鬼少女の幻想奇譚 作:らくしゅみ
延々と上へ続く石階段、そしてその両側に間をとりつつ満開の桜が並んでいる。一段一段に散った花びらが積もり、あたかもこの道が花弁によってつくられたような雰囲気を醸し出していた。妖怪の山では桜よりも紅葉の数の方がはるかに多いのだというが、ここだけは別だろう。人里でもこれほど眺めのいい場所はなかった。
「あざみ様。ここからは歩いていきましょう」
椛がそう言うと、その階段の両脇にいた白狼天狗は私を見て、さっと顔色を変えた。椛の知り合いなのか、お互いの剣を交差させて私を通すまいとしつつ椛と一言二言喋っていたが、やがて青ざめた顔のまま、剣を下ろした。
「どうぞお通りください」
そう言われたので、私は少し会釈してから椛とともに花で埋め尽くされた階段を上り始めた。
「………ひょっとして私、というか鬼はあんまり好かれてないんですかね」
小声で訊くと、椛は呆れた顔をして私をまじまじと見た。
「当たり前です。誰も表立っては言いませんが、鬼は天狗にとってトラウマなんですから。文様の醜態を見たでしょうに」
確かに、と私は思った。あの頃の私であれば射命丸は楽に私を負かすことができていたはずである。しかし彼女は勇儀様の手紙を見ただけで震えあがり、勝手に降参してしまったのだ。
射命丸の実力は鬼にも手が届いていそうなものなのだが、鬼というトラウマは彼女ほどの者にも刻み込まれているということを心に留めておいた方がいい。
まあ今回は交渉のために来たのだから、むしろその心理は有利に働く。私は堂々としていなければならないのである。
本来私は偉そうにするということに向いてないし、先ほどから椛にあざみ「様」と呼ばれているのがむずがゆかったが、これも役目だ、と舌の根でつぶやきながら歩を進めた。
◆◆◆
鬼の使者が来るという話は、何十年も安寧の時に浸かっていた天狗たちにとって、まさに青天の霹靂だった。
天狗たちの長、天魔もその例に漏れず、それを聞いたときはいかに丁重に帰ってもらうかを考えようとした。しかしすでに山の中腹までやって来てしまっているということで、迎えざるをえず、やむなく宮で会うことにしたのである。
(今度はどんな無茶ぶりを聞かされることやら)
というのが天魔の目下のところの悩みだった。今でこそどの天狗よりも妖力が強く、天狗の総大将となっているが、若い頃は星熊の配下の鬼にすら歯が立たなかったのである。
鬼たちが地上からいなくなってようやく自分の時代が来たと思ったのになぜ今更、と若干の苛立ちを含みつつ、天魔は扇子で座敷をぱしぱしと叩いていた。
座敷の周りを固める烏天狗たちは扇子の音が鳴るたびに首をすくめ、そわそわとしていたが、やがて外から一人の白狼天狗が入って来た。たしか椛という名前だったか。
「鬼の使者が来ました」
「通せ」
天魔がそう言うと、椛はまた出て行き、今度はもう一人を伴って中へ入って来た。
天狗たちがどよめいた。鬼の使者は思ったよりも小柄で、身体の線は華奢と言ってもいいくらいである。しかしその赤紫色の髪の間からのぞく一本の角は、彼女がここにいる誰よりも上位の存在であることの証だった。
そして彼女は何十羽はいようかという烏天狗たちに囲まれながらも平然として歩き続けると、座っている天魔の前でぴたりと止まった。
「初めまして。私は星熊勇儀様の使い、あざみと言います。本日は勇儀様より天魔様にお伝えしたいことがあって参りました」
あざみ、と名乗った使者は淡々と言った。やはりあの星熊の配下というだけあって、この数の天狗に囲まれても恐れは微塵も感じていないらしい。
「……鬼が来るのも久しぶりだな。星熊殿はご息災か」
「はい。天魔様もお達者のようで何よりです。……ところでさっそく内容をお伝えしてもよろしいでしょうか」
鬼も最近は礼儀という者を覚えたらしい、と思いながら天魔は頷いた。荒々しい使者をやらないぶん、内容も穏当なものかもしれない。
「読み上げます。
『よう天魔、元気かい? そろそろくたばってるころじゃないかなって心配して手紙を書いてみたんだ。もし元気なら今度こっちに来て腕相撲の1つでもしてみないかい? 今度は手加減してやるから。
まあ冗談はさておき。今、私は地底の奴らと異変を起こそうとしてるんだ。
もちろん地上にも打って出るけど、そのときにあんたらの領域を通過させてほしい。一緒に異変を手伝えとは言わないから、黙って見ていてくれればそれでいい。
返答まで待つから、良い返事を頼む』
………だそうです」
読み終えて手紙をたもとに戻す間、私は天魔の顔色を見ながら戦々恐々としていた。そういえば私は勇儀様の文を見たことがなかった。華扇のときは友人だからこの調子でよかったのかもしれないが、今回は鬼に対してどんな感情をもっているか分からない天魔である。
1文目でいきなり(勇儀様なりの親しみの表現なのかもしれないが)天魔をおちょくってしまっているし、私が目を通してしかるべき形に書き直しておいたほうが良かったかもしれない。
(しかもなんでこんなに武装した烏天狗がいるんだろ)
つとめて不安や戸惑いは顔には出さないようにしていたが、この座敷にいる烏天狗は20や30ではくだらないだろう。そしてその中で一際大きな存在感を放っているのが、天魔だった。
眉間に刻まれたしわは深く、わずかに白の混じった黒翼は生きた年月の長さを表している。しかしその目の光は鋭く、老いてなお強い力をもつ天狗の長としての迫力は十分だった。
私が読み上げた後、天魔は書状を受け取って文字を見直していたが、やがて私に手紙の一部を指し示してこう訊いてきた。
「ここに、異変を起こすと書いてあるが、星熊殿はなぜ異変を欲するのだ」
うぐ、と回答につまった。私は知らない。異変を起こすということは知っているが、勇儀様の目的がどこにあるのか、まったくつかめていないのである。
「……答えられないのか」
天魔の声に、怪しむような気配が混じった。ざわざわと周りの烏天狗も囁きあい、こちらを見ている。私はその視線を受けながら、息を呑んで天魔を見ることしかできなかった。
「……私は、これを伝えにきただけです。しかしあなた方とことを構えるつもりでは……」
「ふむ。しかし迷惑はかけないと言っているが、本当の目的は、妖怪の山に戻ってくる、いや、地上に戻ってくることなのではないか?」
「そ、それは……」
「お主は知らないと言ったが、星熊殿は儂にこう訊かれることを承知でお主に異変の目的を教えずに送り出したのではないかね?」
そうか、と理解した。天魔は、再び鬼たちが戻ってきてせっかく築き上げた天狗の優位を、名実ともに取り上げられるのを恐れているのだ。さいわい今は地上との行き来が少し制限されているので問題は無いが、今度の異変で鬼たちが出てきた場合、その取り決めも意味をなさない。
それを察知しているからこそ、天魔は私に異変を起こす理由を問うてきたのだ。もしその目的が山に戻ってくるというわけでなければこの案を呑むつもりだったのだろうが、私は答えられない。
「……私にはわかりません」
「そうか」
天魔はふう、とため息をつくと、さっと右手を上げた。すると周りを固めていた天狗が手に手に刀や槍を構え、私に向ける。
「………これはどういうことですか?」
「もともと力を持っておるお主らには分からんだろう。儂らは鬼がいなくなってはじめて儂らの世界を作ることができたのだ。……それが今になってこちらへ戻るだと?」
天魔の言いたいことは、よくわかった。私も勇儀様に出会うまでは彼らと同じ側だったからだ。私は自身が強くなることで立場が逆転したが、彼らの場合は鬼がいなくなることで強者の立場にいられた。それを守りたいという一心なのだ。
「だからお主がここで死ぬか、もしくは帰れない体になってしまえば、返事はしなくてもよい。そうは思わぬか?」
勇儀様は天狗からの返答を待つ、と書いていた。そこを突いた論理だろう。私が帰らねば勇儀様は永遠に異変を起こすことができないというわけである。
「……やめるつもりは?」
「鬼の使者に刃を向けた時点で毛頭ない。やれ」
天魔の号令とともに、私の頭上にきらめく無数の刃が振り下ろされた。しかしもちろん私もおとなしく斬られる義理はない。私の首筋に刃が食い込む直前、赤い輝きが私の周囲に現れた。
「……鬼符『神領浅緋』」
じゃきっ、という音とともに弾幕が
次の瞬間、無数の紅い匕首が周囲を囲む天狗たちに放たれた。至近距離でまともに食らった烏天狗は全身に裂傷を負い、転がるようにして私から離れようとする。外れた弾幕は壁を貫き、床を削り、掛け軸に穴を開け、凄まじい被害を出していた。
「……おおっ!」
弾幕が消えた途端、傍で伏せていた1人の烏天狗が飛び上がり、大上段に斬りかかってくる。私はそれを右手で受け止めると、がっちりと抑え込んだ。振りほどこうとする天狗に、私は最後の望みをかけて言ってみた。
「……私には戦う気はないんです。どうか、刀を納めてください」
刀越しに荒い息をついてこちらを見る烏天狗の男は、ふ、と笑った。
「天魔様が命じた以上、俺たちは戦う。……だからそんなこと言ってる場合じゃないんだぜ、鬼さんよ」
その瞬間、どん、と背中を押されたような感覚とともに私はよろめいた。胸に違和感がある。見下ろすと、胸から刀身が飛び出していた。
思い出したように喉から血が溢れ、激痛が走る。後ろを見ると、別の烏天狗が私を背中から刺し貫いていた。
「……と、とったぞ」
後ろから。前の烏天狗に気に取られている間に後ろから忍び寄られていたのだ。罠とも言えないような単純な作戦に引っかかったことに苛立ちを覚えながら、溢れた血をぺっと吐きすてた。
「分かりました。もう、諦めましょう」
戦わないという選択肢に留まるのは、と心の中で付け加えてから、私は受け止めていた刀を力づくでもぎ取った。そして逆手に持ち替えて後方へ突きを放つと、後ろの烏天狗は慌てて私に突き刺した刀から手を放した。
私は奪い取った刀で牽制しつつ、背中に突き刺さった刀を抜いて畳に投げ捨てた。紅い血が畳に飛び散り、座敷を汚した。
胸の傷が早くも塞がっていくのを感じながら、私は泣きたくなってきた。
(もう少しお話で解決しようっていう姿勢じゃないの⁉ 勇儀様もなんであんな挑発みたいな手紙を……ていうか傷は塞がるけど痛いんだからやめてよ!)
しかし相手はやめるどころか、私を手負いだと判断したのか戦闘を継続するつもりのようだった。烏天狗たちはじりじりと近づいてくる。しかもこのまま続けていれば無傷の新手がいくらでもやってくる。長引けば不利になるのは私だった。
天魔は勝ちを確信しているのか、腕組みをしたまま言う。
「いくら鬼といえどもこの数、全てを屠ることはできまいて。おとなしくつかまるがいい」
「戦わなくてもいいのは魅力的ですが……お断りします。それをしては勇儀様に合わせる顔がありません」
とはいえ、彼らに勝つことは不可能だ。先ほど天魔の言ったとおり数が違いすぎるし、私は持久力がない。このままここで戦い続ければ妖力と体力をすり減らして討たれることは間違いないのである。
それゆえ、私のとるべき戦術は1つ―逃げる、しかなかった。
「影符『隠行鬼』」
宣言と同時に私の身体の表面を極小の光球が覆っていく。すると、私を囲んでいた烏天狗たちは動揺した。それもそうだろう。私の姿は烏天狗たちには見えなくなったのだ。
しかしこの術は妖力を食うため、効果時間は最大でも十数秒といったところである。早くここを脱出しなければならない。
とん。
跳躍。私の姿を求めてうろたえる烏天狗たちの頭上を飛び越えて囲みの外へ着地すると、私は術を解いた。途端にこちらに気づいた天狗が私を指差して、叫んだ。
「……囲みを抜けたぞ!」
「追え! 殺せ!」
烏天狗たちが殺到してくるのを尻目に、私は雨の匂いのし始めた野外へと飛びだした。
◆◆◆
「あざみを天狗のところにやった、ですって⁉」
「ああ、そうだけど……何か問題が?」
予想外の華扇の大声に、勇儀は狼狽した。そもそも勇義の従者なのだからどこへ行かせても勝手なはずなのに、どうしてそれほど気を立たせるのだろうか。
華扇がやって来たのはあざみを地上にやった数時間後だった。あれほど立派な書状も書いておいたのでおそらく天狗たちの中立は易々と引き出せるはずだろう、と思いながら、勇儀は早くもさとりに外の騒ぎを知られないように準備を指示していた。
だから部屋に誰かが入って来た時は子分の誰かかと思ったのだが、その人物は滅多に地底へ来るはずのない華扇だったのである。異変を起こす直前に華扇が来たのは、すでにそれを知っていて止めに来たからか、と勇義は身を固くした。が、
「そろそろお守りも古くなってる頃じゃないかと思って、新しいのを持ってきてあげたのに!」
「お守り……ああ、あの悪霊除けの」
勇儀は拍子抜けした。このタイミングで来たのはたまたまだったらしい。
「ええ。前にあげたのはそろそろ駄目でしょうし。……ていうか、あのバカは絶対に約束を忘れてるわね」
「約束?」
「地上に行かないって約束させたのよ。こんなことがあるかもしれないから。……ほんとに鬼なの、あの子⁉」
「まあ『鬼』になって数カ月だからな。アタマはまだまだ鬼っぽくないところもあるだろ」
勇儀の言葉に華扇はため息をつくと、「仕方ない」と言って踵を返した。
「……地上に戻って直接渡してくるわ。今度は厳しくお灸をすえてあげなくちゃ」
・鬼と天狗の意識の差
鬼から見た天狗は友人。天狗から見た鬼は支配者。
・天魔
公式では死ぬほど影が薄い。とはいえ力関係的に勇儀には及ばないもののかなりの実力者だと思われる。
・勇儀の書状
本人は大真面目にいい文を書いたと思っている。
・理論武装
鬼、特に約束を守る勇儀に有効。というかまともに戦っても勝てない場合、それくらいしか対抗手段がない。