鬼少女の幻想奇譚   作:らくしゅみ

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一章 秋の旧都
第1話 紅紫(あかし)髪の鬼少女


 

 

 

 私は、かたん、と何かの落ちる音で目が覚めた。

 

 ゆっくりと、薄い布団から身を起こす。その時にいつも目に入ってくるのは長屋の薄汚れた壁だけである。家具や調度品といったたぐいの物をもつ余裕のある暮らしはしていないからだ。天井を見上げると、また、かたり、かたりと音がする。

 

今の音の正体はよく分からないが、鴉か何かが屋根の上を移動したのだろう。地底にも、何故か鴉はいるのだ。

 

 気にしている暇は無いと思って目をこすり、眠気をさまそうとする。

 

「あれ……」 

 

 じんわりと温かい雫が、手の甲についていた。-涙? 私は何か悲しい夢でも見たのだろうか。思い出そうとしても、目が覚めた今、再び夢の内容を紡ぎなおすことなどできそうになかった。ただ、漠然と、遠い昔の記憶を反芻(はんすう)していたような、そんな感覚だけが頭の中に残っていた。

 

 しばらくそうしてぼうっとしていたが、やがて光が窓から差し込み始めたのに気づき、私は慌てて布団を仕舞うと、他の妖怪たちが集まってくる前に井戸場へ行き、水浴びをするために着替えを引っ掴むと、部屋の戸を開けた。

 

 

 

 地底の更に地下深くには溶岩の流れている場所があり、温められた地下水脈が温泉となっている浴場もあるらしいが、残念ながら私はそこに通えるほど十分な給金を貰っていない。そのため、近くの井戸端で、誰も見るもののいない早朝にこっそり水を浴びるのである。

 

早朝の薄明かりの差す井戸端にはいつも通り誰もおらず、静まり返っている。地底は遅くに寝る者が多いので、昼まで寝ている者も多いのである。

 

 私は着物を全て脱ぎ、一糸まとわぬ体になると、あらかじめ井戸から汲み上げておいた冷水を頭から被った。

 

 ばしゃり、と小気味いい音と共に、心地よい涼しさと爽やかさが体を駆け抜ける。

 

「ふう……」

 

思わずため息を漏らしてしまい、辺りを見回す。

 幸い早朝であるためまだ誰もおらず、私の水浴びを見ている者もいないようだった。ほっとして、今度はたらいに張ってある水で頭を洗おうと、顔を近づけた。

 

「………」

 

 私は、水面に映った私自身の顔—正確にはその額に生えている一本角と赤紫の髪を見て、つい顔を強張らせてしまった。もしも私の髪が黒くて、角がなかったら今ごろは地上で暮らしていたのに─そう思うと、自分の現状どころか、容姿まで憎たらしくなってくる。

 

 私の住んでいる長屋は地底の旧都の端の端、弱者の集う貧民街に建っている。この旧地獄は地上を追われた者の楽園と言われているが、それは強い妖怪たちにとってであり、弱者たちは相変わらず虐げられ、細々と生き永らえている。

 

 私はそんな弱者の中でも特に非力で、殺されそうになったのは数えきれない。むしろ今でもこうして生きているのが不思議なほどだった。

 

小さい頃にこの見た目のせいで地上でさんざん追い回され、命からがら地底に逃げてきたのだが、地底では私の外見は人間の14、5歳の娘にしか見えず、唯一妖怪である証と言えば額に生えている短い一本角と赤紫の髪、それと少しばかり寿命が長いだけで、妖怪らしい力は何1つ持っていないのである。

 

そのため、地底でもたいしていい目を見ることはなく、何とか生活しているという有り様である。

 

 つまりこの角さえなければ、私は地上で、ただの人間の娘として生きることができていたのだ。なまじこんなものがあるために、私は—

 

 そこまで考えて、私はまたため息をついて、首を振る。

 

 よそう、と思った。自分の顔を見るたびにこの角さえなければと自分を呪うのが半ば日課になっているのでいかんともしがたいが、早く水浴びを終わらせなければ、誰かがやってくるかもしれないのだ。

 

 私が朝に水浴びをしているのは、夜にすると妙な輩が集まってきて私の躰を鑑賞したり、まぐわおうとする者さえ出てくるからだ。以前やって来たばかりでそれを知らずに夜に水浴びをした時、随分怖い思いをした。以来、私はこうして朝に体を清めている。

 

 私はしっかり体の汚れを隅々まで落としたのを確認して、着物を身に着ける。よく馴れた浅葱色のそれは、体にぴったりと張り付き、安心感を与えた。

 水浴びを終え、身支度も整えたので、今日も食い扶持を稼ぐべく、旧都の中心へと歩きはじめた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「こちら、ご注文の冷ややっこと熱燗(あつかん)です」

 

「遅いんだよ! さっさと持ってこいよ」

 

 いつも通り、客の罵声を受けてびくりとしながら、私は厨房に戻る。ここは現在の私の働き口、旧都中心の居酒屋だった。働いて食べていける分の金を貰うことができるのは恵まれている方だが、客から理不尽な罵りを受けたり、暴力を振るわれたりすることは珍しくない。泣きたくなることも多かったが、ここを辞めると他に当てが無いので、黙って働くしかない。

 

「はい、唐揚げ持ってって!」

 

 私が厨房に戻ると、店主の土蜘蛛が新しい料理を渡した。この店主は人使いが荒いことで有名で、皿を割ったり少し注文ミスをしてもその日の給金から天引きすることもある。

 

「ちょっとちょっと、つっかえてるわよ。次のほら、行った行った」

 

「待ってください、誰に運べばいいのか……」

 

「いいから。自分で探しなさい」

 

 冷たく言って、店主は厨房の中に姿を消した。私が唐揚げを持って行った客も散々遅いとか愛想が無いなどと言いながら受け取った。

 

これだけこき遣われれば誰でも愛想なんて振り撒く余裕などあるまい。そう思いながらも、へこへこと客に謝って、その場を去ろうとする。

 

「ここ、やってるか?」

 

 その時がらがらと戸を開けて現れたのは、どう見てもろくな性格では無さそうな鬼だった。人相が悪く、その眼の奥には、ぎらぎらとした悪意が見え隠れしている。そして服の隙間から見える、ごつごつとした筋肉は私など容易に殴殺できそうな、凶悪なまでの膂力(りょりょく)を備えているようだった。

 

「いらっしゃいませ! こちらの席へどうぞ……」

 

 私は、一応その鬼に席をすすめ、注文を聞く。その鬼は、ただ「酒」と言って、黙り込んでしまった。私がどんな酒が良いか、と訊くと、ぎろりと睨んで酒の銘を言った。

 

 私は逃げるようにしてその場を去った。あの剛腕で殴られれば、私はひとたまりもない。店主も私が殴られたところで客に文句は言わないだろう。何しろ、地底は「力こそ正義」なのだから。早急にその酒の入った徳利と猪口(ちょこ)を持って戻る。

 

「お待たせしました、こちらご注文の品です」

 

「注げ」

 

「………はい、わかりました」

 

 本来はここまでする義理はない。無いが、断れば何をされるか分かったものではない。それほど私のような弱い者の立場は、池に浮かぶ泡沫のように、不安定なものなのである。

 

 徳利を傾けると、こぽこぽこぽ、と思いのほか勢いよく酒が流れ始めた。慌てて徳利の傾きを調整しようとしたが、すでに遅く、酒の一滴が跳ねて猪口を持つ鬼の手にかかった。ぴちゃり、とその音が耳に入った時、私は心臓に氷柱を突っ込まれたような感覚と共に、はっとして鬼を見た。

 

「………ふざけるなよ」

 

 この鬼の堪忍袋の緒はどうも弱い素材を使っていたらしい、凄まじい形相で私をねめつけてくる。私はひたすら頭を下げ、謝った。

 

「すみません、すみませんっ!」

 

「どうするんだ、ああ? 着物にもかかってるじゃないか!」

 

「でも、今のははずみで……」

 

「黙れ! 言い訳なんぞ聞きたくない!」

 

 ふと顔を上げると、その鬼の口はすでに酒臭かった。朝っぱらから既に酔ってここに来ていたのだ。鬼は、喚きながら私に向かって拳を振り上げ、したたかに殴りつけた。

 

 がしゃん!

 

 椅子をいくつも巻き込んで、私は壁に叩きつけられた。顔を殴られそうだったのでとっさに庇った腕がじんじんと痺れている。骨にひびが入ったかもしれない。さらに後頭部をどこか切ったらしく、生温かい液体がわずかなぬめりを伴って、流れ落ちるのを感じる。

 

 他の客は突然のことに、唖然として殴り飛ばされた私と鬼を見比べていた。

 

 鬼は私につかつかと歩み寄り、襟首をつかんだ。また殴るつもりだろう。

 

「……やめてください」

 

 必死に声を振り絞って乞うが、鬼はまだ酒で興奮した状態らしく、ただただ私を睨みつけながら拳を何度も振り下ろす。

 

「や、やめ……」

 

 鈍い痛みに耐えながら床に這いつくばり、鬼の拳をくらっていると、だんだん意識が遠くなっていく。まさか、このまま殴り殺されるのではないかーそんな恐怖を伴って。

 

唇が切れ、顔をかばう腕の骨がきしみ、手加減なく振り下ろされる拳に、抗うすべなく蹂躙される。完全に朦朧として、だらりと腕を下げる。抵抗する気力もなくなり、私は迫り来る拳骨をぼんやりと眺めていた。

 

「やめなっ!」

 

 突然の鋭い声を聞き、その鬼はすんでのところでその腕を下ろした。鬼はその声の聞こえた方向を見て、怖気づいているようにも見えた。

 

(誰………?)

 

 私はそちらを見ようとした時、気が緩んでしまったのか、気を失ってしまった。意識を手放す前に見たのは、店の扉の前に立つおぼろげな〝誰か〟の姿だけだった。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 はっと目が覚めると、そこは居酒屋の一室だった。本来は宴会などで使う場所なのだが、そこに私は転がされていたらしい。ちくちくと畳が肌をさし、すこしかゆかった。

 

「……目が覚めた?」

 

そう言って私の顔を覗き込んできたのは、緑色の眼の少女だった。少し短めの金髪に、整った顔の持ち主である。

 

「……誰ですか?」

 

 訊くと、彼女は、ああと言って答える。

 

「私はパルスィよ。橋の番人をやってるわ。あんたが起きるのを待ってた。………ああ、勇儀に助けられるなんて、なんて、なんて妬ましい……」

 

「ええ?」

 

「あ、気にしなくてもいいわ。私の癖だから。……かなり強く殴られてたみたいだけど大丈夫?」

 

「あ、はい、何とか……」

 

 パルスィは先ほどちらりと聞かせた妬みや(そね)みをないまぜにした口調はどこにやら、本気で心配しているように見えた。どうやらこのパルスィという人は美人ではあるが、どこか性格に問題があるらしい。

 

「私はまああんたが殴られてるのを見たんだけどさ、そりゃ気の毒だったね。あの鬼、割と有名な荒くれ者だから」

 

 私はその時、鬼を止めたあの鋭い声を思い出して、はっとした。

 

「ひょとして、あの時止めてくれたのはパルスィさんですか……?」

 

 しかしパルスィは被りを振った。

 

「いや、あれは私じゃない。言ったのは、勇儀っていう鬼だよ。私の知り合いなんだけどね、あいつは鬼を怒鳴った後、普通に酒飲んで出てった」

 

「……じゃあ今度会ったらお礼言わないといけませんね……」

 

「お礼? いや、そんなことしても、多分向こうが覚えてないよ。あいつはふだん弱いやつどうでもいい、というか嫌ってるタイプだからね。それはあんたを助けようとしたんじゃなくてただ単にうるさかったから怒鳴ったんじゃない? まあ大体の鬼はそうなんだけど」

 

「……じゃあなんでパルスィさんはここに?」

 

 お礼を期待してなどいないという言葉を聞くと、それならばパルスィは何故ここにいるのかということになる。彼女は全くの部外者であったはずであり、ここにいる意味がない。

 

「……単純に、興味かな」

 

 パルスィはそう言うと、私の前髪を掻き分け、あの白い一本角を探り当てた。こつこつ、と叩いて、前から、横から眺めている。私はついにパルスィの視線に耐えられなくなり、訊いた。

 

「…………あの、なんで私の角を見てるんですか?」

 

「ん? いや、あんた、鬼だよね? それを確認したくて」

 

「はい、一応鬼ですが……」

 

「ならなんで、あの鬼にやられっぱなしだったの? あんたぐらいの歳なら、普通に殴り返すこともできるだろうに。店で暴力沙汰を起こしても流石にクビにはしないでしょ、ここなら」

 

 なるほど、と私は思った。パルスィには、私の角が何かの拍子で見えたのだろう。それで黙って殴られるがままだった私にその理由を訊きたくて、私が目覚めるのを待っていたということになる。

 

確かに私のようなただの人間の小娘のように見える鬼でも普通はかなりの筋力を秘めている。が、私は何故か鬼であるにも関わらず非力で、鬼どころか天狗にも、下手をすると地霊殿のトップであるという悟り妖怪にすら劣るかもしれない。そんな身体能力であるから、反撃したくてもできないのである。

 

 パルスィに大まかにそんなことを説明すると、パルスィはおおいに不思議がっていたが、話が一段落すると、「じゃ」と言い残して去っていった。

 

「……仕事にもどらなきゃ」

 

 私は座敷を出て厨房に向かおうとして、気づいた。既に夜だったのである。ちょうど片付けが終わったらしい店主がのそりと厨房から出て来て、じろりとこちらを見た。

 

「……もうここは店じまいだよ。あんた、昼間っからずっとぶっ倒れてたんだからね。帰っていいよ」

 

 店主はそう言って、しっしっと私を追い払った。

 

「あの、お給金は………」

 

「ずっと寝てたのに、金なんか払えるわけないでしょ。寝ぼけたこと言う前にさっさと帰って寝な」

 

 私を追い出すと、店主はぴしゃり、と居酒屋の戸を固く閉ざしてしまった。

 

「そんなあ……」

 

 どうも今日はついてない。客に殴られる、面白半分で見物にくる奴はいる、挙句の果てに給金なし。踏んだり蹴ったりだった。お腹はすいているが食べ物を買う金が今日は貰えなかったので、ひもじいのを我慢しながら家に帰らなければなかった。

 

「……水でも飲んでお腹を膨らませよう」

 

 帰宅途中の井戸場で、私はそう思って水を汲むことにした。金がないときはこうして偽りの満腹感で、お腹を満たすのである。情けない方法ではあるが、そうしないと苦しくてやってられない。私は、するすると釣瓶を落として水を汲もうとした。

 

「……ちっと飲みすぎたかなあ」

 

 どこからか声が聞こえてきた。私がとっさに首を巡らせて後ろを見ると、そこにいたのは長い角を額から生やした、すらっとした女の鬼だった。

 

「…………!」

 

 私はすぐに井戸の影に隠れた。同じ鬼といっても、昼間のように目を付けられて殴られては敵わない。触らぬ神にたたりなし、君子危うきに近寄らず―別に私は君子でも何でもないが、隠れてやり過ごせればそれでいい——

 

「ん? 誰か今隠れたか? おい、出て来いよ」

 

 しかし鬼はこちらに気付いていたようで、話しかけてきた。が、鎌かけかもしれない。私が息を潜めて黙っていた。

 

「おい、いるんだろ? 出てこなかったらぶっ飛ばすが……」

 

 どうやら、本当に気づいていたようだ。そして、私はあと数秒以内に姿を現さなければぶっ飛ばされるらしい。鬼は嘘をつかないというから、何も行動しなかったら、それは間違いなく実行されるだろう。

 

(ああ、もういやだ……。今度は殴られませんように……)

 

 私は必死に祈りながら、井戸の影から姿を現した。またあれぐらいの力で殴られたら、本当に死ぬかもしれない。膝が生まれたての子鹿のように、ぷるぷると震える。

 

 女の鬼は、少し酔っているようで、顔が少し赤かった。

 

「おう、出てきたか。……なんだ、人間か?」

 

「……いえ、一応、妖怪です」

 

「そうかそうか。まあいいや、ちょっと酒飲みすぎちまって、水汲んでくれないか?」

 

 逆らったら鉄拳制裁が待っているだろう。私は、急いで井戸で水を汲むと、鬼に差し出した。鬼は受け取った釣瓶の水を一気飲みすると、小さく、ため息をついた。

 

「ふう。いくら何でも、鬼殺し20升は多すぎたな。今度はもうちょいおさえて飲まないと……ああそうだ、水持ってきてくれて、サンキューな」

 

「いえ、そんな滅相も無い……では私はこれで……」

 

「待て」

 

 ごく自然にフェードアウトしようとした私の首根っこを、鬼はそのしなやかな腕で掴み、引き戻した。

 

(……もう、私が何したっていうのよ! ああ、また目つけられたんじゃない⁉ 運悪すぎ! もう駄目、死ぬ死ぬ死ぬ!)

 

 しかし、鬼の発した一言は私の予想だにしないものだった。

 

「まあなんか簡単なお礼をしようかと思うんだが」

 

「お礼? 水汲んだだけじゃないですか。そんなことでわざわざ……」

 

「いいじゃないか。今、私は気分が良いんだ。受け取ってくれ。……あ、そうそう、言い忘れてたが、私の名前は星熊勇儀だ」

 

「星熊…勇儀……」

 

 どこかで聞いたような―そう思っていると、私は昼間の意識を失う寸前に聞いた、あの声を思い出す。星熊勇儀とは、自分が酔っ払いの鬼に殺されかけたのを、止めてくれた鬼の名だった。

 

「ああ! 昼間に助けてくださった、勇儀様ですか?」

 

「……ああ、そういえばそんなこともしてたな」

 

「それじゃあお礼を言わないといけないのはこっちじゃないですか」

 

 幸運だった。勇儀様なら、おそらく突然襲ってくることなどないだろう。それに、命の恩人でもあるのだ。勇儀様は、ぽりぽりと頭を掻きながら、困ったように言った。

 

「……まあそれはそれとして、こっちも何かいい感じのものをあげたいと思うんだが。というかお前の名前は何て言うんだ?」

 

「私の名前ですか?」

 

「そうだよ。それ以外になにかあるか?」

 

「ああ、はい。私の名前は――――と言います」

 

「ふーん、字は何て書くんだ?」

 

「ちょっと待ってくださいね……」

 

 私は、その辺に落ちていた木の枝で、地面に自分の名を書き始めた。画数が少し多く、面倒だが漢字できちんと書く。しかし、それを見た勇儀様は、先ほどまではご機嫌だったのに、いつのまにか険しい顔をしていた。

 

「……これが、お前の名前か……親がつけたのか?」

 

「ええと、確か昔、博麗の巫女がつけたって聞いたんですが」

 

 といっても、私はこれでも数十年生きているので何代か前の巫女による名だが。

 

「そうか。……ひでえ名前をつけられたもんだな。まあ親がつけてないだけましか……」

 

「え?」

 

「……いや、何でもない。ところで聞いときたいんだが、お前は、この名前、気に入ってるか?」

 

 私は首を捻りながらも、別にそうでもない、と答えた。なんだかしっくりこないし、名前で呼ばれることはほとんどなく、あんた、とかお前、と呼ばれていたからである。勇儀様はそれを聞いて、

 

「なら、新しい名前は要らないか?」

 

………名前?

 

 何かの冗談かと思って勇儀様を見るが、いたって真面目な顔である。私が新しい名前を貰うことが、お礼になるのだろうか?少し考えこんだが、断るのも気まずい。 

 

「はあ……貰えるなら貰っておきます」

 

「よし、分かった」

 

 勇儀様は少しの間うーん、うーんと考え込んでいたが、やがてばっと顔を上げると、「そうだ」と手を叩いた。

 

(あざみ)、というのはどうだ? お前の髪とおんなじ色の花の名前だ」

 

「あざ……み……」

 

 口の中でその名前を転がすと、不思議とその名前は、自分になじんでくるような気がした。

 

「どうした? 気に入らないなら別のにするけど」

 

「これでいいです。……………いえ、これがいいです」

 

 勇儀様は、嬉しそうにそうかそうか、と笑った。そして、何かを思いついたように、ぽんと手を叩いた。

 

「……そうだ、あざみ。ここで会ったのも何かの縁だ。明日暇だったら私の賭場まで来てみないか。まあこれは私のきまぐれだから、別に来たくなかったら来なくてもいい。賭博の人数合わせなんだが」

 

「賭場……賭け事をするんですか? 私お金持ってませんよ?」

 

 現に今は正真正銘の一文なしである。正直に言うとどうせ貰えるなら名前より晩御飯代が欲しかった。

 

「ああ、掛け金は私が用意するから。私は胴元だから、金をある程度出しても痛くない。たまにはこういう余興も面白いかと思ったんだが、来てみないか?」

 

 来たくなかったら来なくてもいい、と勇儀様は言ったが、私は雰囲気とか、立場的に断ることのできる要素はどこにもない。これは明日、賭場に行かなくてはならないだろう。

 

「じゃあな、また明日」

 

 立ち尽くす私を残して、勇儀様は去っていった。

 

 

 

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