街の通りを無視して突き進む一塊。
塀をなぎ倒し、壁を突き破り、人を踏み倒し。それは、何かを目指しているかのようだった。
「妖魔だぁっ」
馬腹だ。悪いことに大きい。
舞い上がる砂塵に、男女の悲鳴が入り交じる。
逃げなくては、と焦る心に体が追いつかない。人波が行く手を遮る。
押し、圧され、倒し、倒され、踏み、踏まれ。誰もが己の身を妖魔から遠ざけようと、相あらそっていた。
逃げる以外に術のない人の群の中、腰に帯びた刀の柄に手をかける者があった。
それは逞しい男だった。ただ、大柄だと言うのではない。男の纏う気のようなものが、そう感じさせる。
その男は、不敵にも笑みを浮かべていた。楽しい訳ではない。もう笑うしかない程にこの国は荒廃している。こんな時に笑う奴らの気が、知れたような気がした。
「なるほど……」
男が一歩、前に出ようという時、天から何かか墜ちてきた。
それは、まさに空から突然降ってきたとしか言いようがない現れ様だった。
……妖魔か
男は、とっさに身構えた。
……いや、人か
男が、降って湧いた者の姿をはっきりと認識した時、馬腹の首の付け根にはその者が手にした剣の刀身が深々と埋まっていた。
一瞬の静寂の後、どしりという地響きと共に妖魔が地に倒れた。
もうもうと砂煙が上がり、人々の安堵とも、驚嘆ともつかない溜息が束になって落ちる。
妖魔をただの一撃で地に倒したその人物は、なお剣を妖魔に突き立てたまま、柄から手を放しはしなかった。
妖魔にはまだ息があった。吼え狂い、生にしがみつき、死に抗う。
しかし、それを押さえ込むような力が、その人物の腕にはあるように見えた。
出鼻をくじかれた男は少し、いや、かなり目を見張った。妖魔の上に陣取り、踏ん張るその人物はおよそ、そんなことをする者には見えなかった。
まだ若い。ほっそりとした体躯、長い手足。細い血管までが透けて見えそうな白い肌に、腰までまっすぐ伸びた闇色の髪が鮮やかだった。切れ長の目にはめられた瞳は夜のように深く、暁の唇から漏れる荒い息づかいが何とも色めいている。
……天女か。
男は、再び微笑んだ。今度は、愉しくてたまらないという風だった。
あれほどに荒れ狂った妖魔の命も徐々にか細く、幽けきものとなっていく。もはや、地上に留まる力を失っている。
男は、ここにきてようやく剣を抜いた。
「!」
新手だ。こちらも可成り大きい。仲間の血に、怒りを覚えたのか。馬腹の上の天女めがけて突進して来る。
男は、躊躇することなく刃を妖魔に向ける。
「助太刀いたす」
男の放つ一撃で、妖魔の命は消し飛んだ。
男の剣の跡を妖魔の血が尾を引いてついてくる。毒々しい赤が、陽にキラキラと輝いている。
天女は、その様に目を細めた。そして手元の剣を馬腹から引きぬき、血糊を払うと鞘に納めた。
「かたじけない」
天女の声は、明らかに女のそれではなかった。
「馬腹も、あんたにやってもらうんだったな」
天女のように見えた男は、ひょいと馬腹の上から降りると、笑った。固い蕾が花開くようだった。男と分かってもその美しさが衰えることはなかった。
逞しい男もつられて笑った。
「いや、良いものを見せてもらった。千年の退屈も吹き飛ぶようだ」
「誉めすぎだ。せいぜい五百年というところだ」
口調がまた、その容姿に似つかわしくない。それがまた心そそられる。
名を聞きたくなるのも仕方ないことのように思われた。
天女……ではなかった男は名前を問われると、面倒そうな目つきで逞しい男を見上げた。
「カイリ」
「それが字か?」
「名だ。俺には他に名はない」
カイリは、投げ捨てるように言うと男の横をすり抜けた。
「カイリ!」
周囲の誰もが、美しい剣客の名を知ることになるほどの大声で呼ばれても、カイリは歩みを止めない。男はその後を追った。
「お前、どこから来た?」
男の問いにカイリは上を指さした。
男がその細く長い指の先に視線をやると、二階の窓が開け放ってあった。なるほど、あそこから馬腹の上に飛び降りたという訳だ。
もちろん男は、そんなことを尋ねた訳ではない。国を訊ねたのだ。だが、重ねてそれを訊くのは止めた。何となく、カイリの国が知れたのだ。
「これから行く当てがあるのか?」
矢継ぎ早に問うばかりの男に、カイリは今度は小さく顎で前を指し示した。
男は破顔し、カイリの肩に手を置いた。
「つきあえ。奢るぞ」
カイリはちらりと上目遣いで男を見上げてみせる。頭一つ、カイリは男よりも小さかった。
「また今度」
男は、思わず動きを止めてしまった。
カイリは止める暇を与えず、走り去った。
風が通りすぎた。
気付くと、多くの人々が幾重にも男を取り囲んでいた。皆、口々にカイリと男を誉め称え、カイリについて質問責めにする。
参ったなぁ、と頭を掻くと。向こうから役人が駆け寄って来るのが見えた。このままここに突っ立っていたら、更に面倒なことになることは明白だ。
男は身を翻した。
カイリの残した言葉を胸にひとつ灯して。
―――また、今度。
時代劇風。