鬼少女の幻想奇譚 作:らくしゅみ
―これが、鬼の強さか。
天魔は何人かの側近とともに暗くなり始めた空に陣取ると、地上で行われている戦闘を見下ろしていた。その内容はたった1人の鬼の使者を討ち取るというものだったが、それが戦闘として成立しているのは、ひとえにやってきた鬼の力量が凄まじいものだったからである。
鬼の使者—あざみは空中だと完全に数がものを言うので地上の、そして数の利を活かしにくい林の中を選んで疾走していた。このまま地底へ逃げるつもりだろう。その途中で襲い掛かってくる天狗と刃を交えながら、一直線に地底に繋がる洞穴を目指していた。もちろんそうさせないために天狗たちが立ちふさがるのだが、白狼天狗は勝負にならないし、烏天狗も4,5合打ち合っただけで倒されていた。
まさに一騎当千、というのがふさわしいだろう。追いすがる烏天狗の斬撃を回避すると、奪った刀で斬り返し、囲まれれば術で周囲の敵をまとめて一掃する。かつての星熊勇儀のような理不尽なまでの暴力という点では遥かに劣るものの、1人で烏天狗の精鋭と互角、いやそれ以上の戦いを繰り広げている。
(……こんな者たちが山に出てきたらかなわん)
まず、天狗の権威は間違いなく失墜するであろう。鬼とは昔のよしみで友好関係にあったが、それも相手が地底に住んでいるからで、天狗の支配を揺るがすようになるなら、話は別である。
万一鬼たちと戦いになるとすれば、あまり愉快ではないが紫や守屋などの勢力と協力して抑え込む。絶対に鬼を地上に戻してはならない。
「天魔様。先発の50人がみな負傷して動けません。次を送り込みますか」
側近の烏天狗が、そう報告した。
「ああ。……死者はいないのか?」
「はあ。そのようで。地底に戻るのを優先してとどめを刺す暇がないのでは」
違うな、と思った。鬼の力で刀を振るうのであれば、注意せねばすぐに相手を殺してしまう。つまりあの鬼の使者は、意識して烏天狗たちを殺さぬよう戦っているのだ。この状況で命を狙ってくる烏天狗をも殺さない、という甘さともとれるような優しさをもっていたということだろうか。
(話せば分かったかもしれないが……)
今更もう遅い、と思った。優しき鬼には気の毒だが、彼女は運が悪かったのだ。
天魔は側近の一人—射命丸に命じた。
「あの鬼を止めよ」
ぽつ、ぽつ、と雨が降り始めた。暗雲が立ち込め、小雨が降りはじめる。空の様子は雲に覆われていてよく分からないが、そろそろ夜になるころだろう。しかし本来であれば濡れた土の匂いがするであろう林の中は、血の赤と、鉄の匂いに包まれていた。
「ぜああっ!」
私の一太刀を受けた烏天狗が腕から血しぶきを上げながら倒れた。殺さないよう加減して戦っているが、それでもやはり肉を切る感覚には慣れない。彼らは命じられているから戦っているだけであり、何の罪もないのだ。
しかし斬っても斬っても、すぐに新手が送り込まれてくる。加えて逃走の途中で何度か術も使ったため、妖力の残りが怪しくなってきている。節約のため相手の武器を奪って使っているが、妖力が尽きるのは時間の問題だ。そうなってしまえば囲まれた際に手が打てない。
(はやく、地底へ戻らなければ)
さいわい、私—というより妖怪は夜目が利くので、明かりをつけなくても逃げることはできる。天狗との交渉は決裂してしまったが、私はそれを報告しなければならないのだ。絶対に地底へたどり着く—
「ちょっと失礼しますよ」
上空からその声がしたのを境に、急に傍で剣戟を交わしていた烏天狗たちが引いていった。今の声は、どこかで聞き覚えがある—しかしいちいちそんなことを思い出す間も無いため、この機会を逃さず、一気に速度を上げようとした。
「つれないですね」
またあの声がしたかと思うと、雨混じりの突風が前方から吹き付けた。不意をつかれ、思わず立ち止まってしまった。私の周辺の林だけが凄まじい嵐が居座っているようで、先ほどまで静かだった森の木々が風になぶられて激しく揺れている。
1人、烏天狗がゆっくりと私の目の前に降りてきた。しかし彼女の周りだけ無風になっているのか、短い黒髪ははためきもしない。おそらく、これも、そして周りの嵐も彼女の「風を操る程度の能力」によるものなのだろう。降りてきた烏天狗—射命丸は、私を見るとため息をついた。
「天魔様に言われたので来ましたが……正直、あなたとは戦いたくないんですよね、あざみさん」
「奇遇ですね。私もです」
こちらも、追跡してくる烏天狗を斬り払い振り払いしながらようやくここまで来たので、余力はあまりない。全力で戦えるならまだしも、消耗した状態で射命丸の相手をするとなると、勝てるかどうかは微妙なところである。
ほんの少しだけ射命丸が仲裁してくれるのを期待したが、続く彼女の言葉は、それとは反対のものだった。いつものどこかおちゃらけたような雰囲気は一切ない。射命丸はちらりと上空を見上げると、呟いた。
「とはいえ、今回ばかりは真面目にやらないといけないようですし……」
「敵になるんですか?」
「まあ、そういうことになりますね」
射命丸がそう言った途端、ぴたりと風が凪いだ。しかしそれは戦いをしないという合図ではない—むしろその逆、戦いを始めるからこそ、無駄な力の漏出を抑えているのだ。
射命丸は、天狗の団扇を振りあげると、高らかに宣言した。
「岐符『天の八衢』」
無数の光弾が彼女の手元に生まれ、私に向かって押し寄せてきた。私はやむなく自前の槍を生成し、弾幕を地道に消し飛ばす。無論、空中へ逃げれば袋叩きに遭うので射命丸には何としてでも地上での対決で勝たなくてはならない。
私は光球の奔流を文字通り切り開きながら、一気にその源である射命丸へ迫った。射命丸は私が弾幕を回避もせずに直進してくるのを予想していなかったのか、狼狽の表情を浮かべる。
「鬼符『更科姫の紅葉狩り』」
無数の紅葉が空中に咲き乱れ、射命丸へ向かって殺到する。
射命丸と私の弾幕は一瞬だけ拮抗したが、次の瞬間に紅葉は射命丸の弾幕を突き破り、彼女を呑みこんだ。彼女の弾幕は周囲に展開されるタイプだったが、「紅葉狩り」は全ての弾幕が標的に向かう。突破は用意だった。
「おやまあ……ずいぶんと成長なされたようですね」
しかし私の弾幕が薄れて完全に消え去ったとき、射命丸は依然としてそこに立っていた。至近距離で攻撃を食らったはずなのに、傷一つ負っていない。
「どういう手妻ですか?」
「……私は結界を張るなんて面倒な真似はしませんが、代わりにこれがあるので」
射命丸が人差し指を立てると、そこに木の葉の混じったつむじ風が現れた。
「以前河童の科学とやらの取材に行った時に教えてもらいまして。風でうまく何もない空間を作ってやれば、弾幕の威力は殺せるらしいですよ」
ふふん、と射命丸は少し自慢げに言った。もう天狗なのに、まだ鼻を伸ばしたりないのだろうか。
(……しかし、弾幕が効かない、というのはまずいわね)
今の話が本当であれば手持ちのスペルはほとんど意味をなさないし、私の奥の手である「人喰い蔵」も効かないだろう。戦うには姿を消すか、今持っている槍で近接戦に持ち込むしかない—
「さて、そろそろ攻撃に移るとしますか」
射命丸の姿が消えた。
「なっ……」
霊夢の時は、距離を詰めてきたと認識することができた。しかし今回は、まさに消えた、と表現するしかないほどのスピードだった。
「ここですよ」
背後からの声。それが耳に届いた瞬間、振り返ろうとした私の視界の端で、射命丸が扇を水平に振り払った。
ざくっ、と私の背中に風の刃が食い込んだ。
「ぐっ……」
私は振り向きざまに槍で射命丸を斬ろうとしたが、彼女は身を屈めて難なく避けると、返しの一撃を叩きこんだ。
私の肩口が深く切れ、ばっと鮮血が吹きあがった。血と妖力を失いすぎたのか、少し眩暈がする。揺れ始めた視界の中で、射命丸は私を見据えながら、言った。
「おとなしくしてください。そうすれば命まではとりませんよ」
「………」
強い。スピードだけであれば霊夢を上回るうえ、弾幕による攻撃は効果が薄い。勇儀様に対しては弱気だったが、予想通りの強敵だった。
(……これは……まずい……かな)
私の中で初めて、「死」の文字が浮かび上がった。私は、降伏することはできない。しかも勇儀様から交渉を任されている以上、その交渉相手の天狗に捕獲されるという醜態をさらすわけにはいかないのである。
だからといって、このまま戦っても敗色濃厚であるし、勝ったとしても力を使い果たし、首を取られるだろう。詰みである。
(……せめて。せめて射命丸を倒してから……)
覚悟を決めて顔を上げようとしたその時、私は足元に転がるずたずたになった「お守り」を見つけた。
「……え?」
胸元をまさぐる。ない。華扇から貰った、あの悪霊除けのお守りが。おそらく先ほどの射命丸の一撃で、千切れてしまったのだろう。
「……まさか」
すでに辺りは暗い。夜になってしまった。そしてお守りをつけていなければ—
悪寒が走った。
「……どうしたんですか?」
射命丸は怪訝に思ったのか、私に一歩だけ近づく。そのときだった。
がさり。
大きな茂みの中から、あの悪霊が姿を現したのは。
「……来た!」
射命丸は私の視線を追い、あの悪霊—黒々とした屍肉の塊のような存在をみとめ、目を丸くした。
「何ですかあれは……」
射命丸は扇を持ち上げると、無造作に2回、悪霊にむけて風刃を放つ。しかし見えざる風の刃は肝心な悪霊をすり抜け、後ろの茂みを散らした。当然だ。妖力を使う攻撃ならともかく、「風」ではあれに干渉できない。
のそりと何事もなかったかのように悪霊はこちらへ向かってきた。
「……ちっ」
射命丸は珍しく不機嫌そうな顔をしながら、再び目にもとまらぬ速度で扇を奮った。しかしそのことごとくが効果を発揮することなく後方へ飛んでいく。
「……実体がない、ということですか。それなら……」
射命丸は、右手を悪霊に向けた。
その指に5個の光点が灯り、悪霊に向けて解き放たれる。水色の光が炸裂したが、悪霊の勢いは止まらない。
射命丸はそれを見て、露骨に面倒だな、というような顔をした。
「……逃げた方がいいですよ。私の役目は終わったし……」
「……え」
射命丸はそう言うと、さっと飛び立って悪霊から逃れた。私に止めを刺さないのが不可解だったが、射命丸に下されていた命令は「私の始末」ではなく、「私との交戦」だったのかもしれない。そのため、別の敵が現れたのを口実にさっさと抜けたのだろう。
(なんにせよ、これで最大の障害は消えたけど……)
目の前にいるのは、あの悪霊。目と鼻の先のところまで迫ってきている。耳障りなうめき声を上げながら、突進してくる。本当はこの状況下で妖力を使いたくはないが、この怪物相手には、術しか効かないことは分かりすぎるほど分かっている。
私は落ち着いて悪霊を引き付けると、なけなしの妖力を振り絞った。
「鬼符『芥川の人喰い蔵』」
悪霊が、私の顔まであと3寸というところで停止した。結界で阻まれているため、どれほどもがこうとも、私を捕らえることはできない。悪霊は、私の顔でも食い破ろうというのか、がちがちと歯をならしていた。
「……今日のところはお引き取りください」
結界に閉じ込められた悪霊に、弾幕の雨が降り注いだ。容赦なく肉を穿ち、貫き、焼き焦がす。結界の中で妖力の奔流が荒れ狂い、悪霊は消滅した。
しかしその直後、私は激しい頭痛を感じて座り込んだ。
(……今ので完全に妖力が尽きた)
傷の治りも遅い。いくら鬼といえども、体力は無限ではないのだ。そして次に天魔が打って来るであろう手は—
ざっ、と何人もの烏天狗が地面に降り立った。手に持っているのは刀—ではなく、弓。彼らは遠巻きに私を囲むと背中の矢筒から矢を取り出し、弓につがえる。
(……なるほど)
近接戦だと被害が出る可能性があるので、最も安全な方法で私にとどめを刺そうというのだろう。確かに妖力の尽きた私には、もはやこれを防ぐ手立てがない。
(……申し訳ございません、勇儀様)
使命は果たせないうえ、こんなところで命を失うはめになるとは。私はこれから自分が辿るであろう末路を思い浮かべたが、精根尽き、乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
いつの間にか空は晴れ、月が顔をだし、私と烏天狗たちを照らしている。
ぎり、と烏天狗たちは弦を引きしぼり、私に狙いをつける。銀のやじりが私の身体を貫く未来を想像して、思わずぎゅっと目を閉じた。できるだけ痛くはしてほしくない—そんなことを考えながら。
「……弓を置け! そしてその子から離れなさい!」
懐かしい声が響いた。
私がゆっくりと目を開けると、烏天狗たちは弓を下ろし、空の一点—そこにいる
「華扇……さん」
助けの手を差しのべてくれた人物―華扇は、鋭い目付きで、状況が飲み込めず戸惑っているらしい烏天狗たちに目を向けた。
「……もう一度言いましょう。武器を下ろしなさい。そして私の
・夜目が利く
別にあざみに限った話ではなく、妖怪にはほぼあてはまる話なので烏天狗たちも同様。ただ走るのに支障がないだけ。
・射命丸の能力
弾幕によって生まれる爆風もその気になれば操れるため、本気を出せばまず弾幕戦が成立しない。が、人間相手(霊夢、魔理沙など)には弾幕で戦わなければならないので、出そうと思っても本気の出しようがない。
・悪霊の耐性
地味に強力になっている。以前は勇儀のスペルで一撃のもとに消し去られたが、今回は射命丸の攻撃に耐えている。