人間界を守る超巨大かつ強大な結界が砕け、空から無数の影が落ちてくる。
ルークの予想通り混乱が起きて避難に移れる者は居ない。
「皆、何でこんなところに!?」
誰もが呆然と空を見上げる中幼い声が響く。ルークのものだ。焦った様子のその声に大人達が平静を取り戻す。
ここは森の中。村の中ではない。だというのに何故こんな場所にとルークが焦ったように叫ぶ。
「ガルス達からお前が飛び出したって聞いて、心配してみんなで……」
「ニーナちゃんも居なくなってるって聞いたけど、お前と一緒か?」
「─────ッ!!」
ルークはその言葉に目を見開くと辛そうな顔をして俯く。が、直ぐに顔を上げた。こんな事をしてる場合ではないと判断したのだろう。
「他の皆に避難呼びかけてくる!この状況に、混乱している人がもっと居るかもしれない!」
「お、おい!」
ルークは静止も聞かずに駆け出す。森の中でルークに追いつける者はこの村にいない。ある意味では、彼に任せるべきなのかもしれないが………
「……と、とにかく俺たちも避難する───!?」
そういって駆け出そうとした瞬間、彼等の目の前に人影が現れる。
月明かりに照らされた異様なまでに青白い肌。ねじ曲がった角に、蝙蝠のような翼。
「失礼、この辺りで、年齢は6歳程の年に対して成熟した精神を持つ者に心当たりはありませんか?」
くそくそくそ!最悪だ、よりによって散らばっているなんて!
しかも、俺を捜して?俺の軽率な行動のせいじゃねーか!とにかくパニックになってる村人達に避難するように言わなくては。言葉にされれば混乱したままでも行動に移れるはず!
いや、それより村だ。子供達は流石に残っている筈!
「アン!ヤンク!アレン!ノエル!」
案の定残っていた数人の大人と慌てて外に出て取り敢えず集められた子供達を見つける。集められたは良いがどうするかはやはり混乱中。魔族は結界の外にしかいない、そういった固定概念が崩され行動に移せないのだろう。
「皆は今すぐ避難を!ノエル、父さん達は?」
「あ、あっち……」
「あっちか。解った!」
「あ、ま、まって───!」
ノエルの声が聞こえる。しかしそんな暇はない。魔物が空から攻めてきた以上、暗黒領域と距離があるなど何の気休めにもならない。少しでも早く避難させなくちゃならない!
地面を蹴り砕かんばかりに力を込め、全力で駆け出す。森に入れば枝に飛び乗りしなりをバネに地上より速く移動する。
「親父ぃ!母さん!どこだ!?」
俺等の所に来た大人達や村に残っていた大人達の数からして、こっち来た大人達で隠れ場所を一つ一つ探してもまだそう奥へとは行っていないはず。
「────は?」
それが俺の声だと理解するのに数秒要した。それを理解したくなくて、理解するのにさらに数秒。
「母、さん………」
倒れる大人達と、その中央に立つ大きな影。その手には口から血を流し体が有り得ない方向に回った母さんが居た───
「───────!!」
獣のような絶叫に人型の魔物、トロルは振り返る。小さな人間の幼体が迫ってきた。払おうとすると炎が視界を覆う。そして、眼球に鋭いナイフが迫る。しかし───
「!?」
刺さらない。
ステータスが邪魔をする。トロルは目に砂が入ったように目元を押さえようと腕を動かす。当然、顔の近くにいた人間の幼体───ルークは吹き飛ばされる。
「ガハ───ッ!ゲホ、ゴハ!」
背中から気に激突して胃の中の物を吐き出す。背骨はギリギリ折れていないが、下半身がしびれて動かない。
「んぶ、ぶぇ!?」
トロルに叩かれた際に胃が潰れゴボリと喉の奥から血が流れる。
「ハ───!ハァ……あ──」
血に染まった手を見て、しかし声が出せない。ヒューヒューと空気が漏れるだけ。
トロルはそんなルークの様子など気にせず次の獲物である少年に向かって歩く。
「あ………ひぃ!」
歩み寄ってくるトロルにルークは顔を青ざめさせて逃げようと這う。
ルークのその姿を誰が情けないと罵れようか。ルークは今まで死を覚悟したことがない。マルグスが評価したように、ルークは戦闘時において、失敗する可能性を常に想定している。だが、常に何とか勝てる、逃げきれる、そう考えてしまっている。
死が遠い平和な日本で生活していた記憶があるのもあるし、そもそも人は無意識に死というものから意識を遠ざける。無意識に、死を自分には関係ないものだと考える。魔物が攻めてくるのを知りながら、どこかで助けられると軽く考えていた。だが、改めてトロルを前にし、攻撃が通じず攻撃を受け知った。どうあっても勝てない存在を前にする恐怖を………。
「は……は、ひ………」
ズシンズシンと地を揺らしながら近付いてくるトロルは、視線を向けるまでもなく近付いてくるのが解る。
「ウウゥ……」
トロルはルークを見ながら考える。今回各地に襲撃した魔物には魔族からある命令が与えられていた。6歳の子供を殺す前にその地区の担当の魔族に見せるように命じられていた。果たしてこの子供は6歳なのだろうか?
魔族の領域で生きていたトロルは子供を知らない。ただ、子供というのは解る。死んでないし持って行こう。と、手を伸ばした瞬間その腕に人間の大人が飛びついてくる。
「グオォォ!」
邪魔だと腕を振るうが腕にしがみつき離れない。苛立ったように木に叩きつけるがそれでも離れない。
「ぐ、が……!ガルスぅ!ルーク君連れて、逃げろぉ!」
「────!!」
引き剥がそうと更に暴れようとするが他の手足にもしがみついてくる。殺し損ねた人間の雄や雌だ。その内一匹が目当てのルークを抱えて走る。
「ゴオオォォォ!!」
死にかけの分際でしつこい人間達の頭を握りつぶし踏み砕く。しかしその間に子供を抱えた人間──ルークを抱えたガルスは森の奥へと消えていく。
「オオオオオ!!」
苛立ちを死体に当たるトロル。ドンドンと死体を何度も踏みつけビチャビチャと飛び散る血に身体を汚しながらブフゥと息を吐き漸く落ち着いたのか闇の奥を睨みつける。夜目が利くトロルだが、木々が密集して奥が見えない。大きな体では通るのも一苦労だろう。もう一度だけ死体を踏みつけガルスが去った方向へと歩き出した。
子供の顔だった。前世の記憶があろうと、あの時ルークが見せた顔は叱られるのを恐れる子供の顔だった。
何を叱られると思ったのだろうか?決まっている。子供の身体を奪ったことだ。少なくともルーク本人はそう思っている。
彼の言っていたことの後半は良く解らないが、恐らく過去に予知能力のようなものを持ち来世、ルークとしての人生を、普通の子供として育てられている自分を見たのだろう。だが前世の記憶を保持したまま転生してしまい、本来の光景を知るが故に奪ったと解釈してしまったのだろう。前世云々に関しては今更疑う気はない。前世で予知能力を持っていたというなら信じよう。
前世に関してはは普段のルークを知るなら大抵の者が納得するだろう。未来を知るに関しては、信じる者も少ないだろう。だがガルスは、ニルナは、信じることにした。他でもない、息子の言葉なのだから。
そうなれば彼が幼少期の頃言っていた魔族の襲撃も───そんなことを考える前に2人はルークを探しに行った。彼に伝えたいことがあるから。
ルークが本気で隠れたら隠れ家だらけの村周辺で2人だけで見つけるのは難しい。村人達に頼み、狩人のフリックに先導されながら森の中に進む。
「居たか?」
「居ない。こっちじゃなかったか………他に隠れられる場所はあったか?」
「あっちにもあったな。けど、あそこは使わないんじゃないか?隠れ場所とは思ってなかったし……」
ここから少し離れた位置に動物が掘ったのか木の根が腐ったのか、大人1人なら入る縦穴がある。子供が落ちると危ないので大人達が岩で塞いで居たのだ。あそこはルークが作ったのでも見つけたのでも無いし、ルーク自信あまり気にしていなかった。所詮隠れられるのは1人だけ、ルークがわざわざ隠れるとも思えない。
「もう少し奥を探すぞ……」
そう言って森の奥へと移動しようとした時、上空から何かが割れるような音が響く。慌てて空を見上げれば砕け散った結界と、各地に散らばる無数の影が見えた。そのうち一つから何が此方に落ちてくる。
「「「────!?」」」
ズウゥゥン!と地を揺らし砂埃が舞い上がる。その衝撃にニルナは思わず尻餅をつく。
結界が破られ、空には無数の飛行型の魔物が飛び交い、それから何かが落ちくる。立て続けに起こった出来事に誰もが唖然とする中真っ先に正気を取り戻したのはガルスで、次にニルナもハッと気が付く。
過去我が子が大人達に何度も訴えていた出来事を、魔族を知らぬから、世界を知らぬから心配しすぎていると思っていた、彼の訴えを思い出す。
「逃げろ!今すぐ避難しろ!」
「え、ど、どうしたんだよガル───」
グシャリ。
土煙の中から現れた巨大な掌が好奇心で近付いてしまった男の頭を握りつぶす。
「───え」
「ッ!逃げろぉ!」
さっきまで当たり前のように話していた相手が死ぬ。その非日常にやはりかたまり、ガルスが叫ぶ。土煙が晴れると現れたのは大きな鼻を持った醜い顔の魔物、トロル。魔物の故に、人を襲うのは必然。この中に
「グブゥ………ブフ」
「ひ!?」
トロルの視線がニルナに向く。ニタァ、と嫌らしい笑みを浮かべたトロルに誰もが嫌悪感を覚える。
別に、人を犯したりはしない。そんな事をしても繁殖できない。する必要がないのだ。では何故笑みを浮かべたか、簡単だ。人の雌の肉は雄の肉より軟らかい。どうせ食うなら子供の骨をパキポキ噛み砕きたいし雌の肉をクチャクチャ噛み潰したい。人間の子供並の知能がなまじ存在する分、餌をえり好みする。
トロルの意図に気づいたガルス達は当然守ろうとしたが、あっさりやられる。当然だ。トロルに勝てるステータスを持つ者など、この村には1人だっていない。
「あ、が……」
ボギリ
「ニ、ニル…………ナ………」
妻が握りつぶされるのを見ながら動けないガルスは必死に身体に力を込めようとする。トロルにとって、ガルス達は食事の邪魔をする虫でしかない。だから軽く小突き、ガルス達は生き残れた。だが、動けない。痛みと、ダメージと、何より恐怖で。
「───────!!」
だが、大人達が動けない中トロルに迫る影があった。他でもない、自分の息子だ。あっさり叩かれ、年相応の子供のように怯える。トロルは何かを思い出したようにニルナの死体を放り捨てるとルークに向かって歩み寄る。
「────っ!!」
ガルスは全身の血が沸騰しそうな怒りを覚えた。
トロルに、何より妻を守れず、死んでしまった妻を前に立ち上がることが出来ない自分に。
息子に近づき、妻の死体をゴミのように放り捨てるトロルと、未だ動けない自分に。
「ぐう、お………おぉぉ!!」
痛む体を無理矢理動かし、震える足を黙らせる。子供は村の宝だ、もう奪わせてなるものかとフリック達も動く。必死にトロルにしがみつく。
彼等はきっと死んでしまうだろう。だが、彼等もガルスも思いは一緒。
振り返ることはしない。そんな事をして足を遅らせ、追い付かれてしまっては彼等に合わせる顔が無いから。
ガルスは先程ルークが隠れているかもしれない場所の候補にあげていた縦穴にくる。穴を塞ぐ岩の隙間に棒を指し、梃子の原理で岩を動かす。
「ルーク、ここに隠れろ……!」
そう言ってルークを縦穴に下ろす。少し下ろしにくい。暫く抱かぬ間に、こんなに重くなっていたのかと感心する反面、まだまだ軽いと嬉しくなる。彼はまだまだこれからなのだ。
「…お、親父………親父も、はやく………」
「こんな時ぐらい、自分の心配しろ馬鹿やろう。ああ、本当に馬鹿だよお前は……お前が前世あるとか、本当なら前世の記憶がない子供を俺等が育ててたはずだからとか、くだらねぇ………良いか?良く聞け───!!」
ガルスが慌てて振り向く。ズシンズシンと地が揺れる。トロルが近付いてきているのだろう。
「………ルーク、絶対に、声を上げるな。絶対にだ……」
「ま、待て親───」
「声を出すな!親の言うことを聞け!」
こんな台詞初めて言った。言う必要がないいい子だったし、親になったら言わないと決めていた言葉だからだ。こんな時に使いたくはなかった。
固まり、声に詰まるルークから視線を外しトロルを見る。鼻の良いトロルだが今は怒りで自分しか見えていないようだ。人間に出し抜かれたことがよほど腹に来たらしい。その程度の知能があるな、十分。鼻で笑ってやる。
「!!グオアアァァァァッ!!」
トロルはガルスを叩き潰さんと拳を握る。これで良い。自分を殺し、溜飲が下がればきっとトロルはまたルークを探す。だが自分が今この場所で潰されれば、自分の死体の臭いがきっとルークを隠してくれる。
「ルーク……すまない、嫌な思いをさせる。だけど、どうか……叫ばず、泣かず、耐えてくれ」
ああ、本当は伝えたいことが、伝えなくてはならないことがあったのだが、無理らしい。
トロルの拳が迫る。グシャリと、トロルによって新たな死体が作られた。
「──────ッ!!」
血と肉と臓物がビチャビチャと音を立て降り注ぐ。骨の欠片が身体にコツンと当たる。父だった肉塊の一部を全身に浴びながらルークは必死に声を押さえる。
黙っていろと言われた。それは父が自分をトロルから隠そうとしたから。ここで自分からトロルに見つかるようなことをすれば、父が死んだ意味がなくなるから。
足音が遠ざかっていく。父の敵が離れていく。追うことなんてとても出来ない。何も出来ない。
死にたての血肉の温もりに包まれたまま、夜が更けていく。ルークはただ、涙を流し朝になるのを待つしかできなかった。
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