ジリリリリリリリリ、とスマホの消えていた画面がパッと明るくなると音が鳴り響き始めた。リビング兼寝室の部屋に響き、こだますように台所、玄関へと渡っていった。
「ヤー、ヤー」
その起床するためなら手段を問わない爆音の中に、ポヨーン、ポヨーンとボールが跳ねるような音と寝ている者を起こそうと呼ぶ高い声が存在感と共に混じって現れた。
ん・・・・、とほとんど睡眠状態で、顔だけ布団から出ている結月ゆかりは手をスマホを模索するようにすっと布団から伸ばした。何度も床をバシっ、バシっと叩き、スマホの位置を確認し、ようやく画面をタップしてアラーム音を止めた。そして、二度寝を始めたのか全く動こうとしなかった。
その様子を2.3分程黙って見ていたセヤナーは、ヤー?あれ、起きないの?と確認するように声に出し、全く起きようとしないので、痺れを切らしてセヤナーはゆかりの顔面に、ヤー!と高らかに自らを鼓舞しながら飛びかかった。
ゆかりは一瞬とはいえ、突然窒息状態になったため、顔面に飛びかかったセヤナーをもだえながら餅を引っ張るように引っぺがした。すぐに肺に呼吸を送り込み、わっ!えっ、何!?と困惑し、ままならない視界でそれがセヤナーだと分かると、はぁーと安堵のため息をついた。
「何だ、セヤナーちゃんか。驚かさないでよ。何か虫でも付いたのかと思った」
ヤー?自分はただ起こしただけだと疑問を投げかけると
「そうだね、起こしてくれてありがとうね、セヤナーちゃん。虫なんて言ってごめんね」
ゆかりはふふ、と手にちょこんと載せているセヤナーに頬のゆるみと共に笑みを見せた。
「エビフライー!」
セヤナーはぽーん、ぽーんとゆかりの手の上で跳ね、謝罪も兼用した朝食の品をねだった。
「うん、すぐ朝ご飯用意するから、待っててね」
カーテンで陽の光が遮られた暗い部屋の中で習慣された位置関係を察知して、台の上にセヤナーをそっと置き、ゆかりは布団から起床した。
カーテンを開けるために窓の方に向かうとしたが、足元に散乱しているのであろう障害物で思うように、ささっと進むことが出来なかった。衣服の感触や厚い本のようなものに足を踏みこむ感覚に若干の嫌悪感を認識しつつ、窓のカーテンを開けた。
陽の光が、すーと部屋の中に入り込み、しぼんでいる瞳には刺激が強くゆかりは思わず、まぶし、と手で光を遮った。その後、段々と目が慣れてくると後ろを向いた。
この家の状態が感覚ではなく、視覚による認識へと変わった。読みかけの本がページを開いたまま転がり、衣服も脱いだままハンガーにかけずに床に置いたままになり、台所も洗い物が積み重なり、ここからは見えないが洗面所にも洗濯物が塔のようになっているという状態だった。
ゴミ屋敷と表現するには過剰だが、部屋が大いに散らかっており、ずぼらな生活をしているだろうという表現が合うだろう。
ゆかりはセヤナーがいるからこそ、この状態にため息をつき、謝罪の言葉を並べるように口を開ける。
「セヤナーちゃん、家に来て、三日?四日だっけか?嫌じゃない?こんな散らかり放題の家で」
ヤー?いいや、全然。と首を傾げてるようなその反応にゆかりも、えっ?嫌じゃないの?と思わず聞き返してしまった。
「ヤデー!」
気にしないでー!とピョーン、ピョーンと台の上で跳ねる様子を見て、ゆかりはカーテンの山、谷、となっている山の部分をきゅっと掴み
「ありがとうね、セヤナーちゃん。今、エビフライ作るから、待ってて」
「ヤデー、エビフライー!」
跳ねるセヤナーの横で、ゆかりは慣れたように足元の散乱した私物を避け台所に向い、底に衣が沈殿している油の入ったフライパンに火を点けた。次に足元の位置にある冷凍庫から冷凍されたエビフライを取り出し、前屈みになり閉めた。エビフライを調理する合間に顔を洗ったり、着替えをしたりと仕事へ行く準備を始めた。
あらかた準備を終えたゆかりは綺麗なきつね色に揚がったエビフライを三本皿に盛り、どうぞ、とセヤナーの前にそっと置いた。
どういう原理か、マジシャンがする風船食いのようにエビフライが垂直に立ち、ヤー!という掛け声と共にセヤナーの口元から中へと入っていった。そして、ぷっ、と衣まで取れた尻尾が口元から宙を飛び、皿に戻った。
ゆかりはセヤナーの横で右手は上で両手を交差して台の上に置き、その様子を見守るように眺めていた。どう、美味しい?とゆかりが聞いてみると、ヤデー、美味しいよと返事がきた。
「あ、もうこんな時間。それじゃあ、私行ってくるから、お留守番よろしくね。食事は基本的あげなくて大丈夫って、葵ちゃん達が言ってたからいつもみたいにお昼はないけど、帰ったら夕ご飯一緒に食べようね」
「セヤナー」
二本目のエビフライを垂直にし、夢中になり食べながら、そう返事をした。
トートバッグを右肩に掛け直し玄関で靴を履き、行ってくるね、と言い家を後にした。
その時のゆかりは私にはこれぐらいしか出来ないからという無力感からくる悲しみを帯びたような微笑みをしていた。ちょうど、セヤナーが二本目のエビフライの尻尾を皿に出した所だった。その表情に、ヤー、と思い当たる節があるように言いつつ、玄関の方に意識を向けた。
玄関の扉が閉まり、鍵が閉まり、靴の音が床に響き階段をた、た、たと降りる途中まで結月ゆかりという存在をセヤナーは感じることが出来ていた。その間、三本目のエビフライは食べずに玄関を見つめていた。段々と細くなっていく、ゆかりの足音が聞こえなくなってもしばらくは玄関の方を見ており、自身が一人になったのだと認識すると三本目のエビフライを垂直にし始めた。
私物がこれでもかと散らかった部屋の中でセヤナーはここ数日の結月ゆかりのことを思っていた。涙という表立った悲しみを表現することはなかったが、元気がないという印象を受ける場面は何度もあった。その姿を間近で見ていたセヤナーの感情は激しき揺れ動き台から、ヒュンと床に降りた。
「ヤー!!」
獣のような咆哮と同時にセヤナーは全身から光を発し始めた。
最初の変化は膨張であった。手の平サイズだったセヤナーの体は空気が入っていくように段々と膨らみ、2メートルほどの球体になるまで大きくなった。
そこから腕、足が生え、まさしく男性よりの筋肉質な人の形そのものへと変化を続け、人間の顔の部分はセヤナーという2メートルほどの人形が誕生した。
「セヤナー!!」
その高らかな産声と共に人の形を模したセヤナーは行動を始めた。
決して異様なことをし始めたという訳ではなく、始めたのは部屋の清掃であった。まずは布団をたたみ、脱ぎっぱなしのパジャマをたたんで隅に置いた。散らかった私物は許可なく捨てるわけにもいかないので取りあえず一か所にまとめ、明らかなゴミはゴミ袋の中へと入れ、脱ぎかけの衣服は洗濯機に入れ、散々溜まった洗濯物も一緒に洗濯機で回し、それが終われば洗濯物を干し、台所のお皿やコップ等を洗いと、ごく普通の家庭的なことをセヤナーはせっせとしていたのだ。
あらかた片付いた部屋で埃がかぶっていそうな掃除機をかけている時であった。
ピンポーン、とチャイムの音が部屋に突然響いた。人間的常識が若干欠けるセヤナーは2メートルを超えるその長身の姿で、ヤー?何だろう、と疑問符一つ作るだけの反応であった。
「あのー、ゆかりさん。葵ですけど、セヤナーの様子をちょっと見に来たついでに来たんですけど、調子どうですか?出てこれますか?」
セヤナーはその2メートルの長身を使いこなすように掃除機の電源を止め、掃除機を部屋の隅に置いた。玄関の方へズシ、ズシと重い足踏みをしつつ進み、玄関の鍵を開け、扉を開けた。
キーと鈍い音と共に扉が開き、本来見えるであろう結月ゆかりの姿を早く見ようと琴葉葵は横から顔をのぞかせ、声をかける。
「あ、ゆかりさ・・・」
「アオイー」
「・・・え?」
今までもぼさぼさの髪でパジャマ姿という、到底来客の格好ではないゆかりを見たこともある葵であったが、こんな光景を見たことは今までなかった。玄関に現れたのは顔だけがセヤナーで2メートルほどの身長を持つ、マネキンのような人だったのだ。
葵はすぐさま、セヤナーの腕を掴み部屋の中へと連れ込んだ。うわぁ、何これ、重、とセヤナーの筋肉質な腕を必死に引っ張り、リビングに正座させた。
「もう、セヤナー!人の姿にはなっちゃダメって、いつも言ってるでしょ!」
葵は腕を組み、仁王立ちで口から赤い稲妻が出ているように声を上げた。正座をしても、葵の背丈ほどあるセヤナーは腕を膝に置き、頭を少し下げて黙って聞いていた。葵はもうー、としぶりながら周りを見渡す。明らかにいつもの結月ゆかりの部屋の状態ではなかったのはすぐに分かった。
「これ、セヤナーがやったんでしょ!どうするの、ゆかりさんが帰ってきたら。誰がこんなことしたんだって不安になるでしょ!?」
「アオイー、デモナー、ウチナー」
幼い子供がする悪戯の謝罪のような上目遣いでセヤナーは訴えかけていた。葵もその姿を見て、それなりの思いからこの行動をしたんだろうと、ふー、と自身を落ち着かせるように息を吐いた。
「セヤナーもゆかりさんのこと心配だったんだよね」
「セヤナー」
頷いているように細々とそう答えた。
「彼氏に振られてから、こんな風に生活がマキさんみたいにずぼらになっちゃって、お姉ちゃんもマキさんも私だって、心配してたんだよね。皆ゆかりさんには感謝してるし、早く元気になってもらいたくて気分転換のつもりでセヤナーを渡したけど、セヤナーも心配してたんだね」
組んでいた腕は脱力したように下ろされており、表情も柔らかくなっていた。
「分かった。今日のこれは私がやったって置き手紙書いていくから」
「アオイー!」
セヤナーは長身をズシンと音を鳴らして、立ち上がらせ彼女の名を呼んだ。
「ん、どうしたの?」
葵はうおっ、とその巨大なセヤナーの反応にまだ慣れないようで少し肩を震わせて、驚きつつ引き気味に聞いた。
「ウチナー、エビフライー、アオイー、ヤー!」
セヤナーは台の上に置かれた尻尾だけ残った皿を指差しながら、何を伝えようとしていた。え、何が言いたいの?と理解出来ていない様子の葵にセヤナーは何度も、エビフライー、ヤデー、とお皿を指差していた。
「えーと、エビフライ作ってくれてありがとうって、ついでに書けばいいの?」
ほとんど投げやりで葵が聞いてみると、どうやらそれで良かったらしく、セヤナー、正解だと意思表示をしていた。
「分かったよ。そうだ、ついでに皆が心配してるってことも書いておこうか」
「ヤデー、ヤデー、セヤナー」
その夜、コンビニのお弁当と飲料が入った買い物袋をバッグの中に入れ、結月ゆかりは仕事から戻ってきた。
鍵が開いていることを不審には思ったが、セヤナーがいるから泥棒に入られたという危惧はしなかった。おそらく鍵を閉め忘れたのだろうという結論にすぐ達した。
家に入り、電気を付けると、え、え、え?とひたすら困惑、むしろ恐怖に近い感情にゆかりは襲われた。部屋が片付いているのだ。台所に積まれた物も全て棚に戻り、リビングの私物も全て片付けらており、まるで違う家に入り込んだのではないかという不安すら覚えるほどであった。
恐る恐るリビングに入ると、座布団の上で、すやー、と呼吸のように全体が僅かに伸縮するセヤナーがおり、机の上に手紙が一つと尻尾だけ残されたお皿が置かれていた。
「あはは、セヤナーちゃん、ちゃんとエビフライ全部食べたんだ。これ、何だろ」
ゆかりは手紙に目を通し始める。
ゆかりさんへ、葵です。自宅の状態に驚いたと思いますが、セヤナーの様子を見ようと寄りに来たついでに簡単に部屋の片づけをセヤナーと一緒にさせてもらいました。鍵は外からセヤナーを呼んで、外させました。ホント器用ですよね(笑)
実はセヤナーがエビフライを作ってくれて、ありがとうと伝えて欲しいと言ってたんです。それで、お姉ちゃんやマキさんや私もいつもゆかりさんには感謝してるってことも一緒に伝えようと思ったんです。いつでも私達はゆかりさんのことを大切に思ってますよ。無理はしなくていいですから、ゆっくりでも少しずつ元気になったら、また一緒に遊びに出掛けたり、お買い物とかしましょうね。またお邪魔しに行きますから、その時はよろしくお願いします。
葵より。
その手紙につづられた思いを噛みしめながら、ゆかりはしばらくその場を動くことが出来なかった。意識が手紙や葵達に全て向いてしまっていたのだ。
「ユカリー、ウチナー、エビフライー」
その言葉にゆかりは耳を疑った。手紙を握りしめ、充血した瞳のまま横で寝ているセヤナーの方を反射的に向いた。
「え・・・?今、私の名前」
セヤナーはしゃべる言語が限定されており、「ユカリ」という名前を呼ぶことはないのだ。伸縮を繰り返しているセヤナーに注意深く意識を集中させると、また寝言のように声を発し始める。
「アオイー、ウチナー、エビフライー」
「あはは、何だ、聞き間違えか。やっぱり、私疲れてるんだな。今日はありがとうね、セヤナーちゃん」
そう言って、ゆかりは手紙をバッグの中にしまうと、化粧を落とし、夕食を取り、入浴と流れ作業のようにしなければならないことを済ませると、早々に寝てしまった。
これはある日の琴葉姉妹の会話である。
「なぁ、葵。セヤナーってエビフライって言うやん?あれって単純にエビフライを食べさせてくれって意味だけなん?」
寝室のベッドの上で寝転んで漫画を読む琴葉茜は隣でスマホを体育座りで眺める琴葉葵に雑談の一つとして聞いてみた。
「え、違うよ。それだけじゃないよ。お姉ちゃん、知らないの?」
顔を上げ、葵は得意げにそう答えた。その態度に茜は少し不機嫌そうに答える。
「知らんわ。セヤナーは葵に懐いとるし、うちはあんまりセヤナーのことは知らんし、それに今はゆかりさんのとこやろ?確かめたくても、出来へんし」
「確かにそうだね。あのね、お姉ちゃん。セヤナーがエビフライって言う時はエビフライを食べさせて欲しいってだけじゃなくてね。・・・・・・・んだと思うよ」
その間に語られた内容に茜は大して、興味なさそうにへぇー、そうなんや、初めて知ったわ。と漫画のページを一ページめくった。<了>