鬼少女の幻想奇譚   作:りうけい

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第21話 旧地獄の使者

 

 

 

 煮えたぎる溶岩の熱風が顔に吹き付ける。ぽこぽこと沸騰した泡がはじける音がこの空間の中でこだましていた。

 

 しかし私の目は、目の前の彼女―古明地こいしに釘付けにされている。古明地、と名乗ったことからさとりと血のつながった者なのだろうが、そんな者がいるとは知らなかった。

 

「お名前は?」

 

 こいしは、首をかしげて繰り返した。

 

「……あざみといいます」

 

 答えながら、妙だな、と思った。入り口ではお燐が見張りをしていたはずだ。どうやって彼女に気付かれずに入ってくることができたのか。お燐が鍵を開ける前はしまっていたので、たまたまこいしが先に入っていたというのはありえないはずである。

 

 考えられるとすれば、私が勇儀様に披露していたように極小の光弾を体の表面でうまく操作し、姿を消すように見せかける方法がある。しかしそれでも気配すら感じさせないというのはどういうことなのだろう。

 

 そう思いながらこいしを見ていると、彼女はくるくると私の周りを歩いて、眺めまわしていた。

 

「……お姉ちゃんの新しいペット……じゃなさそうね。む、その角……なるほど、勇儀のお仲間さん!」

 

「正確には従者です」

 

 私が訂正すると、ははん、とこいしは何かを見透かしたように笑った。

 

「あの鬼さん、何か悪いことたくらんでるんでしょ? 怨霊なんか持ち出しても普通は何の使い道もない……あるとしても大騒ぎを起こすくらい」

 

 こいしは私の両手を掴むと、ぐいと顔を近づけた。

 

「ねえ、何するの? 大暴れ? 教えてよ!」

 

「……私も詳しくは知らないんです」

 

「けち! 教えてくれたっていいじゃない! 教えてくれなかったらお姉ちゃんに全部ばらしちゃうわよ」

 

 それをやられるとまずい。わざわざお燐を脅してまでさとりに黙っているのだから、勇儀様はさとりに今回の怨霊の取引を知られたくないはずである。もしこいしがさとりに告げ口するようなことがあれば、計画が台無しになる可能性が高い。私は慌ててとりなした。

 

「わ、わかりました。じゃあ一緒に行って、勇儀様に聞いてみてください」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「……で、怨霊のついでにおまけがついてきたと」

 

 私が怨霊とおまけ(こいし)を屋敷に連れて帰ると、勇儀様は苦笑いをした。命令にないことだから当然だろう。私は座敷に這いつくばると、畳すれすれに頭を下げた。

 

「も、申し訳ありません……勇儀様にとってはどうでもいいかもしれませんが、そうしないと思ったので……」

 

「私が邪魔みたいに言わないでよー」

 

 こいしが不満そうに頬を膨らませたが、実際のところは()()()どころではない。なるべく隠密にことを運びたかった。

 

(なんで私ってこうも余計なことしちゃうんだろ)

 

 強くなったというのに、ますます土下座が板についてきている気がする。私が心の中で首をかしげていると、勇儀様は鷹揚にうなずいた。

 

「ま、いいさ。怨霊を持ってきてくれたんだから。………それにド派手にやるんだから、こいしがいてもいなくても変わらないさ」

 

 腕組みをして、そうひとりごちる勇儀様に、こいしが訊いた。

 

「で、何をたくらんでるの?」

 

 いきなりそれを訊くのか。私も、周囲の鬼も教えられなかったことを、部外者のこいしに教えるだろうかー

 

「ああ、うん。異変を起こそうと思っててね」

 

 勇儀様は、あっけらかんと言った。私が唖然とした表情で勇儀様を見ると、勇儀様は手を振りながら、軽い調子で答える。

 

「悪い、悪い。別にお前が嫌いだから秘密にしてたんじゃなくて……地底が異変を起こすって言ったらどうしても地上の妖怪が警戒しちまうだろ? 最近は地上から来る奴らもいるし、その中に紫の息がかかった奴がいるかもしれないから、できるだけ知ってるやつを少なくしときたかった」

 

 紫。あの油断ならない雰囲気の妖怪のことか。確かに彼女なら、旧都にも数人くらいは監視役を送り込んでいてもおかしくはないー気がする。

 

「それに、さとりに知られても面倒くさかったから、地上に行く前に絶対さとりと会うことになるあんたには教えられなかった。だから、前からパルスィとか口の堅い奴にだけ根回しをしといたんだ。……さとりは地底の異変なんか認めないだろうし」

 

 あの頃、あちこちへ行っていたのはこの異変の根回しのためだったのだ。しかしさとりは怨霊の管理を任されているだけで、旧都を管理しているわけではないだろう。なぜさとりの目を気にしなくてはならないのか。

 

「……ああ、それはな。私が今回の異変で、怨霊を使うことを決めたからだ。吸血鬼の主は赤い霧、冥界の主は春を奪う、みたいにただ大暴れするだけじゃなくて、戦いに参加してない奴でも幻想郷のやつらに何か影響を与えたほうが面白いかなってな」

 

「え、面白さのためだけにお燐さんを脅したんですか?」

 

 そう訊くと、勇儀様は、ふ、と笑って付け加えた。

 

「今のは冗談だよ。それにお燐が何かしなくても最初から取りに行く予定だった。本当の理由は……まあ、名目だな。地上の妖怪の一部は地底を警戒してる。だから侵攻じゃないことは分かるように、逃げた怨霊を掴まえるっていう体で地上へ行って、暴れるんだ」

 

 暴れる、という単語を聞いた瞬間、私の隣で足を伸ばして座っていたこいしが目を輝かせた。

 

「楽しそう! 私も暴れていい?」

 

「好きにしたらいいんじゃないか。……まあそれで、私たちは敵対するために地上へ行ったわけじゃないって言えるわけさ。で、怨霊が逃げた責任を負うのは……」

 

「さとりさん」

 

「そうだ。ま、その辺はだいたいうまくやってさとりに迷惑かからないようにしないと……」

 

 これで、おおよそ勇儀様の考えている内容は理解できた。勇儀様が珍しくこれほど回りくどいやり方をしたのも、地上との軋轢を考えてのことだったというわけだ。しかし一方で、腑に落ちない点が1つだけ存在する。

 

(なんでそこまでして、異変を起こしたいんだろう?)

 

 鬼は率直さを好む。勇儀様はその典型と言っていいくらいで、本来ならば深謀遠慮という言葉には縁のないお方であるはずだ。わざわざ好まないことをしてまで異変を起こすというのは、何らかの目的が無くてはならない。

 

 うむむ、と考え込んでいると、勇儀様は私の方に顔を向けた。

 

「それであざみ。あんたはこの異変に参加するかい?」

 

「も、もちろんです。修行の成果を見せるいい機会ですし、私の行動は勇儀様にゆだねていますので」

 

「ははは、そうこなくっちゃな!」

 

 勇儀様は私の頭をわしづかみにすると、ごしゃごしゃとかき回した。頭がぼさぼさになってしまったが、悪い気分ではなかった。やがて勇儀様は手を離すと、表情をあらためた。

 

「さて……あざみ。1つ、仕事をたのみたい」

 

「何なりと」

 

「私たちが地上で大暴れするときに面倒なのが、天狗どもだ。もしあいつらが、地底の鬼たちが再び地上へ戻ってこようとしてると思ったら表面上は歓迎するだろうが、裏でこそこそ手回しをするかもしれない。だから、あんたが先に天狗たちのところへ行って、話をつけておいてくれ」

 

「話って……どんな風に?」

 

「無理にこちら側に取り込まなくても最低限、中立にさせればいい。さいわい、あんたは一緒に将棋教室やるくらい天狗と仲がいいみたいだし、うまくやれるだろ」

 

 なぜそのことを知っているのだろう、と顔を上げると、勇儀様は私の疑問を読み取ったらしく、ああ、と言ってそのわけを教えてくれた。

 

「華扇だよ。この前来て、修業中のことをいろいろ聞かせてもらってたのさ」

 

 修行中。その間私は何をしていだだろうか。脳裏に浮かんできたのは時間を守れず華扇に引きずられる私、団子を黒焦げにする私、霊夢にぼろぼろにされたあげく華扇に怒られて首をすくめる私……これを勇儀様に知られていた、ということか。

 

 私は顔を覆い隠したくなるほどの恥ずかしさを覚えながら、「そうですか」と平静を装って答える。勇儀様はそれを知ってか知らずか、なかなか面白い話が聞けたよ、と呟いていた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 春は、いい。

 

 萌える草の匂いが鼻腔を抜け、新緑が目に映るとき、椛はいつもそう思う。射命丸や他の位の高い天狗にあごで使われる不満も、この景色が見えなければすぐに爆発してしまうだろう。

 

 射命丸のことを思い出して、椛は腹の中が煮えくり返るような気持ちを反芻した。他の天狗の中でも最も気に入らないのが射命丸で、椛の私生活を新聞に出したり、上司であることをいいことに山菜狩りをやらせたりと、とにかく椛のことを考えようともしない。

 

 さすがに手柄の横取りや暴力をふるうことは絶対にしないが、許しがたいものは許しがたい。それなら鬼とはいえ、まだ分別のあるあざみの頼みを聞いている方がましだったかもしれない。短期間ではあったが、子どもたちとの将棋教室は給金が出たし、面白かった。哨戒天狗から将棋教室の師範になろうかと少し思ったくらいである。

 

(でもまあ、何もないのが1番だけど)

 

 あざみにはどこか親近感のわくところはあったものの、相手は鬼。いつどんな無茶ぶりをしてくるか分からないので、顔を合わせないに越したことはない。幸い、彼女は勇儀に近い部下だ。滅多に地底から出てくることはないだろう—

 

「あ、椛さん、ちょうどいいところに」

 

 その時、椛が寄りかかっている木の裏から、そんな声が聞こえてきた。椛がぎくりとして振り返ると、そこにいたのはあざみだった。珍しく前髪をあげて後ろでまとめて結んでおり、角が見えている。

 

 椛はため息をつきたくなったが、いまさら逃げることもできない。諦めて話すことにした。

 

「何のご用ですか、あざみ様」

 

「ちょっと天狗の方々とお話したいことがありまして。あなたたちの本拠地まで、道案内をしてほしいんです」

 

 椛はその時点で、面倒ごとの匂いを感じた。天狗たちは鬼が地上に来るということだけでもぴりぴりするのだが、それでも地上へわざわざやって来るのであれば、よほど重要なお話ということになる。そしてその内容によっては、椛も居合わせた1人として、何らかの騒ぎに巻き込まれる可能性があるのだ。

 

 椛は適当に言い訳をつけて、その役目を辞退することにした。

 

「すみませんね。今は哨戒中なのでちょっと……」

 

 このままうまく去ることができれば、他の天狗に面倒ごとを押し付けられる。そう思ったが、あざみは頷いて、

 

「わかりました。では哨戒が終わるまでご一緒しましょう。侵入者がいれば私も手伝ってあげますよ」

 

 冗談ではない。あざみは親切で言っているのかもしれないが、椛にとっては逃げの目を潰されたので、力なく笑うしかなかった。

 

「あ、ありがとうございます……しかしあざみ様の手をわずらわせるまでもありません。私1人で十分です」

 

 必死に抵抗したが、あざみは遠慮だと思ったのか、なおも続ける。

 

「そんなに遠慮しなくてもいいじゃないですか。お願いですから」

 

 あざみは悪気がない分、余計にたちが悪い。椛は逃走の道を諦めた。

 

「……わかりました。もう、そこまで言うなら案内しますよ! でもそこで何があっても私のせいじゃありませんからね!」

 

 椛はきょとんとするあざみに手招きし、飛び立った。天狗たちは鬼を畏怖しているが、それは決して鬼を好いているわけではない。圧倒的な力の前にひれ伏しているだけなのである。

 

 天狗がその数を活かせる本拠地に鬼がたった1人で乗り込むとどうなるか。それは天狗の一員である椛にもわからないことだった。

 

(……一雨来そうね)

 

 空を飛ぶ椛の視界の端で、黒雲が近づいてきていた。

 

 

 


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