戒莉は秋明を避けた。
積極的に避けている訳ではなく、近づくことに消極的になったという方が正しいが、会話をしたくないことは事実だった。
そもそも戒莉が秋明に話しかけたのは、朱甲やその客に関する情報が欲しかったからだ。純粋に水汲みを手伝おうとしたのではなくて、話しかける状況を作りたかっただけ。
おそらく上手く促してやれば、秋明は知っていることならば何でも話すだろうという確信が戒莉にはあった。実際その読みは正しかったが、秋明の知っていることは僅かなことだった。聞けることは、すべて聞いたと戒莉は思った。
だから、もう話しかける必要はないはずだ。だから、これ以上、秋明を利用することはない。そう自身に、戒莉は言い聞かせた。
それに代わって、戒莉は桂凛に近づいた。桂凛は、戒莉よりも年上で、秋明よりも世慣れているようだった。桂凛は、戒莉に対しても時折上位に立つような素振りを見せた。戒莉がただ話しかけているのではないことも見抜いていて、戒莉が何かを自分から聞き出そうとしているという意図を知っていた。その上で、桂凛は戒莉が望むことを話した。桂凛はそれなりの見返りを求めてきたが、戒莉としては、いっそ気持ちが楽だった。
ギブアンドテイクが楽、と言うことは、やはり秋明に対しては後ろめたさがあったということになる。
ただ、桂凛が求めてくるものを、戒莉が差し出せるかは問題だった。金は、心づけ程度というところで良かったが、桂凛は金だけでは満足はしないようだった。
―― 面倒だ…
己の容貌を嫌う戒莉に珊揮が以前に言っていた言葉がよぎる。
これがこの容姿を利用しているということなのだろうか。これが『利用する』ことだとすれば、この顔には呪われているとしか思えない。
―― 面倒だ……
「梅香鳥のお客っていうのはねぇ、その鳥を買うお客さんなのよぉ」
桂凛は必要とは思えない程に戒莉に顔を近づけて言った。ちょっと語尾が延びすぎるきらいもある。
「へえ、その鳥を買うお客さんてたくさんいるの?」
「なんで?」
「え?」
「なんでそんなこと聞くの?」
上目遣いで桂凛が問う。『知っているのよ、あんたがなんでそんなこと知りたいのか』その目はそう言っている。
「だって、いまどきそんな高いもの売れないんじゃないのかと思って。だいたいオレ、その鳥って食べたことどころか、見たことないから。ねえ、ホントに梅の香りとかするのかな」
戒莉は心の中で舌打ちをしながら、とぼけて応えてみた。
戒莉の甘えた口調に満足したのか、その後の桂凛の口は軽やかに開いた。
「お莫迦さんねぇ。そんなはずないでしょっ。あれは良い匂いがするって、そういう意味なのよ。それだけ。でも、美味しいらしいわよ。あたしだって食べたことないから本当の事は分からないけど、見るだけは嫌になるくらい見てるけどねぇ。丸焼きだからつまみ食いも出来やしないのよ。絶対に残さないし。味見だって言ってるけど、朱甲さまはお客にかこつけて、自分が栄養とってるって話よお」
桂凛は面白いことを言ったと、先ず自分でケラケラと笑った。
「朱甲さまがケチってホントなんだ」
「そうよぉ。この家の中のものは紙いちまい無駄に出来ないのよ。正直言って、あたしもうんざり。別に働くとこ探してるとこなのよ。もちろん、結婚もいいなぁ、って思ってるんだけど」
するりと桂凛の腕が戒莉に絡んでくる。
「へえ、結婚しちゃうような人が居るんだ」
戒莉は、視線を桂凛の瞳に合わせたまま、その手を握り返してみる。女がビクリと震えるのが直に伝わってくる。
「ホント、お莫迦さんね」
桂凛は目を下方へ逸らした。赤らむ頬を見れば、存外すれてはいないのかもしれない。
「へえ」
戒莉は微笑む。多分、自分では見えていないのが幸いと思うような、嫌らしい顔をしているに違いない。戒莉は、怯みそうになる自分を追い立てた。
「朱甲さまとは、どうなの?」
「……嫌な人ね」
桂凛は朱甲のお気に入りの下女だが、安上がりな愛人だとも聞いていた。
絶世の美女という訳ではない桂凛だが、なかなか好もしい姿をしている。ふっくらとした肢体を覆う白い肌はきめ細やかだ。
寒い地方の人の肌が美しいとかなんとか、日本でも聞いたことがある。それはここでも同じなのだろうか、戒莉は一瞬そんなことに気をとられた。
「そういうあなたは、どおなのよ」
桂凛は、そう切り替えしてきた。
「どうって?」
気がすこし緩んだところに挑まれた戒莉は、ようよう鸚鵡返しに答えた。
「どうって……みんな知ってるのよ」
「何を知ってるって?」
戒莉は目を細めて、桂凛を探ってみた。この女は、どう答えるだろう。そんな興味もあった。
「あのケチなご主人様が、なぜ杖身を雇う気になったのか、ってことよ」
「これだけのお屋敷だからね、杖身雇うくらい全然不思議じゃないだろ。今まで雇わなかった方が不思議でしょう。それに最近はぶっそうだからねぇ」
戒莉は桂凛の体から、すこし離れてみた。そうして、腰の剣をちらりと見遣る。
「あんたが、何の役に立つの?」
体が離れたことで、桂凛には不思議と余裕が生じたようだ。
建て直しが早い。女はすごい。戒莉は感心する。
「役にたつよ。いろいろ、ね」
戒莉は桂凛の耳元で、小さく言った。
さっき立ち直った桂凛は、また崩れた。
何だか可愛い人だ。
今回は、わざと落としにかかってます。