鬼少女の幻想奇譚   作:らくしゅみ

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三章 常闇と光明の狭間より
第19話 星熊の客人


 

 

 

 久々に戻ってきた地底は、硫黄の臭いがした。ごつごつとした岩壁―行きはヤマメにのせてもらっていたが、今は自分で降りられるーを抜け、地面に足をつけた。

 

 地底は地下水脈がそのまま川となっており、旧都はこの昇降洞の対岸にある。遠くから見える旧都のきらめきを見て、あの懐かしい喧騒を思い出した。もう数カ月もここを留守にしていたのだ。

 

 私はそう思いながら、歩いて対岸とこちらを繋ぐ橋へ向かった。飛んで川を渡ってもよかったのだが、橋にはおそらくパルスィがいる。挨拶くらいはしておいた方がいいだろう。

 

 橋に差しかかると、手すりに腰を下ろし、足を組んでいる金髪碧眼の彼女―パルスィがいた。パルスィは橋を渡ってくる私に気付いたらしく、腰かけていた橋の手すりからひらりと飛び降り、私の前に立った。

 

「……意外と早いお帰りだったわね」

 

「はい。ちゃんと修行して帰ってきましたからね。これで私も勇儀様の従者として恥じない程度には強くなれたかと」

 

「……そう。じゃあ飛んでさっさと勇儀のとこまで行けばいいじゃない。わざわざなんでここを通ったの?」

 

「顔なじみの人なので、挨拶くらいはしておこうと。それに私のいない間、勇儀さまの朝食を作ってくださったようですし」

 

 そう言うと、パルスィは気にするなというように手をひらひらと振った。

 

「別にいいのよ、それくらい。料理の腕も上がったし、あなたもこれから食べにくる?」

 

「……遠慮します。それは私のお仕事ですから」

 

 あくまで私の本分は勇儀様の身の回りのお世話をする従者である。食事を他人任せにしては私が仕えている意味がない。

 

「……妙なところで律義よね。あなた達って。勇儀も適当なところあるけど絶対に地上には出ないし」

 

 パルスィは呆れ混じりに呟く。そしてその時、ふと何かに気がついたように瞳の光が揺れた。

 

「そういえば……勇儀の命令なら、何でも聞く?」

 

「何ですかいきなり。死ねとか誰かを殺してこいとか、説明もされずに言われれば従えませんが、そうでないなら何でもしますよ」

 

「……そう、それならいいわ」

 

「どういうことですか?」

 

 訊き返すと、パルスィはいたずらっぽく、唇に人差し指を当てた。

 

「勇儀が今、大きな計画を立ててるの……あなたもそのうち説明されるはずよ。だからそれまで待っときなさい」

 

 

 

 

 結局パルスィは何も教えてくれなかったが、近々何かがあるということは何となく察しがついた。私のいない間に勇儀様は何をしていたのだろうか。

 

 そんなことを考えながら大通りを歩いていると、いつの間にか勇儀様の賭場に着いてしまっていた。賭場に入ってその中を見回したが、いたのは顔見知りの鬼たちだけだった。そのうちの粗末な服を着た若い鬼が、ぱっと顔を上げてこちらを見た。

 

「お、あざみの嬢ちゃん、戻ってきてたのか」

 

「はい。……ところで勇儀様はここにいらっしゃいますか?」

 

「いいや。今日は客人があるって言ってたから家の方にいると思うぜ」

 

「そうですか。ありがとうございます。……ところで、帰って来たばかりでよくわからないんですけど、勇儀様は何か大きな催しでも開くんでしょうか?」

 

 そう言うと、鬼は肩をすくめて答えた。

 

「……俺たちも教えられてない。根回しは勇儀様が全部やってるってわけさ。俺たちは決行の日に集めるって言ってたからな。お嬢ちゃんも教えてもらえないかもしれない」

 

「……でも、パルスィさんは知ってるようでしたが」

 

「ああ。あいつは鬼じゃないからな。勇儀様はたぶん、俺たちみたいなうっかりが酒に酔った調子にべらべら喋ったりしないようにしてるんだろ」

 

 勇儀様は、古くからの仲間や子分に秘密を作って、いったい何をしようというのだろうか。しかし決行時には鬼の力は借りるようなのでやはり情報が漏れるのを気にしているのだろう。そう考えたとき、ふと私が地上に行くときに勇儀様の言っていたことを思いだした。

 

『むしろ、お前には妖術を使えるようになってほしいくらいだ。今から……』

 

 今から? 今から何があると言おうとしていたのか。鬼の力がいるのだから、物理的な力が必要で、情報を漏らさないようにしていることから、土木作業の類でないことは確かだ。

 

(まさか、争い……?)

 

 しかし私はすぐに頭を振ってその考えを吹き飛ばした。勇儀様が喧嘩のときにわざわざ搦め手から勝負するのを見たことがない。必ず自分の手の内を相手にさらしてから勝負を始める。

 

……まあ勇儀様の考えていることは読めないし、パルスィの言うとおり、勇儀様が話すのを待っていた方がいいだろう。私は自分の中でそう結論付けると、勇儀様の屋敷へ向かった。

 

 

◆◆◆

 

 

「……ですから、あなたはあの子をここに留めて置くだけでいいんです」

 

 星熊勇儀の屋敷の一室で、1人の鬼と1人の人間が、向かい合って座っていた。この屋敷の主―星熊勇儀は寝ころびながら、質の良さそうな藍色の着物をきた、壮年の男をじろりと睨んだ。

 

「何を言っているんだ? 私はあの子を『助けてくれ』と言われたんだ。それじゃ約束を守ったことにはならないな」

 

「……しかし、酒を毎月持ってきているのは私であって、以前あなたが契約した稗田の人間とは違うのですよ。このお酒もタダじゃないんです。おまけに近頃は商売も芳しくないので……いま厄災の子が来れば、稗田分家は潰れます」

 

 勇儀は眉をひそめると、ぐいと右手の酒を飲み干した。

 

「だから何度も言ってるだろ。代々の稗田分家の当主が書いてる『覚え書き』を持って来いっていうんだ。そうすればもうこれ以上何も言うことはない。私があの子を連れてお前たちの家に行く必要もないわけだ」

 

「……それでも駄目です。あれは門外不出のものですから」

 

 男はきっぱりと答えた。この男は現稗田分家当主で、勇儀があざみを見つけた後に連絡を受け、度々地底を訪れていた。

 

 勇儀は昔の稗田分家当主と1つだけ契約をしていた。それは酒を毎月1升送る代わりに、あざみが勇儀のもとを訪れた場合、世話をする、というものだった。

 

 現当主は勇儀からの手紙が烏天狗を通じて届けられるまで、なぜ地底に酒を運び込まなければならないのかということを全く知らなかったという。それでも以前からやっていたことなので継続していたらしいが、勇儀と出会って初めてその意味を知ったと言っていた。

 

(……お前の子孫はすっかり約束を忘れてるみたいだな、昭義(あきよし)

 

 

◆◆◆

 

 

「頼みがある」

 

 ごろりと転がる勇義の前で、座敷に頭をこすりつけるようにして土下座をする男の姿があった。見た目は30前後といったところだが、歳に似合わず身なりはよく、精悍な顔つきをしている。

 

 勇儀はちらりとその顔を見てから、口を開いた。

 

「……頼み、ねえ。まずあんたは何ていう名前なんだ? いきなり人の家に上がり込んで名乗ることもせずに頼みごとをしようなんて、無茶なんじゃないか?」

 

 見ると、男の服はところどころがほつれ、腕には擦りむいたあとがある。ここへ来るまでに地底の誰かに襲われたのかもしれない。根性のあるやつだな—と感心していると、男は顔をあげた。

 

「私の名前は、稗田昭義だ。稗田分家の当主をしている。星熊勇儀、今日は怪力乱神と恐れられているあなたの力を借りるために来た」

 

「……で、その頼み事ってなんだい。まだやってやるって決めたわけじゃないが、一応話だけ聞いとこう」

 

 昭義はゆっくりと、しかし聞き逃させないようにはっきりと答えた。

 

「私の娘を、助けてほしい。時間を問わず、娘が死んでしまうまで」

 

 昭義はそれだけ言うと、後はおしのようにじっと黙っていた。言いたいことはそれだけということだろう。勇儀は少し面食らったが、落ち着いて答えた。

 

「お門違いだね。護衛なら里にいくらでもいるだろう。稗田くらいの名門なら最高の用心棒を雇える。私じゃなくてもいいじゃないか」

 

「いや、私は星熊勇儀にしかできないと思っている。私の娘は、鬼なんだ」

 

「鬼……?」

 

 この男はどこからどう見ても人間だ。いったいどうしてそんなことになったのか。

 

「一種の呪い……いや、代償とでも言おうか。私の子は、すでに命が質に入れられている」

 

「じゃあその呪いとやらをかけた奴を倒してほしい、ということか?」

 

 昭義は首を振った。

 

「そんなことをしてもあなたが勝つ見込みは少しもない。我々ができるのは祈ることと取引きをかわすことくらい。娘は奴の供物なのだ」

 

「供物……ね。その供物をあんたが自分の判断で取り返すってのはどうなんだい?」

 

 つまりこの男の娘は、神か何かに命を捧げるために生かされている、生贄であるということなのだろう。しかし供え物であるというのなら、人間の方も人身御供を出す見返りを求めているはずである。契約を曲げて供物を捧げないというようなことがあれば、その取引相手と生贄を巡る争いが起きるのではないか。

 

 そんな意味を込めた勇儀の問いを理解したらしい昭義は、重々しく頷いた。

 

「……ああ、おそらく駄目だろうな。少なくとも私はそいつに殺されるだろう」

 

「なのに何故娘とともに助けてほしいって言わないんだい?」

 

 すると昭義はふっと笑った。

 

「……約束を破ったけじめは破った本人がつけないとならないからな」

 

 結局、勇儀は昭義の頼みを聞き入れた。酒を貰えるからというのもあったが、自分のあずかり知らぬところで供え物にされたこの男の娘に興味を持ったからである。端的に言うと、刺激が欲しかったからだ。

 

 数日後、里で例の「鬼子」が追放されたという話を昭義が遣わせた稗田の人間から聞いた。次に追放されたその娘を地底まで運んでくるという話だったのだが、ここで思わぬ事態が起きた。

 

 稗田昭義が怪死したのだ。

 

 娘を追い出した日の晩、使用人の1人が昭義の部屋に黒い影のようなものが入っていくのを見たという。

 

その影の表面に人の顔のようなものが無数に浮き出ているのを見て、その使用人は声も出せずに震えながら一晩中そこに立ち尽くしていたらしい。

 

 次の日の朝、昭義の部屋を開けてその使用人が見たのは恐怖の表情を顔面に貼り付け、何かがこれ以上近づかないようにしようと腕を突っ張ったまま死んでいる昭義の姿だったという。

 

 稗田は本家を含めて大騒ぎとなり、そのうちにこれは追放された鬼子の呪いだという結論となってしまった。そのせいで昭義の娘を回収して地底に回収することはできず、そのまま行方不明になってしまったのである。

 

 

◆◆◆

 

 

(昭義に、()()取引をしていたのかくらい聞いとけばよかったねえ……)

 

 おそらく昭義を殺したのは以前あざみを襲ってきたあの悪霊と同じ存在だろう。つまり相手はただ契約の履行—供物であるあざみの命を奪うことのみを目的としているのだ。つい最近まであざみが襲われなかった理由はよくわからないが、命を取りたてに来たのだろうということは察しがついた。

 

 しかしあくまであの悪霊は「取り立て人」にすぎず、稗田分家が取引きをした相手はおそらく別の存在のはずである。第一にあの悪霊からは意志が感じられなかったし、少なくともあの時点では絶対的というほど強力なものではなかったからだ。

 

 契約の内容を知っていたであろう昭義はすでに死んでしまっているので、彼が書き残しているはずの記録を見ることでしかあざみを救う方法を見つける手立てはない。そこで勇儀は現当主にそれを持ってきてほしいと頼んだのだが、「決まりだから」との一点張りでにべもなくはねつけられた。

 

 おそらくあざみの実の父が死んでからの稗田分家からすれば、彼女はむしろ消えてほしい存在なのだろう。不吉な予言をされているのに加えて、人の子ではないのだから。現在昭義との約束が曲がりなりにも果たされているのは勇儀の武威を恐れているからで、稗田分家は今すぐこの縁を切りたいはずである。

 

「……とにかく覚え書きは持ってくることはできません。彼女……いや、あれがどうなろうと私はどうでもいい」

 

 男は立ち上がると、「では」と言い残して、勇儀に背を向け、去ろうとした。

 

「交渉決裂だな。……これでもう私の肚は決まった」

 

「肚を決めたからどうだっていうんですか? あなたは地上へ出られないでしょう?」

 

「……まあ好きに言ってな。そのうちお前の家に遊びにいくぞ」

 

 勇儀の言葉に顔をしかめながら、稗田家現当主は戸を開け、そのまま歩き去った。もはや現在の稗田分家はあざみを稗田家としては認識していないらしい。勇儀はため息をつきながら見送っていると、視界の隅で空間がぐにゃりと歪んだ。

 

「誰だい」

 

「……私です、勇儀様」

 

 何もないはずの空間から、あざみが姿を現した。久々に見るその顔からは腹立たしいほどの臆病さは消え、一本の芯が通っているかのようにぴんとのばした背筋から、どことなく一回り成長したような様子を漂わせていた。

 

「帰ってたのか。……ああ、華扇のとこにやって正解だったな。よく頑張ったみたいじゃないか」

 

 そう言うとあざみは少し照れ臭そうにしていたが、やがて真面目な表情に戻った。

 

「勇儀様……今の人はいったい?」

 

「客人だよ。話を聞いてたのかい?」

 

 そう問うと、あざみはゆっくり首を横に振った。

 

「いえ。先ほどは修行の成果を見せるために術で姿を隠してこっちに来たのですが……何かあの客人と揉め事でもあったんですか?」

 

 あざみにはまだ稗田とのごたごたを話す必要はない。勇儀の知っていることは少ないし、稗田分家との話を教えてもあざみの神経をすり減らすだけで何の得もない。地上へ行き、全てを知るまではあざみに何も教えない—これが勇儀の考えている「助け方」だった。

 

「……まあ、あんたが気にすることじゃないさ。そんなことより、せっかく帰ってきたんだから宴会の1つでも開こうじゃないか」

 

「そうですね……それなら今からあちこちに注文しないと……」

 

 話をそらすと、それにまんまと引っかかったらしいあざみは難しい顔をしながら急いで外へ出て行ってしまった。宴会用の料理を頼みに行ったのだろう。

 

(帰って来たばかりなのに、よくやるね)

 

 おそらく昭義との約束が無かったら見向きもしていなかった娘だったが、従者にしてからのひたむきさは数多くいる子分の中でも1番だった。

 

もし人間として生まれていたら地底などには来ず幸せに人里で暮らしていただろう。それが今やどこの何ともしれぬ者の供物にされているのだから、皮肉なものである。

 

 勇儀はあざみの背中を見送りながら、耳の傍で風が吹くのを聞いた。

 

 

 

 




・勇義の命令
 強制力最大。順序は勇儀>華扇>その他従うべきと判断した人
・あざみの父親
 あざみを追い出した直後に死亡していた。事件の大部分を知っていたと思われる。
・あざみの透明化
 スペルの1つ。基本的に特殊なものはこれと稲妻だけで、他はほぼ通常の弾幕。
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