天涯~柳編~   作:清夏

15 / 70
『かみかくし』

「痛……」

 玉葉は、小さくこぼした。

「どうしたの?」

 杏玲は、姉の声に敏感だった。

「別に……指を針でちょっと刺しちゃっただけ」

 白く、細い人差し指の先に赤い血が珠のように滲んでいる。

 片目が見えないのには、もうすっかり慣れていた玉葉だった。針仕事のような細かい作業も、最近では難なく出来るようになっている。以前はしょっちゅうだったが、針で指を刺すのは久しぶりだった。

 玉葉は、指先をうっとりと眺めていた。

……なんて綺麗

 醜い自分の中にこんな綺麗なものが流れているなんて、妙なものだと玉葉は少し可笑しくなった。

「見せて」

 杏玲は、玉葉の手をとりその血を布でふき取った。それでも血は、また沸いてきては玉葉の指を濡らした。

 と、杏玲は何の躊躇いもなくその指をくわえると、血を吸った。

「……」

 玉葉は、ぼんやりと妹のその姿を見ているばかりだった。

 杏玲は、玉葉の指から血が止まったのを見ると布を湿したもので、さらに姉の手をきれいに拭った。

「血、止まったみたいだけど、何か巻いておく?また出てくるかもしれないわ」

 杏玲は、ほっと一息ついて玉葉に笑いかけた。

「ええ、着物を血で汚したくないから」

 今まで刺繍をしてきた絹の着物をちらりと見ながら玉葉は言った。

 感情のこもっていない声は、自分でも驚く程だ。どうして、笑い返すことが出来ないのだろうか。

 玉葉は、唇をすこし噛んだ。

血の味がした。

 杏玲が白い布を裂いたものを丁寧に玉葉の指に巻いていった。

 その手元に、玉葉の目がとまった。

 杏玲の手は、毎日の農作業ゆえにごつごつとして、荒れていた。指は節くれ立ち、がさがさ。働き者の美しい手だ。

 柔らかく、白い玉葉の手。指は、まっすぐで、長くほっそりとしている。重労働というものをしたことのない手。甘やかされた、醜い手だ。

「これでいい?」

 布を巻き終わった杏玲が、また微笑んだ。

「ええ」

 杏玲の笑顔は眩しくて、玉葉は礼の言葉をまた言うことが出来なかった。

 杏玲の顔は陽に焼けて浅黒く、そばかすが浮いていた。

 それにもかかわらず、杏玲は美しい娘だった。

 

 

 

 

 

 

 

 杏玲が帰らない。

 それに気を揉み始めたのは、まだ陽も傾く兆しを見せぬ頃だった。

 昨日仕上げた着物を街まで届けに出掛けたのは、昼過ぎ。

 はじめ、母はどこかに寄っているのだろうと、玉葉の心配性を笑っていた。

 しかし陽もすっかり落ち、夕餉の頃になっても、杏玲は帰らなかった。

 父母もそうなると、さすがに笑を忘れた。

 杏玲のような真面目な娘が、こんなに遅くまで帰らないはずがない。何かあったに違いない。と、近隣の家の人々に声をかけ、おろおろと探しに出た。

 けれど門は既に閉ざされて、探す処はどこにもなかった。

 そうして、ただなす術なく待つだけの長い夜を過ごした。

 陽が昇り、それでも杏玲は帰って来なかった。

 

 朝になっても何が起きたのか、何が起きているのか。何も分からなかった。

 街に行っても、役所に行っても、まるで何も起きていないかのようだった。

 ひとりの娘が突然姿を消したというのに、その行方を誰も知らないという。

 仕上げた刺繍を届けた先で代価を受け取り、丁寧な礼をして帰っていったという。

 それが最後。それっきり。杏玲の姿を見た者は居ないという。

 

 父母は、それでも一週間は門が開く頃に出掛けて行き、どこをどう探したのか夜になるとボロボロになって帰ってきた。

 玉葉は、留守中に杏玲が帰って来るかもしれない、という父母により家を一歩も出ずに妹を、そして父母の帰りを待ち続けるだけだった。

 しかし、八日目の朝に父母は起きて来なかった。もう、疲れ果ててしまった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。