一晩眠ると、戒莉はけろりとした顔で起きて来た。
ただ、朝餉はとらずに水だけ飲んでいた。もともと食が細い方なので、珊揮は特に心配はしなかった。
藍椋はあれやこれやと料理を並べ、まだ寝ていた方が良いのなんのと世話を焼きたがり、戒莉は少し苦笑いを浮かべていた。
戒莉は、迷惑だろうからとしおらしいことを言って、早々に舎館に移ろうとしたが藍椋はそれを許さなかった。
『戒莉をこのままひとりで舎館に泊まらせるなどとんでもない』
藍椋は戒莉の前に立ちふさがった。
女は分からない。珊揮は首を傾げる。
戒莉を初めて見た時の藍椋の様子に珊揮は気付かなかった訳ではない。明らかに懐疑的で嫉妬と感じられる、いやな目をしていた。
戒莉の具合の悪い様子に、つい近くにあった藍椋のところに寄ったのだが、しまったと思った時もう遅かった。藍椋は明らかに珊揮と戒莉の仲を疑っていた。それも無理はない。戒莉はぱっと見て、男には見えない。恋人の元に失神した女を連れて来るなど、あってはならないことだ。
珊揮は、つい聞かれてもいないのに「これは男だ」と説明した。そして相棒なのだと言ったが、藍椋の目は全く和らぐことがなかった。
仕方がないので、とりあえず戒莉を介抱することを優先した。
藍椋は部屋から出て行かず、じっと戒莉を見ていた。こう見えても戒莉は男なので、藍椋にはあまり見ていないで欲しかったが、彼女は不躾な程に戒莉を凝視していた。
藍椋の視線を気にしながらも、珊揮はなんとか戒莉の着替えをすませ、彼を寝台に横たえると、おそるおそる振りかえった。
と、そこに立つ藍椋は、嫉妬に乱れる鬼女から慈悲に満ちた聖母へと変貌を遂げていた。
その藍椋が、戒莉を舎館にひとりで泊まらせられないと言うのだ。それに従わない訳にはいかない。
「戒莉は何が好物なの?」
「何かな。あいつ、あまり食べないから」
「駄目ねぇ。だからあんなに細いのよ」
「私も何度も言ったさ。でも本人が食べないだから仕方ないだろ」
「そこを無理にでも食べさせるのよ。見てなさい、私が太らせてあげるわ」
と、言って厨房に張り切って入っていく藍椋の後ろ姿を、珊揮は頼もしくも恐ろしく感じたものだった。
目覚めた戒莉の声を聞いて、藍椋は「やはり男なのだ」と思った。
それは昨日の内に確認していたが、目が開いて、喋り、動くとそれは女には見えなかった。
藍椋は、料理に手をつけない戒莉にちょっと不満を感じていた。しかし、病み上がりには献立が重すぎたのかもしれない、と思い直した。
瞳の色は黒だった。髪の色と同じ漆黒の闇。昨日は何色でも似合うだろうなどと思ったが、今ではこの色以外に戒莉を飾る色はないように思えた。
「お茶はいかが?」
藍椋は声を掛けた。藍椋が勧めたのは特製の健康茶で、長年積み重ねた知識と経験の結実したものだった。
戒莉は、湯呑みに口を付けて一瞬目が泳がせたが、その後思い切りよく茶を飲み干した。
料理を食べないので、これくらいは……と、いう行為だったが、これが延々と続く無間地獄の始まりだったとは、戒莉は知る由もなかった。
「もう一杯、如何?」