、流石にそれは無理な相談だろうな。

 

「本当に大丈夫だよね? 実は見えないとかやめてよ」

 

 言葉の端々から私を気遣う優しさが手に取るようにわかる。いつものふざけた態度が嘘のような真面目さだ。多分こっちが素なのだろう。

 

「信用ないなあ。でも心配くれてありがとう。君はやはり優しいな」

「あ、今頃気が付いた?」

 

 彼は冗談めかして言うが、彼は本当に優しい人間だ。殺せんせーを殺したいと言ったのだって、それは皆の今までの努力を無意味にしたくなかったからだと思う。

 

 それだけじゃない、ぶっきらぼうに見えて誰よりも誰よりも優しい。それが赤羽カルマという人間だ。

 

「臼井さん……右目、触ってもいい?」

 

 唐突にカルマが私にそう言った。とても真剣な目だった。

 

「別に構わないが、何故だ?」

「ちゃんと無事だって確かめたくて。臼井さんそういう嘘だけは得意だし」

 

 つくづく信用がないな。まあ仕方ないと言えば仕方ないか。まあ、触らせるくらいどうということはないし、大人しく彼の望みを叶えることにしよう。

 

「潰すなよ?」

「いくらなんでもそれは酷くない?」

「ふふ、冗談だよ」

 

 軽く笑ったあと、腰を回し彼と向き合う。そして彼の瞳を見つめてから私はゆっくりと両目の瞼を瞑った。

 

「……いいよ」

「じゃあ、触るね」

 

 彼の指先が頬に触れるのがわかった。温かい手の感覚が頬を伝いこめかみ、そして瞼へと移っていく。

 

「よかった……ちゃんとある……」

「ああ、先生に感謝しないとな」

 

 あかりとは違う温かさがとても心地よくて、とても嬉しかった。私の無事を喜んでいくれるのが嬉しくて心と身体が温かくなっていく。

 

 もっと、この温かさに浸りたい。目を閉じたままの彼の手を掴み、そのまま頬に持っていく。

 

「ちょ、臼井さん?」

 

 彼の困惑する声を余所に私は掌の温かさを堪能した。暗く閉じた視界にカルマの手の温かさだけが静かに伝わる。

 

「温かいなあ……カルマの手は」

 

 銃や死体の凍てついた感触とは違う。血の通った温かい人の手。大好きな友達の手に触れている。それだけで私の心は多幸感に包まれる。一人じゃないと教えてくれる。

 

「もう少しだけ、このままでいさせてくれないかな?」

「…………俺の手でよかったら好きなだけ」

「そっか、ありがと」

 

 沈黙、お互いに何も言わず頬に伝わる温かさを噛みしめる。あかりに撫でられるのとは違う、でもそれと同じくらいの幸せをだ。この手がカルマのものだと思うと、何故だか殺せんせーや烏間先生に撫でられた時は段違いの喜びを感じる。

 

「えへへ……温かいなあ……」

 

 単純に愛情に飢えているだけなのかもしれない。だけど、私は今この瞬間がいつまでも続けばいいと思ってしまった。でも、流石に迷惑だろう。あと少ししたら手を離そう。

 

「すまない、もういい……え?」

 

 目を開く。視界に映ったのは透き通った琥珀色の何か。それが彼の瞳だと気が付くのにはさほど時間は掛からなかった。物凄い近くにカルマの顔がある。今わかるのはそれだけだった。

 

「か、カルマ!?」

 

 慌てて顔を離す。流石にこんな至近距離で見つめられるのは恥ずかしい。顔に熱が籠るのがわかる。なんなんだいきなり……

 

「……ごめん、顔にゴミがついてたからとろうとしたんだけど、俺の気のせいだったみたい」

「そ、そっか! ありがとう!」

 

 自分でもわけがわからないくらい恥ずかしくて、言葉につっかえながらなんとか礼を言う。心なしか彼の顔も赤くなっているような気がしたが、それはきっと夕陽が見せる錯覚だ。

 

「……話変わるけどさ、臼井さんって彼氏作ったりしないの?」

「いきなりなんの話だ。唐突にもほどがあるぞ」

「まあまあ、そんなこと言わないで聞かせてよ。臼井さんの恋バナなんて絶対面白いだろうし」

 

 先ほどのおかしな雰囲気はどこへやらいつものおちゃらけた彼が戻ってきた。期待するカルマには悪いが、面白い話はできそうもない。

 

「私は誰ともそういう関係になる気はないよ」

「……どうして? 臼井さん黙ってれば可愛いじゃん」

「喋ったら可愛くないのか……まあいい、そういうのではなくてな」

 

 どう言えばいいのだろうか。本当のことを言ったら怒られそうな気がするが、ここは素直に今考えていることを言ったほうがいいだろう。

 

「……興味がないと言ったら嘘になる。でも、恋愛感情なんてわからないよ」

 

 あかりの渚のことを話す楽しそうな顔を間近で見ていると、どんなものなのか気になってしまった。しかしだ。

 

「それになにより、私とそういう関係になるということは、いつかは私の過去を話さなければならない日がくるということだろう?」

 

 血と硝煙に塗れた私の半生。交際する以上隠し事はなるべくしたくない。でもそれが何よりもの問題なのだ。

 

「私のことを好きになってくれた相手に重い物を背負わせたくない。背負えるとも思わないしな。だから今のところ誰かとそういう関係になるつもりはないよ」

 

 カルマは私のことをじっと見つめて話を聞き続けた。その目にはなんの感情も見えない。期待外れだとがっかりしているのだろうか。

 

「面白味のない回答で悪かったな」

「別にそんなことないけど……へぇ、そうなんだ」

 

 恐ろしく感情のない瞳。私は少しだけ怖くなった。何を考えているのかまったくわからない。沈黙が続く。やがてカルマが口を開いた。

 

「ねえ、臼井さん……」

 

 それから先に言われた言葉を私はきっと一生忘れないだろう。

 

 

 

 

 

「ただいま……」

 

 家のドアを開けてふらふらと玄関に入る。居間のクッションに座ってテレビを見ていたあかりがこちらに気が付き物凄い勢いで私に近づいてきた。()()()()()()()()()()()()を脇に抱え靴を脱ぐ。

 

「おかえり祥子! ねえねえ、どうだったの? カルマ君との初デート!」

 

 私のことなどお構いなしにニヤニヤとした顔で覗き込みながら捲し立てる。デートじゃないって何度も言ったんだがな……

 

「それ、なんだがな……」

「うんうん!」

 

 あのことをあかりに言ったらいったいどんな顔をするのだろうか。私だって未だに信じられないのだから。でも、黙っているわけにもいかないし……仕方ない、腹を括ろう。

 

「その……私達試しに付き合うことになった、らしい」

「そうなんだ…………へ?」

 

 あかりの目が点になる。まあ、びっくりするに決まっているよな。私はこれから起きると思われる出来事を予想し耳を塞いだ。

 

 あかりの叫び声が部屋にこだますのは、それからしばらくしてからのことであった。肩にはカルマに借りたジャケットの温かさがまだ残っていた。

 




用語解説

こいつらの何をどう解説しろと。ちなみに続きます。



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