鬼少女の幻想奇譚 作:らくしゅみ
外はすっかり暗くなり、遠くの田んぼから、蛙の鳴き声が聞こえてきていた。近頃は冬の寒さも和らいできたので、地面の下で眠っていたものたちが目覚め、活動を始めているのだろう。春の訪れはもうすぐである。
日が落ちて鈴奈庵へやってくるお客がぱったりと途切れたので、私は「開」と書かれている看板を抱えて、店内へ戻した。中でランプの明かり一つを頼りに本の整理をしていた小鈴は私が戻って来たのに気が付いたらしく、最後の一冊を本棚に仕舞うと、椅子を引き寄せて、ため息をつきながら座った。
「お疲れ様。お茶飲む?」
「いえ。これから先約があるので」
「それは残念。せっかくいいお茶だったのに……でも多めに買ってあるから、また今度飲めばいいかしら」
「今度があればいいんですけどねー」
そう言うと、小鈴は不思議そうに私を見た。何を言い出すのか、とでも言いたげな顔である。
「……そろそろ私、鈴奈庵でのお仕事を辞めようと思ってまして」
小傘との決闘の練習が終われば、もう地上に留まる必要はない。雇ってくれた小鈴の両親には悪いが、地底と地上を往復して勤務するわけにもいかない。ただ本来の仕事に戻るだけの話なのだ。
小鈴は私が何を言ったか分からなかったのは一瞬だけのようだったが、意味をくみ取ってもしばらくは口をぱくぱくさせていた。
「……え、辞めるって、この店を?」
「はい。いろいろ都合があって、申し訳ないんですけど」
「ひょっとして、結婚?」
「しませんよ。だいたい誰がそんな根も葉もないうわさを……修行も終わりそうなので、そろそろ私も自分の住んでる所に帰ろうと思ってるんですが」
「……今はどこに家があるの?」
「地底です」
そういうと、小鈴はむむむ、と唸っていたが、やがて仕方がないとでもいうように息を吐き出しながら、答える。
「……確かに毎回地底からうちに来るのは無理ね。里の方に住む気はないの?」
「できません。私にもそこでの仕事があるので」
「……本業があるってこと?」
「そういうことです。ここにいるのは何ていうか、修行のためなので」
「それならしょうがないわね。……でも、代わりが来るまでは来てくれないかしら」
確かにいきなり抜けると言われても困るだろう。小傘との決闘練習や交換条件の夜回りも続けなくてはならないので、私は頷いた。
そしてしばらく鈴奈庵で本を読んだ後、小傘と練習をする約束の時刻が迫っているのに気づき、私は席を立った。
「……そろそろ失礼します」
そう言うと小鈴は顔を上げ、私の袖を掴んで引き留めた。
「そうだ。言い忘れてた。夜出歩くなら、『
「紅御前?」
私が聞き返すと、小鈴は頷きながら、本と本の間に挟まっていた新聞を抜き出した。
「最近夜に出没する妖怪らしいわよ。なんでも真っ赤な着物を着た般若面を被った妖怪らしいわ」
なんとなく嫌な予感がしたが、私は小鈴が差し出す新聞を黙って受け取った。新聞の名前は案山子念報、と書いてあり、どうやら射命丸とは違う天狗が書いた記事であるようだった。
『春先の怪異
夜に外を歩いていると、後ろから誰かが近づいてくる気配がするーそんな時に振り向くと、般若面を付けた女が立っている。そしてその女はこちらが気づいたと知ると、短刀を振りかざして襲ってくるという。
この怪異にはすでに名前がつけられていた。紅く豪奢な着物を着ているので、紅御前と呼ばれているらしい。……しかしなんと言っても里に住む人間にとっては恐ろしい者であるだろう。その正体は人間とも妖怪とも判別はつかない。しかし刃物を持って襲ってくるのだから、どちらにせよ危険なのは変わりがない。会ったときは逃げるのが得策である。
もちろんそんなものの跳梁を許すわけもなく、里の有志の者たちが集まり、今日この「紅御前」に対する処置を話し合うそうである。闇に巣食うこの者が正体を暴かれる日は近いかもしれない』
私はそれを読み終え、表面上は顔色を変えずに小鈴に返した。
「……そうですね。私も気をつけます」
「そうよ! 幸い誰も怪我した人はいないみたいだけどね」
当たり前だ。私が人間を傷つけられるわけがない。あくまで短刀は相手を怖がらせるものだから。
小鈴は目の前にいる私が紅御前その人だとは思いもせず、真面目な顔で、「いや」と呟く。
「……あなたなら逆に倒せるかもしれないわね」
「はは……」
確かに簡単だ。私自身の首を掻き切れば紅御前は退治できるのである。しかし、これほど深刻な問題になっているとは思わなかった。少し危ない奴がうろついているだけで里の中で寄り合いが開かれるわけがないと踏んでいたのである。
地底ではこんなことが起きても誰も気にしないので、感覚が少しずれていたらしい。だが、退治屋が出張ってくるのならそろそろ小傘への協力を打ち切った方がいいかもしれない。ある程度小傘と練習はしたし、これ以上続けてもろくなことにならないだろう。
「ではお先に」
私はぺこりと頭を下げて鈴奈庵を出ると、小傘の待っている里の外れへと急いだ。
◆◆◆
「……大輪『ハロウフォゴットンワールド』!」
小傘の宣言と同時に、彼女を中心にして現れた光球が、渦巻き状に展開してくる。もちろん1つでも触れたら負けである。私はうなりをあげて飛んでくるそれらを紙一重のところで躱しながら、中心の小傘の方へ、少しずつ迫っていく。
二日前の決闘では最後の最後でこの技を受けて敗北した。小傘は「私はそんなにスペカ使うのうまくないの」などと言っていたが、やはり技を身に着けて一カ月足らずの私ではすぐに勝てるわけもなく、今のところ全戦全敗である。
「避けるのうまくなったわね」
「これは、前に見たスペルですからね」
私が光弾の嵐をかいくぐりながら言うと、小傘は少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「なら、これはどうかしら?」
ぴたり、と弾幕の動きが止まったかと思うと、先ほどの数倍のスピードで光球の奔流が横殴りに吹き付けてくる。とてもではないが、かわしきることはできない。
「お、鬼符っ、『
私の宣言とともに、赤紫の光弾がずらりと私を囲むように現れた。回避するのを諦め、こちらのスペルで防御することにしたのである。そしてその直後、小傘と私の弾幕がそこかしこで衝突し、閃光や爆音をまき散らす。
『人肉柘榴』はもともと防御用のスペルで、相手への攻撃ではなく、相手の弾幕を相殺するのを主眼にしている。優先的に相手ではなく弾幕の方へ向かうので、相手の攻撃圏内で数秒だけ安全地帯を作り出すことができるのである。
その与えられた数秒は、反撃の準備をするには十分だった。
「……獄符『
手のひらに集まった妖気が形をなし、長細く変形し、先端は刃のように鋭くなる。きらきらと輝く実態なき槍が、私の手元に収まった。
これは厳密に言うと弾幕というよりは妖力で作られた疑似的な武器である。無論これをばらけさせて弾幕として使用したり接近戦を挑むこともできるが、今回の目的は違う。
私は小傘の張っている弾幕の薄い場所を見つけると、そこへ槍を振りかぶった。
ばしゅっ、と槍に触れた光弾は蒸発した。続けて光球を薙ぎ払い、切り捨て、消し飛ばす。その勢いで小傘の弾幕を突破すると、さらに向こうで小傘が浮遊しているのが目に入った。私が視認すると同時に小傘も私が突破したのを悟ったらしく、次の技を出そうとする。
こちらの槍は届かない—が、次の技を繰り出すのは、私が一瞬早かった。
「籠符『芥川の人喰い蔵』」
「化符『忘れ傘の夜行列車』っ!」
小傘の周囲に新たな光が灯り、すぐに光弾となる。一方で私の方は右手で保持している「羅刹の魔槍」の他に対抗するための弾幕は存在しない。「人肉柘榴」はすでに使用したので、攻撃を受けるようなことがあれば地面に叩き落されていただろう。……あくまで、攻撃を受けていれば、の話だが。
瞬間、衝撃波が宙を駆け抜けた。続けて1発、2発。
「……あれ?」
小傘が、困惑の声を漏らした。というのも、彼女の放った弾幕は私に届くどころか、彼女から少し離れた場所で勝手に爆発し、空中にその威力を散らしたからである。そして数度の爆発で、小傘の弾幕は全てが消滅した。いずれも勝手に自爆し、私に届いたものは一つも無かった。
彼女の生成した弾幕が完全に消滅すると、小傘を中心として球状に、赤色の弾幕―私のものである—が現れた。
種を明かすと、この技は結界を張って、それから攻撃を行うものである。ただし結界で囲うのは自分ではなく相手で、攻撃の行き先は結界内部—要するに、檻の中に相手を入れてその中に矢の雨を降らせるようなものである。この技の欠陥はある程度の距離まで接近しなくてはならないことだが、決まればあの狭い結界の中でそうそう避けきれるものではない。
「……うわーっ!」
悲鳴と、ずどん、という音がした。結界がほどけ、白煙をあげながら落ちていく小傘を見ると、私は慌てて彼女を助けるために急降下した。
◆◆◆
「……うーん、初めて負けちゃった」
小傘はぱんぱんと服についた埃を払いながら、少し悔しそうに言った。地面に落ちる寸前に浮き上がったので、それほどダメージは無いという。怪我を心配していたが、杞憂だったようだ。
「まああの技は初めて見せますからね。運が良かっただけですよ」
「……いやー、腕上がってるわよ。……ていうか最後の奴は無理でしょ。閉じ込めてから中に弾幕張るとかひどすぎない?」
「まあそういう技ですから……」
結界に閉じ込められてから無傷で抜け出すのは不可能に近い。よしんば強固な結界で防御することができたとしても、結界の維持のために消耗を強いられることになる。欠点としてある程度まで近づかなければ攻撃が成立しないので使える場面は限られるが、純粋な火力で言えば、私の所持しているスペルカードの中でも屈指の威力を有している。
「……さてと。練習も終わったことだし、次は皆を驚かせにいくわよ!」
小傘はそう言うと地面に置いていたつづらから、例の紅御前の衣装を取り出した。夜な夜な現れる怪異として認知されてからはこの姿を見た者はすぐに逃げていくようになっている。
小傘はいそいそと衣装を私に着せながら、ご機嫌そうに口笛を吹く。
「今夜もお腹いっぱいになれるかな」
「……そういえば、自分で驚かせなくても大丈夫なんですか?」
「うん。私が食べるのは『驚き』の感情だけだから。まあ自分でやるに越したことはないけどね」
「それなら、あなたが『紅御前』をやってはどうでしょうか」
それを聞いた小傘は首を傾げた。
「紅御前?」
「私たちのことですよ。里で話題になっているそうです」
「……人間の話題に⁉ じゃあもっと頑張らないと!」
小傘は、自分たちが話題になっていることを無邪気に喜んでいるようだった。しかしそれは言い換えれば、目をつけられた、ということでもあるのだ。
「討伐隊が組まれるかもしれないんですよ? そろそろやめないと本当にひどい目に遭うと思いますが」
「うーん、確かに……」
小傘も何度か痛い目にあったことはあるようで、この仮装での日課を続けるかどうか、悩んでいるようだった。そして少し悩んだ後にだした結論は、今夜きりで終わらせる、というものだった。
「……楽しかったけどなあ」
未練がましく赤い着物にちらちらと目をやりながら、小傘は『紅御前』の装いをした私とともに夜道を歩いていた。周りに人の気配はせず、少し手持ち無沙汰だ。
「引き際が肝心ですよ。……というかやりたいなら自分でこの格好をして驚かせたらいいじゃないですか」
「えー、それやったらもしもの時、私が逃げられないじゃない」
「……つまり私を囮にして逃げる気だったと?」
「あはは、冗談よ、冗談」
私は嘘くさい小傘の言葉に、ため息をついた。どうも私は他人にうまく利用されることが多いようだ。小鈴の時も華扇の時もそうだったが、いつの間にかいいように使われているような気がする。
(まあ、今夜だけなら何も起こらないよね……)
新聞には寄り合いが開かれるのは今日と書かれていた。だから少なくとも今夜に里の人間たちが行動を起こすことは無いはずである。
早くても明日からだーと思って油断していたので、私は直後に現れた背後の気配を感じ取る事ができなかった。
「そこの2人、止まりなさい」
言われた瞬間、私と小傘はびくりとして、立ち止まった。
「1人は……小傘かしら。で、もう1人が噂の紅御前ってわけ」
その声は低かったが紛れもなく女性のものだった。しかし里では聞いたことのない、落ち着いた声。私は振り向き、その相手の顔を見た。
最初に目に飛び込んできたのは紅白の巫女服。お祓い棒を肩に担ぎ、黒髪を大きなリボンで結んでいる。そしてその顔は私が以前に一度だけ出会ったことのある巫女の面影が残っていた。
「博麗の巫女……」
この幻想郷での勢力を均衡させている調停者にして、無敗を
博麗の巫女は、とんとんとお祓い棒で肩を軽く叩きながら、品定めをするように私と小傘を眺めやった。そして小傘に向かってびしっ、と指をさす。
「あんたは、後でボコボコにしてやるわ。覚悟しときなさい」
「え、聞いてよ霊夢。これは深いわけがあって……」
「そしてあんた」
小傘の弁明を無視すると、霊夢は私に目を向けた。
「人を襲ってるみたいだし、放っておくわけにもいかないわね。あんたは今ここで、叩きのめす」
霊夢の目は本気だった。私は慌てて折れた刀を捨てると、弁解しようとした。
「これには深いわけが……」
霊夢は私が言い終える前に何枚ものお札を袖から取り出しすと、ふっ、と不敵な笑みを浮かべた。これまで見たどの笑いよりも冷徹で、どすの利いた笑み。
「言い訳無用よ。おとなしく退治されなさい」
・紅御前
あざみ、小傘の仮装した姿の通称。もちろん危害は加えてこない。
・案山子念報
姫海堂はたての新聞。射命丸の新聞と違って知名度が低い。
・あざみのスペルカード
各種9枚それぞれ鈴奈庵にあった本を調べて名付けられている。何も調べずに9枚全てのカードの元ネタが分かる人は相当の読書好きか伝承好き。
・博麗霊夢
スペルカードルールで間違いなく最強の人。妖怪絶対退治する系少女。
…そういえば東方新作の鬼形獣、(旧かどうかわかりませんが)地獄が舞台だと聞いて、マジかーと頭を抱えています。茨歌仙の方も展開次第でこちらに矛盾が生じるかもと思ってはらはらして見てたんですが、こっちもこっちで地獄の詳しい情報が来るかもしれないので、期待半分、不安半分ですね。