暗い森を越えて、隣街に辿り着く。
ほんの数日前、護衛で訪れた隣の街。
雇い主が商談をまとめると言って入って行った何の変哲もない店。
それらはすべてまやかしであったかのようだった。
今や、その店はもぬけの空だ。
よほど慌てて引き払ったと見える。様々な生活用具が残され、そして散乱している。
そして地下の扉には開けられた南京錠がだらしなくぶら下がっていた。
その奥の小さな部屋に一歩入るなり、すえた匂いが戒莉をひるませる。
何かが……例えばかつて人であったものが腐り、爛れたような異様な臭気。
そこに乱れ横たわる様々な塵、汚物に人の屍骸がまぎれていないことが不思議なほどだ。
泥だらけの小さな靴が片方、擦り切れた男物の上着、花の刺繍の汚れた帯、安物の指輪や耳飾、赤黒い血のにじんだ手ぬぐい。男、女、子供、大人。かつて複数の人間がここにいた痕跡がそこかしこにこびりついている。
ここに人が閉じ込められていた。
ひとつ部屋に押し込められ、扉が閉ざされ、錠が下ろされる。
それが一体、どういうことを意味するのか。戒莉は知っている。
人々が失ったものを戒莉は知っている。
「どういうことだ」
戒莉は呻くように問うた。
「こういうことだ」
珊揮の声は低く落ちた。
珊揮は、件の盗賊の死に不審なものを感じていた。
あの時、暗い森で賊に襲われてから役人の所にまで行く際に、縛り上げておいた盗人を殺すことが出来たのは、誰だろう。
ずっと一緒にいたのは自分と戒莉、雇い主とその従者。途中門番にも会ったし、遠巻きに見ている街の人々もいた。
「あの雇い主のおっさんが殺したって言うわけ?」
戒莉は、まさかという目で珊揮を見た。
「あの男は、そうばかにしたものでもない」
「へえ」
戒莉は、短く応えて珊揮に先を促す。
「あの男、字は朱甲というんだそうだが。今じゃ、ああして立派な大店の主人におさまっているが、前が全く分からない男でね」
珊揮は戒莉が血を浴びてのびていたあの夜に、藍椋からそんなことを聞いたのだという。街でそれとなく聞いてみても、誰も朱甲の前身を知らなかった。ただ、ちらりと東の方の街から来たのだということを耳にした者がいたのだそうだ。
「で、その東の街に行って来たと」
それだけの情報量で行動することを、戒莉は呆れつつも珊揮らしいことだと思った。
珊揮に言わせると、長い人生と豊富な経験と熱い魂が指し示す方向に突き進むことで物事は解決するのだそうだ。
東へ行ってみると、これが大当たり。
朱甲は、人商だったのだそうだ。
「人買い……」
戒莉は呻くように言った。
「そう」
珊揮は戒莉の様子を伺いながらも話を続けた。
「それで稼いだ金で、今の店を始めたらしい」
朱甲は、肉・魚・野菜・穀物といった様々な食品を扱っている。国内はもとより、国の外からも仕入れを行い、消費者に対してというよりも、店に対してその食品を売っている。この辺りの食べ物の値段は、朱甲が決めているという話もある。
柳国内での作物の生産量が減っている今、他国から足りない物を求めるようになっている。自然と物の値段は高騰する。通常は国によって統制がされるらしいが、柳ではここ数年は野放し状態なのだそうだ。
柳の物価が高いのには、そういう事情がある。更に朱甲のごとき者がそれに乗じて儲けを企むという訳だ。
朱甲は、なかなかに抜け目のない男だ。
「珊揮」
戒莉の声が常よりも低くなっている。
「何だ?」
「朱甲っておっさんは、今でも人買いなのか」
「証拠はない」
珊揮は戒莉を諌めるように言った。
「証拠が無くても、そうなんだろう」
戒莉は珊揮の応えに満足はしない。それは珊揮にも分かっていた。
では、どうすれば満足するのか。それも分かっていた。
「斬るか?戒莉」