鬼少女の幻想奇譚 作:らくしゅみ
夜が明け、山の際から日が差している。冬の名残りか、冷え冷えとした空気が博麗神社の境内を満たし、静かな早朝を迎えていた。
私が障子の隙間から外を覗くと、雀がときおり思い出したかのようにさえずりながら、地面をつついている。何となしにそれを見ていると、急にその雀は飛び立ってしまった。
「……だから、あんたなら鬼かどうか分かるでしょ」
「………ええ、まあそうだけど」
「ならはっきりさせて。あいつが嘘をつかない方だったらまだやりようはあるから」
1つは、霊夢の声。そしてもう1つの声は華扇のものだった。歩いてくる2人は石畳を歩きながら、こちらへ近づいてきているようだった。
(絶対怒られる……!)
人間を傷つけてはいないが、少なくとも霊夢に私の正体は知られてしまったのだ。華扇との約束は守れていない。そろそろ地底へ帰ろうかというときに、とんでもない失敗をしてしまったものである。
(あの時に小傘さんを止めてたらな……)
しかし後悔は先に立たないものと相場が決まっている。私が観念して待っていると、障子が開けはなたれ、華扇と霊夢が入って来た。
「華扇はこの子知ってる?」
「……ええ。よく知ってるわ。知り合いよ」
華扇は正座している私を見つめて、ただそう呟いた。しかし今の一言は、修行に遅れてしまったときや弾幕をぶつけてしまった時とは比べ物にならないほどの怒りを孕んでいるように聞こえた。
「大丈夫よ、霊夢。この子は私に任せてくれればいい。代わりに今度美味しいもの持ってきてあげるわ」
華扇はどうやら私を助けてくれるらしい。しかしその割には私への視線は鋭く、ただ罪人よろしくかしこまることしかできなかった。
霊夢は少し考えていたが「ま、いいわ」と言って、私を引き渡すのをやめたようだった。
「あんたが言うんなら大丈夫なんでしょ。後は任せるわ」
「ありがとう、霊夢」
霊夢は適当に頷くと、ぴしゃりと障子を閉めて出て行った。すると華扇は霊夢に向けた微笑を引っ込め、こちらを向く。
「さて、あざみ」
「は、はいっ!」
私は正座したまま、飛び上がりそうになった。華扇に声を掛けられた瞬間、久々に死の気配を感じた。勇儀様も底がしれないが、華扇もまた私よりも格の高い上位者なのだ。
「何か言いたいことは?」
「……迷惑かけて、すみませんでした……」
汗が頬を伝い、あごからぽたりと落ちた。
「……いろいろ言いたいことがあるけど、長々と説教するのは面倒だし非効率的だから、一言で言わせてもらうわ」
華扇はそう言うと、右手をぐっと握りこんで拳を作りー
「このバカ弟子がッ!」
華扇の拳が脳天に炸裂した。以前銀二という鬼と殴り合った時はそれほど痛いとは思わなかったが、今回は格上の鬼である華扇の一撃であるので、威力は十分だった。
私が痛む頭をさすりながらおずおずと華扇を見上げると、華扇は腕組みをして、まだ怒りが収まらないとでもいうように眉をひそめていた。
「人を傷つけたわけじゃないっていうならいいけど、そうそう他の妖怪の口車に乗るものではないわ」
「……分かりました」
「ならよろしい」
華扇は頭をさする私から目を外すと、障子の方に目をやった。
「私が言えば、霊夢は拘束を解いてくれるはず。霊夢もあなたを引き渡すために移動するのは大変だろうし、後は里の人間を安心させれば万事解決すると思うわ」
「どうするんですか?」
「幸い、里の人間たちはあなたの正体が分かっていない。だから例えばその赤い着物が付喪神になっていたとでも理屈をつければ納得してくれると思う」
要するに、一芝居打つというわけである。そうすれば霊夢は私の正体がどうであれ神社の名を上げることができるし、里の人間の安寧も守られ、そして私も地底へ帰ることができる。確かにこれが最もいい事件の落としどころだろう。
華扇が障子をとんとんと叩くと、それまで見えない壁が立ちはだかっていた出入口が私でも通れるようになったらしく、何の抵抗もなく部屋を出ることができた。そして私と華扇は、霊夢と話をつけるため、彼女のいるであろう部屋を探して歩き始めた。
私と華扇はやや古ぼけた座敷の中、煎餅の入った皿を挟んで霊夢と向かって座っていた。
「………まあ、それなら私もいろいろやりやすいわね」
ぱりぱりと煎餅を齧る音をたてながら、昨夜に私を完膚なきまでに叩きのめした最強の巫女―霊夢は言った。霊夢は華扇の提案を吟味し、自分に損が無いと分かるとあっけないほど簡単にそれを受け入れた。
「私も何度も人里に行くほど暇じゃないのよ。あんたが人間に危害を加える奴だと思ったから拘束してたけど……華扇、もう一回聞くけど、本当にこの子が人を傷つけないって保証できる?」
「ええ。そんなことできっこないわ」
華扇の言葉を聞くと、霊夢はよし、と言って立ち上がった。そしてつかつかと私の方へ歩み寄る。戸惑いながらこちらを見下ろす霊夢を見上げていると、霊夢はそのまま私の背後に回り、背中の辺りでなにやらごそごそし始めた。帯をほどいているらしい。
「ちょ、ちょっと! 何してるんですか⁉」
「見れば分かるでしょ。あんたの着物の帯ほどいてんのよ」
「だからそれが何でって……」
そう言っているうちに帯がほどけ、私は着物を脱がされた。腰の方にもサラシを巻いているので全裸というわけではないが、それに近い格好ではあるだろう。膝に畳のちくちくとした感触が伝わってくる。
「紅御前の正体が何であれ、倒した証拠は必要でしょ? あの刀も没収させてもらうわよ」
「だからって今没収することないじゃないですか! こんな格好で外なんか歩けませんよ!」
私の場合は通常よりも長い布で胸部から腰までを一気にぐるぐる巻きにしているのでまだましな方だが、この格好で外を出歩いたら間違いなく頭がおかしいと思われるだろう。
霊夢はため息をつくとその着物をどこかへ持っていき、新しい着物を手に持って戻ってきた。
「これでも着ときなさい」
私の頭に投げかけられたのは、灰色の、これまた古びた着物だった。あちこちがほつれているが、着られないというわけではなさそうだった。
「……ありがとうございます」
私がもぞもぞと着物を身に着けながらお礼を言うと、霊夢はひらひらと手を振った。
「いいのいいの。どうせ妖怪退治の話で参拝客が増えれば、いくらでもそんな古着は買えるわけだし」
「妖怪退治をしなければ人は来ないんですか?」
「まあね。ご神体とかあればいいかなって思って探したこともあったんだけど……」
「この神社って、ご神体がないんですね……」
「元々ね。信仰してる神様もわかんないし。だからいろいろ工夫して商売してるのよ」
私の知識が間違っていなければ、神社というものはたいていご神体があるし、信仰する対象もあるはずだ。過去にご神体を紛失したとか奪われたというのなら分かるが、元々無い、というのは聞いたことがない。
「私も不思議に思ってるんだけどね。何故この神社にご神体が無いのか。過去にご神体にしようって霊夢がいろいろ持ってきたけど、どういうわけか全部だめになるのよ」
この博麗神社にはご神体というものに縁がないのかもしれない。しかしご神体に縁のない神社というものも珍しいが、巫女でさえ祀っている神が分からないというのには驚いた。それでは信仰する方も張り合いがないだろう。
「この神社のどこにも神様の記述は無いし。本当にここって神社なのかしら?」
「……霊夢にまで言われるなんて、この神社も駄目なんじゃないかしら」
「はは、まあそうね」
華扇と霊夢は笑い合っていたが、やがて華扇は「そうだ」と何かを思い出したかのようにこちらを見た。
「……あなた、今からどうするの?」
「今から、とは?」
「これで修行は終わったでしょう?」
言われて初めて、はっと気が付いた。私は、(成り行きではあるが)幻想郷で最高の実力者と対決していたのである。小傘との練習で回数は重ねていたし、そのうえに博麗の巫女との戦いも経験したのだから、ひとまずは一人前と名乗れるだろう。
「そうですね……では約束通り、そろそろ私も地底に帰ります」
私がそう言うと、華扇は少し寂しそうな顔をして、
「……ちょっとくらいなら地上に少しいてもいいとは思うけど。ちょうど宴会が始まるわよ」
霊夢がそれを聞いて「忘れてた」とつぶやくと、とてとてと部屋の外へ急いで走っていった。宴会の準備でもあるのだろう。私はそれを見送ってから、華扇の方に向き直り、首を振った。
「……いえ。私はこれでも勇儀様の従者ですので。修行が終わったからには、地上でぶらぶらしているわけにはいきません」
「あらそう、残念ね。いくらでも美味しいものがあるのに。黒焦げじゃないお団子もいっぱいあるわよ?」
「……その話はよしてください」
あの失態を思い出して流石に恥ずかしくなり、私が顔を背けると、華扇はふふ、と笑った。
「まあいいわ。あなたが勇儀に仕え続けるのなら、多分間違った力の使い方はしないでしょ」
華扇はぽんぽんと私の頭を叩いて、言った。
「さ、行きなさい。今頃勇儀も首を長くして待ってるかもしれないわ」
「……ありがとうございました」
私はぺこりとお辞儀をすると、華扇のいる部屋から縁側に出た。すると石段の上に私の草履が載っているのを見つけ、それを履いた。
顔を上げると、神社の境内に満ちていた朝の気は去り、すっかり太陽は登ってしまっていた。神木らしい梅の木の枝の隙間から差し込む光に目を細めながら、私は石畳を歩き、鳥居をくぐった。
「………」
そこで私は立ち止まり、振り返ってもう一度、お辞儀をした。
◆◆◆
「今までお世話になりました」
小鈴と一緒に歩きながら、あざみは頭を下げた。鈴奈庵を去るあざみの見送りに、里の外れまで歩いていく途中だった。
先日に代わりの店員が見つかったので、彼女は元いた場所へ帰ることになったのだ。出会ってから数カ月しか経っていないが、いつも顔を合わせていたのもあって、少し寂しかった。
「こっちもね。また会ったらお仕事頼みたいわ」
「よっぽど常識はずれなものでないのでしたらお受けしますが……まあまともに生活してたらまた会うこともないでしょう」
あざみもどこか寂しそうに笑った。確かに地底など小鈴には到底行けない場所であるし、彼女がこれからそこから出てくる予定もないと言っていたので、これが最後の会話になるかもしれない。
「修行は全部終わったの?」
「はい。まだまだ実力は足りませんが」
「……へーえ。じゃあ妖魔本も書けたりするの?」
「さあ……それは知りません。私は普段、文を書きませんし」
「阿求に習ったら?」
「……なんで私にそんなに何かを書かせたがるんですか?」
あざみは不思議そうに小鈴を見返した。どうやら彼女は妖魔本を書くことには全く興味がないらしい。小鈴は若干の落胆を感じながら、首を振った。
「何でもない。後任もちゃんと見つけたし、何も心配せずに帰っていいわ」
「後任さんですか……一応挨拶しておいた方が良かったですかね?」
「いや、もういいわよ。だいたい、後任って阿求だし」
「阿求さん?」
あざみは、目を丸くした。それはそうだろう。というのも幻想郷縁起の編纂をしていれば、わざわざ稗田本家の、しかも御阿礼の子が鈴奈庵で働く必要は全くないからだ。
しかし、阿求には幻想郷縁起の執筆以外に、転生の準備もしなければならないのである。転生するためには「徳」を積まねばならないそうで、無償で働いて生きている間からこつこつと「徳」を積んでいくのだそうだ。現世で積みきれなかった徳は地獄で閻魔様と仕事をして積むというのだから、転生するといっても、楽なことばかりではないようである。
「……阿求さんも苦労してるんですねー」
そう言ってから、あざみは慌てて「別に小鈴さんが苦労してないって言ってるわけじゃないんですよ」と付け加えた。
その後も他愛ないお喋りに興じていたが、やがて里の外れにやってくると、あざみはぴたりと立ち止まった。
「では、お元気で」
小鈴が頷くと、あざみは歩き始めた。やがてその後ろ姿が遠くなってから、彼女が振り向いて、小さく手を振っているのが見えた。小鈴がそれに応えているうちにあざみの姿は遠ざかり、山の奥へと消えてしまった。
・博麗神社のご神体
無い。ちなみに外の世界にも博麗神社はあるが、そちらもさびれて何を祀っていたかは不明。
・阿求の転生
生きている頃から転生のための準備が必要。御阿礼の子としての体は閻魔(映姫)が用意するが、徳を積まなければ転生はできない。