水上の艦船を屠る鳥。その駆動音が大きくなるほど恐怖が背筋を伝い、震えが止まらなくなるのを如月は感じていた。強く結んだ瞼は視界を閉ざし、余計に鮮明に聞こえる空のエンジン音が耳朶を打つ。次に目を開いたその時、目の前には黒光りする爆弾があって、まさに炸裂する瞬間。そんな実感を伴った恐怖が、身体全体をぞわぞわと這い回って離れなかった。
……でも。如月は別の感覚があった。閉ざされた視覚以外に、鼓膜をかき鳴らす艦上機の音以外に、目の前の背中を抱く腕。
「如月を、イジメるなあああああぁぁぁぁぁ!!!!!」
そこから睦月の、その威勢とは真逆の震えが伝わってきた。
「(……睦月。如月をこわがらせないようにがんばってるけど、ほんとは、睦月も……)」
その優しい虚勢は、何よりも如月を勇気づけるものだった。
「……睦月」
震えは止まらない。それでも、如月は瞑った目をおもむろに開く。
「如月も、ぜんぜんつよくないけど、でも睦月をまもりたい。だから……!」
睦月の隣に並んだ如月が、同じように機銃を掲げた。2挺の対空機銃が鋭く空を睨む。
「ひこうきはこわいけど……如月も、睦月といっしょにがんばる!」
「……! うん!!!」
睦月の顏に満面の笑顔が咲き、大きく頷く。
「……あ、あれ? む、睦月。ちょっと、まって……」
震えを押し殺しながら目を凝らした空。近づいてくるその航空機を、如月は見たことがあった。その複翼はその時と違って、おもちゃの羽ではなかったけれど。
「睦月、たぶん、たぶんだけど。あのひこうきは、てき、じゃない……」
「えっ、どういう……」
『そこの駆逐艦たち。我らが信仰する博愛の神の名に誓って、危害は加えない。どうか銃を下ろして欲しい。そしてあなたを率いる機動部隊本隊よ、傍受しているのなら聴け。これは空母エンタープライズより発艦した航空機から拡声して話している。そう、あなたがたがグレイゴーストと呼ぶ空母から、だ』
複葉機の編隊、その1機から声が響き下りてきた。如月の言葉に戸惑う睦月の機銃は空を睨んでいるが、編隊は攻撃の素振りを見せない。声は続けて降ってくる。
『これは小さなあなたへの警告ではなく、あなたの背後にいるものへの警告だ。私の攻撃隊は既に発艦し、迎撃態勢の態勢は整っている。この方面に航空戦を仕掛けることをお勧めしない。素直に手を引くのならいい。そうでなければ……あなたたちは再び、「魔の五分間」を体験してもらうことになるだろう。
……さて、待たせてしまってすまない。我らの基地の捕虜であった駆逐艦と、その友達だった駆逐艦のあなたに、指揮官から伝令だ』
拡声器の向こうから、一度言葉を切る気配があった。そして、次に紡がれた伝令は、その言葉は。
『私たちの仲間になって欲しい。君の大事な友達と一緒に、たくさんのアメさんをごちそうしよう』
ただ、二人がずっと仲良しでいられるだけの、福音だった。
「……睦月!」
如月が手を取った。もう二度と離さないと、ぎゅうっと握りしめた親友の手を。
「……いこう!」
目にはいっぱいの涙を湛えていた。頬は涙が伝った跡がたくさん残っていた。けれど、睦月を見つめる彼女は、
「……うん!」
満面の笑顔だった。
⚓ ⚓
『……あなたたちは再び、「魔の五分間」を体験してもらうことになるだろう。』
「……は?」
「バカな、なぜここに奴が……。まさか、明石殿……」
その航空機の読み通り、機動部隊本隊にその声は届いていた。
「姉さま、睦月型の攻撃は中止しましょう。挟撃は警戒すべきですが、敵の弁を信じれば、こちらが手出ししなければ撤退する筈。奴の性格なら、自身の言葉を反故にすることもないでしょう。先程、瑞鶴らしき部隊が結界に侵入した気配がありました。その迎撃に全力を……」
「……零―ゼロ―、全機発艦準備」
低音で短く告げる赤城。
「……姉さま? なにを……」
加賀の耳に、ギチリ、ギチリというが聞こえた。それは、歯牙を砕かんとばかりに噛みしめた、赤城の歯噛みであった。
「この赤城を恥辱に沈めた奴を……同じ屈辱を味わわせてやる、グレイゴーストオオオォォォ……!!!」
複数の尾がまとめて逆立ち、煌々と燃え盛る狐火が飛行甲板を覆う。やがて火は航空機の形をとり、甲板に並び立った。
「姉さま、冷静になってください」
「必ず撃滅せよ、零―ゼロ―、はっか……」
「……赤城!!!」
加賀が一喝する。空母に改修されてから滅多に声を荒げなかった加賀に虚に赤城が怯んだ。赤城の周囲で燃え盛った狐火が消沈していく。
「……なぜ止めるのです、加賀。あの亡霊は我らが仇敵であり、宿業。あれを撃滅しなければ、運命の呪縛から逃れられないのですよ」
「存じ上げています。ですが、今はその時ではありません。瑞鶴は強敵です。ここはカミの招聘に死力を尽くしましょう。攻勢に転じるのはその後でも遅くない筈」
「…………。零―ゼロ―、戻りなさい。中断した魚雷換装作業を再開しなさい」
「……英断に感謝します、姉さま」
舌打ちしながら、赤城は加賀に背を向け“ヤシロ”に向かった。
「……悔恨に喘ぐのは姉さまだけではありません」
加賀が一人、ごちる。
「……私は、あなたの背中を見て冷静さを学んだ。策を練り、そして相手の策を思索することも。ですが、一時的に踏みとどまることができたとしても、私の根底を成す性分は変わらないようです。だって、私はこんなにも……」
火が、灯っていた。彼女の周囲を取り巻く青い火は、ごうと噴き上がって炎となる。
「いつか奴と戦い、徹底的に叩き潰してやりたいと、そう思ってしまうのだから……」
冷静に見える青は、赤のそれよりもより高温で燃え滾っていた。
⚓ ⚓
「あの子……如月から撤退を伝える通信があった。説得は成功したようだ。本当に助かったよ。エンタープライズ」
「ああ。……しかし、分からないな。あれはあなたから発艦したソードフィッシュだろう。なぜ私に説得を任せたんだ?」
如月の護衛として追従していることは、如月自身には伝わっていない。スコールに飛びこんだ如月を認め、遮二無二に後に続いたのはアークロイヤルだった。アークロイヤルはスコールを抜けてすぐに艦載機を発艦。遅れて到着したエンタープライズに説得を要請したのだった。
「重桜の機動部隊、赤城と加賀はあなたに因縁のある相手だと踏んだのだ。嵐を抜けてすぐに発艦できる編隊は少数、奴らがもし迎撃にきたら勝ち目はないのは分かり切っていたことだ。なんとか相手を威圧し、撤退を決断させるには私の言葉だけでは足りなかっただろう」
「しかし平静を失い、こちらに攻撃をしてくる可能性もあった。因縁が強ければなおさらそうなることも考えられたわけだが……」
「そこは敵機動部隊の指揮が賢明で、別部隊の迎撃に当たることを信じた。そしてなにより……」
アークロイヤルはエンタープライズを向き直り、ニッと笑んだ。
「あなたの幸運に賭けることにしたんだ、ラッキーE」
「……とんだ買いかぶりを受けたものだ」
エンタープライズが肩を竦めると、アークロイヤルは声を上げ、豪快に笑う。
「あなたは誤解されやすいが、子供たちを助けることに真摯だった。子供たちを害するのはあなたのような者ではなく……戦争という国家の軋轢に巻き込んだ、我々のような身勝手な大人なのかもしれないな」
エンタープライズは自身の両手に目を落とし、続ける。
「正義を成すためと、いくら取り繕ったところで、戦争に参戦した我々の手は既に血で塗れている。巻き込まれた、子供達もだ。いくら購っても拭いきれるものではない。それでも私は、私の信じる正義を貫いてきたつもりだ」
「正しいものが何かなど、誰にも分からないさ。だが、今回に至っては私は正しかったと胸を張ろうと思う。見ろ、エンタープライズ。正しくあろうとした私達の行動が結実した結果が、あの子達だ」
水しぶきを上げながらアークロイヤル達に向かってくる、二つの小さな姿があった。その小さな手は、しっかりと繋がれていた。
次回が最終回になる予定です