「痛……」
玉葉は、小さくこぼした。
「どうしたの?」
杏玲は、姉の声に敏感だった。
「別に……指を針でちょっと刺しちゃっただけ」
白く、細い人差し指の先に赤い血が珠のように滲んでいる。
片目が見えないのには、もうすっかり慣れていた玉葉だった。針仕事のような細かい作業も、最近では難なく出来るようになっている。以前はしょっちゅうだったが、針で指を刺すのは久しぶりだった。
玉葉は、指先をうっとりと眺めていた。
……なんて綺麗
醜い自分の中にこんな綺麗なものが流れているなんて、妙なものだと玉葉は少し可笑しくなった。
「見せて」
杏玲は、玉葉の手をとりその血を布でふき取った。それでも血は、また沸いてきては玉葉の指を濡らした。
と、杏玲は何の躊躇いもなくその指をくわえると、血を吸った。
「……」
玉葉は、ぼんやりと妹のその姿を見ているばかりだった。
杏玲は、玉葉の指から血が止まったのを見ると布を湿したもので、さらに姉の手をきれいに拭った。
「血、止まったみたいだけど、何か巻いておく?また出てくるかもしれないわ」
杏玲は、ほっと一息ついて玉葉に笑いかけた。
「ええ、着物を血で汚したくないから」
今まで刺繍をしてきた絹の着物をちらりと見ながら玉葉は言った。
感情のこもっていない声は、自分でも驚く程だ。どうして、笑い返すことが出来ないのだろうか。
玉葉は、唇をすこし噛んだ。
血の味がした。
杏玲が白い布を裂いたものを丁寧に玉葉の指に巻いていった。
その手元に、玉葉の目がとまった。
杏玲の手は、毎日の農作業ゆえにごつごつとして、荒れていた。指は節くれ立ち、がさがさ。働き者の美しい手だ。
柔らかく、白い玉葉の手。指は、まっすぐで、長くほっそりとしている。重労働というものをしたことのない手。甘やかされた、醜い手だ。
「これでいい?」
布を巻き終わった杏玲が、また微笑んだ。
「ええ」
杏玲の笑顔は眩しくて、玉葉は礼の言葉をまた言うことが出来なかった。
杏玲の顔は陽に焼けて浅黒く、そばかすが浮いていた。
それにもかかわらず、杏玲は美しい娘だった。
杏玲が帰らない。
それに気を揉み始めたのは、まだ陽も傾く兆しを見せぬ頃だった。
昨日仕上げた着物を街まで届けに出掛けたのは、昼過ぎ。
はじめ、母はどこかに寄っているのだろうと、玉葉の心配性を笑っていた。
しかし陽もすっかり落ち、夕餉の頃になっても、杏玲は帰らなかった。
父母もそうなると、さすがに笑を忘れた。
杏玲のような真面目な娘が、こんなに遅くまで帰らないはずがない。何かあったに違いない。と、近隣の家の人々に声をかけ、おろおろと探しに出た。
けれど門は既に閉ざされて、探す処はどこにもなかった。
そうして、ただなす術なく待つだけの長い夜を過ごした。
陽が昇り、それでも杏玲は帰って来なかった。
朝になっても何が起きたのか、何が起きているのか。何も分からなかった。
街に行っても、役所に行っても、まるで何も起きていないかのようだった。
ひとりの娘が突然姿を消したというのに、その行方を誰も知らないという。
仕上げた刺繍を届けた先で代価を受け取り、丁寧な礼をして帰っていったという。
それが最後。それっきり。杏玲の姿を見た者は居ないという。
父母は、それでも一週間は門が開く頃に出掛けて行き、どこをどう探したのか夜になるとボロボロになって帰ってきた。
玉葉は、留守中に杏玲が帰って来るかもしれない、という父母により家を一歩も出ずに妹を、そして父母の帰りを待ち続けるだけだった。
しかし、八日目の朝に父母は起きて来なかった。もう、疲れ果ててしまった。