藍椋のところで杏玲の話をしてから、玉葉の胸の内はざわざわと騒がしく、ぎしぎしと痛んだ。
このまま、杏玲のことを置き去りに日々を過ごして良いのだろうか。もちろん、妹のことを忘れたりするはずがなかった。
しかし、玉葉は杏玲が居た頃とは、変わり始めている。外に出、他人と交わり、笑うこともある。嬉しいと思うこともある。それも、これも杏玲が居なくなってからだ。
そんなことで良いのだろうか。まるで、杏玲という存在がなくなったことで、玉葉は幸せを取り戻しつつあるかのようだ。
それは正しくない。
笑っている自分に気づいたとき、玉葉は自分の罪深さに痛めつけられる。まるで、杏玲が責め立てているようだ。 いや、杏玲が玉葉のことを責めることなどない。玉葉自身の心が玉葉の罪悪感を刺激しているだけにすぎない。杏玲は一言も玉葉を責めることはできない。
この地獄のような日々から救われることはあるのだろうか。
玉葉は、何かをせずにはいられなかった。 自分の身を危険に晒すようなことをしたい、自分も杏玲と同じような目にあってもかまわない。そんな気すらしていた。
それで自分が救われると、玉葉は信じてはいなかったが。
気付けば、藍椋から教えてもらったいくつかの店を玉葉は訪ねて回っていた。玉葉は、刺繍を藍椋の店以外に届けたことがない。しかし、杏玲は他の店からも注文をとって、届けていたらしい。
以前の玉葉は、そんなことも知らずにいた。杏玲が頭を下げながら、仕事を貰ってきた仕立物や刺繍を、ただ当たり前のようにやっていただけだ。今思えば、少し得意になっていたような気すらする。自分が一家の生活を少なからず支えていると。
支えていたのは杏玲だった。
そんなことには、とうの昔に気付いていたはずだった。
今更、今だから、今にしてみれば、玉葉は気付いていた。
玉葉は、杏玲が訪ねたであろう店の前に立った。
「ごめんください」
いくつかの店を訪ねたが、婚礼衣装の刺繍を頼んだ店は見つからなかった。藍椋から教えてもらった店は、あと一軒。
―― そこでもなかったら、もう諦めよう。
玉葉の心は、何人かの人々と話しただけで、かなりくじけていた。 顔を覆い隠す髪のこちら側を透かし見られているような、そんな視線に苛まれる苦行の時は、玉葉にとって充分な罰だった。
もちろん大概は玉葉の気のせいだが、そうとも言えない場合もある。 玉葉の顔のことは、街の大方の人々が知っている。その傷痕を見てやりたいと思う輩も少なくない。
「ああ、あんたが玉葉?」
玉葉は、そう問われて曖昧にうなづきながら笑ってみせた。
「なに? 仕事が欲しいの?」
最後の店の店主は、忙しそうに商品をたたみながら、面倒そうに玉葉を見た。
「いえ、ちょっとお尋ねしたいことがあって」
そう何とか玉葉が切り出してみると、店主はいよいよ苛立ちを隠さなくなった。
「何?」
もう玉葉の方など見もしない。ただ、言葉だけはかろうじて玉葉の相手をしていた。
『なんでもないです。ごめんなさい』
そう言って、玉葉は店を飛び出てしまいたかった。むしろ店主はそれを望んでいたのかもしれない。
「あの、以前にこちらで婚礼衣装の仕事をさせていただいたと思うのですが……」
最後の方は、少し小声気味になったが、玉葉は言った。
「婚礼衣装?」
店主の声は不機嫌そのものだった。しかし、その手はぴたりと止まっている。
「あの」
「婚礼衣装なんて頼んだ憶えはないよ」
ぶっきらぼうな言い方に、玉葉はひどくびくびくした。
「なんだい。あんた、婚礼衣装なんてやるのかい?」
店主は、玉葉の様子など意に介さず、そう聞き返してきた。
「刺繍だけですが、一度請けたことがあります。でも、妹が請け負っていきた仕事なので、どこで頼まれたのか分からなくて……」
玉葉にしては、長い言葉を一気に喋る。
「そうかい。で、いろいろ尋ねて廻っているんだ」
「ええ。でも、可能性のあるところはここが最後で」
それも今、違うと言われてしまったからには、諦めるしかない。いや、これで諦められる。玉葉は、そう思っていた。そうして、ほっとしている自分に気付き、また自己嫌悪する。
「あんた。朱甲の旦那ところには行ったのかい?」
落ち込む玉葉に、店主はこともなげに投げつけて来る。
「え?」
突然の問いかけに、玉葉は驚く。
朱甲の名は、知っている。だが、朱甲は食料問屋で、刺繍やましてや婚礼衣装とは関わりがあるようには思えなかった。
「朱甲のだんなが、うちであんたの刺繍を見てね。えらく気に入ってたんで、杏玲を紹介したんだよ。何回か、なにか頼んでたみたいだけどね」
玉葉の道は、まだ先に続いていた。
その道は、成金で、ケチで、助平なおっさんにつながっていた!!