桂凛の元をなんとか離れることができたころ、戒莉は玉葉が既にここを去っていることを知った。
気付けば宵の闇が、ひたひたと近づいている。
力を失いつつある光の中で、鏡の中に自分の影を戒莉は見つけた。
ひどいありさまだ。
乱れた髪をなおそうと、一端髪を結んだ紐を解いた。
はらりと、髪が肩に落ち、背に流れた。
―― 長い
以前から、自分の髪は長すぎると戒莉は思っていた。
切ろうとしたこともある。なぜか周囲が猛反対をしたために、それは今まで果たせないでいる。
短いのはみっともない。と、皆が言った。
戒莉は髪が長いせいで女に間違えられるのではないかと思っていた。
日本にいたころ、男は長く髪を伸ばさないのだと、母親が言っていた。母の髪は長く、つるつるとして良い香りがした。戒莉は、自分もこんな風にしたいと言って、母に笑われた。
『男の子は短くしていた方が男らしいのよ』
今回の件がひと段落したら、切ってしまおうかと、戒莉は考える。だが、きっと切らないで終ってしまうのだろう、とも思う。
「馬鹿か」
詰まらないことを考え過ぎた。戒莉は自嘲し、さっと髪をひとつに縛りなおした。
表に、ここ数日うろついていた胡散くさい男たちはいない。
戒莉は、そっと店を抜け出した。
玉葉のことが気がかりだった。
こんな時刻だ、おそらく玉葉は家路についているだろう。玉葉の家のある廬をさして、戒莉は歩を進めた。
どれだけ先を行ってしまったのだろうか、戒莉は玉葉の姿を一向に見つけることが出来なかった。
戒莉の胸の内が奇妙にざわつく。剣までが鳴り出しているような落ち着かなさだ。
戒莉の歩みは、自然と早まっていった。
玉葉の口は、乱暴な手に塞がれていた。もう片方の手で体を捕らえられ、声を上げることも叶わない。
背後に密接して感じられる男の息の匂いに、玉葉は吐き気がした。
何とか男から逃れようと力の限り抵抗しているつもりの玉葉だが、その縛めから逃れることが出来ない。
玉葉の視界に、粗末な幌のついた馬車が入った。
あそこに連れ込まれたらおしまいだ。そんな気がした。
それが分かりながらも、玉葉は後ろへずるずると引きずられていく。地面に自らが刻む誘拐の軌跡を、玉葉はなす術なく見ていた。
周囲は人気がなく、玉葉を助ける手は差し伸べられない。
このとき、玉葉の胸に灯るのは、助けを求める言葉ではなかった。
かつて杏玲の身に何が起こったのか、その時に杏玲が感じたであろう絶望が、玉葉には分かった。
―― 杏玲……