銃と私、あるいは放課後の時間   作:クリス

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書いていて思うこと、誰だお前は!?

※引き続き恋愛ルートです。前回よりもがっつり恋愛描写入っているので注意。あと猛烈に長いです。


放課後 カルマの時間(2)

 気味の悪い奴。第一印象はそんなんだった。

 

 噛みあわない会話、穴だらけの常識、手慣れた銃捌き、全てが異常で、全てが場違い。そしてなにより不気味だったのは暗く淀んだ黒い瞳。暗い目をした奴は腐るほど見てきたけど、あそこまで暗い目を見たのは生まれて初めてだった。

 

 明らかに堅気じゃない。そんな奴が隣に座るんだから冗談じゃなかった。しかもたまに酒の匂いを漂わせて学校にやってくる始末。あんたまだ中学生だろ。

 

 探りを入れるために手合わせした時のことは今でも忘れられない。視界から消えたと思ったら次の瞬間には喉にナイフを突きつけられていた。

 

 格が違うとかそういうレベルじゃない。文字通り住む世界が違う。自分の今までやってきた喧嘩は所詮ガキのおままごとだと思い知らされた。

 

 死ぬほど恥ずかしかったし、死ぬほど悔しかった。それを認めたくなくてからかってみたら思いの外良いリアクションをしてポンコツなのが明らかになる頃には心の中に燻っていた警戒心はどこかに消えていった。

 

 思えば、あの時から意識してたのかもしれない。

 

 臼井さんは見ていて飽きない。やることなすこと斜め上でぶっ飛んでるし、からかうと面白いくらいに反応してくれる。たまに予想できない方法でやり返してくるけど、それもまた楽しい。

 

 今までいろんな奴を見てきたけれど、彼女ほどぶっ飛んだ人間は見たことがない。臼井さんに常識なんてない。自分がやるべきだと思ったら例えそれがどんなことでも真顔で実行する。

 

 マフィアが待ち構えるホテルに単身突撃し、最強の殺し屋相手にたった一人で立ち向かい、友達と交わした約束を守るためだけに恩師もクラスメイトも裏切って戦い、最後には全世界に喧嘩を売ってあまつさえ勝ってしまった。

 

 普通担任助けるためだけにスカイダイビングなんてしないし、三千万円なんて使わない。捕まるリスクだってあったはずなのに、そんなこと知ったことかと言わんばかりに諦めを含んだ覚悟を決めていた俺達の目の前で最高の結果を掴み取ってみせた。

 

 あんな面白い女他にいない。初めは気味の悪い奴としか思っていなかったのに気が付いたら驚くほど彼女に夢中になっている自分がいた。

 

 俺は臼井さんが好きだ。吸い込まれそうな黒い瞳、艶やかな長い髪、白い肌、引き締まった肢体、そして腕や脚に走った戦いの傷跡……

 

 大切なものを守る時の強靭な意思の強さ、大人っぽい姿とは真逆の子供のような無邪気な笑顔、そして時折見せる触れば折れてしまいそうな儚さ……

 

 誰かにやるつもりなんてない。あんな面白い奴を臼井さんのことなんて1ミリも理解できないような男に取られるなんて冗談じゃない。

 

 幸い関係は作ることができた。後はゆっくりとあの元戦争馬鹿の認識を改めさせよう。臼井さんの無知を利用した卑怯なやり方だったけど、そんなものは後で埋め合わせすればいい。

 

 まあ、正直なところどうだっていいんだけどね。逃がすつもりなんて端からないんだし。

 

 

 

 

 

「なあカルマ」

「何、臼井さん」

 

 ソファに隣同士腰かけテレビをぼんやりと眺めながら口を開く。視界の先に広がる大きな液晶画面には爆発と閃光が絶え間なく映し出されていた。

 

「私達の関係ってなんだ?」

「え、彼氏と彼女でしょ」

 

 即答。こうもあっさりと言われるとそんなものだと納得しそうになるが、当然ながらそんなもので流していい言葉ではない。

 

「だって臼井さんあの時うんって言ってくれたじゃん」

「いや、それはまあそうなんだけど……」

 

 彼の言葉に例のホワイトデーのお返しのことを思い出した。帰り際、夕陽に染まった公園でカルマは私にこう言った。試しに付き合ってみる、と。結局どうなったかは今こうしてカルマの家で映画を見ているのが何よりもの答えだ。

 

「想像してたのと違うというか……」

 

 あれから一月が経過したが私達の関係はよくわからないままだった。付き合ってることになっているらしいが、未だにキスもハグもしていない。今までやったことと言えば遊び、勉強、食事、そして映画鑑賞。

 

 つまり陽菜乃や桃花とやっていることと大して変わらない。違うのは相手が男なのと二人きりということくらいだ。決してカップルらしいことをしたいわけではないが、こうも何もないと気になるのが人間という生き物だ。

 

「付き合うって言ったってそんな難しいことじゃないよ。前も言ったけど俺で男遊びを体験するくらいの気持ちでいいって。俺なら臼井さんの事情知ってるしある程度融通きくでしょ?」

「確かにその通りだが……」

「それとも……」

 

 カルマが膝の上に置いていた私の手を握り自分の腿の上に置く。本当にさりげなくやられたせいで抵抗する間もなくズボン越しに彼の体温が伝わってくる。そして私を見つめるカルマ。私のほうが背が低いせいで自然と上目遣いになってしまう。

 

「俺とじゃ嫌?」

「嫌……ではない」

 

 そんな奇妙な関係ではあるが、決しては不快ではないのもまた事実だった。想像とは違ったけれど、いつの間にか彼とこうして過ごすのが自分でも驚くほど楽しみになっていたのだ。

 

「そっか、よかった」

 

 そう言ってカルマは笑った。いつもの仮面のような笑みじゃない本当の笑み。私はこの笑みを見るのが好きだ。そしてこの笑顔を見ているのは私だけ。そう思うと自分でも驚くほど嬉しかった。

 

「はぁ……」

 

 熱の籠った溜息を吐く。心拍数が上がり血の巡りが速くなるのがわかる。理由はわからないが最近の私はずっとこんな感じだ。

 

 こうなるのは決まってカルマのことを考えている時。本当になんなんだ。私はいったいどうしてしまったのだというのか。

 

 でも…………

 

「映画、微妙だな」

「だよね、失敗だったかも」

 

 単調な展開に思わず二人で不満を零す。

 

 この関係は彼の善意によるもの。戦争のことしか知らなかった私を不憫に思ってこうしてくれているのだろう。決して私を好きだからとか、そういう気持ちによるものではないはずだ。

 

 そう考えると、何故だかわからないけれど凄く嫌だった。凄く、凄く嫌だった。隣にいるのに寂しくてしかたがない。名前の付けられない感情が心を蝕む。

 

「カルマ」

「ん、何?」

「腕借りるぞ」

 

 だからこの気持ちは彼に埋めてもらおう。腕を抱き寄せ身体を密着させ肩に頭を乗せる。シャツ越しに伝わる彼の体温と微かに聞こえる血流の音が私のささくれ立っていた心を癒していく。

 

「思ってたよりもがっちりしてるな」

「臼井さんは思ってたよりも柔らかいね」

「トレーニングばかりするなとあかりに窘められてな、最近は減らしているんだ」

「ふーん」

 

 途切れる会話。静まり返った居間に映画の単調な爆発音ばかりがこだます。話すのも楽しいけれど、こうして何もしないのもまた心地よい。願わくばずっとこうしていたいものだ。でも、それはきっと叶わないだろうな。

 

 それにしても……

 

「本当につまらないな」

「見るのやめる?」

 

 映画を借りるなら事前に評判を調べておこう。そう誓った私達なのであった。

 

 

 

 

 

「祥子、カルマ君とは最近どうなの?」

 

 騒音が治まる。雑誌を読みながらドライヤーで髪を乾かし終えたあかりが私にそう訊ねてきた。こうして居間であかりが髪を乾かすのは今ではすっかり日常のワンシーンだ。

 

「そうだなあ……」

 

 初めの頃こそ驚いていたあかりだったが、最近になって落ち着きを取り戻し私と彼の関係を受け入れるようになった。代わりにニヤニヤして近況を聞いてくるようになったがな。

 

「もうキスとかしちゃったのかな? きゃー!」

 

 案の定一人で盛り上がっているあかりに呆れる。まったく、自分に彼氏ができたからって……。私はあの短くなった青髪の友人を思い浮かべた。

 

「何も変わってないよ。一緒に遊んで、勉強して、たまに家に行ったりするくらいだ」

「そうなんだー…………え、家!?」

 

 クッションの上に腰かけて髪を弄っていたあかりが跳びあがる。どうしてそこまで驚く必要があるのだろうか。

 

「あれ? 言ってなかったっけ」

「初耳だよ! そ、それで何したの?」

 

 何故だか知らないが飛びかかりそうな勢いで私に詰め寄ってくる。私は何か変なことでも言ってしまったのだろうか。

 

「何って、普通に勉強したり映画見たり……あとたまにインド料理作ってくれる。それがまた凄く美味しんだ」

 

 手慣れた動きでチャパティをひっくり返す様に見惚れたものだ。味も店で食べたものに勝るとも劣らないし本当に凄いと思う。

 

「……そ、それだけ? ほ、他には?」

「逆に聞くが他に何があるんだ」

「え!? そ、それは、えーっと…………ごめん無理」

 

 顔を赤らめへなへなとクッションに座り込む。今の発言のどこに動揺する要素があったのだろうか。おかしなあかりだな。

 

「でも意外だなあ、カルマ君かー。確かにちょっと怪しいなーって思ってたけど」

「怪しい?」

「カルマ君ってE組にいた時しょっちゅう祥子のことからかってたじゃん? 傍からみるとまんま小学生の男子が好きな女子にちょっかいかけるみたいでさ。でもそっかー」

「すまない、例えがわからない。でも、多分あかりが思っているようなものじゃないよ」

 

 カルマにかぎって私を女として好きになることなどないだろう。見た目だけなら私を異性として見てくれる人間もいなくはないが、私の本性を知っててなお私を好きになる男などいるわけがない。

 

「あいつはなんだかんだ言って優しいからな。戦場暮らしで同年代の男子に慣れてない私に男遊びを教えてくれているのだろう」

 

 実際私の知らないことを色々教えてくれる彼には助かっている。あの関係がいつか終わるものだとしても、最後の瞬間まで楽しんでいたい。私は心に走る鈍痛を無視してそう思った。

 

「それ、本気で言ってる?」

 

 あかりが何故か呆れたような目で私を睨みつけた。本気も何もそれ以外ないと思うんだがな。

 

「ああ、本人もそう言ってたしな」

「そう来たか……うわー、カルマ君やり方やらしいなあ」

「やらしい?」

「ううん、なんでもない。こっちの話……でもまあ、カルマ君なら大丈夫か」

 

 何が大丈夫なのだろうか。別に邪なことをされるわけでもないだろうに。というか私の場合、邪なことをしようとする輩のほうを心配するべきだろう。骨の一本や二本は確実に逝くだろうしな。

 

「というか祥子、カルマ君のことあいつって呼ぶんだね」

「ああ、確かに言われてみれば」

 

 私が男子のことを呼ぶときは基本的に名前か彼だ。気が立っている時はお前呼びになったりもするが、どちらかと言うと丁寧なほうだと思う。意識してなかったが言われてみれば心の中でもいつもあいつと呼んでいたな。

 

「カルマは、あいつはなんというか近いんだ。別に他の男子に距離を置いていたわけではないんだがな」

 

 言うなればあかりに対する渚といったところか。気を使う必要がないということをお互いに理解しているのだ。

 

「楽しそうだね、祥子」

「そうかな?」

「そうだよ。だって凄いニコニコしてるもん」

 

 あかりが手鏡を私の顔の前に持っていく。そこにはこれ以上ないってくらい笑っている私が映し出されていた。私はこの顔を知っている。何故ならあかりが渚のことを話す時の顔とそっくりだったからだ。

 

 つまり私は……

 

「はは、まさかな」

 

 心に過った考えを一蹴する。ありえるわけないだろうに……

 

 私がカルマに恋してるなど。

 

 

 

 

 

「やはり、オフロードバイクはどれも代わり映えしないなあ」

 

 広げた雑誌を閉じてラックに戻す。雑誌が悪かったのかもしれない、今度は隣の雑誌を読んでみよう。新しい雑誌を手に取りイヤホンから流れるシャンソンに耳を傾けながら斜め読みする。

 

「今日は妙に蒸し暑いな……」

 

 いよいよ本格的に梅雨に入った6月の下旬。私は駅前の書店で暑さと湿気と戦いながら雑誌の立ち読みに興じていた。いつもなら隣にいるはずのあかりは今日はいない。久しぶりの一人の時間だ。

 

「……ッ!」

 

 五時方向距離2メートル、マガジンラックを一つ挟んだ先から視線を感じる。ラックのガラスの反射で後方を確認。案の定男が私を見ていた。雑誌を読んでいるふりをしているが明らかに私を監視している。

 

「暇人だなあ……」

 

 私は誰に言うわけでもなく一人ごちた。こういうのは今に始まったことではない。原因は3月の卒業式前日の出来事だろう。殺せんせーを助けるためとはいえ、やったことはテロと何も変わらない。監視の一つや二つついて当然だ。

 

「……はぁ」

 

 溜息をつく。監視されることなんて慣れっこだが、慣れているからと言って何も感じないわけではない。覚悟の上での行動だったがそれでも嫌なものは嫌だった。

 

 証拠が見つかったら、もし捕まったら、そんな最悪の仮定ばかりが脳内で浮かんでは消えていく。

 

「こんな時にカルマがいたらなあ……」

「呼んだ? 臼井さん」

 

 懐かしい声、イヤホンを外し振り向く。視界の先にはいつものように笑みを浮かべた赤髪の男が私を見ていた。

 

「ど、どうしてここに?」

「学校の帰り。電車乗ろうとしたらたまたま臼井さんの横顔が見えたから来ちゃった。何読んでんの?」

 

 私の耳元に顔を近づけ雑誌を覗きこんでくる。煮オレジュースでも飲んでいたのだろう、微かに甘い匂いがする。

 

「バイク?」

「うん、そろそろ誕生日だろ? だから免許を取ろうと思ってな」

 

 会いたかった男に出会えたことで微かに感じていた恐怖が安心感に変わっていくのを感じ、硬直していた表情筋が緩んでいく。

 

「新車はだいたい四十から五十万。遅くても来年の春には買えるだろうな」

「もしかしてバイトするの? 臼井さん金持ちなんだから働かなくても余裕で買えるでしょ」

「それなんだがな、あの金は生活費と学費、あとはどうしても必要な時以外は使わないことにしたんだ。流石に教習所の費用くらいには使うけど、バイクは自分で買いたい」

 

 あかりにも言われたし、殺せんせーのアドバイスブックにも何十ページにも及んで資産運用の指南が書かれていた。あの通りに使えばあと20年は働かずに生きていけるだろう。ちょっと細かすぎて引いたけど。

 

「あれは私の流してきた血そのものだ。もう昔みたいに気安く使ったりはできないよ」

「いいんじゃない? 俺もそれで良いと思う」

「問題はどこでアルバイトするかだな。君との時間がなくなるのも嫌だし、短期で一気に稼げるものがいいかもしれない」

 

 後ろの男に気付かないふりをしながら懸命にいつもの自分を装う。自分のやったことは自分で責任を取る。今回のことに関しては完全に私に落ち度がある。彼を巻き込むわけにはいかない。

 

「え、バイト先なんて決まってるでしょ。ほら」

 

 カルマがニヤリと笑い携帯電話の画面を突きつける。そこにはいつぞやのメイド姿でウェイトレスをする私の姿……

 

「あ、あの時の! い、いつ撮ったんだー!」

「いや、目の前で撮ってたじゃん。覚えてないの?」

「け、消せ!」

「え、やだよ。可愛いのに」

 

 こんな時だけ昔のカルマに戻るな。恥ずかしい歴史を掘り起こされ写真に写っていた私以上に顔を赤くして彼を睨みつける。

 

「俺臼井さんのメイド姿もう一回見たいんだけどなー」

「そんなの頼んでくれたらいつだって──」

 

 しまった。慌てて口を塞ぐがもう遅い。恐る恐るカルマを見れば優越感を剥き出しにした顔でニヤニヤと私を見ていた。恥ずかしすぎる……

 

「いつだって、何?」

「そ、それは……う、うぅ、ああもう!!」

 

 溢れ出る羞恥心に身を任せてパンチを繰り出すが、ふらふらのパンチはいとも簡単に避けられ宙を切る。

 

「あっははは! 臼井さんマジ良いリアクションするよねえ。ほんと可愛い」

 

 角と尻尾を生やしてケラケラと笑う、赤い悪魔がそこにはいた。やっぱりこいつなんて大嫌いだ。一瞬でもこいつのこと好きなんじゃないかと思った自分が恥ずかしい。

 

「……で」

 

 でも、そんなおちゃらけた彼の空気は一瞬で切り替わった。カルマが私から目を離し目を細める。殺気すら籠った琥珀色の視線の先には先ほどから私を監視していた男が映っていた。

 

「──ッ!」

 

 男がぎょっとしたように目を見開く。カルマの奴、気が付いていたのか……

 

「誰こいつ。知り合い?」

「いや……」

「ふーん、ねえおじさん。さっきから俺の彼女のことずっと見てたみたいだけど……気のせいじゃないよね」

 

 不意に身体が引き寄せられる。突然のことにぼんやりとしていた私はあっという間に彼の腕の中に収まってしまった。背中から感じる彼の鼓動。カルマに抱きしめられている。その事実が冷たくなっていた私の心を温めていく。

 

「何、もしかしてストーカー? 警察呼ぶよ」

 

 カルマにしては珍しい落ち着いた対応。でも落ち着いているのは言葉だけだ。でもあの教室で一年共に過ごしてきた私にはわかる。今彼はとても怒っている。

 

「…………」

 

 男は分が悪いと察したのだろう。額に冷汗を浮かべていそいそと立ち去った。男の姿が視界から完全に消えるのと同時に私はほっと息を吐いた。

 

「臼井さん……説明してくれるよね?」

 

 トーンが低い。12月に私に怒った時とまったく同じ声だった。つまり、今彼はとても怒っている。

 

「……はい」

 

 物理的にも精神的にも捕まっている私に拒否権などなかった。力なく頷く。外では雨が降り出しそうだった

 

 さて、どう説明したものか……

 

 

 

 

 

「ふーん、監視ね……」

 

 路地裏。ビルの壁に背を付けたカルマはそう言ってファストフード店の安っぽいストロベリーシェイクを飲みほした。そして怒りとも心配ともとれる視線で私を睨みつける。

 

「いつからなの?」

「気付いたのは最近だ……多分いつまでたっても証拠がでないことに痺れを切らしたのだろうな」

「証拠って、あの時の?」

「ああ」

 

 頷く。本当なら知られたくなかったがああして現場を見られてしまった以上、今更言い訳などできはしない。

 

「雪村ちゃんは知ってるの?」

「いつかは言うつもりだったんだが……」

「いや、いつかじゃ駄目でしょ」

「そうだな……わかった。帰ったらすぐ伝える」

 

 そこまで言い切ったところで二人して黙り込む。私達の間に気まずい沈黙が流れる。カルマは私から目を逸らしてどこか遠くを見ている。沈黙は嫌いじゃないけれど、今この瞬間の沈黙は凄く嫌だった。

 

「怒ってる、よね……」

「すっげームカついてる。でも別に臼井さんに怒ってるわけじゃないからそこだけは安心していいよ」

「……は?」

 

 よくわからないけれど、私に対して怒りを抱いているわけではないらしい。よかった。嫌われているわけではないのか。

 

「……なんで隠してたの?」

「今回ばかりは原因は私にあるから……」

 

 自らの行動は自らで責任を取る。私はあれが正しいと信じて行動した。故にその結果がどうなろうと、それは私自身の責任だ。

 

「言っておくが、私は自分の行動が間違っていたなんて微塵も思っていないからな」

「じゃあ捕まってもいいって思ってるわけ?」

「それは……」

 

 もし捕まれば十年は確実に出られないだろう。下手したら一生出られないことも十分に考えられる。烏間先生が色々フォローしてくれたようだが、それでも万が一ということはあるのだ。

 

 そんなもの……

 

「嫌に、決まっているだろ……」

 

 俯き制服のスカートの裾を握りしめる。ありえるかもしれない最悪の未来を想像し、目の前が急に真っ暗になったかのような錯覚に陥る。震えが止まらない。怖くてしかたがない。

 

「お別れなんて嫌だよ……君と離れたくなんてないよ……やっと普通の生き方ができるようになったのに、こんなので終わりなんて……」

 

 想像力の怪物が首をもたげ心の中で暴れまわる。藍井祥子と言う名の少女のちっぽけな心を喰い尽くさんと牙を向く。

 

 その時だった。

 

「……臼井さん」

 

 名前を呼ばれるのと同時に身体が何かに包まれるのがわかった。突然の出来事にあたりを見回す。横目に見えるのは真っ赤な髪。私はここにきてようやく自分が抱きしめられていることを理解した。

 

「か、カルマ!?」

 

 突然の行動に離れようともがくが、見た目からは想像できない凄まじい力で抑え込まれ身動きが取れない。冷たくなった私の心に問答無用でカルマの温かさが伝わっていく。

 

「は、離してくれ」

「嫌だ」

 

 即答。取りつく島もないとはこのことだ。耳元で彼の吐息がダイレクトに伝わる。それだけで私の頭にどんどん熱が籠っていく。

 

 でも、それだけではなかったのだ。

 

「……臼井さん、好きだよ」

 

 …………え?

 

 今、なんて言った? 聞き間違いでなければ、今確かに彼は好きと……いや、そんな馬鹿な、何かの間違いに決まっている。だって、おかしいじゃないか。

 

「先に言っておくけど友達とかじゃないからね。俺、男として臼井さんのことそういう目で見てるから」

 

 僅かな期待はカルマの言葉によって粉々に打ち砕かれた。そういう目、つまりは私のことを女として見ているということ……

 

 突然の言葉に頭が真っ白になる。今の今まで感じていた恐怖も動揺も全てが彼岸の彼方へ飛んでいく。カルマの言葉に上書きされていく。

 

「き、君は優しいからてっきり善意で付き合ってくれてるのかと……」

 

 目の前の事実を認めたくなくて、パニックになった頭で必死に言葉を紡ぐ。無駄だとわかっていても今の私にはこうすることしかできなかった。

 

「……あのさぁ、そんなの口実に決まってんじゃん」

 

 深い、それは深い溜息を吐きながらカルマが呆れた口調でそう言った。口実、つまり嘘。彼は善意でやっていたわけではないのか。

 

「え、それって……」

「いくら友達でも好きでもない女子のために殆ど毎週デートしたり家に入れたりすると思う? 鈍いにも限度あるでしょ」

「に、鈍い……」

 

 呆れたような口調でカルマが吐き捨てる。今まで散々鈍い鈍い言われてきたが、まさかカルマにまで言われる日が来るとは。顔が見えないからわからないけれど、この声は嘘を言っている声ではない。

 

「逆に聞くけど、俺が興味もない女子にスキンシップ許すようなお人好しに見える?」

「……いや、見えない」

 

 一年間一緒に過ごしてきた私ならわかる。彼はとても警戒心の強い人間だ。そんな彼がいくら友達とはいえそう簡単に気を許したりするわけがない。その事実にもっと早く気が付くべきだった。

 

「確かにちゃんと言わなかった俺も悪いと思うよ。でも臼井さんも臼井さんだよね。知らない間にめっちゃ可愛くなってるわ、平気で間接キスしてくるわ、何の躊躇もなく家に上がって来るわ、挙句の果てにはいきなり抱き着いてくるわ……いい加減こっちの身にもなってくんないかなあ」

「……よくわからないけどごめん」

 

 顔を少し赤くして私に対する不平不満のような言葉を捲し立てる。彼の言葉から察するに私は色々と問題があるようだ。陽菜乃かあかりに今一度恋愛に関する常識を教えてもらったほうがいいもしれない。

 

「今更謝ったって遅いよ。俺のこと本気にさせた責任取ってもらうから」

 

 抱きしめていた身体を離したと思ったら、今度は肩を掴んで私の目を見つめてくる。彼の顔は今まで見たことないほどに熱を帯びていた。

 

「祥子……」

 

 そして徐々に近づいてくるカルマの顔。いくら鈍い私でもわかる。この流れはどう見ても……いや待て!

 

「え、ちょ、か、カルマ!? ま、待ってくれ!」

「やだ」

 

 じりじりとまるでじらすかのようにゆっくりと唇が近づいてくる。本当にここまま行くと私はカルマとキスしてしまう。

 

 その事実を認識するだけで私の脈拍は急上昇し顔に熱が籠っていく。頭が真っ白になる。これから起きること以外の現象を考えることができない。

 

 初めてのキスがこんな路地裏なんて……でもカルマとなら……

 

 意を決し目を瞑る。口から漏れ出た吐息が彼の唇にあたり跳ね返ってくる。多分あと1センチもないだろう。

 

 はち切れそうになる心臓、そして……

 

 

 

 

 

「なーんてね」

「……へ?」

 

 目を開ける。先ほどまでの熱を帯びた表情はどこへやら、いつも通りの顔のカルマがニヤニヤとこちらを眺めていた。この顔は知っている。あの教室で散々見てきた顔だ。もしかして、私はからかわれたのだろうか。

 

「あはは、その顔最高」

「え、え? き、キスは?」

「それはまたいつか。だってまだ返事、聞いてないでしょ」

「あ……」

 

 そうだった。付き合うことそのものは了承したが、私はまだ彼のことを好きだとは一言も言っていない。そもそも好きかどうかも定かではない。全身に籠っていた熱が凄まじい勢いで抜けていく。

 

「そういえば、そうだったな……」

 

 危なかった。あのまま行けばきっと私は好きかどうかもわからない相手とキスしてしまっていただろう。そういう知識には疎いとはいえ、ファーストキスは本当に好きだと確信した相手にしか捧げたくない。

 

 残念に思うのはきっと気の迷いか何かだ。

 

「このまま押し切ればきっとOKしてくれるんだろうけど、それじゃ駄目なんだよね」

「どういう、ことだ?」

「そのまんまの意味だよ」

 

 よくわからないけれど私を気遣ってくれていることは伝わってくる。相手の気持ちを無視して関係を迫ったりしたら殺せんせーに怒られてしまう。

 

「返事はまた今度聞かせてくれればいいからさ。今日は帰ろうよ。雨降ってきたし」

 

 頬に水滴が落ちてきた。空を見上げる。灰色の水気をたっぷりと含んだ雲が椚ヶ丘の空を覆い尽くしていた。これはあと一分もしないうちに降ってくるだろう。折りたたみ傘を出そう。そう思って鞄を広げた次の瞬間だった。

 

「いやいや、何自分の傘出そうとしてんの」

「だって雨降って──」

 

 言い切る前に頭上が八角形の陰に覆われる。上を見ればいつの間にかカルマが私に傘を差し出していた。

 

「もう少し近づいてくんないと肩濡れるけどいいの?」

 

 さも当然のように傘に入ってくることを促してくるが、よく考えればおかしなことだらけだ。彼の家は隣駅にある。そして私の家はここから少し歩いたところにある。つまり正反対なのだ。

 

「帰るのではなかったのか?」

「はぁ、この状況で彼女に一人で帰らせるとかどんな鬼だよ……」

 

 頭を押え溜息を吐く。つまりは送ってくれるということらしい。これもカルマの言う私と一緒にいるための口実なのだろうか。でもわざわざ拒否する理由もない。ここは素直に善意に甘えておこう。

 

「わかった。なら行こうか」

 

 いつものように腕を組もうとするが、先ほどカルマに言われた言葉がリフレインし思いとどまる。私のこういう行動が勘違いさせると、彼やあかりは言いたかったのだろう。

 

「さっきは庇ってくれてありがとう……」

「どういたしまして」

 

 心の中で何かが急速に動き出すのがわかる。押さえつけていた名前の付けられない感情が急激に膨張していく。これから私はどうなってしまうのだろうか。

 

 そんな6月の出来事だった。

 

 

 

 

 

「ねぇ、お姉ちゃん」

 

 ダイニングテーブルで携帯電話を弄るあかりにふらふらと近づき、頭の上に顎を乗せる。お姉ちゃんは背が低いから座るとちょうどいい高さになるのだ。

 

「どうしたの? あと重いから頭の上に顎乗せるの止めて」

「はーい」

 

 拒否されたので身体を離し向かい側の椅子に座る。あかりは携帯電話を弄るのをやめて私に顔を向けた。そうしてくれたほうがいい。今からする相談は私にとっては大事なことだからだ。

 

「相談っていうか、聞きたいことがあってさ」

「もしかして、カルマ君のこと?」

「え、なんでわかったの? まだ何も言ってないのに」

 

 まさかの的中。今日は彼のことなんて一言も話してなかったのにどうしてわかったのだろうか。

 

「だって祥子最近カルマ君の話しかしてないじゃん」

「そうだったっけ?」

 

 あかりが頷く。いや、まさかそんな……あかりに指摘され記憶を辿ってみる。確かに、ここ最近私が話すことと言ったらカルマのことばかりだった気がする。まあいい、それは大して重要なことじゃない。私が訊きたいことはもっと他にある。

 

「それで、カルマ君のことがどうしたの?」

「あいつのことを考えると、おかしくなるんだ……」

 

 私は胸を抑えながら溜まりに溜まっていた心情を吐露した。今こうして彼のことを話題に出すだけで私の肥大化した謎の感情が暴れ出す。私は本当にどうなってしまったのだろうか。

 

「おかしくなるって、どんな風に?」

「具体的には脈拍が増幅して身体が熱くなる。鏡で見たら瞳孔も開いてた。いつでも会えるのに物足りなくて、欲望が際限なく沸き起こってくる……」

 

 こんな感情は今まで経験したことがない。怒りでもなければ悲しみでもない。喜びや焦りに似てなくもないが微妙に違う。どの感情にも一致せず私の頭は混乱するばかり。

 

「感情が制御できないんだ。あいつの手前ではなんとか抑え込んでるけど、気を抜いたら抱き着いてしまいそうになる。もっと優しくしてほしい、もっと可愛いって言ってほしい……もっと話したい、もっと一緒にいたい……そんなことばかり考えてしまう」

 

 あの雨の日からまた一月が経った。返事を返すまでてっきり会うのを控えるのかと思ったが、私のことなどお構いなしにカルマは遊びやデートに誘ってくる。そしてその度に私の謎の感情は肥大化していくのだ。

 

 そしてもうすぐ夏休み。お互いにテストは本気でやりたいから彼にはしばらく会っていない。でもたったそれだけで私の感情は馬鹿みたいに暴れ狂っていた。悲しくもないのに胸が締め付けられる。嬉しいのか、苦しいのか、それすら今の私にはわからない。

 

「お姉ちゃん、私はいったいどうしてしまったのだろうか……」

「うん、どう考えても恋だよね」

「……え?」

 

 目を見開いてあかりを見る。呆れたような、それでいてどこか嬉しそうな顔で私を見つめていた。聞き間違いでなければ今あかりは恋と言った。恋、つまり私がカルマに恋をしている。そう言いたいのだろうか。

 

「本当は自分で気付いてほしかったんだけど、このままだとまた拗らせそうだししょうがないか……」

「こ、拗らせ?」

 

 この顔は私がよくないことをしてしまった時に窘める時の表情だ。多分というか、あかりから見れば今の私はきっと良い状態とは言えないのだろう。

 

「祥子、想像してみて。カルマ君が知らない女の子と凄く楽しそうに話してたらどう思う?」

「別に女子の友達くらいいても不思議ではないと思うんだが」

「じゃあ、その子と話してるカルマ君が祥子と話してる時よりもずっと楽しそうだったら?」

「え、そ、それは……」

 

 想像してみる。彼が楽しそうなのは良いことだけど、その対象が私じゃないと考えると、何故だかわからないけど凄く嫌だった。初めての感情に戸惑う私を余所にあかりは更に言葉を続ける。

 

「もしその子が祥子の目の前でカルマ君と手を繋いでたりキスとかしてたら、どう思う?」

「……嫌だ。そんなの絶対嫌だ」

 

 仮定の話なのに、想像するだけで涙が出そうになる。この感情は明らかに嫉妬だ。仮に渚があかりと楽しそうにしてたところで嬉しいとしか思わない。実際にそういう場面は何度も見たけど別に嫉妬心など一度も抱いたことはない。

 

 ここまで理論立てて考えれば私にだってわかる。つまり私は……

 

「あいつが、好きなのか……」

 

 その言葉を発した瞬間、まるで欠けていたパズルのピースが揃ったかのような一体感を感じた。今まで感じていた謎の感情の全てに説明がつく。そんな感覚に陥る。

 

 いい加減認めてしまおう。私は、臼井祥子という人間は、赤羽カルマのことが好きなのだ。

 

「そっか……好きだったのか」

 

 肥大化した謎の感情が一気に温かいものに変わっていく。溢れ出たそれは喜びに変わり笑顔となってあふれ出す。顔の筋肉が緩み表情をコントロールすることができない。多分今の私は凄くだらしない顔をしていると思う。

 

「やっと気づいた?」

「……うん、ありがとう。お姉ちゃん」

 

 あかりにはいつもいつも気付かされてばかりだ。私はこの人の家族になれて本当に幸せだったと思う。

 

「どういたしまして。でも、私にできるのはこれだけ。あとは自分で考えるんだよ? じゃあお休み祥子」

「うん、お休み」

 

 あかりは立ち上がって私の頭を一撫ですると自分の部屋に戻っていった。静まり返った部屋に壁掛け時計の機械音だけがこだます。

 

「はぁ……」

 

 一人溜息を零す。荒れ狂っていた感情は落ち着きを取り戻し、次に自分が何をするべきかを考えるようになった。

 

 私は確かにカルマのことが好きだ。大好きと言っても言葉が足りないくらいには好きだ。いい加減、決断する時が来たのだろう。

 

「どうやって、告白しよう……」

 

 変わらないものは何もない。次の段階に移る時がやってきたのだ。

 

 

 

 

 

「ここに座るのなんか懐かしいなあ」

「確かに懐かしいな」

 

 ライトすらいらない月明かりの下。私達は屋根の上に座って夜空を眺めていた。昼間の締め付けるような暑さも夜になってしまえば随分と穏やかになる。薄手のワンピースでは少し寒いくらいだ。

 

「でもカルマは椚ヶ丘なんだしいつでもいけるだろ」

「何回かちょろっと来たことはあるけど、こうしてがっつり腰を据えるのは久しぶりなんだよね」

 

 今私達がいるのは懐かしき旧校舎の屋根の上。もう当たり前になったデートの帰り、最後に寄ったのがここだった。ちなみに誘ったのは私からだったりする。まあそれはどうでもいいことだ。

 

「あれからもう四ヶ月か……」

「うわ、もうそんな経ってるんだ」

 

 あの騒々しい音速教師の名残を楽しみながら二人の時間を楽しむ。でも、そんな時間もセミの鳴き声と横から聞こえるジュースを啜る音で台無しだ。

 

「何飲んでるの?」

「バナナ煮オレ、飲んでみる?」

 

 手渡されたそれを無言で受け取りストローに口を付ける。温くなった甘ったるいバナナと牛乳の風味が口の中に広がりあまり美味しいとは言えなかった。

 

「逆に喉乾くだろこれ……」

「そう?」

 

 表情を歪めながら紙パックを戻す。当たり前のように行われる間接キス。間接キスという概念があるのを知ってからもうそれなりに経つが、未だに何が恥ずかしい行為なのか理解できない。これはきっと感じ方の違いなのだろうな。

 

「臼井さんテストどうだった?」

「学年十位、ちょっと油断してたみたい。そっちは?」

「二点差で浅野に負けた。俺も油断してたみたい。今でもあいつの顔思い出すとすっげー腹立つわ」

 

 恐らく凄まじいドヤ顔だったのだろう。簡単に想像がつく。まあなんにせよ、順調にお互いを高め合っているようで何よりだ。

 

「もうすぐ夏休みだけど臼井さん予定決めた?」

「アルバイトを少しだけ。それ以外は何も」

 

 それからはカルマは私から細かい予定を聞き出すと、少し考えるような素振りをしてから口を開いた。

 

「じゃあさ、海行かない?」

「ん? 海ならE組のみんなと行く予定じゃないか」

 

 久しぶりに全員で集まれる機会だ。思う存分遊んで旧交を温めようと思う。でも、そんな私の言葉にカルマは首を振って否定した。どうやら違うらしい。

 

「あいつらと行くのは別。俺が言ってるのは二人きりで行かないかってこと。あ、そうだ。せっかくだから泊りがけでどっか遠くに行こうよ」

 

 熱海とかいいよねと温泉あるし。と、勝手に盛り上がるカルマ。こいつはいつもそうだ。私の事情なんて知ったことかと言わんばかりに好き勝手に引っ張りまわす。しかも本当に嫌な時はやってこないのだから質が悪い。

 

「というかもう水着買ったんでしょ? 雪村ちゃんから聞いたよ」

「お姉ちゃん!!」

 

 家でニヤニヤしながら渚とメッセージのやり取りをしているだろうあかりに最大限の呪詛を籠めて叫ぶ。あと押ししてるつもりなのかもしれないけれど、余計なお世話としか言いようがない。

 

「白のビキニって臼井さんにしては意外と派手なチョイスだよねえ」

「うぅ、やめてくれぇ……」

 

 顔が熱くなり手で覆い隠す。そんな私の精一杯の防御もカルマにとっては燃料を注ぐ行為にしかならない。嗜虐心の混じった楽しそうな彼の笑い声が横から聞こえてくる。たまに可愛いとか聞こえてくるのはきっと幻聴だ。

 

「……私の水着なんて見ていて楽しいものじゃないだろうに」

「好きな子の水着見たいって男としちゃ普通の感想だと思うんだけど」

「だって傷だらけだし……」

 

 私は自分の傷を卑下したことなど一度もない。だが、他人から見て私の傷跡がどう見えるかくらいは知っている。だから本当はワンピース型にしようと思ったのに、一緒にいた陽菜乃に駄目出しされてあんなトチ狂ったものを買う羽目になってしまったのだ。

 

「俺は別に嫌いじゃないんだけどなあ、臼井さんの傷跡」

「え、変態?」

「うん、真顔でそう言われると地味に傷つくからやめてくんない?」

「あ、ごめん」

 

 思わす謝ってしまい私達の間に妙な沈黙が訪れる。お互いに黙りこくり空を見上げる。月明かり以外光源のない裏山ではそれはそれは綺麗な星空が見える。乾燥した中東の鮮明な星空に比べれば見劣るが、私はこのぼんやりとした星空も嫌いじゃない。

 

 私はこうして黙って同じ時間を過ごすのが凄く好きだ。会話なんて必要ない。こうしているだけで胸が満たされていく。

 

「……そろそろ返事、聞かせてほしいんだけど」

 

 でも、そんな時間はカルマの一言で終わりを告げた。あの衝撃の告白からもう一カ月が経ったが、未だに返事は返していない。不誠実なことくらい私もわかっているが、勇気が出せないでいたのだ。

 

「そうだな……私も腹を括ろう」

 

 大きく深呼吸する。心臓が大きく脈打ち緊張で逃げ出したくなるが、それでも傭兵時代に培った鋼の理性で抑え込む。

 

「……私は君のことが好きだ」

「俺君って名前じゃないんだけど」

 

 大事な話をしようとしたのに、いきなり話の腰を折られ思わず睨みつける。でも、それ以上に真剣な目で見つめられ何も言うことができない。

 

 名前で呼べ、そういうことなのだろう。

 

「…………私は、カルマのことが好きだ。もう言い訳なんてしない。私は君が大好きだ」

 

 今までの全ての感情が私が彼に好意を抱いていることを証明している。人間としてではなく、仲間としてでもなく、友達としてでもなく、男としてカルマのことが好きになっていた。

 

「こんな私でよかったら、貴方の女にしてください……」

 

 言ってしまった。自分が何を言ったのかを理解するのと同時に身体が猛烈な勢いで火照っていく。羞恥心、喜び、色々な感情がごちゃ混ぜになり自分でも何を考えているのかわからなくなる。

 

「…………」

 

 カルマは私の告白を聞いても何も言わなかった。どこか遠くを見てただ黙っているだけ。もしかして、私の一言が気に障ったのだろうか。

 

「カルマ、どうしたんだ?」

「臼井さん、ごめん」

 

 視界が回る。僅かな痛みと共に屋根のひんやりとした感触を背中越しに感じる。そして視界に映るのは星空ではなくカルマの熱を帯びた琥珀色の瞳。

 

「祥子……」

 

 熱さすら感じる声色で下の名前を呼ばれる。私は今カルマに押し倒されているのか……

 

「か、カル──」

 

 咄嗟に名前を呼ぼうとした口は彼の口によって塞がれた。何をされたのかを理解する前にカルマの唇が私の唇を貪る。

 

「……んっ」

 

 優しくも荒々しいキス。息ができない。頭が真っ白になる。初めて頬に触れてもらった時とは比べ物にならない多幸感が全身を包む。頭が回らない、何も考えることができない。

 

「んんっ……」

 

 身体中から力が抜け落ちされるがままになる。時間の感覚などもう壊れてしまった。一秒が一分にも、十分にも、永遠にも感じた。私の戦闘能力があればいくらでも抵抗できるのに、不思議と抵抗する気が起きない。

 

「……ごめん、臼井さん」

 

 それからしばらくしてからカルマはやっと私を解放した。酸欠になりかけた肺が酸素を求め胸が大きく上下する。そして彼を睨みつけると申し訳なさと、喜びの混じった瞳で私に謝ってきた。

 

 夏の生温かい風が火照った顔を冷やす。その瞬間、吹き飛んでいた私の理性が羞恥心となって戻ってきた。

 

「い、いきなり舌入れる奴がいるかぁ! ちょっとくらい心の準備させてよ! は、初めてだったんだぞぉ!」

 

 冷静になって自分がされたことを理解し、顔を真っ赤にしてしどろもどろになりながらも抗議する。だってそうじゃないか、初めてなら普通もっと優しくするものだろうが。

 

「散々焦らしまくったんだからこれくらい良いでしょ? ていうかキスならビッチ先生にやられたんじゃないの?」

「あの人は、色々気遣ってくれて私にはキスしなかったんだよ……って、なんで嬉しそうな顔してるんだよぉ!」

「いや、だってそんなのめっちゃ嬉しいに決まってるじゃん」

 

 ニヤニヤしやがってこの野郎。でも、文句を言おうと思ってもキスされたことを喜んでしまう自分を自覚してしまい、何も言い返せなくなる。口ではなんとでも言えるが、本当のところ凄く嬉しかったのだ。

 

「これで、臼井さんは本当の意味で俺の女になったってことでいいんだよね?」

「……うん、君の物になっちゃったな」

 

 顔を赤らめてそう言うと、私を見つめていたカルマが突然口元を抑えて私から目を逸らした。

 

「どうしたんだ?」

「今俺凄い顔になってるから見ないでくれると嬉しいんだけど」

「そう言われると逆に見たくなるんだが……えい」

 

 手を伸ばして頬を掴み顔をこちらに向けさせる。そこには、頬を赤く染め今まで見たことないくらいに口元がだらしなくにやけたカルマがいた。

 

「ふふ、可愛いな」

 

 私がそういうとカルマは更に頬を赤らめた。あのいつも不敵な笑みを浮かべたカルマがこんな顔をしていると考えると愛らしくて仕方がなかった。

 

「……男に可愛いとかいうの止めてくんない?」

「やだ、可愛いものは可愛いのだ」

 

 こんな顔を見れるのは私だけ、その事実がまた嬉しい。それだけ私に夢中になってくれていることに他ならないからだ。知らない男に告白されたときは嫌悪感しか抱かなかったのに、彼に好かれていると思うと喜びで胸がはち切れそうになる。

 

「でもカルマ、一つだけ約束してくれ」

「何?」

「もし、私の立場が危うくなったら容赦なく縁を切るんだぞ」

「……なんでそんなこと言うわけ?」

 

 声のトーンが一気に低くなる。少し怖いが、でも絶対に言わなければならないことだ。

 

「命を狙われるかもしれない、もしかしたら捕まるかもしれない。それに君は官僚になりたいんだろう? 私みたいなヤクザな女と付き合ってるのが知れて夢が叶わなくなってもいいのか?」

 

 今更人殺しだの監視されてるだので悩んだりはしない。カルマはそれも含めて私を好きになってくれている。なら私はそれに応えるだけだ。でも私のせいで彼が不幸になるのは許容できない。

 

 そう思って忠告したのだが……

 

「え、もしかしてもうそこまで想像してくれてるの? めっちゃうれしいんだけど」

 

 しまった。完璧に墓穴を掘った。忠告するつもりだったのに、このままでは単に喜ばせるだけに終わってしまう。

 

「違う、そうじゃなくてだな!」

「いや、違わないでしょ。ていうか、そんなこと言われて俺が諦められると思う? 臼井さんは都合が悪くなったら即裏切る薄情な奴を好きになるような安い女なの?」

「…………思わないし、好きにならない」

「でしょ? じゃあこの話はこれで終わりだよ」

 

 仮に彼がそういう人間だったのなら私は友人とすら思わなかっただろう。つまり何を言っても無駄。カルマはそう言いたいのだ。

 

「後悔しても知らないんだからな」

「後悔なんてしないよ」

 

 圧し掛かるように抱き締められ頭を撫でられる。全身に彼の温かさが伝わり荒ぶっていた心を落ち着かせていく。お姉ちゃんの温かさとは違う。大きくて、力強くて、どうしようもなく男の身体だった。

 

「臼井さんはあの一年俺らのことずっと守ったんだからさ、今度は俺に臼井さんのこと守らせてよ」

「ふふ、私より弱いくせにどうやって守るっていうんだ?」

 

 搦め手なしではカルマは私に手も足も出ない。気持ちは嬉しいが私は守られるよりも守るほうが性に合う。

 

「この状況でカルマを攻撃できる手段がいくつもあると言ったらどうする?」

「抵抗もしないで腕の中に収まってる人が何言ってんだか」

 

 耳元で致命的な事実を囁かれる。いくら強い自分を演じたとしても、こうして彼の腕に抱かれていることは変わらない。それに守ると言われて嬉しかったのは否定しようのない事実だった。

 

 もう強がらなくてもいいのではないだろうか。不意にそう思った。

 

「……変なこと言ってごめん」

「次言ったら本気で怒るから」

 

 胸の中で小さく頷く。いくら言い繕っても目の前にぶら下がっている魅力には抗えない。あの時と同じだ。知ってしまえば戻れない。この喜びを知ってしまった以上、二度と前の無知な子供には戻れないだろう。

 

 もしかしたら私は途轍もない間違いを犯しているのかもしれない。でも、こいつが相手ならそれもいいか……

 

「なあ、もう一度キスしてくれないか」

 

 胸の中に収まっていた顔を出してカルマの目を見つめる。私が自分からこんなこと言う日が来るなんてな。銃を撃ってれば満足だったのに、今では次から次へと欲望が沸き起こってくる。

 

「え、いいの?」

「うん、さっきは頭が真っ白で何もわからなくてさ」

 

 嘘だ。本当は唇の感触から舌の入れ方まで完璧に憶えている。でも、それを言うのは恥ずかしい。私はいつからこんな打算的な人間になってしまったのだろうか。どれもこれもカルマのせいに決まっている。

 

「わかった……って言いたいところだけどやめとくよ」

「どうして?」

「これ以上は本当に歯止め効かなくなるだろうから。臼井さんこと大事にしたいからがっつきたくない」

「よくわからないけれど、我慢するのはよくないぞ」

「……それわざと言ってる? いや、どうせ臼井さんのことだから素で言ってるのわかってるけどさあ」

 

 首を傾げる。また何か不味いことでも言ってしまったのだろうか。だが顔を見る限り嫌がっているわけでもないし、むしろ喜んでるような様子すら見受けられる。どういうことなのだろうか。

 

「とにかく、そういうのはまた今度にしようよ」

「わかった。楽しみに待っているよ」

「……まあ、そんなに時間かからないかもしれないけどね」

 

 でも、カルマが私を大切に思ってのことならば私はそれを受け入れるだけだ。世の中はギブアンドテイクだ。それは恋愛においてもきっと同じに違いない。

 

 彼には何もかも差し出してもいいとすら思ってるけれど、カルマは絶対に受け取りはしないだろう。逆もまた然りだ。

 

「もう遅いし今日は帰ろうか。雪村ちゃんも心配してるだろうし」

「そうだな。帰るか」

 

 同時に起き上がり空を見上げる。胸の中で今まで感じていた切なさや焦りが全て喜びに変わりまるで火災に見舞われた弾薬庫のように弾け続ける。こんな素晴らしい感情を私に贈ってくれたカルマには一生感謝し続けるだろう。

 

 もし離れ離れになったとしてもこの想いは変わらないと信じている。もっとも、離すつもりなんて微塵もないのだがな。

 

「月、綺麗だね。粉々になってるけど」

「そうだな、私もそう思うよ。粉々になってるけど」

 

 沈黙、お互いに見つめ合う。私たちが噴き出したのはそれからしばらくしてからのことだった。

 

 

 

 

 

「ど、どうかな?」

 

 照りつける太陽と砂浜、そして潮風と波の音をバックに、腰の後ろで手を組んでカルマを見つめる。顔が凄く暑いが、それは猛暑とは全く関係ないだろう。

 

「うん、凄い可愛いと思う」

「えへへ、ありがと!」

 

 ニコリと笑うとカルマも同じように笑った。鍛えすぎた身体も、身体中にある傷跡も、彼は全て好きと言ってくれる。ならば他人にどう思われたって関係ない。

 

「でも、やっぱり恥ずかしいな……」

 

 昔は下着を見られても何も思わなかったのに不思議なものだ。自分で言うのもあれだが変わりすぎだ。まあどれもこれもカルマのせいなんだがな。

 

「え、今更水着如きで恥ずかしがっちゃうの? もっと凄いの見られてるくせに」

「なっ!? こ、こんなところで何を言っているんだカルマ!!」

 

 ええい、口笛を吹いてごまかすな。しかも無駄に上手いな。変なことを言われたせいで恥ずかしくて仕方がない。そうだ泳ごう。せっかく海が目の前にあるのだ。こういう時は泳いで忘れるにかぎる。

 

「ああもう! 時間勿体ないから遊ぶぞ! とりあえず軽く向こうの防波堤まで泳いで競争だ!」

「え、軽くって……どうみても一キロくらいあるんだけど」

「どうせ君なら楽勝だろ。さあ行くぞ!」

 

 手を握り海原に向かって走り出す。いつも振り回されてばかりだからな、たまには振り回すのも悪くない。

 

「負けたら罰ゲームだからな!」

「へぇ……じゃあ絶対勝たないと」

 

 今日は八月。私はこれ以上ないというほどに幸せだった。願わくばこれからもこの幸せがずっと続きますように。私は天国のパパとママにそう願った。

 

 

 

 

 

 ちなみに勝負が私の完敗で終わったのは凄くどうでもいいことである。あんなに速いなんて聞いてないよ……

 




用語解説

やってられませんわ。

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