アナザー・ディメンジョン -異界交流記-   作:誠龍

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第140話 復讐の鬼

昭和62年12月24日。クリスマス・イブ。世間はクリスマス一色となっている頃、涼子は“仲間"と共に夜の埠頭に立っていた。バイクのマフラー音がウォンウォンと響き渡り、その先頭には特攻服を着た鬼怒川、そしてサラシの上からレザージャケットを着てジーンズを履いた涼子が立っている。

 

「いいか、お前ら‼︎絶対に五十嵐を守るんだ‼︎何としてもコイツの親父さんを嵌めた野郎を見つけ出してぶちのめす‼︎いいな‼︎」

 

「応ッッッ‼︎」

 

けたたましいエンジン音と共に鬼怒川の部下達が返事をする。皆意気込みは充分だ。

……涼子はどうしても紅鸞会を許せなかった。父親と仲は良くなかったが、それでも自分達一家をここまで追い込んだ紅鸞会を許すわけにはいかない。涼子は復讐を決意したのだ。

そんな中手を貸してくれたのが鬼怒川だ。美香の手引きで事情を知った鬼怒川は本来敵視しているはずの涼子を救うためにチームのメンバー達を総動員して調査に応じてくれた。

今だって本来なら涼子一人で行こうとしたところを見抜かれてこうして部下のメンバーを集結させ、結局大所帯で向かうことになったのだ。まったく、馬鹿な男だと涼子は苦笑する。

 

「あんた……相手はヤクザなんよ?わかっとーと?」

 

「ハン、そんなの知ったこっちゃねぇ。お前を倒すのはこの俺なんだ。ヤクザなんかに横取りされてたまるかよ」

 

「とかなんとか言っちゃって、鬼怒川さんったら本当は涼子さんのこと好きなんでしょ?ほんと素直じゃないんだから」

 

「アッ、アキラ!てめぇ!!」

 

鬼怒川が顔を赤くしながらアキラの頭頂部に拳骨という名の鉄拳制裁を下す。あとで知ったことだが、鬼怒川はどうやら自分に惚れているれしい。何度も負けては挑むを繰り返すうちに段々と彼女の凛々しさに惹かれるようになっていた。それが本音だそうだ。

しかし無駄にプライドが高いせいかなかなか素直になれないのが現状だ。そのせいでこうして舎弟のアキラに茶化されるのがお馴染みの光景になりつつある。

さて今回の目的だが、紅鸞会会長の鷲尾の居所を涼子達は独自の調査で掴んだ。奴は現在小倉の小倉北製鉄所にいるらしい。あそこは昔から御堂誠公会と裏で繋がっているらしく、裏社会の大きな組織同士の取引の場所としても使われているとのこと。

ここまでの情報を集められたのは美香の活躍によるところが大きい。新聞部としての手腕は学生ながら確かなようだ。

……自分と家族の全てを奪った御堂誠公会。特にあの紅鸞会会長だけは決して許さない。確かに父とは仲が悪かった。いなくなってしまえばいいとさえ思ったこともあった。だが連日テレビや週刊誌で晒し者にされ、非難され蔑まれる父の姿をこれ以上見てはいられない。この騒動によって涼子は学校という唯一の居場所を失くした。社長の娘である涼子からもコメントを求めて学校にまで押しかけるマスコミに耐えかねて自主退学をしたのだ。

それに自分が居続ければ友人や自分を慕ってくれる同級生達、さらには先生達にも迷惑がかかってしまう。そうなる前に涼子は学校から身を引いた。

 

社会的地位も居場所も失った彼女に残された道はただひとつ、全てを奪った紅鸞会の鷲尾に対する復讐だけだった。そのためならば命を捨てる気でいた。

どのみち今の自分は屍のような存在だ。ならばいっそ本物の屍になるつもりで一矢報いてやろうではないか。

 

 

 

カタギを舐めると痛い目に合う、と奴等に思い知らせてやる。

 

 

 

 

 

 

 

涼子達は一時間半後、製鉄所に到着した。既に入り口近くには見張りであろう組員達が仁王立ちしている。だがそんなことはどうでもいい。些細なことだ。

 

 

立ち塞がる者は、全て倒すだけだ。

 

 

 

「ん?なんだ、貴様ら……ぐわっ!!」

 

「なっ!?こ、このアマ……ぐほぁっ!!」

 

涼子は問答無用で見張りの二人を薙ぎ倒す。後に続く鬼怒川達もバットや鉄パイプを武器に涼子と共に製鉄所内に侵入を始めた。

そんな中、美香はアキラの護衛のもとバイクを停めた場所で待機しながら遠ざかる涼子達の背中を心配そうに見つめている。

 

「……美香ちゃん、いいのかい?大好きな先輩を止めなくて」

 

「……センパイが今回の一件で心に受けた傷はあまりにも大きいです。確かに人としてここは止めるのが当然かもしれません。ですが……これだけの傷を負ったセンパイの怒りと悲しみは本人にしかわかりません。私みたいな恵まれた人間がどうしてそれを止めることができるでしょうか」

 

涼子は日常と居場所を失った。もちろん父親が違法な事に手を染めてしまったことは変えようもない事実であるしそれの裁きを受けるのは当然のことだ。

しかし彼女の父親である平蔵の“将来の不安"という弱みにつけ込んでその道に招き、陥れたのは紛れもない紅鸞会の連中なのだ。なのに涼子達だけが報いを受けて彼等は野放しなのはどう考えても間違っている。

まともな方法が通用しないのならばこういう形で報いを受けさせるしかない。少なくとも涼子の背負った悲しみの分は。

 

「そうかい……野暮なことを聞いちまったな」

 

「いえ……それよりアキラさんこそごめんなさい、私を守るためにわざわざ残ってもらっちゃって」

 

「いや、いいんだよ。そもそも俺はあんまり喧嘩強くないしな。こうしてリーダーが帰れる場所を守るような縁の下が性に合ってんだ。それに……」

 

「それに?」

 

「芯の通った仲間想いのマブい女と一緒にいられるのは悪くねえさ」

 

アキラはそう言って苦笑しながら煙草に火をつけた。

 

 

 

 

 

 

 

「どぉりゃぁぁ!!」

 

「ぐわぁぁっ!!」

 

涼子は襲い掛かる組員を見事な背負い投げで叩きつける。時に拳を、時に鉄パイプを武器に縦横無尽に暴れ回り、女でありながら大の男達を次々に叩き伏せるその姿、まさに鬼神の如き活躍だ。鬼と呼ばれた女のその荒々しさに組員達はおろか、鬼怒川や舎弟の男達でさえ彼女に目を見張る。

 

「す、すげえ……」

 

「あれが鬼怒川さんでも勝てない“鬼の涼子"……」

 

一体あの華奢な身体のどこにそれだけの怪力が秘められているのだろうか。その細い腕からは想像もできない腕力で一回り以上も体格差のある組員達でさえ軽々と捻り潰されている。

 

「……へっ、これが“鬼"の本気か。なるほど、俺が勝てねえわけだ」

 

戦いの最中、鬼怒川は鬼神の如く奮戦する涼子の姿に見とれていた。恐ろしいまでの怒りと力。女性でありながら“鬼"の名に恥じぬその姿に美しささえ感じる。そこに自分は惚れたのかもしれない。あれほどまでに強く、美しい女は見たことがない。異性・同性を問わず告白されるというのも納得だ。

 

「うおおおぉぉ!!どかんかキサンらああああ!!」

 

涼子の猛攻は続く。その勢いに大の男達ですら圧倒され、彼女の通る道には力無く倒れた者達が横たわるばかり。

ある者は彼女を鬼に例え、またある者は彼女を中国の三国志時代の猛将・呂布に例えた。まさに一騎当千と言わざるを得ない強さだ。

 

「おめーらの親玉を出せ!!」

 

「なっ……ぐっ……ガキがっ……!!」

 

涼子は組員の一人を後ろから締め上げ、拘束する。しかしなおも抵抗をする組員にさらに涼子は怒鳴る。

 

「聞こえんやったんか!?親玉の会長を出せっちゆーとるんじゃボケがぁ!!」

 

組員を地面に叩きつけ、うつ伏せになる男の後頭部を思い切り踏みつける涼子。

 

「かっ……会長は……工場を出た先の……埠頭にいる……!」

 

「そうかい!やったらお前はもう用無しじゃ!寝とけこのカス!」

 

さらに頭に強い踏み付けを行い、男を気絶させる涼子。そばに転がった鉄パイプを拾って肩に担ぐと彼女は鬼怒川達に奥を顎で差しながら一言だけ発した。

 

「奥や。行くぞ」

 

そう言いながら奥を目指して歩く涼子に鬼怒川と部下達は「ヤクザよりもヤクザらしい」とさえ感じたのであった。

 

 

 

 

 

 

工事や倉庫を抜け、幾多の敵を倒しながら製鉄所の奥にいるという鷲尾会長を探してさらに突き進む涼子と仲間達。そしてついに――

 

「見つけたばい!覚悟しいや!」

 

取引相手であるスーツの男達には目もくれず、目標の男――鷲尾彰一を発見した涼子は鉄パイプを握り締めて全速力で走り出す。

が、しかし。

 

「ッッ‼︎」

 

一発の銃声が鳴り響く。それは涼子の身体ではなく、彼女の持っている鉄パイプを撃ち抜いた。衝撃で手から離れた鉄パイプがガランガランと乾いた音を立てて地面に転がった。

 

「おやおや。こんなとこまで来れるとは……予想外だったよ、五十嵐さんの娘さん。流石“鬼"と呼ばれるだけあるねぇ。でも君の復讐ごっこもここで終わりだよ。ヤクザが銃を持っていることくらい想像しなかったのかね?」

 

冷たい声で薄ら笑いを浮かべながらこちらに銃口を向ける鷲尾はさらに続ける。

 

「まあいい。そんな君に面白いものを見せてあげよう」

 

鷲尾は近くにいた組員に顎で指図すると組員は深く頷いたのちに倉庫の影から縄に縛られて身動きの取れなくなった二人の男女を連れてきた。あれは……!

 

「み……美香ッ!!アキラぁッ!!」

 

連れてこられたのは入口で待っているはずの美香とアキラだ。しかもアキラの方は顔中腫れ上がって血まみれになっており、酷い暴行を受けたことがわかる。

 

「せ……センパイ……!」

 

「す、すまねぇ涼子さん……ドジっちまった……」

 

二人の頭には銃口が突きつけられており、美香の身体はガタガタと震え、アキラは跪いたままぐったりとしている。

 

「五十嵐ぃー‼︎今銃声が……なっ、なんだこりゃあ!?」

 

遅れて駆けつけた鬼怒川も目の前の状況に驚きを隠せない。美香とアキラに銃口が突きつけられている。鬼怒川はそれを見て怒りを露わにした。

 

「て、てめぇら!!二人を放しやがれ!!」

 

「おっと、君達は状況と立場を弁えていないようだな。今この二人の命を握っているのは私達だ。大人しくした方が身のためだぞ?さもなくば君達全員皆殺しだ。もちろんこの二人もね」

 

ニヤリと笑いながら鷲尾は銃を美香とアキラの二人に向ける。その両隣にはさらに銃を握った組員が二人。とても逆らえる状況ではない。もし逆らえば二人の命は……。

 

「よし、ではビジネスライクに行こうじゃないか。二人を解放してほしくば……五十嵐涼子さん、君には彼等の代わりに人質になってもらおう。そして天神連合の鬼怒川君。君は二人と仲間を連れてここから引き上げたまえ」

 

「なっ……!」

 

涼子の仇が目の前にいるというのに仲間を人質に取られた挙句何も成す術がない。そんな状況に鬼怒川が歯軋りをし、拳を震わせるしかなかった。だがそれは涼子も同じであった。しかし彼女は――

 

「……わかった。二人を解放しい。あたしが代わりに人質になるわ」

 

「い、五十嵐!!」

 

「鬼怒川。あんたはみんなを連れて安全な所へ。あたしなら大丈夫やけん」

 

「五十嵐……クソッ……!」

 

涼子は鷲尾達の元に向かって歩き出す。しばらく歩いたところで「そこで止まれ」と指示され、近寄ってきた組員に乱暴に後ろ手を縛られ、涼子は拘束される。

 

「ふむ。いいだろう。おい、二人を解放しろ」

 

鷲尾は組員達に命令すると突きつけていた銃を下ろし、二人の縄をほどいて鬼怒川の元へと歩かせる。

ボロボロのアキラは鬼怒川と美香に肩を支えられながら涼子の方を見た。

 

「センパイ……ごめんなさい……私のせいで……!」

 

「涼子さん……すまねぇ……」

 

「五十嵐……!すまん……!」

 

「いいんよ。さ、あたしのことは心配せんで。あんたらは早よ帰り」

 

鬼怒川は美香と共にアキラを支えながら断腸の思いでその場を後にする。彼の心の中は女一人守ってやれない自分の不甲斐なさと鷲尾達ヤクザに対する怒りでいっぱいだった。彼は己の無力さを呪いながら涼子を残したまま仲間達と共に製鉄所を脱出した。

 

「いいお友達じゃないか。見た目より素直で」

 

「あんたこそ、ヤクザなんて約束も守らずにてっきり皆殺しにすると思ったばい」

 

涼子は苦笑しながら鷲尾を見上げて皮肉を言い放つ。そんな彼女の言葉に鷲尾もフッと笑いながら顎をさすりつつ、涼子を見下ろしながら口を開いた。

 

「私を他の野蛮なチンピラと一緒にしないでもらいたい。私は殺しよりビジネスを優先したいだけだ。誰であろうと殺しをすれば後始末が面倒だ。それにビジネスにも響く。あくまで殺しは最終手段だよ」

 

むやみやたらに殺人を犯せば後始末に困る上に金も時間も必要以上にかかる。証拠隠滅だって簡単なことではないし、警察機関や法的機関への根回しも多大な労力を使う。“殺人は必要最小限"、それが鷲尾のモットーだった。

 

「さて、大した金にはならないだろうが君には最後に多少の利益になってもらおう」

 

鷲尾はニヤリと笑うとこの時代では高価な携帯電話を部下に用意させ、ある場所に電話をかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、五十嵐です……何!?うちの娘を……!?」

 

 

 

 

「……わかった、すぐに用意する。娘には手を出さんでくれ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二時間後……。涼子は組員達に監視され、その場でずっと待たされていた。そんな中で過ごす二時間はまるでそれ以上に長く感じる。

 

そこへ二人の人物が駆け付ける。

 

「涼子!!」

 

「涼子ぉ!!」

 

「……!お父さん、お母さん……!!」

 

駆け付けたのは紛れもなく両親だ。血相を変えながら平蔵は大きなボストンバッグを抱えて鷲尾の元に投げる。

 

「鷲尾!約束の一千万円や!娘を解放せえ!」

 

「まあ、慌てないで。まずは中身の確認といきましょう。……おい」

 

鷲尾が命じると二人の組員がボストンバッグを開けて中身を取り出す。中からは大量の札束が現れ、組員達はそれの枚数を確認した。

 

「会長。間違いありません。一千万円です」

 

「ふむ、よかろう。娘さんを解放しろ」

 

涼子は縄をほどかれ、乱暴に突き飛ばされた。そのまま父と母に歩み寄り、平蔵とヨネ子は娘を力強く抱き締める。

 

「涼子……このバカタレが……!」

 

「お父さん……お母さん……なんで……!!」

 

「なんでって、あんたはあたし達の娘やろうもん!あんな奴等に金ぐらいくれてやるわい!」

 

密かに隠し持っていた最後の資産一千万。鷲尾はその一千万を身代金として平蔵に要求した。平蔵はもしものために残していた一千万もの現金を娘のために迷いなく鷲尾に差し出したのだ。

 

「いやあ、五十嵐さん。あなたにはよく稼がせていただきましたよ。最後の一千万は身代金としては少し安いですが……ま、ほとんどの財産を失ったあなただ。今回はこのくらいで勘弁してあげましょう」

 

「鷲尾……!」

 

「ですが次はありません。もしまた次娘さんが復讐にやってきたら……私は容赦なく殺します。金で解決できないならば最後は力しかないのでね」

 

「……地獄に落ちれや、悪魔が」

 

「フッ、言いたいことはそれだけですか?一大企業の社長ともあろうお方が落ちぶれたものですなあ。いや、“元"社長でしたな……まあいいでしょう。さ、今夜のことはお互いに忘れようではありませんか。おい!引き上げだ!」

 

鷲尾は銃をしまうと部下達に撤収を命じる。次々に彼等は車に乗り込み、製鉄所の敷地内から外を目指していく。鷲尾も高級車へと乗ると組員達に護衛されながらその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

復讐は果たせなかった。全てを奪われた上に自分のせいで父の最後の資産まで鷲尾に奪われてしまった。涼子は己の無力さに打ちひしがれ、両親に対してただ泣いて謝ることしかできなかった。

 

「お父さん、お母さん……ごめんなさい……!!あたし……!!」

 

「もうええんや、涼子。元はと言えば俺のせいや。俺が鷲尾の話に乗らなかったらこんなことにはならんかった……俺の方こそすまんやった……」

 

「あたしもお父さんに付きっきりで……涼子、あんたのことをなんも考えてやれんでごめんねぇ……あたし達は親失格やが……」

 

泣き崩れる涼子を抱きしめ、平蔵とヨネ子は娘を連れて車に乗り込む。後部座席でも涼子はずっと泣いていた。

 

 

 

 

こうして、鬼と呼ばれた女は復讐を果たせぬままとなる。

 

 

 

 

それから三ヶ月後……涼子を更なる悲劇が襲う。

 

 

 

最愛の祖父・巌鉄が病に倒れたのだ。

癌に侵されていた祖父の容態は芳しくなく、日に日に衰弱していった。そしてついに――

 

「おじいちゃん……!!しっかりして……!!」

 

「親父……!!」

 

「お義父さん……!!」

 

容態の急変した巌鉄を前に涼子と平蔵、ヨネ子の三人は必死に呼びかける。巌鉄は苦しそうな呼吸をしながら孫の顔を見た。

 

「涼……子……すまんなぁ……じいちゃん……はもう……無理……みたいや……」

 

自分の身体のことは自分が一番よくわかる。もはや自分にはあと僅かの時間しか残されていないことに巌鉄は気付いていた。

涼子はだんだんか細くなる祖父の手を力強く握った。涼子をいつも可愛がってくれていた祖父。そんな祖父の手……大きくていつもガサガサで、それでいて暖かい巌鉄の手が涼子は大好きだった。

そんな祖父の手から徐々に温もりが失われつつある。涼子は涙を流しながら祖父を必死に呼び続けていた。

 

「平蔵……」

 

「な、なんや親父……!!」

 

「俺は所詮……ただの百姓や……大したもん……は残せん……やけど……少しの……蓄えと……家と土地は……ある……お前は……好かんかもしれんが……あの家とわずかな……金を……お前達にやる……」

 

巌鉄はもしもの時に備え、涼子達のために家と土地の権利書と僅かな遺産を託すためにそれを綴った遺言状を残していた。そして今がそれを託す時だ。

 

「ヨネ子……さん……」

 

「は、はい……!」

 

「こんな……ハナタレの……嫁になってくれて……ありがとうな……ほんで……俺を……義父(ちち)と呼んでもろう……て……俺は……幸せやった……」

 

田舎者の息子の嫁になってくれたヨネ子に対して巌鉄は精一杯の感謝を伝えた。時々は衝突もあったが、それでも巌鉄はヨネ子を実の娘のように思っていた。

 

「涼子……」

 

「な、なん?おじいちゃん……?」

 

「お前は……女や……復讐なんかに……走んな……今から……つらいことも……悲しいことも……たくさん……あるかも……しれん……それでも……幸せになれ……!いつか結婚……して……子供を作って……女としての……幸せを……手に入れるんぞ……!」

 

頑固ジジイの自分をいつも慕ってくれていた涼子。自分の人生の余生は孫のために生きていたと言っても過言ではない。

 

……これで伝えるべきことは全て伝えた。もう心残りは何もない。

 

 

涼子が握る巌鉄の手が――

 

 

 

 

力無く落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おじいちゃん……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「お……おじいちゃん……!?おじいちゃん!しっかりして……!!」

 

 

 

 

 

 

 

「嘘……おじいちゃん……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「おじいちゃあぁぁぁ―――ん!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和63年、3月23日――。

五十嵐 巌鉄は愛する孫と家族に看取られながら静かに息を引き取った。

葬儀は親族のみで執り行われ、巌鉄の遺言通り家と畑を含めた土地、そして700万円の遺産を平蔵は譲り受けた。こうして五十嵐一家は博多の小さなアパート暮らしを捨て、津屋崎の平蔵の実家で農業を営みながら暮らすことになった。

結局毛嫌いしていた田舎の百姓暮らしに戻ってしまったなと呟く平蔵。だが悪くはない。愛する家族までは失わず、亡き父のおかげで必要最低限の暮らしはしていける。いつも喧嘩ばかりしていた父親だったが最期の最期まで自分と妻と孫のことを考えてくれていた。

 

「ありがとう、親父」

 

平蔵は畑仕事の最中、空を見上げながら父に感謝した。

 

 

 

 

 

 

 

 

――しかし、涼子の心の傷は癒えることはなかった。

大好きな祖父を失い、学校も辞めてしまった自分にはただただ大きな喪失感が残るのみだ。祖父は自分に幸せになれと言ったが、この状況でどうして女としての幸せなど考えることができようか。涼子は玄界灘の見える崖で海をボーっと眺めながら無気力に佇むだけだった。

 

 

 

もういっそのこと、ここから海に身を投げてしまおうか。

 

 

 

そんな考えが頭をよぎり、涼子は柵から身を乗り出して崖へと歩み寄る。

 

 

――ああ、もうどうでもいいや。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やめろ――っ!!」

 

突如、大きな声と共に後ろから羽交い締めにされた。若い男性だ。

 

「ッッ!!なんなんあんたは!!」

 

「早まるなっ!!馬鹿なことを考えるんじゃない!!」

 

「うるさい!!あんたなんかに何がわかるんよ!!」

 

涼子は男性の腕を振りほどこうと暴れるが、男性は絶対に涼子を離そうとはしない。しかしあまりにも暴れ続けたせいで涼子は足を滑らせ――

 

「あっ!!」

 

涼子は崖から落下してしまう。その瞬間、男性の腕が彼女の腕を掴んだ。

 

「ぐううう……!!」

 

男性が腕を掴みながら必死に引き上げようとする。そして涼子を崖の上まで引っ張ると、地面に大の字になってゼェゼェと息を切らした。

 

「なんで……あたしなんかを……」

 

「……ハァハァ……せっかくツーリングに来たのに……人が死ぬとこなんて……見たくないからな……」

 

どうやら男性はツーリングに来たらしい。近くを見ると確かに赤いバイクが停まっている。全く気付かなかった。

 

「……君、名前は……?」

 

「……五十嵐……。五十嵐涼子。あんたは?」

 

「俺は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺は……斎藤。斎藤龍一郎ってんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

これが涼子と後に夫となる斎藤龍一郎との出会いだった。彼との出会いが絶望の淵にいた涼子を救い出してくれた。どこまでもお人好しで、温厚で、しかしひとたび大事な人の危機となればどんな危機や困難にも立ち向かう龍一郎の姿に涼子は惹かれていった。

その後数年間の交際を経て涼子は彼の紹介で広告代理店の会社に就職。元々成績自体は良かったのもあって彼女はすぐに仕事を覚え、メキメキ成績を伸ばしていった。

 

 

 

そんなある日のこと。

 

 

 

 

龍一郎はタンデムでのツーリングで涼子を夜景の美しいスポットに連れ出し、そこで小さな箱を涼子に手渡した。

 

 

中を開けるとそこには……美しく輝く小さな指輪が。

 

 

「涼子、俺と結婚してほしい」

 

 

彼はただ、そう一言だけ伝えた。

 

 

そして涼子も。

 

 

 

「……うん。よろしくお願いします」

 

 

こうして数年間の交際の末に二人は結婚した。

そしてそこから刻が過ぎたある日……

 

「龍ちゃん、あんね……実は……」

 

「ん?どうした?」

 

「……お腹に……子供が……」

 

「……え?えええ!?マジで!?やったあああああ!!」

 

涼子のお腹に宿った小さな命。その喜びのあまり龍一郎は辺りを走り回りながら狂喜乱舞し、涼子はその様を見て「まるで子供みたいだ」と微笑むのであった。

 

「男の子かな!?女の子かな!?」

 

「男の子みたいばい」

 

「そうか!!じゃあ前から決めていた名前があったんだ!!」

 

「まー、準備のいいこって」

 

「へへへ……じゃあ……この子の名前は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……龍馬!そう、あの坂本龍馬と同じ名前さ!」

 

 

 

 

 

 

 

一年後。二人の間に息子の龍馬が誕生した。

誰かのために強くある、そんな強く逞しい人間に成長する事を願って二人は生まれたばかりの小さな命を抱きながら微笑んだ。孫の誕生に平蔵とヨネ子も大いに喜んだ。

 

 

 

 

涼子は遂に復讐を果たすことはできず、多くのものを失ったが代わりにかけがえのない宝に恵まれた。そんな涼子のことを亡き祖父・巌鉄が笑顔で見守ってくれているような気がした。

素敵なパートナーと子宝に恵まれて自分は幸せだ。もはや復讐など考えようもない。今が幸せならばそれで良いではないか。

 

 

 

 

 

 

 

こうして、忌まわしい記憶は永遠に過去のものとなったのだ。

 

 

 

――そう思っていたのに。

 

 

 

 

 

 

 

龍馬の誕生から17年後。まさかあの過去が再び自分達を追いかけて来るとは誰が予想しただろうか。

それも皮肉なことにその中心にいるのは……

 

 

 

他ならぬ愛する息子・龍馬であった。

 

 

 

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