※68話で主人公が殺せんせーの暗殺に成功していたらというIF話です。微妙にというか割とがっつりGL描写入ってるので苦手な人は注意。
P226をゆっくりと構える。息も絶え絶えでただ握るのが精一杯。けれど、必死に己を律し震える手で口径9mmの銃口を仰向けで倒れ伏す恩師へと向ける。
『さぁ、撃ちなさい。君にはその権利がある』
薬室には既に弾薬が装填されている。あとは引金に数キロの力を籠めれば撃鉄が撃針を前進させ雷管、装薬へと伝わる。
そして急激な勢いで膨張した燃焼ガスが弾頭を押し出し右回りで回転しながら銃口を飛び出し……
目の前の人を殺すのだ。
『よく、頑張り……ましたね……』
震える指を無理やり引金に持っていく。セーフティは外してある。後は引金を引くだけ。それだけで全てが終わる。終わってしまう。
不意に今までの楽しかった光景が脳裏に蘇る。頭を撫でられたこと、褒められたこと、生きてくれて嬉しいと言ってくれたこと……
視界が滲みサイトピクチャーがぼやける。
『泣いては、いけません。君は自分の、やるべきことをやっただけなのですから……』
そうだ。私にはまだやるべきことが残っている。こんな所で泣いている暇はない。前に進まなければならないのだから。
腕の震えが止まる。視界がクリアになる。引金に力を籠める。
『あぁ……皆さんの受験の対策を、始めなければ……これから、忙しく……なりますねぇ……』
引金は、とても軽かった。
銃声──
「……ッ!」
目が覚める。視界に映るのは白い天井、横目に見えるカーテンから僅かに陽の光が差し込む。身体に感じるのは新品のように綺麗なシーツとベッドの感触。
「まだ四時だ」
身体を起こし枕元に置いている腕時計を手に取る。薄暗い室内であっても自発光塗料が塗られたの文字盤と針のお陰で時刻を知ることができた。
「夢、か……」
額に手を当て溜息を吐く。決して高温多湿な地域でもないのに酷く汗ばんでいる。寝汗が多い体質ではない。これは夢のせいと見るべきだろう。
「今更、後悔したって遅いだろ……」
「……さちこぉ、もう起きてるのぉ……」
隣のベッドからシーツの擦れる音と共に見知った人の声が聞こえる。ゆっくりと振り返ればそこにはあかりが眠そうに目を擦りながら私を見ていた。
「……今、何時?」
黙って腕時計をあかりに見せる。ダイビング用に作られた視認性の高い腕時計は寝ぼけたあかりの脳にも一瞬で現在の時刻を知らせた。
「まだ四時じゃん、寝てようよ……」
「うん、そうだな」
あかりの至極もっともな言葉に頷く。こんな時間に起きる奴はそうそういない。あと三時間は寝ていても誰も文句は言わないだろう。
でも、眠れるのだろうか。脳裏には先ほどまで見ていた夢の光景が焼き付いている。横になったところできっと眠れないだろう。
「……もしかして、またあの夢見たの?」
その言葉に黙りこくる。こんな態度、秘密を隠そうとするにはあまりにも悪手だ。案の定あかりはやはりと言いたげな顔で心配そうに眉を下げた。
「祥子は何も悪くないよ」
「わかっているさ……わかっているとも……」
殺せんせーを殺したあの冷たい冬の夜からもう一年が経過した。大量の銃火器、用意周到に準備した罠、そしてあかりの執念、それが功を成したのか殺せんせーは遂に倒れた。
だが、あかりは触手によって体力を使い果たし殺せんせーを殺すことができない。あの時撃てたのは私だけだった。
「でも、あの時の光景が目に焼き付いて離れないんだ……」
だから撃った。皆の止めろという声を無視し、弾薬を装填した拳銃を構え、そしてその銃口を恩師の心臓に突き付けた。引金はとても軽かった。
殺せんせーが消えていく瞬間を思い出す。あの人は最後まで笑顔で、最後まで教師のまま死んでいった。光の粒になりまるで初めからいなかったように跡形もなく消えてしまった。死んでしまった。
「ただ、それだけだ……」
盛大に脱力しベッドに沈み込む。マシュマロのように柔らかいマットレスが私を優しく包み込む。柔らかすぎてこのまま沈んでしまうのではないかと不安になる。
「起こしてごめん、寝てていいよ」
目を瞑りあかりに背を向け横になる。いつもならあと二時間は寝ている。このまま横になるというのも悪くないだろう。
眠る気にはならない、眠ってしまったらきっとあの夢の続きを見てしまうから。
「……そっちいくね」
「そうか……んっ?」
突如、マットレスが横に沈み込む。シーツの擦れる音と共に私の肩に何か温かいものがぶつかった。寝返りを打ち振り返る。視界一面にあかりの顔が映った。どうやらこちらのベッドに移りこんだらしい。
「朝まで時間あるし、このまま一緒に寝よっか」
そう言って問答無用で私の頭を抱き抱える。温かい体温が私の荒れ狂う心の波を沈めていく。
心臓の脈打つ音が教えてくれる。目の前の人は生きているのだと。死体でも幽霊でもないと。
「あかりは、生きてるんだな……」
「そうだよ。祥子が私を助けてくれたの」
殺せんせーを殺した後、シロは酷くつまらなそうな様子で殺せんせーがいた場所を眺めた。そしてそれから約束通りあかりの触手を抜いてくれた。
あの小賢しく悪い意味でエネルギッシュな面影はどこかに消え去りまるで人形を相手にしているようだった。
どんな意味であれ、シロにとって殺せんせーは生きる糧だったのだろう。だが、結局は全て過ぎ去ったことだ。
「そうか、ならいいんだ……」
なんであれ、あかりは生きている。もう触手の副作用に苦しむことはないし、復讐に狂うこともない。
殺せんせーの秘密は結局わからずじまいだったし、皆とは別れなければならなかったが、その事実さえあれば十分だ。
「温かいなぁ……本当に温かいなぁ……」
人の温もりを知らなかった私にとって、この温かさは麻薬のように身体と心に沁み込んでいく。
少しでも気を抜けば溺れてしていまいそうな程の強烈な優しさ。いや、もうとっくの昔に私は溺れているのかもしれない。
「むぅ、もしかして私が子供体温だって言いたいの?いいもん、どうせ祥子と違って私はお子様ボディですようだ」
あかりが優しく笑って頭を撫でる。瞬きが多くなる。
「あぁ……そう、だな……。お姉ちゃんは本当に、小さい……な……」
瞼が重くなり目を瞑る。意識が微睡に沈んでいく。多分、気が付いていないだけで碌に眠っていなかったのだろう。眠くて眠くて仕方がない。
「───、──」
あかりが何か言うが聞き取れない、まるでエレベーターで急降下するように意識が闇に吸い込まれていく。不思議と不快感はない。
きっといい夢を見れそうだ。
「お休み、祥子」
安らかな寝息を立てて眠りに落ちる祥子を見て、私はほっと息を吐いた。こうして祥子が跳び起きるのは特に珍しいことじゃない。
殺せんせーを殺してから一年、私の復讐に決着が付いてから一年。祥子はずっと私の隣で私を守り続けた。
地球を救った報酬も約束通り支払われた。三百億円という莫大なお金。まさか本当に支払われるなんて思ってもいなかった。
予め約束した通り私が二百億、祥子が百億貰うことになった。私は何度も山分けでいいと言ったけど祥子は契約は絶対だと言って頑なに譲らない。でも、実際は殆ど共有財産と化しているので別にそこまで不満はない。
「また、新しい傷できてる……」
寝巻の襟から覗く新しい切り傷に私は息を呑んだ。多分昨日路地ではぐれた時に作った傷なんだろう。
「怪我したら報告するって言ったじゃない……」
E組には戻らなかった。いや、戻れなかったって言ったほうがいいかもしれない。私達は渚達の視線を無視し報酬を受け取ると、そのまま逃げるように海外に飛んだ。
なんせお金だけは文字通り使いきれないほどある。何処にでもいけたし、なんだってできた。けれど、代償として悪意を持った人間に狙われるようになってしまった。
世界中の口座に分散して賞金を隠したお陰で滅多に襲われることはなくなったけど、それでも人の口に戸は立てられない。祥子はその度に戦い、そして傷つく。
「あの約束まだ守ってるのかな……」
祥子は殺せんせーと人を殺さないと約束したと言っていた。現にあれから私の前で人を殺したことは一度もない。襲ってくる相手には相変わらず容赦ないけど、それでも命だけは絶対に取らない。
「祥子は優しすぎるよ……」
寝息を立てる頭を撫でる。二年間一緒に過ごしてきたけれど、この子の本質は何も変わらなかった。
祥子は自分に優しくできない。人のことは全部捨ててまで助けようとするのに、自分にだけは絶対に優しくしない。
何度注意してもこの子は苦笑いするだけで改めようとしない。E組にいた時は少しづつ変わっていたけれど、肝心の切っ掛けになった人物はもうこの世にいない。
「私の人生滅茶苦茶にしたんだから、責任取ってよね」
死ぬつもりであそこに潜り込んだのに、祥子のせいで計画が滅茶苦茶になってしまった。唯一の生きがいだった復讐も決着が着き、何をすればいいのかわからないのにお金と時間だけが腐るほど手に入った。
だから、残りの時間はこの子のために使おうと思う。祥子が自分に優しくできないのなら、その分私が優しくする。自分を愛せないのなら、私が愛する。
「よいしょっと……」
寝ている祥子が起きないように、そっと隣のベッドの枕をひっくり返し黒光りする掌サイズの鉄の塊を手に取った
「祥子、怒るかな?」
名前はグロック27、前にそれとなく護身用のピストルなら何がいいかと祥子に聞いた時に勧められた銃。弾も祥子の使っているピストルと同じ.40s&w弾のジャケテッドホローポイントだ。
何度も何度も隠れて練習し身体の一部になるまで使い込んだ。分解も整備もお手の物。ピストルだけじゃない、ライフルもショットガンもマシンガンだって使える。
的だって沢山撃った。人だけはまだ撃ったことはないけれど、その時が来たら私は躊躇なく撃つ。
「……祥子」
銃を握ったままベッドに戻り祥子を抱き締める。もうこの子に銃なんて握らせない。祥子が私を守ってくれたように、私も祥子を守る。
「そうと決めたら、一直線なんだから……」
額にキスをする。少しだけ汗の味がした。
「クレープってクリームが入ってなくても美味しいんだな……」
「うん、私もびっくり」
石畳みの街、オープンカフェで栗の味のするクレープを頬張り私達は同時にへにゃりと破顔させた。日本とは違った乾いた空気までもがこの優しい味の隠し味になっている気がする。
「次はどこいこっか?昨日食べたプリンもう一回食べに行きたいなぁ」
「まだ食べるのか?」
「だってイタリアだよ!食べなきゃ絶対損だって!」
ごたごたが片付きようやく行けたイタリア旅行。提案したのは私だというのに、どうみても私以上に張り切っている。
子役は好きでやっていたと言っていたが、それでも本来家族に甘えるべき時期を仕事に費やしてきたはずだ。気のすむまで子供の時期を取り戻してほしいと思うのは傲慢なのだろうか。
「あ、でもアイスも食べたいんだよね。どこがいいかなー」
『でしたら、ここから歩いて15分程の距離におすすめのお店がありますよ!』
テーブルの上に置いた携帯電話の画面が急に明るくなり、その中に見知った顔が現れた。私達は顔を乗り出し画面を見つめる。
「律、ナチュラルに会話に混ざってくるのはびっくりするから止めてくれ」
『酷いです祥子さん、私だってお喋りに混ぜてくれたっていいじゃないですかぁ』
律がわざとらしく目元を拭いながら俯く。ご丁寧に雨の背景までつけてだ。バッテリー無駄に消耗するから止めてほしい。
「律、嘘泣き禁止」
『てへ、ばれちゃいましたか』
一年前もあざとかったが、心なしかあれからもっとあざとくなった気がする。あれから何度か携帯電話だって乗り換えているのに、どうやってか知らないがいつも気が付くとモバイル律がインストールされている。
そうして行く先々で私達のナビをしたり今のようにナチュラルに会話に混ざったりしてくるのだ。友達を話をするのは楽しいからいいけれどもう少しやり方を考えてほしい。
「でもどうしたの律急に現れて。最近はあまり会ってなかったでしょ?」
『お友達に会いに行くのがそんなにおかしなことでしょうか?』
「勿論そんなことないけど……」
あかりの言う通りだ。あんなことをやってしまったとは言え、私達は律のことを友達だと思っている。
「というか、まだ私達のこと友達って思ってくれているんだな」
『当たり前じゃないですか!怒りますよ祥子さん!』
デジタルな友達のアナログな怒りに思わず目を伏せる。あれだけのことをやったというのに、律はまだ私達のことを友達だと思ってくれているようだ。
『あかりさん、祥子さん、もうあれから一年と100日が経過しました……お二人ともそろそろ日本に帰りませんか?』
「それは……」
今度はあかりが黙り込んだ。自分のやったことを思い出しているのだろう。理由も告げずに皆の前から去り、そして何も言わずに逃げるように国を出て行った。
『私も渚さん達も気にしてません。それどころか早く帰ってきてとの伝言まで預かりました』
「だけど……」
『それともお二人はこのまま最終学歴が中学生になってもよろしいのでしょうか!』
私達の時が止まった。考えないようにしていたことをはっきりと、それも大声で指摘され二人して俯く。
「べ、別にお金ならいっぱいあるし……」
「あ、あぁ……人生十回くらい遊んで暮らしてもまだ余るくらいだし……」
『いけませんよ!境遇にあぐらをかいていては!』
律のもっともすぎる正論に何も言い返せず二人して黙りこくる。というか言い返そうにも正論すぎて言い返せない。
『お二人の現在までの支出と行動パターンから推測して15年以内に破産する可能性がなんと20%もあるんです!私、祥子さんとあかりさんがメキシコの貧困地区でゴミを漁りながら野良犬に怯える姿なんて見たくありません!』
なんで、イタリアに来てまで説教されなくてはならないんだろうか……しかも妙に例えが生々しくてその光景が簡単に想像できてしまう。
『ですが、お二人は私が説得しても動かないと判断しましたので……』
嫌な予感がする。予感というか既に背後に人の気配が近づいてくるのを感じる。あかりも既に察知したようで、顔を青くしている。
『助っ人を呼んじゃいました!』
「へぇー、平日からカフェでクレープなんて、随分と良いご身分じゃない。ねぇ、お二人さん」
非常に流暢な、それでいて聞き覚えのある日本語。しかもこの声質は相当に怒っていると見た。意を決してゆっくりと振り返る。
「ハーイ、久しびりね」
「び、ビッチ先生……」
な、何故ここに。いや、律がいるんだから私達の位置情報などお見通しか。会いたくなかった人にいきなり会ってしまい、どうしていいのかわからなくなる。
「な、なんでここに?」
「わざわざ防衛省の仕事の合間に暇作って探しに来てやったのよ!感謝なさい!」
殺し屋はもう辞めたのか、よかった。じゃない、探しに来たってことはもしかして……
「二人とも、いい加減拗ねてないでとっとと日本に帰るわよ」
やっぱりだった。しかも頭をがっちり押さえつけて逃げられないようにする始末。というか力込めすぎて頭が痛い。
「び、ビッチ先生あ、頭つぶ──」
「あぁん?誰がビッチですって?私は既婚者よ!」
「なんでもないです……ビ、イリーナ先生」
あかりもチンピラみたいなビッチ……イリーナ先生の気迫に何も言えずうな垂れる。というか結婚したんだ。相手は言わずもがなだろう。
「でも意外だわ。私はてっきりあかりが豊胸手術して胸がボールみたいになってると思ってたんだけど。その様子だとあれから何も成長してないようね」
「…………」
あかりが凄い顔になってるからそれを言うのは止めてあげたほうが……しかもよく見るとナイフとフォークを握る手が猛烈な勢いで震えている。これ刺したりしないよな。
「ま、当然よねぇ。あんたみたいなパッド入れても隙間から抜け落ちるようなお子様体型のガキが手術したってバランス崩れるだけだもの」
「…………祥子、いつもの」
ビッチ先生のいらない挑発によって怒髪天を衝かれたあかりがぼそりと呟いた。
私はその言葉に服の中に仕込んでいたスモークグレネードのピンを抜き、石畳みの上に転がした。レバーが外れ程なくして私達の周りが煙に覆われる。
「ゲホッ、なによこれ!」
「行くよ!祥子」
「待て、お金……OK!」
ビッチ先生が咽ている間に立ち上がり手を繋いで走り出す。勿論テーブルの上に迷惑料も兼ねてかなり多めの代金を置いていくのも忘れない。多分、こんなのだから律に破産するって言われるんだろうな。
「ちょ!待ちなさい!このガキ共!!」
「べーっだ!」
いつにも増して子供っぽい仕草であかりがビッチ先生を挑発する。先生も私達を追いかけようとするが、ヒールを履いているせいで一歩目からずっこけた。
「祥子、予定変更。次の国行くよ!」
「ああ、そうだな」
手をつなぎ走りながら次の目的地を考える。どうせならこのまましばらくヨーロッパを観光しよう。
「フランス行ってそれからスペインにしよ!祥子フランス語もスペイン語も話せるでしょ」
「あぁ、それがいい」
正直なところあかりがいるのならどこだっていいのだが、それを言うのは無粋というものである。
私達は走り続ける。過去は変えられない。殺した人は帰ってこない。だから何があっても走り続けるしかないのだ。だけど、こんな人生も意外と悪くない。
「あはは!行くぞあかり!」
「ちょ、祥子速すぎ!」
私は今幸せだ。
用語解説
グロック27
40S&W弾を使うポリマーフレームの小型拳銃。掌サイズしかないのに10発も弾が入る。とりあえずスライド引いて引金引けば撃てるので手軽。