天涯~柳編~   作:清夏

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『迷道』

 朱甲のもとで寝泊りを始めてから、戒莉の眠りは浅いものになっていた。

 鳥の羽が床に落ちる音でも目が覚めてしまいそうだ。

 戒莉は剣を寝台に引き入れ、抱えるように横になった。

 それでは休んでいるとはいえない。心も体も休まらない。

 精神の均衡を欠いているのは、そのせいだ。

 

  灯りをひとつだけ点した部屋の隅は、闇に落ちている。

 ゆらゆらとした朱い炎を見るともなく瞳に映し、体だけを横たえた戒莉の頭の中では、激しく様々な事象が駆け巡っている。

 この三日というもの、朱甲の家内で見聞きしたこと。それから、それ以前から起きていたことごと。藍椋が言っていたこと、そして珊揮が話してしたこと。

 

 桂凛が言っていた花の刺繍を、戒莉は確かに藍椋のところで見たことがある。藍椋は、あの刺繍を玉葉が刺したと言っていた。ならば、朱甲の元にやってきていた娘は、玉葉なのだろうか。

 いや、玉葉は最近こそ外に出ているが、ほとんど3年ぐらい家に閉じこもりきりだったと聞く。朱甲お気に入りの刺繍娘は、半年ほど前から出入りしていたらしい。そして三月ぐらい前から姿を見せなくなったと、桂凛は首を傾げていた。

「そう……か」

 玉葉の妹が三月ほど前から行方不明になったとか、名前は……

「たしか、キョウ……杏玲」

 そうだ。杏玲。

 藍椋が言っていた。仕上がった刺繍を届けに街に出てきて、それっきりだと。

 杏玲は、朱甲のところにも刺繍を届けに来たのだろうか。朱甲には妻も娘もない。故に、刺繍は家人用に求めたのでもない。かと言って、商売とも関係ない。朱甲が商うのは食料だ。いや、もっとも、人商と食料問屋くらいに離れた商いでも同じ人間がしているのだ、刺繍した着物ぐらい朱甲が扱っても不思議はない。それに、商売相手や役人への、つけ届けに使ったのかもしれない。

「花嫁衣裳は?」

 戒莉は問うた。

 花嫁衣裳の使い道は、普通ひとつ。

 それは、婚礼の為だ。誰の婚礼のためだろうか。朱甲の婚礼。いや、そんな話は聞こえて来ない。

 ところで、朱甲という男は、なぜ結婚していないのだろう。これ程の商売をしていれば、それなりに機会はある。子には恵まれないとしても、好みの美女を妻の座に据えることも可能だろう。

「ま、そりゃどうでもいいか……」

 それよりも、杏玲のことだ。

 桂凛によく思い出してもらったところ、婚礼衣装を持ってきたときが、杏玲が朱甲の元に訪れた最後だったと、思う……とのことだ。

 その衣装にほどこされた刺繍の出来栄えは、ちらっとしか見ることが出来なかった桂凛の目にも素晴らしいものだったという。

『買えば、そうとう値が張るわよぉ』

 桂凛は、自信満々そう言った。

 買えば値がはる。つまり、売れば高い値段で売れるということだ。

 もしかして、単純に朱甲はそれらの刺繍したものを売ろうとしていたのかもしれない。

 柳が荒れ始め、畑からの収穫は質も量も落ちている。国外からものを買い付けてこなくては、足りなくなってきているらしい。そのせいでものの値段が高くなってきていて大変だと、藍椋はこぼしていた。

 朱甲も国外から食料を運んでいるらしい。店先に並ぶ荷を眺めてみると、雁などから来たとおぼしきものが多く積まれているのが分かった。おそらく扱っているもののおよそ半分くらいが国外から求めたもののようだ。

 国外から食料を求めたときに払う代価は、金かこちらの特産物。柳で言えば、鉱石とか石材とか、そう言ったものになるだろう。

 朱甲は、どうだろう。鉱山などには、手を出していないところを見ると、おそろく代価は金だろう。

「買うものばかりで、売るものがない……」

 どこかで聞いたような話だ。

 戒莉は、更に遠い記憶の底の底を探った。

 閃く言葉は数々あるが、現れては朝の星のように消えていく。

 何か、すくいだせそうで、手が届かない。

 多くの言葉の中から、戒莉の口に上ったのは遠い日本で聞いた、遠い中国の歴史だった。

「アヘン戦争……」

 戒莉の意識は、自然と指先に集中する。その感覚とともに、言葉が蘇ってくる。

 

 昔、イギリスは中国から茶や絹を輸入し、その代価として銀を払っていた。イギリスは中国に売るものがあまり無く、銀で支払わざるをえなかったのだ。しかし、それでは銀が流出する一方で、中国に対してひどい貿易赤字を抱えることになった。そこで、イギリスは植民地のインドで栽培したアヘンを中国に持ち込んだ。アヘンの蔓延を憂慮した中国は、アヘンの輸入を禁止し、それをきっかけに戦争が起きたとか。

 詳しいところは、あやふやだが、そんなところだろう。たぶん。

 

 朱甲も金ばかりが出て行くやり方を、よしとはしなかっただろう。そして、食料と引き換えに差し出すものとして思いついたのが……

「人……か」

 じわりと、戒莉の眉間と心に皺が刻まれる。

 人は常に備蓄しておけるものではない、そして目をつけたのが玉葉の刺繍、そしてその刺繍をする人間そのものであったのかもしれない。

 

 

 はっと、する。

 考えることに集中しすぎた。

 戒莉は剣の柄をそっと握りなおし、息を整えた。

 この薄闇に、何かが潜んでいる。

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