鬼少女の幻想奇譚 作:らくしゅみ
私は、水浴びを済ませて髪の毛をぎゅっと絞り、水をきった。近くに引っ掛けておいた着物を身に着けると、貰った紙切れを袂から取り出した。
「賭場……中央のかしら」
旧都は中心に行けば行くほど、大きな賭場や店があり、当然妖怪たちもそこに集中している。私の住んでいるような場所は街の中心から離れた端の端、まともな妖怪はあまり住んでいない。勇儀様の示した地図に書かれている賭場は旧都のど真ん中にあり、そこの胴元もやっているという勇儀様は相当の大物なのだろう。
何かうっかり失礼なことでもしたら——
私はそう思って、身震いした。勇儀様も昨日はきまぐれに温情をかけてくれたようだが、今日の機嫌は良くないかもしれないのだ。だが、行かなくても後で見つかって何をされるか分かったものではない。
(もう、どうしてこんなことに……)
私は、大通りを歩きながら、内心頭を抱え込まずにはいられなかった。だが、そう考えている間にも足は賭場に向かっている。決めるのは今のうちしかない。
いっそ逃げるか。勇儀様がいくら偉いといっても、私をピンポイントで見つけ出す能力は無いし、それにむきになるほどの執念はないはずである。
(よし、逃げよ)
私は、くるりと踵を返して賭場と逆の方向に歩み去ろうとした。が、
「うわっ!」
私は、後ろから歩いてきていた誰かにぶつかり、盛大に転んでしまった。衝突の瞬間、顔が何か柔らかいものに埋まった気がした。思い切り背中を打ち付けて、うに、と口から怪音が出る。
「ああ、すまなかったな」
ぶつかってしまった相手は、私の手を取って引っ張り、立ち上がらせた。その顔を見て、私は自分の作戦が水泡に帰す瞬間の音を聴いた。
「お、あざみ、来てくれたのか。そうこなくっちゃあな。ほら、とっとと行くぞ」
ぶつかった相手は、どういう運命のいたずらか、星熊勇儀その人だったのである。私は抵抗する間もなくひょいと肩に担がれ、そのまま勇儀様は歩き続ける。どうやら賭場まで強制的に移動させられるようだった。周りから、道行く妖怪たちの奇異の視線が集まる。
「待って、待ってください勇儀様! 自分で歩けますので!」
じたばたと振った足は虚しく空を切り、勇儀様は、はっはっは、と笑いながら歩いていく。私の意見を耳に入れるつもりはないらしい。私は観念して、運ばれるがままとなった。
◆◆◆
勇儀様が私を(担いで)連れてきた賭場は、想像していたよりもずっと広く、綺麗な場所だった。わらじを脱いで座敷に上がると、新品の
「………すごいですねえ」
「こんなのはただの飾りさ。本当に楽しいのは、あれだ」
その広い部屋の一角で、数人の鬼が賽子と湯飲みのようなものを囲んで、丁半賭博に興じていた。私は賭博をしたことはないが、この賭け事のルールくらいは知っていた。大雑把に説明すると、胴元が賽子を振って、客はその出目が丁(偶数)か半(奇数)を当てる遊びなのである。
「あ、あんなにお金が……」
賽子を振り終えるたびに、小判が行ったり来たりしている。あれ一枚を稼ぐのに、私では一週間はかかるだろう。そんなものが20枚30枚と飛び交っているので、少し青ざめてしまった。
「あ、姐さん! いらしてたんですね」
賽子を囲んでいた鬼のうちの一人が、こちらに気付いたらしく、ささっと駆け寄ってきた。なかなか若い鬼で、勇儀様に頭を下げながら、
「今日もよろしくお願いします。しかし姐さん、今日も一段と美しいようで……」
「心にもないこと言うんじゃないよ」
「分かってますとも。冗談です」
そう言って、二人は豪快に笑う。傍から見ている私は、勇儀様が気分を害するのではないかとひやひやしていたが、杞憂だったらしい。ほっと胸を撫でおろしていると、やって来た鬼の一人が、私に気付いた。
「……誰だお前。残念ながらここは会員制なんだ。もっと下の鉄火場で遊びな」
しっしっ、と鬼は私を追い払おうとする。私もできるだけならそうしたいのだが――
「待ちな。その子は、私が連れてきたんだ」
勇儀様の声で、賭場から私をつまみ出そうとしていた鬼は、勇儀様と私を交互に見る。
「へえ、姐さんの、妹ですか?」
「馬鹿。髪の色がそもそも赤紫と金でちがうじゃないか。いつもの面子でやるのも飽きたし、たまには別の奴も入れて遊んでみたらどうだと思って連れてきたんだが」
「あ、そうでしたか。こりゃ失礼……お名前は?」
「い……あざみです」
「あざみね、分かった。姐さん、あざみの参加はいつほど?」
「まあすぐ行くから、遊びながら待っときな」
鬼は頷くと、囲みへと戻っていった。勇儀様はそれを見送って、私の方へ顔を向けた。
「こういう賭け事はやったことあるかい?」
「……いいえ、ないです」
賭け事にうつつを抜かすような余裕がまず、ないのだ。それ故、私は花札や双六などもやったことが無かった。まして丁半博打など、経験があるはずもない。
「うーん、ならあんまりお前は楽しめないかもしれんなあ。いいカモにされて終わりかもしれないが……」
「それに、私が負けたら勇儀様の分のお金が……」
「いや、そんなのはどうでもいいんだ。私がお前を連れてきた理由は、マンネリが嫌だったからなんだ。金は気にしなくてもいい。勝ったら儲けものだと思いな」
そう言って勇儀様は、私の手のひらに、ずっしりと重たい小判を、1枚、2枚と重ねていく。
「あわわわ………」
これまでの人生でこれほどの大金を手にしたことはない。おそらく、まともに働いても一生こんな大金を持つ機会は無いだろう。合計で30枚、勇儀様は小判を渡すと、「ほら、いけ」と、私の背中を押した。
鬼たちの囲みに私がやってくると、鬼たちは賽子の目ではなく、私に視線を向けた。そのうちの手前にいた鬼が、
「姐さんの紹介なんだってな。今日はよろしく」
「いえ、こちらこそ……」
どうやら、勇儀様の名は、絶大な力を持っているようで、鬼たち(といっても私も一応鬼なのだが)の反応は蔑みや冷たさを伴っておらず、むしろ温かく迎え入れられたようだった。
「姐さんに認められたってことは、嬢ちゃんも結構、強いんだろ? 喧嘩。今度手合わせ願いたいよ」
「はは……」
曖昧に笑いながら、私は落ち着いて腰を下ろす。が、内心完全なパニックに陥っていた。
(……いや、何言ってるんです!? 喧嘩なんてしたこと無いし、手合わせ願われたら死ぬんですが……)
幸い後で殴り合おうなどとは言われず、賽子で遊ぼうという流れだったので、あの世行きは回避することができた。胴元が賽子を振り終えると、鬼たちは冗談を言い合いながら、金を積み上げていく。
「あんたは丁? 半?」
「あ、丁に一両……」
地底では、江戸時代に迷い込んできた外来人が地上で流通させた銭や小判が流れ込んできて、それが通貨となっている。私が一日に稼いでもらえるのは銭が数枚といったところなので、これだけでもしばらく働かずに過ごせるのだ。
「なんだ、堅実だなあ」
訊いてきた胴元の鬼は、つまらなそうに言った。周りを見れば、皆5枚6枚と金を積んでいる。私にはそれほどの勇気は無いので、最初は一枚だけ、様子見として賭けた。
「よし、どうだ?」
胴元がお椀を取ると、出目は2と6で合計8.つまり丁だった。
半に賭けた鬼から、ああー、と残念そうな声が漏れる。私は半に賭けた鬼から1枚小判を貰うことになった。
「お、勝ったのか。次は多めに賭けてみたら?」
「え、あ、はい……」
胴元の鬼が、柔らかい笑顔でそう言った。今回丁に賭けた者たちは私を含めて掛け金が少なかったので、余分だった金は胴元に入る、つまりこの賭博で最も儲かるのは胴元なので、機嫌がいいのだろう。
一方、半にかけて掛け金を失った鬼たちは、さほど気にした様子もなく、次をどうするか話し合っていた。
(適当に勝ち負けして、お金を減らさないようにするかな……)
私は、おそらく盛り上げ役として参加させられているのだ。できるだけ損も得もせず、勇儀様にお金を返せば、皆満足するだろう。次は多めに賭けて負けておこう。
「あ、次は半で3両」
「よし、分かった」
鬼が賽子を振って、出たのは半。負けるはずだった金は、6両になって返ってきた。
(まあ、こういうこともあるよね……)
予想外だったが、この調子で賭け続ければ、良い感じに収支が合うだろう。
「半で6両」
勝ち。今度は、12両になって返ってきた。
「……なんというか、運がいいんだねえ」
「……そうですかね」
「はっはっは、まあそのうち負けるから、あんまり調子に乗ってるとえらい目に遭うぞ」
隣の鬼がそう言って、丁に7両、賭けた。
「……ですよね、頑張ります」
「おいおい、マジかよ……」
数時間後、鬼の一人が呟いた。私も心の内では頭を抱えて同じことを呟いて、
(なんで? なんでなんでなんで? なんでこうなったの?)
と冷汗をどっとかきながら、目の前に積みあがっている小判を見つめていた。
目の前にある金は、172両。勇儀様に軍資金を渡された時は、30両だったから、およそ6倍に膨れ上がったということになる。もちろん他の鬼たちの持ち金は、私に吸い取られて少なくなっている。
私は、運がいいのか悪いのか、言う目がことごとく当たり、どんどんその持ち金を増やしていた。たまに負けることもあったが、次にかけた時にはすでに元通りになっていた。圧倒的な幸運が、私に舞い降りていたのである。
「イカサマじゃねえのか?」
鬼の1人が言ったが、私はイカサマの方法すら知らないし、胴元に何か情報を貰っているわけでもない。ただの幸運なのだ。
胴元が、笑って勇儀様に問いかける。
「姐さん、この子、ひょっとして本職の賭博師なんですか? 確かに強くて刺激はあるんですけど、ちょっと他の奴が面白くなさそうでして……」
勇儀様も、私の大勝ちを見て、あんぐりと口を開けていた。当然だろう。適当にその辺で誘ったつもりの奴が、自分の賭場で勝ちまくっているのだから。
「………私はそんなつもりでこの子を入れたわけじゃないが……おいあざみ、あんたなんかそういう計算とか得意な賭博師なのか? それともイカサマしてたのか?」
そう訊かれて、私はぶんぶんと全力で首を横に振った。むしろ、私が一番驚いているのだ。何故適当に目を言っているだけなのに、大勝ちするのか。しかもイカサマなしなら、賭博師であってもこの丁半博打ではあまり意味をなさない。純粋な運が占める割合が大きいからだ。
「……どうも、あざみが嘘を言っているようには見えないな……ということは、信じられないくらいのラッキーってことか」
勇儀様は、面白い面白い、と言って大笑いしていたが、金をむしり取られつつある鬼たちは愉快なはずもなく、ちらちらと私を——ひょっとすると私の積んでいる小判にかもしれないが——見ている。相当雰囲気が悪い。
私は、天を仰ぎたくなった。神様が幸運をこんなところで私に与えるというのはどういう意地悪なのだろうか。もう嫌だ。逃げ出したい。皆私をちらちら見ないで。お金返して逃げるから、勘弁してください――
「あ、皆さんのど渇きません? 飲み物取ってきますが……」
私は、明るい笑顔で鬼たちに聞いた。あわよくば、このまま逃げ出してしまおうという魂胆である。この金はあってもトラブルの元だろうし、何も持たずにいなくなってしまうのが一番だ。
「いや、いい。続けるぞ」
鬼の一人が、不機嫌そうに言った。逃げそこなった私は、ここが旧ではなく、正真正銘の地獄であるということを悟った。
「じゃあ、私は半で……86両賭けます」
負ければ、皆にうまく分配することができる。鬼たちはそれを悟ってか、丁に賭ける者、はたまた私の運の強さを頼みにして半に賭ける者にぴったり2分された。
とくに損の無いはずの胴元も緊張した顔もちで振った賽子の出目を確かめ――
「半です」
………やってしまった。
私の賭けた86両は丁に賭けた鬼たちから一両残らず小判を巻き上げてしまったのだ。巻き上げられた鬼たちは、憤慨し、半に賭けて私のおこぼれを貰った鬼は、安堵の息をついている。
「ああ、そろそろやめますかね」
胴元も、これ以上勝負を続けるととんでもないことになりそうな気がしたのか、賭博を中止した。私も、そして何とか自分の金を減らさずに済んだ者も続行は望んでいなかったため、反対は無かった。
「あざみ、お前、すごく運がいいじゃないか! 面白い」
勇儀様は大金を抱えて呆然としている私に、ぽんぽんと頭を叩いて相変わらず笑っていた。
「約束通りその金は全部、お前のもんだ。いやあ、よくやったなあ……」
勇儀様はうんうん、と頷いていたが、私は金を巻き上げられた鬼たちが気になってしょうがなかった。一人はすでに外へ飛び出してしまっており、残った者は「カミさんに叱られる……」とか「またやっちまった……」とか言って頭を抱え込んでいる。このまま帰ったら、私は彼らに闇討ちされるのではなかろうか。
「あの、勇儀様……負けた人たちに10両ずつ、あと宴会を開いてはくれませんか」
「……持って帰らないのかい?」
「はい。私には身に余る大金ですし……いくら運が良かったと言っても、気の毒ですし、最後くらいは楽しい思いをしてほしいなあと」
勇儀様はしばらくきょとんとしていたが、にやっと笑って、私の肩をばんばんと叩いた。
「よく言った! いいね、あんたの気前の良さ。気に入ったよ。……おい、落ちこんでんじゃねえぞ! あざみが飲み放題、食い放題の宴会を開いてくれるんだってさ!」
勇儀様の言葉に、周りは少しの間ぽかんとしていたが、その意味を理解して、沸き立った。勇儀様が、10両ずつ金を返してやると言ったため、「カミさんにしかられる」と嘆いていた鬼も、安心できたらしい、私の手を握って、上下にぶんぶん振り回して、感謝感激雨アラレをぶつけてきた。当の私は怨みを買わずに済んだことでここにいる皆の誰よりもほっとしていたのだが。
すぐに山菜の炒め物、松茸ご飯、豚足の煮物、大量の人間の筋が入ったおでん、寿司、数の子、(どうやって材料を入手したのかは分からないが)鯛の尾頭付き刺身、焼き豆腐、ざるそば、鬼殺し、巫女の口噛み酒、果ては踊り子、乞食まで運び込まれ、どんちゃん騒ぎとなった。
「飲め! 歌え! 踊れ!」
胴元の鬼が、顔を赤くしながら叫ぶ。と、その顔にイセエビが飛来し、鼻を挟まれる。活きイセエビである。胴元の鬼はぎゃあ、と倒れ、その上で他の鬼がサンバを踊りだす。「キリギリス、ああキリギリス、キリギリス」と訳の分からない和歌を詠んでほめたたえ合う一団や、乞食がせっせと腹に食べ物を詰め込んでいたり、収拾のつかなくなるほどの大騒ぎだった。
勇儀様は、静かに酒を飲みながら、私に問うた。
「どうだ、楽しいか」
「……ええ、まあ。楽しいです」
「そうか。ところで相談なんだがあざみ、お前、私の子分にならないか。その気前の良さと運の良さ、気に入ったよ」
酔っぱらって私の着物の裾をめくろうとした鬼の顔に拳をめり込ませながら、勇儀様は言った。決して面白半分ではない、真剣な光が目に宿っている。
「お気持ちは嬉しいんですが、働かないと私は生計が立てられなくて……」
「それは私がどうにかしてやる。どうだ。私の周りにいて、身の周りのことをしたり、お遣いをしたりといった程度の業務内容だが……つまらないか?」
「いえ、そんなことは決してありません! ええと、じゃあ……その、私なんかが従者になってもよろしいのですか?」
「よろしいとも。お前は、今日から私の子分だ。私のとこにすぐ来られるように、新しい家を用意してやる。この宴会が終わったら、長屋を引き払ってこい」
「分かりました」
私は、頷いた。これで正式に私は勇儀様の従者となったわけである。あまり話を聞いてくれそうにないが、この人……いや鬼の下なら、ひどい目を見ずに済むかもしれない。
そう思ったが、先ほどの苦境を考えると、案外そうでもないかもしれない。
そう思っていると近くに酒瓶が転がってきた。手に取ってみると、よく見かける日本酒や焼酎ではなく、〝
「お、飲むかい? まあ私の部下なんだから、それくらいぐいっと飲めないとな!」
「え? ちょっと待って……」
「まあまあ、遠慮せずに飲みなって」
勇儀様は蓋を開けるのを面倒くさがり、びす、と瓶に人差し指で穴を開け、私の口に突っ込んだ。濃密な酒の香りが鼻腔をくすぐり、中の透明な液体が、私の喉を滑り落ちていくと、身体がぼっと温まる感じがした。
「ほらほら、じゃんじゃか飲め。あんたは、この宴の主役なんだからね!」
◆◆◆
「うう—、頭痛い………」
暗くなって旧都の店先や長屋の前で提灯に明かりが付き始める頃、宴会はお開きになり、私は痛む頭をさすりながら自分の長屋へと帰ることになった。勇儀様は私の住処を提供してくれるらしいが、それは明日からだという。だからこれであの長屋で寝起きするのは、今日で最後となるだろう。
少し名残惜しい気もしたが、旧都の中心ともなれば、あの長屋よりはいいところがあるに違いない。私は、少し浮かれていた。
「しかし今日は、冷え込むわね……」
ぴゅうと吹いた空っ風は、半そでの私の腕に吹き付け、鳥肌を生じさせた。地上ではすでに夏は終わっているというから、これからどんどん寒くなっていくのだろう。もっと厚手の生地の着物を買わなくてはならない。
そんなことを考えて歩いていると、誰かが私の進行方向に立ちふさがるようにして、立っていたので、立ち止まった。その人物はかなりの大柄だったが、建物の影で顔はよく見えない。
「ええと……何か用ですか?」
「金を置いていきな。昼間、大儲けしただろう?」
「えーと、それが……もう宴会もしちゃったし、残りは返してしまったのでないんです」
「嘘をつくな。どうせ、懐に数枚小判を忍ばせてるんじゃないのか?」
私を待ち伏せていた者は、どうやら昼の賭博で勝った金を強奪しようともくろんでいるらしい。こんなことが起こらぬよう、宴会と金の返還をしておいたはずなのだが、そんな考えは甘かったようである。
(ていうかあれ……? 私、本当にお金持ってないし、お金出さなかったら殺されるんじゃ……)
その思考を読み取ったかのように、相手は一歩進んで、
「渡さないというなら、その命ごと貰うことにしよう」
「あ、あなたは……」
昼間の博打で、終わった直後に飛び出した鬼だった。なるほど、自分の金を取り返しに来たということか。
「すみません、私はお金持ってないんです!」
「だから、嘘をつくなと言ってるんだ。まあ、こんなに嘘がつけるなら、少なくともお前の正体は鬼ではなかろう。殴殺してくれる」
「その子は鬼だよ」
その時、聞きなれた声が上から聞こえた。相手の鬼と私は、同時にそちらを向く。
「全く、あんたもつまらない男だよねえ。小娘に金を巻き上げられたぐらいで待ち伏せして取り返すなんて、卑怯にもほどがある」
勇儀様だった。建物の屋根に座っており、顔は涼やかな表情だったが、額には青筋が浮かんでいる。どう見ても、勇儀様は怒っていた。
「………違う、姐さん。この女は、絶対イカサマしてる。そうでなければあんなに運よく目を当て続けることなんてできるわけないだろ」
「だが、その子は鬼だ。嘘はつけない。私はあざみに〝イカサマはしてないか〟と訊いたんだ。それで、否定している」
「じゃあ、そいつは鬼じゃないんだ。姐さん。失礼だが、別の妖怪を鬼と間違えてしまったんじゃないか?」
鬼は、私を指さして、言う。そういえば、と私は不思議なことに思い当たった。私は確かに妖怪であることは勇儀様に教えたが、鬼であるとまでは言っていない。さらに、角も髪に隠れて見えなかったはずである。なのに、どうやって勇儀様は私を鬼だと断定できたのだろうか。
私は関係ないことを考えていたが、勇儀様の一言で、容赦ない現実に引き戻されることとなった。
「じゃあ、勝負してみな。あざみが鬼なら、あんたとも互角かそれ以上に戦えるはずだ」
何ですと。
はい、確かに私は鬼です。鬼ですが、めちゃくちゃ弱いんです。米俵1俵も持ち上げられません。拳骨一発で倒れます。やめてください。
叫びたかったが、今更勇儀様が前言撤回するとは思えない。せっかく勇儀様が来て助かったと思ったのに、一転窮地に立たされている。
「おい、あざみ。私は強者しか認めないからな、せめてそいつぐらいは倒せよー」
えええええええ⁉
ちょっと待ってください。本当に無理ですって。死にます、謝るので許してください。助けて助けて助けて……。
鬼の方を見ると、拳を構えている。完全にやる気である。私が戸惑っているうちに相手は距離をつめ、お互いに拳の届く範囲になった。
「いくぞ、らぁっ!」
鬼の右拳が、私の鼻を掠める。凄まじい風圧で、私の髪がぶわりと揺れた。
(ひえっ……)
私はそれを避けた後も、嫌な予感がして、しゃがんだ。するとその瞬間、私の頭があった位置を、敵の蹴りが通過した。
「もらった!」
鬼は、しゃがんだため次の動きに移るのが遅くなった私の顔面に、拳を叩きこんできた。
――あ、死んだ。
目の前で火花が散る。相手の拳は私の額に当たっていた。私はこのまま死ぬのだろうかと勝ち誇った相手の顔を見てぼうっとしていたが、なかなか死は訪れない。
「……あれ、意外と大丈夫……?」
首をかしげると、殴った鬼の方が、「そんな馬鹿な……」と呟いていた。
「てことはひょっとして……」
私は右手をしっかり握りこみ、胴に引き付け体のばねを縮めてから、鬼の顔面に右ストレートを放つ。鬼の頬に私の拳が炸裂し、頬骨が砕けたのだろう、ばきゃっ、という音と共に、鬼はもんどりうって倒れた。
私はしばらく何が起こったのか分からなかったが、倒れ伏す鬼が流石に哀れになり、私は助け起こしてやろうと近づいた。しかし、その鬼は、「ち、近づくな!」と私の手を振り払い、慌てて逃げだしていった。
「おーい、銀二—、お前、破門なー」
勇儀様は、忘れ物したぞー、と呼びかけるような調子で、逃げていく鬼—銀二という名前だと初めて知った—に追放を宣言すると、私に向き直った。
「あの……勇儀様」
「何だ? あいつかい? あいつは気にしなくていいよ。元々鬼のくせに根がせこいやつでさ。そのうち放り出しちまおうと思ってたのさ」
「いえ、そうではなく……なんで私、こんなに腕力が強くなって、しかも頑丈なんでしょうか」
「そりゃあんたが種族「鬼」だからさ。頑丈さと力強さがウリのな」
「いえ……実は私、確かに鬼だったんですが、まるで非力で……あんなことできるはずも無かったのに……」
「そりゃ、私がお前に名前をつけたからさ」
「え?」
私は、勇儀様をまじまじと見る。名前をつけられたから、強くなった? そんな都合のいい方法があるのなら、誰だってそうする――
「正確に言えば、お前の本来持っていた力を取り戻した、というのが正しいかな。前にお前につけられてた名前、ありゃあ博麗の巫女があんたに課した腕かせさ。多分あんたは何かやらかして、力を封印されてたんだろ。妖怪は精神的な制約に縛られるからな。よくない名前をつけられるだけでも力が弱まるってのに、博麗の巫女にやられたんだからねえ……あんたは、元々弱体化させられていたんだよ」
「そうでしたか……」
それを見越していたということは、勇儀様はあの時、「名前をつけてやる」と言ったのはすなわち、「力を取り戻させてやる」という意味だったのかもしれない。
「あの、それで、従者にしてくださるという話は……」
「変わらないよ。鬼に二言は無いし、むしろ今のは褒めてやる。すっとした」
勇儀様はそう言った後、付け加えた。
「………それに、言っただろ。私は強者しか認めないって」
1、2話は長めになりましたが、3話以降は平均5000文字で、読みやすくなると思います。