珊揮が去った後しばらく、藍椋はあの時に感じた胸の痛みを思い出していた。
珊揮は、藍椋のいい人だ。でも、いつもいつも一緒に居てくれる人ではない。
―― さみしい
とても寂しい。一緒に居たら、淋しくないという訳ではない。でも、会いたい時に会えないのは淋しいし、このままもしかしたら二度と会えないのかもしれないと思うだけでつらい。
あの時。藍椋は思った。
戒莉は珊揮の仕事を助け、支え、いつも傍らに居ることが出来る。それに引き換え、自分は珊揮に何をしてやれるだろうか。側に居ることもできはしない。
胸の奥が焼け付くようだった。同時に背筋がゾクリとした。
藍椋は、戒莉をかわいいと思う。まるで弟みたいに、子供みたいにいとおしい。けれど、それと同じくらいに憎んでいる。
「憎んでいる」
口に出してみると、その想いが確かなのが分かる。
悲しい。あの折れそうな体で必死に剣を握る子供を憎いと思う自分が。
浅ましい。嫌になる。なんて罪深い。いつか……
『報いを受けるんだわ』
ふと、聞こえた。聞き覚えのある声で、聞いたことのある言葉が。
いつだっただろうか、役人が金で罪人を見逃した話に、藍椋が杏玲の前で憤ったことがあった――
「私、悪いことをしたら、いつかその報いを受けることになると思うんです」
杏玲はそう言った。
「そうかしら」
藍椋は納得がいかなかった。
「強盗も、そいつらを赦した役人も、のうのうと生きてるわよ」
実際、あいつらときたら、えんえんと同じことを繰りかえす。 全く、まさに世も末というしかない。
盗んでは捕らえられ、役人に金をつかませて、まんまと逃げおおせる。そして役人もまた、盗人を捕らえてみては、金に目がくらんで、そいつらを逃がす。
仕舞には、捕えることすらせずに、目こぼしした礼を差し出させる役人までいる。
興奮気味にそうまくし立てる藍椋を前に、杏玲は静かに言った。
「牢に入れられたり、処刑されたり、そういうことから逃れられたとしても。人は自分の罪から逃れられることは出来ないんですよ」
「そうとは思えないわ」
「私を見ていれば、いつか分かりますよ。きっと」
杏玲は微笑む。その笑も、言葉の意味も藍椋には理解不能だった。
「私はいつか、報いを受けるんだわ……」
あの娘は、どうしてあんなことを言ったのだろうか。
あの娘は、何をしたというのだろうか。
あんなにも、陰ひなたなく働く、家族想いで、優しい娘。
きれいな笑が出来る娘。
あの娘は、どんな闇を抱えていたのだろうか。
『天涯~柳編~』第参章 了