うららかな春の日差しが僕の頬をやわらかく照らす。普段ならこの時間帯、僕は執務室ないし指令室で仕事をしているのだが、今日は休暇を取ったため、僕は部屋でゆったりとくつろいでいた。
……少し気分転換にでも、港を歩いてみようか。なんとなくそう思い立ち部屋を出た。
外に出て、コンクリートの地面をゆっくりと歩いていく。聞こえる波の音と、磯の香。どちらも慣れ親しんだものではあるけど、何度触れ合っても心が安らぐのを感じる。
暫く磯風にあてられながら散歩をしていると、億劫そうに釣り糸を海に垂らして、虚空を見つめている少女を見かけた。邪魔をするべきではないのだろうが、僕はつい気になって声をかけてしまった。
「やあ江風、釣りをしているのかい?」
「ああ。釣りは好きだからな」
「へぇ、どうして?」
「頭を空っぽにして、何も考えなくていいからな」
頭を空っぽにするのなら、僕は邪魔になるだろう。
「そっか。邪魔して悪かったね、それじゃあ」
そういうと彼女は声をかけることなく、再び海のほうを向いて、どこかへと視線を向け始めた。
それから今日の休暇は何をするでもなく退屈に、つつがなく終えた。
今日も港のほうに行ってみようか。今日は先週とは違って、しっかりと目的もある。
思い立ったが吉日という先人の言葉を信じて、質素な釣り道具を手に取り部屋を出た。
また同じ道をたどり、また同じ景色を見る。勿論、その景色の中には白い髪の少女も居る。
邪魔をしては悪いと思い、何も言わずに彼女とある程度距離を置いて釣り糸を垂らす。
「あなたも釣りか?」
彼女がそう話しかける。
「君がしているのを見てね、思い立ったんだ」
僕も彼女に短くそう返す。
「そうか」
彼女のその台詞を最後に、会話は途切れる。
カモメが鳴く音、波が打ち付ける音。波に揺れる太陽、時々見える少女達。
成程、彼女が釣りは楽しいと言っていた理由が分かった。普段は目にも留めないような些細な光景を、景色を、文字通り頭を空っぽにしてこうして味わうのが、彼女の言う釣りなのだろう。
「指揮官、引いてるぞ」
「え?あっ……逃げられたな。なかなか難しいね」
「慣れないうちは誰だってそうだろう」
「そうだね」
また釣り糸を垂らして、ぼうっとする。
「……楽しいな」
気が付くと、そう呟いていた。
「変わってるな」
「そうかもね」
また訪れる静寂。
こうして今日の休暇は有意義なものとなって終わった。
今日も彼女はいるだろうか。ここ最近の休日の昼下がりは、よく彼女の隣で釣りをしていた。今日も同じように、釣りをしに港へと赴いた。
同じ道、同じ景色。同じ場所に座る彼女、その隣に座る僕。
何も変わらない、恒常性のようなものさえ感じられるような日々。
「ねえ江風、戦いってさ、無くなると思うかい?」
恒常性、それは僕の本業にも当てはまるような気がして。
「何をつまらないことを……無くならない。戦いが終われば、また次の戦いがあるだけだ」
彼女もまた、そう考えているようで。
「いつか、終止符を打ちたいんだ」
でも僕はそんな恒常性より、もっとあたたかなものが欲しくて。
「絵空事を」
それは未だ絵に絵空事で。
「……そうかもね」
もし戦いが無くなれば彼女の、彼女たちの存在意義は何になるのだろう……と、頭を空っぽにすることが目的なことを思い出して、思考をかき消す。
そしてまた釣り糸を垂らす。
またぼうっと、時が過ぎるのを感じる。
「引いている」
「あっ……あぁ、惜しかったな……」
「また繰り返せばいい」
「そうだね」
今日も魚は釣れなかったが、有意義な時間ではあったと思う。
今日は雨が降っていた。正午辺りから雲行きが怪しくなって、それから2時間ほど経ち、とうとう雨粒が落ち始めた。今日は釣りに行くのをやめようかと思ったけど何となく、彼女は釣りを続けているような気がして。僕は傘を2本持って扉を開けた。
虫の知らせ、というのだろうか。彼女は雨に濡れながら釣り糸を垂らしていた。
「風邪引くよ?」
「雨に当たりたい気分なんだ」
「……そっか」
そういうのなら、僕は引き留めない。幸い雨足は弱い、僕も傘を閉じて、いつもと同じ距離感のところに腰を落ち着けて釣り糸を垂らす。
「……何故あなたまで、雨に当たる」
そう、彼女が問いかける。
「僕もそういう気分になったんだ。変な奴、だからね」
そう僕は返す。
「……そうか」
それから暫く釣りを続けていたが、次第に雨足は強くなり始めた。流石にこのままでは本当に風邪をひいてしまう。だが僕も、恐らく彼女も釣りを続けたいのだろう。
おもむろに彼女の隣に移動して、傘をさして座る。
「……何を」
「風邪をひかれたら、流石に困るからね」
「……」
それは僕の本心だったけど、核心ではなかった。
それから波が荒れ始めるまで釣り糸を垂らし続けた。帰るときは別々の傘を使ったのが、心残りだった。
時が流れるのは早いもので、気付くと木々は瑞々しい葉を茂らせていた。
時が流れるのは早いもので、気付くと僕は彼女に惹かれていた。
釣りに行く動機も少し変わっていた。
けれど休日に釣りに行くということに変わりはなかった。
蝉の声が聞こえる中、彼女の隣で釣り糸を垂らす。
「あなたも戦を潜り抜けた身だろ?なぜ戦いをなくす、という絵空事を」
彼女がそう問いかける。
「戦いがない世界のほうが、ぼうっとできるだろう?」
最近は、そう思うようになってきた。
「……本当に、おかしな奴だ」
そこだけ聞くと、確かにおかしな奴だ。
「そうだね、僕はおかしな奴だ」
ぼうっとする時間が楽しいのは、彼女ありきのことで。
「……あ、また逃げられたよ」
「未だに1匹も釣れていないじゃないか」
小さく、彼女が笑う。
「君も似たようなもんだろ」
僕も、笑い返す。
釣れない釣りに意味はない。もしそうあげつらう人間がいたら僕は迷わず否定を突き付ける。
蝉の鳴き声はすっかり鳴りを潜め、空が高くなりつつある今日この頃。もう何の説明も要らない。僕は今日も彼女の隣で釣り糸を垂らしていた。いや、一つ付け加えるとするならば、座る位置が多少変わっただろうか。
涼しい風が肌を撫でる。
「私もこんな時間が続けばいいと、最近思うようになった」
独り言ちるように、彼女がそう話しかけた。
「でも、難しいんだよね」
僕も同じように、呟くように応酬を重ねる。
「だが指揮官は、そうなるように努めている」
敵を葬らせ、そうしてつかみ取るものが平和。古来より続いてきた営み。
「勝者にのみ平和は与えられる……僕は敗者にも、その一部を享受する権利があると思うんだ」
「だから私を、ここに置いているのか」
それ以外の不純な動機を、彼女は知らない。
それ以外の不純な動機は、いまだに明かせていない。
「考え事はやめて、釣りを再開しようか」
「……私はあなたを信じている」
「……そっか」
短い言葉。単純なものほど奥が深いように、単純な言葉のほうが感受できるものも多いらしい。
木々はすっかり葉を落として、寒々しい姿になっていた。外は冷えているが、今日も僕は彼女の隣に座って釣りをするために、港にいそいそと足を運んだ。
「そういえば、君のその恰好、寒かったりしないのかい?」
釣り糸を眺めながら、問いかける。
「……くしゅっ」
代わりに帰ってきたのは可愛らしいくしゃみだった。
僕は何も言わずに、彼女との距離を縮めて座った。肩と肩が触れ合い、じんわりと彼女の熱が伝わってくる。
「……」
「嫌だったかな」
「……」
「そっか」
「なあ、指揮官」
ゆらり、と釣り糸が揺れる。
「なんだい?」
浮が沈む。
「これからも、
蒼い瞳が語り掛けてくる。
「そのつもりだよ」
釣り糸に向ける目はもうない。
「なら、私にも、その夢を追わせてほしい」
釣り竿が引かれて海に落ちた。
「勿論」
「私は貴方の望む
「僕はその平和を君と釣りをすることに費やしたい」
僕らもまた、どちらともなく惹かれて、落ちた。
季節はうつろう。匂やかな春風がかざした左手を突き抜ける。
「いい天気だな」
「そうだね」
二つの釣り糸を眺める。
ぷかぷかと浮かぶ浮は未だに知らせを持ってきていない。
「釣れないな」
彼女はそう話しかけた。
「未だにね」
僕はそう短く答えた。
「でも、僕は釣られた」
「私も、そうらしい」
何も変わらない、恒常性のようなものさえ感じられるような日々。
戦いももしかしたら、変わらないままなのかもしれない。
でも、それでもなお。僕は釣りをしたいから。
彼女との愛しい時間を過ごしたいから。