天涯~柳編~   作:清夏

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『波』

 眼帯の男は、玉葉の姿をずっと目で追っていた。

 戒莉はと言えば、二階の窓からその男の姿と玉葉の姿を交互に眺めていた。

 玉葉は、戒莉のいるところに少しずつ近づいてくる。明らかに、ここを目指している。俯きながら、ちらちらと朱甲の店を見ている。見ながらも、目指しながらも、玉葉は朱甲の店に来ることを躊躇している。そして躊躇しながらも、目指している。

 その玉葉を凝視している眼帯の男。先ほどまでは、朱甲の店の中ばかりを見ていた男が、玉葉を見つけて戸惑っている。

―― 何故だ?

 玉葉は何のために朱甲の元に来たというのだろうか。

 眼帯男は、どうして玉葉を見ているのだろうか。

 戒莉は、玉葉と眼帯の男、ふたりの行動の意味を掴みかねていた。

 

 そのまま戒莉は、眼帯の男と共に玉葉が朱甲の店に入っていくのを見送った。

「そんなところで何してるの?」

 不覚にも、そのとき戒莉は背後をとられていた。

 振り返りもせずに、戒莉はその声の主の名を小さく呟いた。

「……桂凛」

 相手には聞こえない程の幽かな戒莉の声音は、『面倒な奴に見つかった』と語っていた。

 戒莉はこっそり溜息をこぼすと、振り返った。

「別に何も」

 桂凛に向けられた戒莉の顔には、極上に極悪な微笑みが張り付いていた。

「何もってことはないでしょう」

 桂凛は戒莉の心の内を知ってか、知らずか、こともなげに窓辺に歩を進めた。ちらりと戒莉を見ると、その視線を窓の外へ移した。 今まで戒莉が見ていたものを、覗き見ようというところだろう。

 玉葉は既に店の中だ。桂凛が、その姿を見ることはなかった。

「何見てたの?」

「眼帯男」

「なにそれ」

 小さく桂凛が笑う。大して面白くもないのに。

「なにって……」

 窓に向き直り、『店の中を覗いている例の輩だ』と、言おうとしていた戒莉の唇は、言葉を失い惑った。

 

 眼帯男の姿は、どこにもなかった。

 

 ここ数日間、店の前には、胡散臭い男がうろついていた。それは一人ではなかったが、共通の匂いを放っていた。

 眼帯男がいなくなれば、別の男が立っているはずだ。

 戒莉は窓を大きく開き、体を乗り出して眼下の通りを見渡した。

 

 戒莉が窓から眼帯男を探して見つけられずに戸惑っていたとき、桂凛は呼び出され、客に茶を出すように言いつけられた。

「また、後でね」

 桂凛はそう言って、戒莉の頬に触れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 茶と菓子を客に運び、客間から出てきた桂凛とすれ違い、戒莉は朱甲と話しているのがどんな客かを尋ねた。

「どうしてそんなこと聞くの?」

 桂凛は、唇を突き出して、戒莉に迫ってくる。戒莉が先ほど見てきた娘に興味を持つのが気に食わない様子。

「いや、急に呼ばれたみたいだから、どんな大事な客かと思っただけ」

 戒莉は、とめどなく押し寄せる桂凛の香りにむせながら、大して興味のない風を装った。

「別に、どうってことない娘だったわよ。まあ、ちょっとは可愛いかもしれないけど、あれはダメよ。暗そうだし、それになんだか顔に傷があるみたいだったわよ。前髪で隠していたけど、あれは相当に酷いわよ。きっと。それで、あんな娘が好みなの?」

「好みも何も、客の顔も見てないよ」

 戒莉は、特に強くもなく主張してみた。

「さっき窓から、あの娘が店に入ってきたのを見てたんじゃないの?」

 鋭く突っ込んで来る桂凛。

 戒莉は桂凛をけん制している自分に気づく。

 桂凛からはいろいろと聞き出したいが、突っ込んでいけば、こちらの手の内を晒すことにもなる。桂凛とて、長年仕えている主人と、ほんの数日前に会ったばかりの男と、どちら側につけば良いのか、分からないはずがない。

「いや、見てないよ」

 戒莉は、自然と薄く笑っていた。

「ふうん……まあ、いいわ」

 良くはないだろうが、桂凛は引き下がった。彼女には何か、次に言うべき言葉があるのだろう。戒莉は、桂凛の口が開かれるのを待った。

「今夜、暇?」

 桂凛は、実に可愛らしく、小首を傾げた。

 

 戒莉は、深く後悔する。

 

「夜が暇なら眠りたいね」

 桂凛の問いかけに、本気でそう答えた。いくらよく寝たといっても、戒莉には、まだ寝足りない。

「忙しいって訳ね」

 桂凛は、戒莉の奥底を探るように目を細めた。

「杖身だからね。見回りしとかないと、クビになるだろ」

 もしかしたら、今夜も珊揮が来るかもしれない。戒莉は、ぼんやりとそんなことを考えていた。

「見回りねえ。誰かと会うとかじゃなくて?」

 戒莉の心の内を見透かしている訳ではないだろうが、桂凛が意地の悪い笑みを口元に張りつけて言う。

「たとえば君と?」

 戒莉は顔を僅かにそらし、視線だけを桂凛に投げた。

 自分の口からこんな言葉が出たのだろうか、戒莉は密かに驚いていた。

 

 

 表面は、小さな波ひとつ起きてないかのように穏やかだ。

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