その女児は、自身が今までとは全く違う世界に来たことを自覚していた。
違う世界、という表現は正確ではない。実際に彼女が連れてこられた場所は異世界でもなければ生まれ育った国をさえ出ていない。しかし、年端のいかない児童にとっては当人が知覚できるごくごく狭い範囲、それだけが世界の全てだった。痩せた土、なんとか体裁を保った畑、今にも崩れ落ちそうな灰茶色の家屋―――その光景だけが世界の全てであった彼女の目には今、堅牢な赤レンガの建造物が立ち並ぶ別世界が映し出されている。
「配属の手続きは完了しています。着任式は後日。本日は寮舎にて待機しましょう。共同宿舎ですから既に僚艦となる予定の
「……ぁ」
丸眼鏡に深藍色の和服に身を包む女性―――二航戦・蒼龍の言葉に、不安そうにかつ困惑した眼差しを向ける幼女が、蚊の鳴くようなか細い声で啼いた。
蒼龍の整った和服とは対照的に、幼女の服は薄汚れた
それでも、幼女は美しかった。煤の黒さに元々明るい色であったろう髪色は埋もれきっておらず、
「ああ、分かりにくかったかしら。そうですね、こんなに小さいんだもの。えぇっと、お名前は?」
「あぅ……え、えっと……」
俯いて目を伏せる幼女の姿に、蒼龍は察した。
「……そうか。初めから軍に売ることが決まっている娘に名前など不要だった……というわけね」
そう、忌々しそうに一人ごちる。
「……?」
「なんでもありません、気にしないで。どの道、ヒトの頃の名前は捨てなくてはいけないのだから。さあ、行きましょう」
言うが早いか、スタスタと先を行く蒼龍の後を、幼女が慌てて追いかける。
「ま、待って……」
小さな歩幅でパタパタと後を追ったその先には、蒼龍が寮舎と呼ぶ建物があった。
「あの、そうりゅう、さん。ここは……」
「今日からあなたが住む場所、重桜海軍幼等寮舎です。そうですね、まずはお風呂に……」
「あれぇ、そーりゅー。だれーその子?」
不意に二人の背後から声が掛けられ、幼女はビクリと身体を震わせ、蒼龍は溜息混じりに振り向いた。
「……やれやれ。どうしてこんな所にいるのですか、睦月。この時間は教室で授業を受けている時間でしょう?」
「だって、んべ、アメさん、ペロ、なくなちゃったんだも~ん。はらがへっては~、ペチャペチャ、いくさはできぬぅ~って、ペロペロ、前、テレビで言ってたよ」
二人の背後には睦月と呼ばれた女の子がいた。蒼龍に連れられた幼女とちょうど同い年くらいの子で、今は棒キャンディーを咥え、チュパチュパと音を立てている。
「食べるか話すかどちらかにしてください。だからと言って、勝手に教室を抜け出さないの。そもそも授業中にお菓子を食べてはいけないと何度言ったら……」
「んもー。そーりゅーはそうやっていっつもガミガミゆうー。それより、この子だれなのか教えてよー。ぐんの、新しいお友達なのー?」
水色のスモックに明るい黄色のスカートをを纏い、黒髪はボブカットで整えられ、後ろは鮮やかな赤いリボンで結ってある。(今の重桜では、主に裕福な家庭の)まさに女の子らしい姿の女の子は、しかしキャンディーに這わせる舌の動きを止めずに、その丸く大きな緑の瞳を幼女に向けた。
「……まあいいでしょう。先に紹介しておきます。何せ、あなたの僚艦となる子なのですから」
蒼龍は睦月から幼女に視線を移し、徐に告げた。
「あなたは睦月型駆逐艦、その二番艦の如月。今日からあなたの名前は如月。自分のことを如月と呼びなさい」
「きさ……らぎ?」
蒼龍を見上げる目。美しい桜色に染められた虹彩が見開かれ、おずおずと訊き返した。
⚓ ⚓
この海軍の者は皆、ヒトとして生きる選択肢を与えられなかった。
畜生の耳や尾を持つ彼女らは民にとって、ヒトに劣る存在とされ、生まれたその瞬間から忌み子であった。皮肉にも、動物の身体を持つ彼女らは兵器としての適正が高く、戦場で『消費』する理由として都合が良かった。
これは物心がつくかつかないかの境目から兵器として生きるしかなかった幼女の、小さな瞳から見た母国の姿と、戦争のお話である。
こんな感じの暗ーい、気分が重たくなるようなお話にしようかなーと思います。でも救いがある話にする予定だよ、ほんとだよ!