食事が終ると、何事もなかったように仕事をするようにという珊揮の笑顔に促されて、朱甲は席を立った。
ただし、新しい杖身と称する見張りがついていた。それは王の目の動向を探っていた者で、この街で合流した珊揮の仲間のひとり、字を真佳(シンカ)という。
真佳は、この役目に大いに不満であったらしい。何しろ、今まで王の目を単独でここまで追ってきたという自負がある。ここで当の王の目から離されるというのは納得がいかない。しかも、この場に戒莉が絡んでいるのが、また腹立たしいのだ。真佳と戒莉とは、以前からどうも折り合いが悪かったのだが、それはまた別の話。
王の目は、暴走などしてはいない。珊揮は、そう言った。
ただ少し、疲れているだけだ。
戒莉は、途方もない生と、計り知れない使命とを背負ったらしいこの二人の男が哀れに見えてくるのに、嫌な心持ちがした。
彼らは、死なないのではない。死ねないのだ。
「王の目が暴走していると、言ったのは誰だろうね? ……戒莉」
そんなことを問うべきではない相手に、珊揮が問うた。
「柳の官吏だろ」
それは珊揮が言っていたことだ。聞かなくても、珊揮が良く分かっていることだ。それをあえて戒莉に言わせたのは、漣浄に聞かせるためだ。
「では、王の目は暴走しているのかい?」
「いや……多分」
否定して、曖昧に流した。
「じゃあ、本当は誰が暴走しているのかな」
「……」
これに応えるべきなのは、自分なのだろうか。戒莉は、口をつぐんだ。視線は、王の目に向かう。
漣浄は、珊揮と戒莉とを交互に睨んだ。
「暴走しているのは官吏の方だ」
柳の地官は、土地、戸籍のほかに鉱山の管理も行っている。
ここ数年で、鉱石の産出量が減ってきていた。帳簿の上でも、それはハッキリしているように見えた。
しかし、漣浄は密かに鉱山を探った。
それは、ある地官に疑いを抱いたからだった。
その地官、仮に字を保源(ホウゲン)と呼ぶ。
保源の金回りが異様に良かった。
もちろん表立って、贅沢三昧を見せ付けるようなまねはしていない。保源が大金を使い、集めるのは専ら武器だ。冬器はもちろん、それ以外の刀、弓、鑓、鉾、鎧兜なども集めていた。これだけ聞くと、すわ反逆か、と言う処だが、これは趣味らしい。夜な夜な秘密の倉に一人入っては、刀剣などを眺め、甲冑など撫で回しては、楽しんでいるらしい。
時に、剣客、傭兵などを屋敷に呼び寄せ、それら収集品を使わせて戦うところを見るという楽しみ方もあるらしい。漣浄は、一介の剣客として何度か屋敷に入り込むことが出来た。その度に漣浄や他の者たちは、大金を渡され、ここであったことをきつく口止めされた。
保源の周囲で、結構な金が動いている。漣浄は、その金の出所に疑問を感じたのだ。
税を誤魔化しているのか、賄賂をとっているのか。様々な可能性も探ったが、一向にそれらしいことは出てこなかった。
そして思い至ったのが、鉱石採掘量を実際より少なく報告し、その分の利益を保源が懐に納めているのではないかということだった。
しかし、調査の結果、どの鉱山にも不審な点はなかった。
現地の鉱夫の口からもそれを裏付ける証言が得られた。
原因は分からないが、資源というのも無尽蔵ではない。枯渇が始まったのだろう。そう、結論付けて良い様に思われた。
漣浄は何の収穫もないまま、鉱夫の愚痴をさんざ聞かされるはめに陥った。
鉱夫の中には、別の仕事に鞍替えをする者も後を絶たないという。
そして、そんな鉱夫の間で、ささやかれる噂があった。
その噂とは、ある鉱山では鉱夫を集めていて、破格の賃金が貰えるのだというものだった。ただし、鉱山が何処にあるのかなど、確かなことは誰も知らなかったし、実際そこで働いたという者も居なかった。
鉱夫たちの願望の現われのようだと漣浄は感じた。
ただ、漣浄はこれを単なる噂と片付けることも出来なかった。
更に、その思いを後押しするように、あちこちで鉱夫が姿を消すという事件が起きていた。鉱夫以外の者も各地で失踪しているということが漣浄の耳に入ってきた。それら事件は、現地では話題にのぼるが、各地で起きたことを関連付けて考える者はなかった。たった一人、漣浄を除いては。
この国は、地方自治がしっかりしている分、地方同士の繋がりが分断されているところがあるのかもしれない。
保源が裏で糸を引き、密かに人を集めては、新たに開発された鉱山などで働かせている可能性がある。
鉱山の場所や、それが鉱山であるという証拠もない状況であったが、漣浄は、民の失踪事件を追っていけば、保源へとつながっていくのではないかと考えた。
そうして、辿り着いたのがこの街であり、朱甲であったのだ。
「で、あんたは、まんまと珊揮の撒いた噂に『釣られ』たっていう訳だ」
それまで何とか黙って話を聞いていた戒莉だったが、ここでつい口が出た。
「そう言うお前たちは、その保源に、まんまと利用されて王の目を『釣った』って訳だ」
漣浄に言い返されて、戒莉は図星をさされてむっとした。
だが、そうだろうか。と、思いとどまる。
珊揮のことだ、はじめから腹の中では官吏からの『王の目の暴走』なんて話には疑いを持っていたかもしれない。
珊揮とは、そういう男だ。
漣浄の語る話をどこまで信用して良いのか、戒莉は分からなかった。
珊揮は概ね信じているようだった。
少なくとも、そのように見える。本気なのかどうかは、戒莉にはやはり分からない。何しろ、相棒である戒莉にも仕事の内容をきちんと言わないような男なのだから。
それに関しては、戒莉自身も反省すべきところがあると思ってはいる。戒莉は、珊揮にものごとを突っ込んで尋ねることをしないのだ。珊揮にのらりくらりとはぐらかされて、その苛立たしさについそれ以上聞くのが面倒になるというせいもある。
だが、それは何かが違うような気がする。
戒莉は気付いていた。
珊揮に黙って従っていれば、楽だからだ。
戒莉は、珊揮に依存している。
ちらりと、あの家生の娘の顔が浮かんだ。朱甲に依存し、それ以外の道を探ろうしない娘。
あの時に娘に感じた苛立たしさが、いま戒莉を攻め立てている。