「あの、その……あうぅ……」
その日名前を授かったばかりの幼女は、矢継ぎ早に押し寄せる未知の場所やモノで、頭がパンクしそうであった。
如月の疑問はまずそこからだった。彼女片手で足りるか足りないかという年齢であることを差し引いても、如月の知らないことはあまりにも多い。
「どうしたですか、そんな所に突っ立って。まだお湯に入ってないのに、のぼせたです?」
「あの、あやなみ、さん。ここ、どこ? わた、、如月は、どうすれば……」
「ここはお風呂で、如月はお風呂に入るです。大分、汚れてましたですから」
「え……お風呂って、おっきな缶にお湯を入れたのじゃ……。如月、入ったことない、です。お水で十分だって……」
「それなら尚更、お風呂入るです。清潔にした方が気持ちがいいです。サッパリしたら分かるです」
持たされたタオルをぎゅうっと抱きながら、不安げに大浴場のタイルを見渡す如月。その小さな手を、綾波と呼ばれた少女が掴む。
綾波型駆逐艦のネームシップ、綾波。彼女の持つ『鬼神』の異名に反して、その肢体は白く華奢である。だが、その頭部には他の重桜の艦とは異なる、機械仕掛けの2本のツノがあった。単艦で突撃し戦艦をも怯ませるその戦闘スタイルの凄まじさは小さき鬼そのものであり、そのツノはまさに鬼神の象徴であった。
今日も綾波は戦場で大戦果を上げ帰投し、身体に染みついた火薬と潮の臭いを落とそうと浴場に向かっていた際、蒼龍に呼び止められたのだった。まだ一人で入浴も難しい新兵の世話の為に。
「じゃあ、ここ。早く座るです。お湯に浸かる前は身体を流してから。マナーなのです。はい、目、閉じて」
「え、何……ひゃっ……!」
湯椅子に座らされた如月の返答を待たず、小さな身体に湯をかける綾波。幼女にとって身体を洗うことは、冷え切った井戸水を粗雑に頭からかけられるもの。痛みさえ錯覚するような冷水の感触に身構えていた如月は、温かな湯が全身を伝う感覚に戸惑うこととなった。
「ミミ、縮こまってるです。怖くないです。大丈夫」
怯えで俯く如月の耳を撫でると、彼女の全身がくすぐったそうに小さく震えた。
「フサフサ……。可愛いミミなのです。綾波のは怖がられて誰も触ってくれないから、羨ましい」
「……でも。如月は、あんまり好きじゃない、です」
「どうしてなのですか?」
耳は俯き、しっぽは股を潜って丸まり、眉を寄せる。
「如月のは、“ちくしょう”の耳としっぽだから……。如月には“ちくしょう”って何か分からないけど、みんなすごく嫌そうな顔をして、そう言うから……」
お前は矮小な存在なのだと。醜く劣った存在なのだと。皆が、口で、視線で、表情で。彼女の自尊を殺いだ。彼女にとって自分を肯定する言葉、それは、向けられてはいけないものだ。幼い知能は、そんな余りにも悲しい学習をしてしまっていた。
「皆と違うから、公然と侮蔑する。畜生は、どちらなのですか……」
「え……? わぷっ……」
如月の訊き返しは、頭から湯桶をひっくり返す綾波に遮られ消沈した。
「頭を洗うから、今度こそ目を閉じるです。シャンプーが目に入ったら痛いのです。綾波がその埃まみれの髪をわっしゃわしゃにして、本当はキレイなその髪の化けの皮を剥がしてやるです」
「え、あの、綾波さん。如月の髪に何つけてるの? どうなってるの、このふわふわしたのって、」
「目、開けたらダメと言ったです。おとなしく綾波にわしゃわしゃされるのです。……如月は、自分が思っているより、いいとこいっぱいあるです。きっと今まで、誰にも褒められなかったから分からないかもしれないけど、いつかきっと、如月を好きになってくれる人がいるのです。いつか、きっと……」
「…………」
綾波の呟きは如月に向けた言葉であり、自身に向けた祈りでもあった。このおぞましくそそり立つ人工のツノを、いつか誰かが可愛いと言って撫でてくれるような、夢見がちで、有り得ないと高を括った少女の祈り。
けれど、そんな純粋な祈りの意味を、未だ誰にも愛されたことがない幼女には理解ができなかった。
2話目から欲情ダダ漏れのお風呂回という、なかなかにパワーのある構成になったと自負しています。浴場だけにね。ガハハ。
なんだか今後の活躍が期待できそうな綾波さんですが、如月ちゃんのお話なので彼女の出番はここで終わりです。綾波ファンの皆さん、本当にすいません。次回作にご期待ください。あるのか分からないですけど。