鬼少女の幻想奇譚 作:らくしゅみ
徳利を傾けると、ぷんとした酒の匂いとともに透明な液体が杯の上に満ちて行った。今日は月が出ていないので、傍にある
星熊勇儀は一口に飲み干すと、そのまま眼下を見下ろした。
旧都の街並みには、地霊殿まで続く一本道を中心に、篝火の光があちらこちらに見える。しかし異変騒ぎを聞いたためか、その数は少ない。そしていま勇義が座って一人晩酌しているような楼も、ここを含めていくつかしか明かりが灯っていなかった。
「……なんだ。異変が起こってるってのに、ずいぶん寂しいね」
呟いたとき、ふっ、と東の楼の篝火が消えた。勇儀がそちらに目を向けると、その方角から空中を移動する影が見えた。飛ぶ、というよりは振り子のように上がり下がりしながら、やって来る。その「誰か」は勇儀があぐらをかくその目の前に着地したとき、驚くような声をあげた。
「……ここで何してるの? 勇儀」
黒谷ヤマメだった。彼女は地底の上面にくっつけていたらしい糸を巻いて回収すると、不思議そうに勇義の瞳を見つめてきた。
「見りゃわかるだろ。酒飲んでんだよ」
「……分かりにくくてごめん。異変の首謀者が何でここで酒盛りしてるのってこと」
「いーんだよ。私は。どうせあっちから来てくれる」
勇儀が昇降洞の方を指さすと、ヤマメは珍しくため息をついた。
「いつまでそんな昔の約束守ってんの。配下の鬼だって地上に行ってるんでしょ」
「ああ、そうだよなあ……私はいつまで約束を守ればいいんだろうなあ」
どこか遠くを見るような目をしながら答える勇儀を見て、ヤマメはますます訳が分からなくなったようだった。……まあ、今のは地上に行く行かないの話のことではないが。
「……ところで勇儀は、ずっとここで酒飲むつもり?」
「うーん、まあ誰かが地底に降りてくるまではね」
「その明かりつけて置いたままにする? もし必要ないなら消して」
勇儀は、ヤマメの言葉を怪訝に思った。そういえば先ほども東の楼で明かりを消していたが、何かわけがあるのだろうか。そう訊くと、ヤマメは首をかしげた。
「……さあ。私じゃなくて、あざみが言ったことだから」
「あざみが?」
「うん。なんでだろうね……店とかのは時間になったら消すように皆に伝えてください、てさ。……面倒だけど引き受けるって言っちゃったからなあ」
「へえ、そうか。そういえばあいつは異変の間どうするって言ってた?」
「ずっと昇降洞のところで待つって言ってたよ」
ヤマメがそう答えた時、都の外れの方で、ちか、ちかちかと何かが光った。遅れて轟音がやって来る。
「……ん、もう地上の奴らが来ちゃったみたいだね。あざみは大丈夫かなあ」
「さあねえ。私はただ待つだけさ」
闇夜の向こうで、また弾幕の輝きが宙に舞い散った。
◆◆◆
―一瞬で決めてやる。
途轍もなく強力なお札の嵐は、反応の暇も与えずあざみを包み込んだ。が、これではたりまい。前に見たように結界で防いでいるか、或いは得物で突破してくるだろう。
突破してくるとすればその先は―
霊夢は自身の作り出したお札の嵐に向けて、突っ込んでいく。
そのとき、ぶわり、と霊夢の前方の護符の群れが盛り上がり、あざみが体のそこかしこに切り傷を負いながら脱出してきた。しかし、その目は既に迫りくる霊夢を見て、まん丸に見開かれた。
「鬼符……」
「霊符『夢想妙珠』」
すばやく展開された霊夢の弾幕は、標的―あざみに向けて、あますことなく直撃する。
刹那、純白の光が視界を覆いつくした。霊夢の攻撃はなおも続き、爆発する弾幕は連打する大太鼓のごとく、地底中に響き渡る。
「うぐっ……」
燻されてはたまらないとでも言うかのようにあざみは爆煙の中から抜け出すと、いったん霊夢から距離を置くつもりなのか、後ろへ下がる。
「逃がさないわよ」
霊夢が追撃しようとした瞬間、あざみは絶叫した。
「影符『隠形鬼』!」
悲鳴とも宣言ともつかぬその言葉とともに、あざみの姿は宙にとけ、消えてしまった。後は静かに残された煙の残滓が漂っているだけである。
あざみは必ずこの近くに潜んでいる。霊夢は油断なく辺りを見回しながら、そう思った。
(……こんな技も使えたのね)
逃げられたか? しかし相手の目的はあくまで霊夢を旧都に行かせないことである。となればすなわち、選択肢は1つ―攻める、しかない。
「鬼符『芥川の人喰い蔵』」
至近距離で、その呟きが聞こえた瞬間、霊夢は結界を張っていた。直後、鮮やかな赤の弾幕が、霊夢を包み込む。
凄まじい妖力の奔流が、霊夢に向けて押し寄せた。空中から地へ叩き落すほどの勢いの弾幕が霊夢の結界を叩き、削り取っていく。先ほどまであざみの使っていた弾幕とは桁違いの威力だった。
霊夢は、自分が張った結界があと数秒で崩れると確信したとき、ため息をついた。
「………シャクだけど、今使っちゃうか。『夢想転生』」
その瞬間、霊夢の結界は波にさらされた砂城のように消え去った。が、あざみの弾幕は1つとして霊夢を穿つことはなく、彼女の体を無視してただ無駄に放出され続ける。
唖然とするあざみに、霊夢は「人喰い蔵」の結界すらも通過し、あざみに襲い掛かった。
あらゆるものから宙に浮く、つまり何物にも干渉を受けなくなる博麗の巫女の奥義である。弾幕も、結界も、あらゆるものは彼女の前では空気に等しい。
あざみは、向かってくる霊夢をみるや、さっと身を翻し、後退しようとした。が、無駄である。すでに霊夢の射程圏内に入っていた。
「……お返しよ。『二重結界』」
あざみの周りに現れた無数の弾幕が、一挙に彼女めがけて殺到した。当然あの槍ですべてを防ぎきることはできず、次々とうちもらした光球が命中する。
焼けつくような熱風を感じた。
そしてその直後、凄まじい閃光が地底を駆け抜ける。霊夢の無尽蔵なまでの霊力が爆発の撃力に転換され、荒れ狂った。
ようやく二重結界が終わって辺りが静まり返った時、驚いたことにあざみはまだ空中に踏みとどまっていた。
しかし連弾の威力をもろに浴びたためか着物も本人もぼろぼろで、槍はかまえているものの満身創痍といった体である。呼吸は絶え絶えで、肩で息をしていた。
「………しぶといわね」
正直に言うと、霊夢も大技の連発で疲労は無視できない程度にはたまっている。この後に勇儀と戦わねばならないことを考えると、あざみとこれ以上戦って損耗するのは避けなければならない。
「降参しないのかしら? 私そろそろ行きたいんだけど」
「先ほど私が言ったことを思い出してください。それが答えです」
「……残念だけど、私は忘れっぽいのよね」
それを聞いたあざみは、長くため息をつくと、ゆっくりと霊夢を見上げた。
「ではもう一度。旧都に入るなら、私を倒してからにしてください……」
あざみが言い終えたとき、霊夢の視界から彼女の姿は消えていた。いや、もっと正確に表現するならば、彼女だけでなく、そのほか全てが暗闇に飲み込まれ、何も見えなくなった。
◆◆◆
「おや、急に暗くなったね」
相変わらず勇儀とヤマメは酒盛りをしていたが、突然旧都の明かりが落とされ、一挙に闇に包まれてしまった。ヤマメは何かを思い出したように立ち上がると、傍で燃えていた篝火を蹴倒し、消火した。
「忘れてた。この時刻になったら消すんだった」
ヤマメがひとりごちると、勇儀は、眼下の街並みを眺めながら、一人合点したように頷いた。
「……ああ、そういうことか」
「何がわかったの?」
「いや、あざみのやろうとしてたことがね。……今日は新月だったか」
勇儀はそれ以上何も言わず、少し考えているようだったが、やがて杯を空にしてから、立ち上がった。
「ちょっと私も行ってくるよ。これがあざみの切り札だろうからね。うまくしたら珍しいもんが見れるかもしれない」
◆◆◆
―勝機は、今しかない。
私は全速で、霊夢に向けて飛行した。
私が霊夢と違う点―ないし、人と妖怪で違うのは、腕力、治癒力、寿命―そして、眼の違いである。今日は月明かりがなく、旧都の明かりによって戦いは行われていた。そして、その明かりを完全に消してしまったら?
私の眼は、暗闇の中でも霊夢の姿をとらえていた。かたや、霊夢は光り輝く弾幕を見ていたため闇に目が順応しておらず、何も見えていない。
霊夢の攻撃にひたすら耐え忍び続けたのも、この瞬間を待つための時間稼ぎだった。検討の結果、威張れることではないが自分が弾幕戦で霊夢に勝てるわけがないとい結論に達したのだ。
故に、勇儀様の人脈、妖怪としての優位を利用するしかなかった。霊夢の来るタイミングが悪ければ成功しない賭けだが、それに勝ったのだ。
私は霊夢を間合いにおさめると、右手に槍を実体化させた。霊夢は槍の光に反応した。が、それよりも早くその切っ先を振り下ろす―つもりだった。
がっ、と音がして、私の槍は、霊夢の額に届く直前で静止した。槍の穂先と霊夢の額の僅か2、3寸というところで、霊夢のお祓い棒が割り込み、こちらの斬撃を防いでいた。
「……惜し、かったわね。今のはひやりとしたけど」
「惜しい? ここまで予定通りです。……獄符『羅刹の魔槍』」
宣言と同時に、はらり、と私の握る槍がいくつものリボンのようにほどけた。元々これは分解して弾幕としても使うことができるのである。だからこそ、スペルの1つになっているのだが。
霊夢はとっさに回避しようとしたが、私は霊夢の服を掴み、それを防ぐ。その一瞬は、弾幕が霊夢に命中し、威力を発揮するのに十分な時間だった。
轟音が響いた。私自身を巻き込みながら、それでも攻撃は止めない。私はゼロ距離ですべての妖力を使い果たすまで、霊夢に向かって弾幕を叩きこみ続ける。
「………放し、なさい!」
私と霊夢は滅茶苦茶に飛び回りながら、空中で争っていた。もはや優雅さのかけらもない形だが、離せば勝ち目はない。意識が飛びそうになりながら、必死に応戦する。
私と霊夢は上を取り合い、くんずほぐれつしながら地上へと墜落していった。
◆◆◆
あざみの指示で真っ暗闇になっていた旧都に1つ、また1つと明かりが灯った。ちょうどそのとき地底に降り立ったのは、白黒の魔法使い―魔理沙だった。
「……ん? いつもより明かりが少なくないか?」
「本当ね。私が出たときは普通に明るかったのに」
傍にいるのは、先ほどまで魔理沙と戦っていたこいしである。ただし敗北を喫したあかしとして袖のほつれた上着、裾が黒ずみ、ずたずたになったスカートを身に着けている。こいしはもう負けたため、地霊殿に帰るのだという。魔理沙も旧都に行かなければならないため、ある意味では道連れと言えなくもない。
魔理沙はちらりと上をみると、鼻をうごめかせた。
「これは……火薬……っていうより霊力の弾幕が弾けたあとの煙の匂いだな。どうやって来たかは知らないが、霊夢が私より先に着いたらしい」
「そんなに細かく分かるの?」
「ああ。霊夢と死ぬほど決闘してきたしな。私たちが来る前に霊夢とここで戦った奴がいる」
「でも、だいたいの異変を起こす妖怪は私みたいに地上に行ってるはずだけど」
「そうか。で、地上で見なかった奴は?」
そう問うと、こいしは思い出しながら、指を折って数え始めた。
「……ええと、ヤマメと、あざみと、……あと勇儀」
あざみという奴とはこの前の異変で会わなかったが、どこかで聞いたような名である。魔理沙は少し首をかしげたが、すぐに思考を切り替えた。
ともあれ、その3人のうち誰かと、霊夢は戦ったはずだ。その後、霊夢はどこへ行ったのだろう。今戦っている様子が見られない以上、ここで勇儀を倒したか、あるいはあざみ、ヤマメのどちらかを倒してもっと旧都の奥へと侵入していると考えるのが自然である。
「また霊夢に先を越されちまったぜ」
魔理沙は慌てて飛び立った。あちらが先に戦ったら、魔理沙の手柄はこいしくらいのものではないか。
ぽっ、ぽっ、と旧都の大通りの提灯に、篝火に明かりが灯る。魔理沙はそれを見下ろしながら先へ進もうとしたとき、その向こうで信じられない光景を目にした。
大通りの向こうには、燃え盛る火に照らし出され、ゆらゆらと揺れている2つの人影があった。1人がもう1人を組みしき、喉に手刀を当てている。
その上の影は遠くからではよくわからないが、その下―どう考えても敗北の姿をさらしている者―は、巫女装束をまとっている。
「……霊夢が、負けた?」
魔理沙は呆然としながら、しかし詳細を知るべく、その2人の方へ向かって飛んでいった。
・あざみの策
ヤマメや他の旧都住民の助けを借りている。そろえなければならない条件(月明かりのない夜、相手が人間かどうか、権力があるか)が多いためいつもは使えない。
・弾幕戦としての美しさ
今回の決闘にはあまりない。それまで気にしていたら勝ち目のある戦いはできないため。