鬼少女の幻想奇譚   作:らくしゅみ

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四章 追憶の旅
第31話 毒の杯


 

 

 

 

 あざみは、ぽかんとした表情で勇儀を見ていた。勇儀の言葉の意味が分からないとでも言うかのように。

 

 やがて、くしゃっと顔を歪めると、口に手を当て、遠慮気味に笑った。

 

「ふふ、勇儀様も冗談を言うときがあるんですね」

 

「…………」

 

 勇儀が黙って睨むと、あざみはびくりとして、笑うのをやめた。

 

「……まさか、本当、ですか?」

 

「私は少なくとも、真剣に話してたつもりだった。もういい。忘れてくれ」

 

「わ、分かりました! 信じますから! でもまさか……って。勇儀様のおっしゃることなら信じられますが……私を見捨てた父がそんなことをするとは思えず」

 

 あざみはうつむきながら、そう答えた。

 

「そうだ。私は里を出てから勇儀様に会うまでかなりの時間を過ごしてました。頼まれていたのであればそんなにかからないはずでは」

 

「最初はその予定だったけどな。お前を引き渡す日の夜に昭義が死んだから、混乱してるうちにお前の行方が分からなくなった」

 

「しかし、あれが命の危険をおかして地底へ来るでしょうか」

 

「あんたはそう思ってないだろうけど、実際来たんだ」

 

 あざみはどうにかして、勇儀が「昭義に頼まれて」自分を助けているということを否定したいようだった。今まであざみが分家や肉親への恨み言を言うのを見たことはないが、それは恨みが記憶の底に沈んでいたからだろう。

 

 だが、幼い頃はそうではなかったはずだ。おそらく、他の妖怪や獣から逃げながら、人里から追いやった者を恨みはしたはずである。いつもなら勇儀の言うことを素直に聞くあざみが勇儀の言葉に疑いを抱くのも、その恨みを思い出したからだろう。

 

 結局のところ、あざみは「昭義」が単に憎むべき対象でなくなるのが怖いのだ。

 

「……あんたの言う、あれ……昭義は土下座したよ。私と話すときにね」

 

 あざみの顔はみるみる青ざめていった。呆然としているようで、自分の中からあふれそうな何かを懸命に抑えているようにも見える。

 

「……聞いてたから、会った時に私が鬼だって知ってたんですね。封じ名のことも」

 

「そうだ。お前の書いた名前を見て、思い出した」

 

「じゃあ、あれは気まぐれじゃなくて」

 

「必然だ。私は、お前を助ける義務があった。だから子分にした」

 

 あざみはよろめいた。おそらく、彼女が勇儀のもとでやってきたことは、自分の意志や幸運で成したことだと思っていたのだろう。だが、勇儀の部下になるという前提が、実際は昭義の手によるものなのである。

 

「つまり……父上は、私を追い出した後のことを……考えていた?」

 

「そうだと思うよ」

 

「何もかも……何もかもがあれの手のひらの上でしたか」

 

「何もかもではないだろ。修行はお前の意志だろ?」

 

「………」

 

 自分の力で切り開いたと思った未来が、他人の手で作られていたという衝撃は、まだ受け入れがたいものらしい。あざみは何も言わず、おしのように黙っていた。

 

「……勇儀様」

 

「なんだい」

 

「今日だけ。今日だけお休みをいただけないでしょうか」

 

「いいよ。……でも、明日には地上へ行くからね。その準備だけはしとけよ」

 

「了解しました」

 

 足元もおぼつかない様子で帰っていくあざみを見ながら、勇儀はため息をついた。

 

 以前に比べればはるかに心が図太く成長したと思ったが、やはり自分の家のこととなると途端に気分が悪化するらしい。

 

 昭義のことを「あれ」と呼んでいることからも分家への感情は察せるが、勇儀はその昭義本人と出会っているだけに、なぜそれほどのすれ違いが生じているのかが分からなかった。

 

(……まあいいさ。どっちにせよ、私は自分の酒代の分だけ働くだけだ)

 

 分家へのケリのつけかたは、全てあざみ自身に任せる。勇儀は地上で問題を起こさないと紫に約束したため、この件で物理的に関与することはない。だから仮にあざみがキレて分家の屋敷をめちゃめちゃにするようなことがあっても、勇儀は何もしない。

 

 勇儀が地上へ行くのは、相手を威圧して昭義の覚え書きを平和裏に受け取るためであり、それ以外にすることはなかった。

 

(ま、面倒臭いのは明日からだし今日はどうしようかね)

 

 そう思いながら勇儀が大きく伸びをしたとき、酒臭い息が頬にかかった。

 

「……よっ、元気かい」

 

 勇儀の背後に、いつの間にか誰かが立っていた。振り返るまでもなく、声の主は分かっていた。

 

「萃香かい。久しぶりだね」

 

「この前異変を起こしたって聞いてさあ。ちょっと来てみたくなったんだよね」

 

 ふわり、と勇儀の前に回り込んだ萃香は、手にした瓢箪の中の酒を口に流し込みながら、遠ざかるあざみの背を見た。驚くほど背が低く、8歳ほどの少女といっても通じそうなほど幼い外見である。ただ一つ人間と違うのは、左右に巨大な2本の角が生えていることか。

 

「……いくら「約束」しちまったからって、よくこんな面倒くさいことしてるねえ。ほんと勇儀はまじめっていうか」

 

「それは私の勝手だろ。だいたいあんたの方がおかしいんだよ。前に私と博打やったとき、イカサマしてたろ」

 

「や、それを言われると弱い」

 

 ぺし、と自分の頭を叩きながら、萃香はいたずらっぽく笑った。あどけない、と言えばそうだが、実際はともに長い年月を生きている知人なので、勇儀の心に響いてくるものはない。

 

「まあ、実を言えば異変の直前も地底に来てたんだけどねえ。ほら、ここ危ないじゃん? 人間が入ったら捕まって食べられるくらい。だからこの前地底に用があるっていう酒屋のおっさんを運んできたんだ」

 

「……阿求じゃない方の稗田の当主?」

 

「そうそう。それ。うまい酒くれるっていうからオーケーしたんだよねえ。ていうかなんでか知らないけど、あの酒屋は地底に用があるらしいから、お得意様だよ」

 

(……なるほどね)

 

 よく考えれば当然のことだった。ただの人間が地底へ行くのは危険である。定期的に酒を持ってきた家人やこの前やってきた当主を守る者がいるというのも不思議ではないだろう。

 

「……それでさあ、私がここに来たのは、鬼退治を見るためなんだよね」

 

「鬼退治?」

 

「そうそう。最近じゃあだぁれも私らと喧嘩やろーって人間いないじゃん? だからそれを見るのが楽しみでさあ」

 

「つまり、どういうことだい?」

 

 勇儀が訊くと、萃香は赤ら顔を近づけて、何がおかしいのか、ははっと笑った。

 

「察しが悪いねえ。だから、地上から鬼を殺しにやって来る奴がいるっていう話なんだよ。面白くない?」

 

「……まあ、そういう気骨が本当にある奴ならな」

 

 昔は源頼光のように、「本当の」鬼退治を行う人間がいたものの、現在では霊夢や魔理沙がするように命のやり取りのない決闘が主流になり、命がけで鬼に挑んでくる人間がいなくなって久しい。

 

 当然、勇儀もその鬼退治を志した人間に興味がわいた。

 

「……で、そいつが殺そうって鬼は誰だい? 私か?」

 

「いーやー。あんたみたいな強そうなのは狙うつもりもないってさ」

 

「じゃあ誰だい」

 

 自分を狙った刺客でないことに落胆しながら訊くと、萃香は首をかしげながら答えた。

 

「さあ……私は顔も知らないけどさ、あざみっていう名前なんだって」

 

「なに?」

 

「ひょっとして知ってる? ちなみに鬼退治やろうっていうのはさっき言ってた酒屋の家人なんだけど」

 

 その瞬間、勇儀は分家のとってきた「対策」が理解できた。

 

 勇儀たちが地上へ来る前に、あざみを殺す。ごたごたの種をあらかじめ潰しておこうというわけだ。

 

「……ああ、知り合い、というか私の子分だ」

 

「ええ? 助けに行かなくていいのかい?」

 

 烏天狗の群れや博麗の巫女には負けたが、人間の刺客くらい寝ていても倒せるはずだ。それにー

 

「私は今日、あいつに休みをくれてやったからな。私がいちゃあ、気も休まらないだろうさ」

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 私が家に戻る頃には、すっかり夜になってしまっていた。

 

 勇儀様からお休みを頂いたあと、私はあてもなくさまよった。自分の心の中がごちゃごちゃしているときに、歩きまわるのは、私の癖だった。

 

 献立を考えるとき、困ったことがあったときには、その場でぐるぐると歩き回っているうちに頭も回転し、解決策を思いつくのである。

 

 だが、今日一日歩き回り、心をうまく整理することはできなかった。

 

(……今でも、信じられない)

 

 ここに私がいられるのが、父―昭義のおかげであるということが。

 

 私は行燈に火を灯し、ゆらゆらと揺れる火を見つめた。

 

(家のために私を捨てたのならば、完全に放置していればよかったのに)

 

 そうすれば、心おきなく分家を、昭義を憎めただろう。勇儀様に拾われてから実務面で忙しくなり、昔のことだからと気にかけないようにはしていたが、やはり今でも分家に対する恨みは私の中でくすぶっている。

 

 頭では割り切れても、感情までは割り切れないものだ。

 

 つくづく、自分をかえりみると、そう思う。自分が「こう」生まれてしまったことにはもう何の怒りも無かった。そうしなければ私と言う自我が生まれることも無かっただろうから。

 

 しかし、こうして真実が明らかになってもまだ昭義が自分を助けようとしたのだという事実を認めたくない自分がいるのも確かである。

 

―嘘だ、嘘だ、嘘だ。

 

 まるで聞き分けのない駄々っ子のように。

 

 もう寝ようか。私が心をどう整理しようとも、明日は地上へ向かうのだ。無駄なことを考えるのに行燈の油を使う必要は無い。

 

 しかし私が、ふっと息をふきかけて火を消そうとした時、とんとん、と玄関の戸を叩く音がした。

 

「少しお待ちください」

 

 誰だろう。勇儀様だろうか。それともパルスィ?

 

 私の部屋はほとんど物がないので、片づける必要はない。座布団から立ち上がって土間へ飛んでいき、戸を開けた。

 

「あ、こんばんは。さがしましたよあざみさん」

 

「……誰ですかあなた」

 

 知らない男だった。あご髭をそった跡が青々としており、体つきは細い、気の弱そうな男である。右手には風呂敷で包まれた重箱、左手には硝子瓶の入った袋が握られている。

 

「ほら、あれです。この前のくじ屋の者です」

 

「くじ屋……? ああ、あの」

 

 ようやく思い出した。彼は土蜘蛛の女にからまれていたくじ屋の主人だった。

 

「……ぜひお礼をと思いまして」

 

 ぺこぺこと頭を下げながら、男は酒がちゃぷちゃぷと音をたてる一升瓶を差し出してくる。

 

「いや、そんな。私は別にお礼が欲しくてやったわけでは」

 

 慌てて手を振ると、男は左手の重箱を見せた。

 

「いえ。もちろん酒だけとは言いません。酒盛りには肴が要りますよね。当然あります」

 

 判断に困った。親切で持ってきてくれているものを無下に突き返すのは冷たいし、かといってあまり呑みすぎて明日に障るのも困る。

 

 ……だが、酒は嫌いではないのだ。鬼の特性として勇儀様ほどではないが酒には強く、たしなみもする。

 

(……まあいいか。せっかくだし。このお酒高そうだし)

 

「ではお言葉に甘えてさせていただきます。おあがりください」

 

 私はくじ屋の主人を家にあげると、囲炉裏を囲んだ。彼がどうやって手に入れたかは知らないが酒はなかなかの上物で、杯に入れた瞬間、芳醇な香りが広がった。

 

「肴は、ニシンの卵です」

 

 要するに、数の子。幻想郷に海は存在せず、普通の人間が外の世界へ行くことはできないため入手困難な食べ物である。私も存在を知るだけで実物を見たことはなかった。

 

「え、いいんですか、こんなの」

 

「ははは、いいんですいいんです」

 

 目を丸くする私に、くじ屋の主人は軽くうなずいた。

 

「残ったら後日食べればいいんですし。私のお礼の気持ちです。さ、どうぞ」

 

「ありがとうございます。……ところでみかじめ料は」

 

「……大丈夫です。あなたの言う通りにしましたよ」

 

「ああ、ならよかった。私も朝一番からアレを見るのはしのびなくて……」

 

「あれって?」

 

「見せしめですよ。勇儀様、頑としてお金を払わない人としょっちゅう喧嘩しに行ってますから」

 

「へ、へええ」

 

 くじ屋の主人は顔をひきつらせた。それでも酒を注ぐ手はとめず、私が杯を空にすると、すかさず酒を注ぎ入れる。

 

「……そういえば、あなたは一滴も呑んでませんね」

 

 一升瓶を4、5本空にしたとき、私はくじ屋の主人が一口も酒に手をつけていないことに気がついた。くせがなく美味しい酒だったので、ついつい一人で飲んでしまっていた。

 

「いえいえ、お気になさらず」

 

 笑いながら答えるくじ屋の主人の顔が、ぐにゃりと歪んだ。酔いのまわりが早い。というか気分が悪い。

 

「あれ……」

 

 いつもなら九升呑んでもまともなのだが。どういうわけだろう?

 

 そのとき、激しい激痛が頭にはしった。

 

「……痛ぅ…」

 

 頭を押さえてうずくまると、くじ屋の主人が心配そうに私の顔をのぞきこんだ。

 

「大丈夫ですか?」

 

「……あまり。ちょっと酔いが回いすぎた感じれす。ころお酒、強いんですかぁ?」

 

 呂律が回らなくなってきている。気のせいか、手足もしびれて動かしづらくなっていた。それを見たくじ屋の主人はほっとした顔をすると、重箱の下に手をやった。

 

 そこから取り出したのは、悪酔いを治すための薬―ではなく、短刀。

 

「ああよかった。もし薬が効かなかったらどうしよって思ってたんですよ」

 

「………は?」

 

 訊き返そうとしたとき、私はどさりと前のめりに倒れた。くじ屋の主人は短刀を鞘からすっと抜き出して白い刀身を見せると、私の目の前にやってきた。

 

「……まだ気づかないか。俺は分家の者だ。あざみ、もとい諱。あんたを殺すために来た」

 

 見開いた私の眼に映ったのは、先ほどまでの気弱な屋台の主とは似ても似つかない、刺客の顔だった。

 

 

 




・勇儀の分家に対する態度
 毛嫌いするというよりかは興味の対象外と言う方が正しい。昭義の約束を守るために交流を保っているだけで、通常であれば無視している。
・萃香
 地上にいる二人の鬼のうち一人。(もう一人は華扇)行動理念は楽しいか否か。
・源頼光
 かつて酒呑童子を倒した平安の妖怪バスター。鬼退治の途中、鬼を騙すために人肉を食したり、毒酒を盛るなどどちらが鬼かというほどの鬼畜行為が目立つ。
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