蛇足ともいう。
その女囚が、自分に面会を求めているという話を聞いた時、玉葉は何かの間違いではないかと思った。
面識のない女だった。名も聞いたことがない。
その女囚は、桂凛といった。
薄気味が悪い話なので、はじめ玉葉はこれを断った。
だが、ぜひにと頼まれた。
その桂凛は、三日後には処刑されてしまうのだそうだ。
桂凛は、最後の面会人に玉葉を指名してきたのだという。
玉葉の胸に、あの鉱山で死にゆく者たちの最後の言葉が蘇ってきた。
その女囚が、何故、何を玉葉に語ろうというのか、全く想像がてきなかった。だが、その最後の言葉を聞かないわけにはいかないと、玉葉は思った。
地下の牢は日がささず、じめじめとしていた。この陰鬱な空気は、環境だけのせいではないだろう。
そこには死の匂いがした。
「ここだ」
牢番に連れられて、玉葉はその鉄格子の前に立った。
小さな牢だった。ささやかな寝台に薄い夜具だけが、しつらえてある。そこに一人の女がうなだれ、ひっそりと座ってた。
これが桂凛なのだろう。暗くて判然としないが、まだ若い女のようだった。
「おい」
牢番が声をかけると、桂凛は大儀そうにゆっくりと顔を上げた。
「あまり格子に近づかないように」
牢番は、玉葉にそういうと、その場を立ち去っていった。その足音が遠のいていくのが、なんとも心細く響いた。
「あんたが、玉葉?」
女はしっかりとした声で、口を開いた。
玉葉は、小さく頷いた。
「呼び出して悪かったわね。びっくりしたでしょ」
そのとおりだ。玉葉は、二度頷いた。
「多分時間はあまりないから、本題に入るけど、あたしね、あんたの妹にことづけを頼まれたの」
「杏玲に?」
驚きとともに、玉葉が初めて声を出した。
「あの子、杏玲っていうんだ」
桂凛は、奇妙なことに感心した。名も知らぬ者から、ことづけを頼まれた。そんなことがあるのだろうか。
「言いにくいけど、あんたの妹、死んだのよ」
言いにくいといいながら、桂凛はあっさりと言った。
「え」
その口調が、あまりにさらりとしていたためだろうか、話の内容が衝撃的過ぎたせいだろうか、玉葉は桂凛の言葉をすぐに理解できなかった。
「朱甲って知ってるでしょ。あんた、朱甲の屋敷で見たことがあるわ。あの朱甲にあんたの妹は殺されたのよ」
桂凛というのは、重大で、残酷なこともこんな風に、今日の夕飯の献立でも言うかのように喋るのだろうか。玉葉は、知らない。だが、ただ、ひたすらに信じられない。
「嘘」
「嘘じゃないわ」
「なんで」
「はずみだって、朱甲は言ってたわ。」
杏玲は、頼まれた婚礼衣装を朱甲に届けに行ったきり、家に帰って来なかった。それは、朱甲に殺されたからだった。
玉葉の頭の中で、その事実が徐々に真実として認識されつつあった。
「朱甲はね。あの子の持ってくる刺繍をひとりじめしたかったの。金になると思ったのね。自分にだけ刺繍を渡して、他に売らないように頼んだの。でも、あんたの妹は、それを承知しなかったみたい」
おそらく、藍椋に対して申し訳ないと考えたのだろう。玉葉は、そんなことを考えられる自分を奇妙に眺めていた。ぼんやりとしながら、どこかが明瞭だ。
「朱甲は、ついかっとなって娘を突き飛ばしたら、転んで頭打ったんだって、言ってたわ」
すらすらと、何度も反芻したように事情を語り続ける桂凛。表情は、全く読めない。
「だったら、直ぐ知らせてくれれば」
それならば、事故だ。事故だからといって、朱甲が許せるものでもないし、赦されることではない。しかし、事故ならば、せめて事情を明らかにして遺体を家族の元に返してくれても良いはずだ。
「そうよ。でも、朱甲って男は評判を気にしたのね。過失とはいえ、人を殺してしまったなんて評判が立ったら、商売に影響するから」
「そんな」
そんな自分勝手な理由があるだろうか。いや、あるのかもしれない。だが、許せない。絶対に、赦さない。
「それにね。朱甲は人買いをしていたのよ。知ってるでしょ。それで、捕まって、この間処刑されたわ」
それは、玉葉も知っている。あの鉱山の事故現場にも行った。その時は、杏玲が、朱甲に売られて、鉱山にいるかもしれない。そう、思ってのことだった。
数日前の処刑のときも、この朱甲が杏玲を売ったに違いないと思っていた。その杏玲の行方がまだ分かっていないのに、朱甲が処刑されてしまうなんてと、複雑な心境だった。
そう思ったときに、玉葉ははっとした。朱甲が杏玲を殺したことを知っている、この桂凛という女囚は、なんの罪で処刑されるというのだろうか。
「あたしは、その人買いの仲間だった本山っていう賊の一味だったって訳。あたしは、朱甲の屋敷にいて、朱甲と本山のつなぎ……連絡役ってところだった。まあ、お頭からは、朱甲がこっちを裏切らないか見張ることと、何かあったら屋敷の中から手引きをするように言われていたけどね」
つまり、この女はあの残酷な犯罪の片棒を担いでいたのだ。もしかしたら、杏玲殺しにも関わっていたのかもしれない。
全身から震えが襲ってきた。玉葉は、今、自分の中の感情がなんという名前のものなのかを見失っていた。怒り、悲しみ、哀れみ、そして殺意。
「だからあたしは、処刑されるの」
自分のことすら、桂凛の言い様は、淡々としている。
玉葉はあらためて、桂凛という女を見た。
目が、慣れてきたせいで、最初よりもはっきりと顔が見える。
やつれ、薄汚れているが美人の部類に入るだろう。
玉葉は自分の顔の疵がちりちりと痛むのを感じたような気がした。
「あたしのことは、どうでもいいわ。まあ、そういうことであたしはあんたの妹の最後を看取ることになったのよ」
「あ」
「そうよ、あんたの妹は、直ぐには死ななかった。直ぐ医者に診せたら、助かったかもしれない。でも、朱甲はそうしなかった。あたしも、しなかった」
残酷だ。あまりにも残酷すぎる言葉が、桂凛から放たれる。
「あんたの妹、杏玲は言ったの。玉葉って姉に、伝えて欲しいって」
玉葉は、その場に倒れるようにしゃがみこんだ。