天涯~柳編~   作:清夏

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『万事』

「で、これからどうするつもりなんだい」

 珊揮の問いかけは、漣浄に向けられたものだ。

 しかし、戒莉は自分が問われたような気がしてならなかった。

「とりあえず、あの朱甲を締め上げるってところだな」

 顎を撫でながら答えたのは、漣浄だった。

「それはまあ、乱暴だねえ」

 珊揮に異存はないようだ。

 

 

 

 朱甲は、自分が売った人間の行き先を知らないと言った。

 ただ、人を売るときには二つのやり方があるのだという。

 商人がここまで買い付けに来るのと、こちらから売りに行く方法と。

 前者は食料品を携えてやってきて、その代価として朱甲から人を受け取るのだという。梅香鳥の客というのは、鳥を買う客なのではなく、実は売りに来た商売相手で、品物の味を朱甲が確かめてから取引きすることにしているらしい。

 いまひとつの方法は、元山とその仲間たちが、あるところまで商品である人を運んで行き、そこで金のやり取りをするのだという。

 そこから先は、分からない。の、一点張り。

 

 

「役に立たねえおっさんだな」

 悪態などついてみたところで、事態は変わらない。だが、漣浄は朱甲に凄んでみせた。

「じゃあ、こいつ斬ってもいいか?」

 戒莉は、刀の柄に手をかけてみた。 もちろん、本当に斬る気はない。ただ、朱甲に戒莉がそういう人間だと思わせればいいことだ。

「まあまあ、本当のことを言ってないだけなのかもしれないよ。ねえ、朱甲さん」

 ニコニコと珊揮は、朱甲の顔を覗き込んだ。

 これは、俗にいう『飴と鞭』というやつだ。もっとも、鞭は正しいが、飴が本当に飴になっていたかはアヤシイ。

 朱甲は床にへたり込み、ガクガク震えながら、ぶんぶん首を振った。

 珊揮はその様子をしばし眺めて、ふっと言い放った。

「仕方ないねえ、じゃあ斬っちゃうか?」

 珊揮の声が、明るく響いた。

 やっぱり、飴じゃない。

 朱甲は、奥歯をガチガチと鳴らせている。

 戒莉は無表情のまま立ち上がると、すらりと剣を抜いた。

 朱甲の顔色たるや、もはや人としてはあってはならないようなものに変貌を遂げていた。

 この様子では、本当に何も知らないらしい。万事窮すというところか。

 戒莉は上段にかまえると、ピタリと動きを止め、冷視線をひたと朱甲に落す。

 朱甲は、刃に恐れおののきながら、戒莉から目をそらすことが出来ない様子だった。

 

 自分は本当に朱甲を斬ろうとしているのだろうか。戒莉は、今更そんなことを考えている。

 考え、考えしているうちに、戒莉はふと思いついた。

「なあ、このおっさん。売ったらどうだ?」

 思ったことを、口にしてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その朝の朱甲の家の異変と言えば、桂凛の失踪と、杖身が三人増えたことだった。

 この三人というのが、今までの女のような優しげな容貌をした若い男とは打って変わって、逞しい体躯を誇る杖身の中の杖身といった男たちだった。

 ひとりは赤錆のような髪に褐色の肌をした、厳つい顔の大男で、両の腰に差している剣が怖ろしげだ。

 いま一人は、赤錆髪の男よりは小柄だったが、惚れ惚れする逞しさには、遜色がないように感じられた。腰に一振りだけ備えられた剣は、装飾などの愛想はないものの、男の力を感じさせるものだった。

 三人目、朱甲の傍にピタリと張り付いている男は、その二人に比べるとやや細身だったが、若く血気盛んな感じがする。

 なぜ今、朱甲は杖身を新たに雇い入れたのか、その真意を知る奉公人は居なかった。

 

 

 英俊と希央がいかに優秀だとて、ここまで無かったことに出来るものかと、戒莉は半ば呆れていた。

 血まみれの賊の姿がないのはもちろん、赤黒く汚れた壁や床もキレイに清められている。

 奉公人たちは、誰も昨晩起きたことなどに気付きもせずに、常の仕事を黙々と進めている。

 桂凛が姿を消したが、この頃の朱甲の家では奉公人がいなくなるのは良くあることで、おおかた朱甲に見切りをつけて夜逃げを決め込んだのだろうと、皆呑気に考えているようだった。

 戒莉が部屋に戻ったときには、桂凛の姿は、既に無かった。

 英俊か希央が連れ去ったのだろう。桂凛は、戒莉がこっそり酒に混ぜた薬で眠っているはずだった。だから、自分でここを抜け出したとは考え難い。

 

 

 戒莉は、朱甲の屋敷の平穏な風景を眺めるともなく見渡しながら、世の中とはこんなものなのかと思った。

 秋明が床を磨いている姿が、戒莉の目に留まった。相変わらず、一所懸命という様子に、戒莉はなぜか安堵した。

「おはよう」

 目が合って、戒莉は声をかけた。

「おはようございます」

 にこりと微笑む娘の顔に、戒莉はまた問いかけたくなる。だが、戒莉は尋ねはしなかった。

―― 朱甲を失ったら、この娘はどうするのだろう。

「いい天気だね」

「そうですね」

 他愛の無い会話が空回りする。

 こんな日常でも、いつか懐かしく思い出すこともあるのかもしれないと、戒莉は胸に刻んだ。

 きっと、この娘は自分を憎むことになるだろう。そう、戒莉は思った。

 秋明は、安心して住む家も、食事も、仕事も総て失ってしまうのだから。

 

―― 珊揮を失ったら……どうするのだろう

 

 朱甲が四人の杖身とともに、屋敷から姿を消したのは、その翌日のことだった。

 

 

 

 

第五章 了

 

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