如月たちが演習の帰途についているとき、まだ日は高かった。抜けるような青空を鏡面の如く映し出す蒼い海は、如月の心境とは真逆に美しかった。例え不自然なくらいに空っぽの胃の不快感が残っていても、例え胃酸が焼いた喉が火傷のような熱さを保っていても、例え目に焼き付いて離れない光景が心を黒く汚しても、世界は何も変わらない。世界の誰か一人を慮って、空は涙の代わりに雨を降らせたりはしない。虚ろな心を黒く塗りつぶすように、黒雲を呼び寄せたりしない。激情を鼓舞するように雷雲を呼び寄せたりしない。無慈悲なほど平等に、快晴で在り続けるだけだった。
談笑しながら如月に先行していた神風たちが船速を落しているのを如月は認めた。1隻の艦船が如月たちの方角に向かって航行していた。神風たちが停止し、向かってくる艦船に敬礼しているの見て取り、如月も虚ろな目と緩慢な動作でそれに倣う。
「お疲れ様です、加賀殿」
「ああ、ご苦労」
白羽織と青藍色のスカートの間、帯代わりに装着された艤装の中心には菊の紋を掲げ、とりわけ印象的なのが新雪のように真白い髪、額に留めた狐の面、狐耳、……そして、複数の尾。九尾には満たずとも、伝説の大妖怪を彷彿とさせるその艦船こそ、重桜の常勝を支える機動部隊の1隻、正規空母・加賀であった。
「加賀殿、こちらは演習場ですぞ。先程演習を終え、帰投するところですじゃ。この先は標的に使った練習艦があるのみ。艦はのちほど片付けておきますゆえ……」
「いや、その件で来た。どうせ沈めるのなら、‐玖玖‐の急降下爆撃の練度を上げたい。その練習に使わせてもらおうと考えてな」
「そうでしたか。であれば、遠慮なくお使いください」
「そうさせてもらう。沈めるまで使う予定だから、処分用の雷撃艇は不要と伝えておいてくれ。ところで……」
神風たちと会話しながら、加賀は如月を一瞥する。視線を感じ、ピクンと如月の身体が震えた。
「筋の良い新兵がいるようだ。少し話がしたい。お前たちは先に帰投していてくれ」
「はい、それでは失礼させていただきます」
神風たちが再度敬礼し、如月を残して港の方角に去っていく。
「……」
加賀は無言で如月に向き直り、その小さな姿を見下ろしていた。
「……あの、」
「砲を撃ったその時、お前は弱者を殺めた感覚があったか?」
「……!?」
如月の戸惑いを遮るように、加賀が鋭い言葉が告げる。
「ぅ……く、ぁ……」
瞬間、脳裏にあの光景がよぎり、如月は思わず口元を押さえていた。
「……艦隊決戦はあまり私の性には合っていない。砲雷撃戦も、航空戦も、弱者を蹂躙した感覚が希薄だからな。だが、お前のようなものには好都合なのかもしれない」
「……ハッ、ハッ。……どういう、ことですか?」
自然と荒くなった息を必死に抑えながら、絞り出すように如月が尋ねる。
「……公平も正義も強き者にのみ享受できる。弱き者はただ虚しく、すすり泣きをするだけよ。……この世は弱肉強食。強者のみが弱者を蹂躙し、強者のみが世の理を形作る権利を持つ。弱者のままであるなら、我らはあらゆるものを奪い尽くされるだろう」
「おおかみさんに、ですか?」
光沢が失われた目が加賀を見上げ、ポツリと漏らす。
「……ふむ。まあ、そのようなものだ。だから、我らは常に強者の側であり、征服者の側でなければならないのだ。だから……」
紺碧の釣り目が幼い兵士を見据えながら、加賀は続けた。
「お前は蹂躙する側になれ。さもなくば、全てを喪うことになる。砲は、魚雷は。刃で肉を斬った感覚も。槌で頭蓋を潰す感覚を持たずとも強者になることができる。早く慣れて、重桜の為に尽くせ。それだけだ」
そう告げて、加賀は練習艦の方角へ去っていった。
「……私もヤキが回ったか。幼子に理解できることでもあるまいに」
ポツリと、小声で独言を漏らしながら。
「……」
独り残された如月はすぐに母港に帰還する気も起きず、呆然と視線を上げ、ただただ青い空を見上げていた。
そういえばアズレンの重桜イベント『縹映る深緋の残響』をやったんですけど、シナリオがとても良かったですね! 戦艦加賀、カッコイイ! 偶然ではありますが拙作でも空母の方の加賀さんが初登場です。プロットはこのイベントをやる前に作ったので戦艦時代のお話を絡められるかは分かりませんが、積極的に取り入れていきたいですね。