鬼少女の幻想奇譚 作:らくしゅみ
「……妖術習得って一口で言ってもね、普通は妖力なんてものは妖怪なら誰でも持ってるの。人間で言うなら筋力みたいにね」
「なるほど」
私は華扇の屋敷の一室で、師匠である華扇の話に耳を傾けていた。座布団の上で正座しながら聞いているうちに、妖力が使えないということがどういうことであるか、具体的に分かってきた。
「……つまり私は、妖力の観点から言えば赤子同然というわけですね」
「んー、赤ん坊でも少しは腕力あるし、どちらかと言えばノミ同然と言うべきかしら」
「ノミ……ですか。辛辣ですね」
そう言うと、華扇は苦笑して、
「あまり嘘はつきたくないしね。あなたの妖力はまさにノミ以下なのよ。……まあ、きっかけさえあれば難なく取り戻せると思うわ。ちょっとした努力でどんどん伸びるとは思うし。ほら、手を出しなさい」
言われた通りに右手を差し出すと、華扇はそれをぎゅっと両手で握った。
「何ですか?」
「……すぐ終わるわ」
そう言った瞬間、私の右手を包み込む華扇の手のひらから、じんわりと温かいものが移ってくるのを感じた。しかしそれは彼女の体温ではなく、どちらかというと「気」に近いようなものだった。それが目に見えないうねりとなって私の体を駆け巡り、全身に行き渡っていく。
しばらくして、華扇は手を離した。するとあの奇妙な気の流れも断ち切られ、暖かさも嘘のように消え去っていた。華扇は私をじっと見て、やがて満足げに頷いた。
「これで良し。今、私の仙気を流し込んで、あなたの眠っている妖力を目覚めさせた。今はまだ分からないかもしれないけど、修行を積んでいくうちに自然と強くなるわ」
「ありがとうございます」
「お礼を言うのは早いわ。修行はこれからだもの。今日の分は……そうね、滝に打たれてみる?」
「……それと妖力の成長と何の関係があるんですか?」
「妖怪は肉体よりも精神寄りの存在で、力の源はそれに依存しているから……うーん、そうね。分かりやすく言えば、妖力を鍛えたいんだったら心を強くしなさいって話。人里行きたくないって駄々をこねる人には難しいかしら?」
華扇は少し人の悪い笑みを浮かべ、こちらを見てくる。水風呂には慣れているが、正直に言うとやりたくない。秋を過ぎて冬へ入ろうかという時に川へ飛び込めばその瞬間に震えが止まらなくなるだろう。鬼の体でも寒いものは寒いのだ。
「でも、やるわよね。ほら、勇儀の面子もあるわけだし?」
「分かりましたって。やります。やりますから!」
その後私は極寒の滝行を5時間続けさせられた。歯の根が合わないほどの寒さが私の目に見える形で残したのは、少し先っぽの凍った髪だけだった。
◆◆◆
「……ということがあったんです」
「滝行を5時間とか、聞くだけで冷えてくるわ。よく死ななかったわね」
「まあ体は丈夫なので」
答えると、小鈴は不安げに「本当かな……」と呟く。今日は鈴奈庵の定休日で、約束だった小鈴の護衛のため、小鈴とともに紅魔館へ向かっていた。
「それならいいけど……風邪ひいてて今日は全力で戦えませんとか、そういうのは無いのよね?」
小鈴はなおも疑わしげにちらちらと見てくる。彼女からすれば私の体調は自分の生死に直結するのである。慎重になるのも無理はない。
「大丈夫ですって。それにもう半分も道を歩いてきちゃってますし、ここからなら紅魔館に行く方が早いですよ」
ここからさらに歩いて霧の湖を迂回すると、その
「ほら、身を守るために家にあった刀も持ってきたわけだし。仙術ができなくても我が家に伝わる刀を一振りすれば、どんな野良妖怪でもばっさばっさと……」
「この刀ちょっと錆びてるみたいですがね」
私は帯に差している刀を見下ろした。刀などなくとも野良妖怪程度であれば素手でも何とかできるとは言ったものの、小鈴の不安は拭い去れなかったらしい。結果、本居家の物置に眠っていた刀を持ち出して私が武装するということになった。
(野良妖怪って言っても貸本屋に伝わる刀なんかでそう簡単に斃せるのかな)
しかも手入れもろくにしていないらしく、切れ味はあまり良くない。試しにとんとんと自分の腕を刃の部分で叩いてみたが、一滴の血も流れなかった。野良妖怪に遭遇したらさっさとこの刀を捨てて飛び掛かった方が早いかもしれない。
「まあいいわ。そうそう野良妖怪なんて会うもんじゃないし。今回のお目当てはもちろん
「魔導書……? 読むと魔法が使えるようになる本ですか?」
「うーん、魔女ならともかく一般人には無理かな……でもあのパチュリーの蔵書だし、宝の山よ。入手できるものは今日のうちにこの箱の中に詰め込むわ」
小鈴はそう言うと、背負っている木箱をとんとんと後ろ手に叩いた。本をそこに入れて帰るつもりらしい。
「待ってなさい、私の魔導書!」
……まだあなたのものではないでしょう、と胸の奥で呟きながら、私は一つ、ため息をついた。
◆◆◆
何故か昼はずっと霧が立ち込めているという湖を横目に少し歩くと、やがて太陽の下で赤々と照らされている巨大な館が見えてきた。勇儀様の屋敷とも華扇の屋敷とも違う見たことも無い造りの建物で、赤い煉瓦を積み上げた壁によって四方を囲まれたそれは、人里などとは隔絶された世界からやって来たような、異質な雰囲気を漂わせていた。
その壁の中央には門番らしき鮮やかな緑色の服を着ている女性がいて、私たちがこの館の図書館に用があることを告げると、すんなりと通してくれた。
館の中に入ると、私たちが来るのを予期していたのだろう、奇妙なフリルのあしらわれた衣服を身に着けた銀髪の女性がホールの真ん中に立っていた。彼女は私たちの姿をみとめるとうやうやしく会釈して、
「……本居小鈴様ですね。パチュリー様から案内を指示されております、十六夜咲夜といいます。そちらは?」
咲夜の目が私に向けられると、小鈴は慌てて答えた。
「あ、この人は私の護衛です。ほら、道中危ないですし……」
咲夜はそれを聞いて「なるほど」と答えただけで、すぐに私への興味も失せたようだった。彼女はこつこつと音をたてながら歩き、ホールの扉の1つを開いた。
「こちらが図書館への通路です。途中は道が入り組んでおりますので、ちゃんと私についてきてください」
彼女の言う通りその通路は迷路の様で、しかも薄暗かった。一定間隔でランタンが置かれていたが不思議なことにその中に炎は無く、ただぼんやりとした光の玉が浮かんでいるだけである。パチュリーという魔女の魔法だろうか。
「ひえー、こんなの案内なしに行けっこないわ。あなたとはぐれたらどうなるの?」
小鈴が先導する咲夜に訊くと、咲夜は微笑して何も答えなかった。
「……離れるなってことでしょう、多分」
ランタンの光はまるで閻魔の裁きを受けるために整列している人玉のようで、果ての見えない黄泉へつながる道を歩いているような気がしていたが、やがて向こうに明るい光が見え、そこにたどり着いた瞬間、小鈴は感嘆の息を漏らした。
視界を埋め尽くす本棚と、その中にぎっしりと収納されている書物。鈴奈庵を初めて訪れた時は、その本の多さに驚いていたが、ここはそれとは比べ物にならない蔵書量だった。隣の小鈴は何度もため息をつきながら、高級そうな本の背表紙を撫でていた。正直気味が悪い。
「……ねえ、あざみちゃん。この辺りの本、ぜーんぶ外の世界のものみたい。本棚ごと持って帰りたいなあ……」
「泥棒しに来たんじゃなくて、取引に来たんですよね。とりあえず司書さんか、そのパチュリーさんに会うのが先ではないでしょうか」
「……そこの子の言う通りよ。これ以上勝手に本を持っていかれたら困るし」
背後から突然声がしたので、私は驚いて振り向いた。するとそこにいたのは薄紫のネグリジェに身を包んだ、少し小柄な魔女だった。体が弱いのか、けほけほと咳をしながら彼女は私を見た。
「……どうも初めまして。咲夜から話は聞いてるわ、あざみさん。私はパチュリー・ノーレッジ。この魔法図書館の持ち主よ」
「私はパチュリー様の部下の……まあ小悪魔とでも呼んでください」
パチュリーの後ろから新たにもう1人の女性が現れた。手にはティーカップが4つ載った銀の盆を持っており、傍にあったテーブルにそれを置いて、ゆっくりとお辞儀した。
「本を盗っていくのは魔理沙だけで十分よ。あなたは取引に来たんでしょう? 小さな貸本屋さん」
パチュリーにじろりと睨まれ、小鈴はびくりとした。
「す、すみません……」
「……まあいいわ。立ったまま話すのも何だし、ゆっくり座りながらお茶しましょう」
パチュリーがぱちんと指を鳴らすと、空中から4つの椅子が現れ、ごとごとと音を立てて着地した。私と小鈴は少し驚いていたが、パチュリーからすればどうということもないようで、さっさと自分の出した椅子に腰かけ、小鈴を見上げた。
「さ、取引といきましょう」
それから数時間。パチュリーと小鈴の交渉は未だに続いていた。どうやらパチュリーは図書館で気に入らなかったり逆に読みすぎて完全に頭の中に内容が入ってしまったりした本をどこかに売却するつもりだったらしい。そこに小鈴が名乗りを上げ、はるばる人里からパチュリーのもとを訪れたのだが……。
「……ちょっと待ちなさい。この本は見かけこそ悪いけど、内容の質と量がいいのよ。そんなはした金では売れないわ」
「でも背表紙がぼろぼろで取れそうですしね。ほら、しおりもよれよれですし」
「それだけ読み込んだの。背表紙なんて後で修理すればいいじゃない」
「修理費込みでこの値段なんです」
そう言いながら小鈴はそろばんを弾いて、パチュリーに見せていた。最初は読書仲間ということで気があったのだろう、本の話で2人は盛り上がっていたが、本の売却にあたって、苛烈な値引き戦争が行われはじめた。小鈴は出来るだけ安くするために値切り、パチュリーは小鈴が買うギリギリのところを見計らって売る。そんなことを続けているので、2人の前に置かれていたお茶は飲まれることも無く、すっかり冷めてしまっていた。
「パチュリー様もそれほどお金が入り用ってわけでもないのに、暇ですね……」
私の目の前に座っていた小悪魔は、横目でちらりとパチュリーを見た後、私に向き直った。
「あなたもあの2人の話が終わるまで暇でしょう? 私司書だし、何か読みたい本があったら言ってくれたら貸してあげますが」
「魔導書は分かりません」
「別にこの図書館にあるのは魔導書だけじゃないですよ。パチュリー様、物語も普通に読みますし。どうですか?」
「……じゃあ面白い本を教えてください」
地底にいる頃となると本を買うような余裕など無かったが、無知で、自分の前に明るい未来が開けているなどと根拠もなく確信するほど幼かった時はよく両親のどちらかが童話を読み聞かせてくれていた。久しぶりに物語の興奮と希望を味わうのも悪くないかもしれない—そう思って、私は小悪魔の提案に乗っかることにした。
「ささ。こっちです」
小悪魔に手を引かれて立ち上がった。パチュリーも小鈴も私たちには構わず、気にしていないようだった。そして私は小悪魔に導かれ、本棚の森に足を踏み入れた。
「物語のスペースはここではありません。もう少し先」
そう言うと、小悪魔は先にさっさと歩いて行ってしまう。確認するとここの本棚は物語や魔導書ではなく、実用書—料理や大工仕事の効率など—だった。私が小悪魔を追いかけて走ろうとしたその瞬間、視界の端に、ある本のタイトルが目に留まった。
「……小悪魔さん! ちょっと待ってください!」
私が呼び止めると、小悪魔は引き返してきて、
「……どうしたんですか。急に。別に何か読みたい本が?」
「はい。これです」
私が差し出した本を見て、小悪魔は不思議そうな顔をした。
「……『悪霊について』? なんでこんなものを? 悪霊に憑かれてるんですか?」
「ある意味そうかもしれませんが……ちょっと知りたいと思っただけです」
そう言うと、小悪魔はどこかつまらなそうにしながら、
「悪霊の話ならその本を見なくても、私でもできますよ。聞きます?」
「そもそも悪霊とは、根っこの部分から妖怪や神とは違う、人の魂のなれの果てなんです」
結局私は小鈴たちが話し合っている横で、小悪魔の悪霊講義を聞くことにした。今はお守りのおかげか、あの気色悪い怪物を見ずにすんでいる。しかし地底からわざわざ追いかけてきた執念を見るに、それでは根本的な解決になっていない。
修行であれを撃退できるだけの力をつければいいだけの話なのだが、毎晩襲い掛かってくるのを倒すのも面倒だ。完全に消滅させることができるに越したことは無い。私は小悪魔に、地底に現れた悪霊の様子をできるだけ細かく伝えた。
「それで、悪霊はそのお守りをつけたら現れなくなったんですよね。……そのお守り、外さないでいいのでちょっと見せてください」
私はお守りを首に下げたまま小悪魔の方に差し出した。小悪魔は少しそのお守りを見て、
「……魔力妨害型ですか。なるほどなるほど」
「何が分かったんですか?」
「あなたを狙う悪霊の種類くらいは。あなた誰かに怨まれてますか? そういう心当たりとか」
「ええ⁉ 無いですけど……。なんでそんなことを訊くんですか」
「あなたを襲っている悪霊は、誰かに操られてあなたを襲っているんです。そうですね……初めから説明すると、悪霊には大きく分けて2つのタイプがあるんです。1つ目は怨みを果たしたり悪さをするために自分で動き回る者。基本的にそういうのは力が強くて、自我があり、話が通じることが多いですね。2つ目は、誰かに操られて行動を起こす者。術者に使役されるときに現世とあの世の境からやってきて対象を襲います。自我はありません。あざみさんの話を聞くと、どうしても後者の印象を受けます」
そう言うと、小悪魔は上着のポケットを探り、中から和服を着た操り人形を取り出した。
「悪霊を退けるお守りも2種類あって、自我のある悪霊を退けるものなら小さい結界を張るんですが、あなたの持っている者は使役者が悪霊に指示を与えるための魔力を止める—つまりこの操り人形の糸をぷちっと切るようにして悪霊の出現を防いでいるんです」
「……ということは私を狙う誰かがいて、悪霊はその操り人形にすぎないと、こういうわけですか?」
小悪魔はゆっくりと頷いた。そして再び私のお守りを指し、
「しかもそれに込められてる魔力(仙気)、相当強力ですよ。このお守りを作った人は十分すごい人ですが、それを必要とするほど強力な呪いを差し向けられているということです。この悪霊を使役している者は相当の実力者か、あなたに強い怨みを持っているに違いありません。……誰か殺したりしました?」
「だから何もしてませんって!」
心当たりがまるでない。あったとしても勇儀様に破門された鬼くらいだろうが、それほどひどい怨みではないだろうし、強力な術師でもなさそうだった。……ならば私は誰に呪われたのだろうか。
私を殺したいと願う動機があり、かつそれを誰かに依頼する財力もしくは実行できる能力のある者。その条件を満たせる者は、少なくとも私の周りにはいないのである。幼いころに呪いがかけられていたのだとしても、今頃になって発動する意味が分からない。
私が考え込んでいると、ぽん、と肩を叩かれた。
「終わったわ。帰りましょ」
振り返ると満面の笑みを浮かべる小鈴がいた。そのさらに後ろには疲れ切った顔でテーブルに突っ伏すパチュリーがいる。どうやら値引き対決は小鈴の勝利に終わったらしい。小鈴はテーブルの上にお金を置くと、戦利品を木箱に納めて背負った。
「今日はありがとう。また来るわ」
「最近はこの辺、野良妖怪が多いから気を付けてくださいね」
小悪魔はパチュリーに毛布を掛けながらそう言うと、ぺこりとお辞儀をした。私たちも礼を返してから、紅魔館を出た。
◆◆◆
「はあー、大漁大漁!」
私は満足げな顔の小鈴と一緒に、夕焼けの中を歩いていた。いつの間にか図書館の中でそれほどの時間が過ぎ去ってしまっていたらしい。今から人里まで小鈴と同行して華扇の屋敷に行くまで時間が足りるかどうかが気になったが、小鈴を途中で放り出すわけにもいかない。小悪魔は野良妖怪がこの辺りによく出没すると言っていたし、夕方から夜になるにつれて遭遇率は上がるだろう。1人で帰らせるのは危ない。
「……パチュリーさんはそんなに楽しそうじゃなかったですけど」
「いいのよ。あっちは本読んでるだけでいいけど、こっちは生活がかかってるんだから。多少値引きくらいしてくれても……ね?」
「まあそれなら何もいいませんが……」
右に森の見える道の半ばに差し掛かったその時、嫌な気配を感じ、私は立ち止まった。
「……どうしたの?」
「しっ。何か……森の方から気配が」
数秒後、私の予感が的中していたことが分かった。森の中から青い甲殻と無数の足を持つ3丈ほどの大百足が飛び出してきたのだ。大百足は頭部の甲殻の隙間にある小さな両目を爛々と光らせ、私と小鈴の姿を捉えているようだった。
「あれが……野良妖怪ですね」
噂をすれば影という奴である。私は頼りない刀を抜き、大百足に向かって正眼に構える。
「……その荷物は捨てて、小鈴さんは逃げてください。守り切れないかもしれません」
「分かったわ」
小鈴はそう言うと、木箱は背負ったまま、人里へ向けて一目散に走り始めた。
「木箱は捨ててって言ったでしょう! 命と本、どっちが大切ですか!」
「本に決まってるじゃない!」
小鈴が何の躊躇もなく答えるのを見て、呆れを通り越して感心してしまった。どうしてこうも私の周りには難儀な性格の持ち主が多いのだろうか。ため息をつきながら、鎌首をもたげて今にも襲い掛かってきそうな大百足を、きっと見据えた。
・妖怪の存在は精神に依る
メンタルが強い=本質的な生命力、強さ。妖怪が鬱病になったらかなり致命的。
・錆びている刀
物置にあった刀。無いよりはましという思考で小鈴があざみに渡した。
・フェードアウトする咲夜
パチュリーに来客を伝えたあと、すぐに仕事に戻った。
・大百足
野良妖怪。3丈(9メートル)の大きさ。成長すれば山を何巻きもする妖怪に成長するが、人の唾液に弱い。