「じゃあ、ホントのことを話そうか」
ひとしきり笑い終えると、珊揮はそう切り出した。
「そうして呉れ」
戒莉は、どかりと寝台に坐し、それまで無意識に力を込めて握っていた剣を放し、傍らに置いた。
何の飾りもない剣だ。馴染んだその重さを手放したとき、胸の奥からじわりと湧きあがる心細さ。戒莉は自分の意気地のなさに呆れる。
珊揮は椅子を引き寄せると、寝台近くに座った。
「まずね。言っておくけど。私は盗賊の一味じゃないよ」
常と変らぬ柔和な笑顔。この大男は、どうしてこんなにごつくて大きな体に不似合いな表情や喋り方を身につけたのだろうか。
「あれは冗談だ」
戒莉は、小さく溜息をついた。また、話が進まない。
「だろうね」
こいつは、確信犯だ。
「さてと、私の話をする前にお前の話を聞こうか」
挙げ句、珊揮は戒莉にまだ喋らせようとしている。
戒莉はそのままガクリと脱力し、仰向けに転がった。長い髪が、その体と一緒に乱れて放り出された。
「何? 俺は何話せばいいの」
戒莉は、心の込もっていない言葉を珊揮に投げて返した。『ホントのこと』とやらを、なかなか話そうとしない珊揮に突っ込みを入れるのも面倒になったらしい。
「とりあえず、ここで見聞きしたことを聞かせてもらおうかな」
戒莉はゆっくりと体を起こし、胡坐に座りなおした。
それからひととおり、主観を交えず、事実だけをこと細かく、それこそ『見聞きしたこと』だけを珊揮に話して聞かせた。つまり、秋明と話していて戒莉がどう感じたかとか、桂凛からどんな風に話を聞きだしたとか、そういったことは一切削除していた。
珊揮はいちいち相槌をうちながら、しばらく嬉しそうに戒莉の話を聞いていた。
「で、お前はどう思う?」
戒莉の説明を最後まで聞き終えて、珊揮は尋ねてきた。戒莉が何を言っていないかなどということは、お見通しというような顔をしている。
戒莉は躊躇する。何を答えればいいのか、分からなかったからだ。確かに戒莉は、この数日、いろいろと感じていたし、考えていた。だが、何を話せば良いのかが分からない。
「その朱甲のお気に入りの刺繍の娘は、どうなったと思う?」
やはり見透かしているのだろうか。珊揮は、今度は具体的に問いかけてきた。
「たぶん、朱甲に売られた」
酷な結論が、戒莉の口から自然とこぼれた。苦いものが口の中に広がる。
「そうか……」
珊揮は戒莉の答えを、短く受け留めた。
そして懐から、汚れた布切れを取り出し、戒莉に示した。
薄い灯りに打ち出されたそれには、場違いなほどに明るい花々が咲いていた。
「これは」
戒利は思わず、身を乗り出しそれに見入った。
女ものの帯だ。花の刺繍の帯。朱甲の元に婚礼衣装を持ってきて、姿を消したという娘がしていた帯。
「見たことがある」
戒莉の脳裏に、汚れた暗い地下室の光景が蘇ってきた。鼻腔には、饐えた匂いまでが再現されてきそうだ。
「隣町のあの地下室にあったものだ」
珊揮は戒莉の疑問に、そう応えた。
朱甲の商談相手の家、とされる建物の地下室。おそらく、何人もの男女が監禁されていたと思われるあの地下室にその帯は確かにあった。
この帯があったということは、その持ち主がそこに居たのだろう。
「……」
帯の持ち主は、朱甲に拉致され、売られた。 それは、戒莉が既に出していた答えだが、単なる想像と実際に帯が出てくるのとでは、現実感が全く違う。
戒莉は言葉を失った。
「だが、朱甲がやったという証拠はないよ」
珊揮は、ゆっくりと立ち上がる。ガチャリと両腰の剣が鳴った。
戒莉は座したまま、珊揮を見上げた。
「さて、どうしようかな」
珊揮は戒莉の顔を覗き込みながら、不自然な微笑みを浮かべた。
「朱甲は昔、結婚していたんだよ」
ようやく珊揮の話は進み始めたらしいが、内容は唐突な感がする。
「ああ、そう」
戒莉は、またはぐらかされているのかもしれない、と用心深く相槌をうつ。
「子供がひとりいたんだとさ」
「で、妻子に愛想でもつかされたのか」
「子供がはやり病にかかってね。薬を買うために土地も売って、それでも足りなくて、人商なんてことに手を出したらしい」
珊揮の声は静かに、朱甲の過去を語りだした。
「無法な行いにも理由がある。と、言いたいのか?」
戒莉の口元に嘲笑が浮かんだ。それが朱甲に向けられたものだけではないことは、戒莉自身がよく分かっていた。
「その甲斐もなく子供も、あとを追うように同じ病で妻も亡くなってしまってね。それから人商で稼いだ金を元手にまっとうな商売を始めて、軌道にのってきたと思ったら国が荒れ始めた……意外と運のない男だよね」
同情めいた言葉で、珊揮は戒莉の心を粟立てる。
血が通っていないような戒莉の白い顔が、珊揮の目に触れた。 手を伸ばし、珊揮は戒莉の頬に触れた。冷たそうだと、思わず触ってしまったが、存外暖かだ。
「珊揮?」
戒莉は珊揮の手を払いのけることも忘れ、その岩のような顔を呆然と見ていた。いや、呆然と言うよりも、それは既に恐怖と言っても過言ではない境地に至っていた。
―― 何のつもりだ?
「どうしようか? 戒莉」
珊揮は、明らかに嫌悪の念を顕わにしている戒莉を無視しているのか、本当に気づいていないのか、そう問いかけた。
「どうもこうも、先ず手をどけろよ」
戒莉は青筋を立てながら、かろうじて平静を装っている。
「ああ」
もういちど、珊揮は指で戒莉の頬を撫で、その血の温度を確かめてから手を引いた。
「よし、生きてるな」
「そりゃ……死んでない」
奇妙な会話だ。以前から珊揮の言っていることは、理解に苦しむことが多いが、今日は格別に妙だ。
いつもの戒莉ならば、のらりくらりとはぐらかす珊揮に腹を立てているところだ。そしてどんなに怒りをぶつけても、珊揮には通じないのだ。
漠然とした不安が、戒莉の胸をよぎる。何かがいつもと違う。ただ、何が違うのかが、戒莉には分からない。
戒莉は、おのれの思考力の無さを呪った。
「珊揮」
戒莉は、特段何を話すとも決めぬうちに、とりあえず珊揮の名を呼んだ。
「なに?」
珊揮は、おだやかだ。
「あんた、変だ」
あまりに直球な物言いに、言った戒莉自身が頭を抱えた。
言われた珊揮は、しばらくぼんやりと戒莉を眺めていた。
―― 子供のようで、子供ではない。馬鹿のようで、そう馬鹿でもない。
珊揮には、戒莉が眩しく見える。
「そうだよ。私は変な男なんだよ。よく気がついたねえ」
戒莉は、おのれの馬鹿さ加減に愛想が尽きた。