お母さんが言った。
「人を傷つけてはダメよ」
僕には人を傷つけるだけの力がない。
なのに、お母さんは何でそんなことを言うんだろう。
「お前なんか生まれてこなければ良かった」
もう、いいだろう。
お母さんは充分苦しんだし、僕は死にたいほど。
「あんたこそ、死ねばいいのに!」
ああ、これって夢だ。
だって僕は、こんな言葉を言ったことなんてないもの。
でも、いつも心の中で思っていた。
何度も、何度も言いたかった。
―― 死ねばいい
そう思い、思い続けて、ある日、おばあちゃんは死んだ。
死んだんだ。
「なに?」
戒莉が起きたのかと思い、藍椋はその顔を覗き込んだ。
戒莉は眠っている。
藍椋は、戒莉が何か言っているのを確かに聞いていた。
「なんだ。寝言ね」
藍椋は独り言で、戒莉の頬を撫でた。
戒莉が何を言ったのか。藍椋は理解しなかった。だが、明瞭に戒莉は言っていた。
『死ねばいい』
だが、それが日本語のために藍椋には意味のない音にしか感じられなかった。
眠っていても苦しげな顔をしている戒莉を見ているのは、辛いものだ。
「眠っているときくらい……笑っていられると、いいのにね」
藍椋は、微笑んだ。戒莉の分、笑ってみた。
僕なんて、死ねばいい。
戒莉は三日寝込んで、まだ床から離れられていなかった。
そんな戒莉に対し、珊揮から語られる鉱山のこと。漣浄のこと。玉葉のこと。
漣浄への貸しについて、珊揮は一言も言わなかったが、そんなことに気付くような余裕は、戒莉にはなかった。
話を聞くうちに、戒莉は自分の腹の中に岩のようなものが積み上げられていくような想いがした。
―― 重い。
少し気をそらそうと、元山はなんで戒莉たちの馬車を襲ったのだろうか。という質問を珊揮にぶつけてみた。
「さてね、五人の仲間を助けようとしたんじゃないのかな」
賊にも情というものがあるのかと、戒莉は無理やり笑おうとした。
「ずっと、自分が死ねばいいと思ってたはずなのに。結局、自分が生きる為に他の人を殺してる」
生き意地が張ってると、戒莉は笑った。
「人を生かす為に自分が死ぬことは難しいよ。ほとんどの人間は、生きたいからね。」
「でも、その逆は簡単だ」
「そうとも言えない。戒莉、一生のうちに人を殺すようなことをする人間は、やっぱりほとんどいないものだよ」
いつになく、キッパリと珊揮は、そう放った。
戒莉の目を見開かれ、その唇は何事か言いたげに微かに動いた。けれども、何も言えなかった。
珊揮が、ゆっくりと戒莉に言葉を落した。
「殺していい人間はいない。でも、死んで良い人間もいない」
どちらも同じことのようで、戒莉にはなんだか矛盾しているような気がした。
「じゃあ、俺はどうすればいいんだ」
つい言いたくもなる。
ふっと、緩めるように珊揮は笑む。
「駄目だよ。自分で考えなくちゃね」
朱甲もただ、自分が生きる為に他人を犠牲にせざるを得なかったのかもしれない。元山も、他に生きる術がなくて、人の命を奪って生きていたのかもしれない。
だが、本当にそうだろうか。生きる道は、他にいくらでもあったのではないのか。
戒莉は金を稼ぐために、生活のために人を殺す仕事を選んでしまった。他に取り柄がない。というのは、言い訳だ。
「こんな俺でも、やっぱり朱甲は許せないと思うのは、傲慢なんだろうか」
ただ頭の中で考えていただけのはずの言葉が、戒莉の口ぽろりと出てしまった。
戒莉は、はっとしたが、一度放たれた言葉は、もう取り戻しようがなかった。
「戒莉と朱甲や元山との違いはね。そんなことを考えるところにあるんだよ」
「罪の意識さえ持って入れば。相手が犯罪者なら、人を殺しても許されるのか?」
「いいや、許されないよ。戒莉、お前も私もね」
「私は人殺しだからね」
珊揮は戒莉の顔をじっと見て、暫く考えてから、ゆっくりと語りだした。
「いつか誰かに殺される以外に死ぬことは出来ない。自分で死に方は選べないんだよ」
正しいことを言っている訳ではなかった。それは、言っている珊揮自身も、戒莉にも分かっていた。
珊揮はそう思っている、というだけのことだ。
「まあ、お前には病気や老衰という死に方もあるかもしれないけどね。それにしても自分で命を断つことは許されていないんだ」
珊揮の言うことは、慰めにもならず、戒めでもない。
戒莉は、視線を自分の手のひらに落した。
「だからね、戒莉。自分が死ねば良いなんて思う方が、私に言わせれば傲慢なんだよ」