鬼少女の幻想奇譚   作:らくしゅみ

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第33話 昔語り・壱

 

 

 

 

私の世界は狭かった。

 

 座敷牢というらしい。物心がついたころから屋敷の離れの、鉄格子のはまった部屋にいた。外を眺められる窓もあったが、そこにも鉄格子がはめられていた。

 

 私の世話をする老婆は怖かった。梅干しのようなしわくちゃの顔は、いつも眉が吊り上がっており、私が泣きわめきでもすれば、離れには他に誰もいないのをいいことにひどく折檻された。

 

 私は老婆を恐れて、すぐに泣くことは無くなった。食事をこぼすことは無くなった。文句を言う、口答えするという発想が無くなった。

 

 何歳のときだっただろうか。ある日、裏庭に生えているすすきが風にたなびいている景色を窓から覗いていると、紺色の着物をまとった男がやってくるのが見えた。

 

 誰だろう、と思ってじっと男を見つめていた。鉄格子を曲げられそうなほど体格が良く、ごつごつした顔だった。男はこちらに気付かず、そのまま離れの入り口の方へ回り、見えなくなった。

 

「……いえ、旦那様。今は起きておいでです。はい。はい。どうぞお入りください」

 

 老婆の猫なで声が聞こえてきた。いつも怒鳴り声か平坦な声しか聞いたことがなかったので、私はびっくりした。

 

「じゃあ、会わせてもらうよ」

 

 錆びた声だった。おそらく先ほどの男だろう。私は老婆以外との人間の出会いに、少しわくわくしていた。

 

「噂は収まりましたか」

 

「いや……まだ鬼子の噂は立っている。いくらあの子を隠しても、一度広まった噂は消えない。それに、あの子ほど災害の責任を押しつけやすいネタはないだろうからな」

 

「いっそ殺してはどうでしょう、旦那様」

 

「……駄目だ。博麗の巫女の言いつけは破りたくない。それに角が生えていても我が子だ」

 

 やがて、障子がすっと開き、老婆と男が入ってきた。私は2人を見ると、慌てて正座して、手をつき頭を下げた。こう迎えなければ、老婆にぶたれるのである。

 

「おお、この子はすごいな。もうちゃんと挨拶できるのか」

 

 男はそう言うと、老婆に向かって目で合図した。私はわけが分からないまま頭を下げ、二人の様子を見ていたが、どうやら老婆は男の頼みをきくのを渋っているようだった。

 

「呪いの子ですよ。もしも旦那様に何かあったら……わしも好きで世話をしてるわけじゃありませんし」

 

「大丈夫だ。その子は角が生えてるだけだ。呪いなんてのはまやかしだ」

 

 老婆はしかたないというような顔で牢の鍵を開けると、男に見えないように、ぎろりと私を睨んだ。私はいつものくせで首をすくめたが、老婆の拳が落ちてくることはなかった。

 

 老婆は鍵を開け、すぐに下がっていた。その代わりに私のいる牢に入って私の前に座っていたのは、あの男だった。

 

「……私を、覚えているか」

 

 私は首を振った。私の世界は、老婆と自分とこの座敷牢だけ。他の人間と話した記憶はない。老婆に怯えながら過ごす毎日があっただけである。

 

 私の反応を見て、男はどこか寂しそうにした。が、すぐににっと笑うと、私を抱きかかえ、立ち上がった。男は額をつきあわせ、私の瞳を覗き込んだ。

 

「私はお前の父。稗田昭義だ。これからずっと来るからよろしくな」

 

 その日から、私の生活は変わった。まず、老婆は少なくとも顔を殴りつけることは無くなった。母屋まで行くことは許されなかったが、庭に出ることはできるようになった。そして何もせず無為に過ごしていた日々に、勉強の時間が加わった。

 

 勉強の時間が始まるのは、いつも夕暮れ時だった。師は昭義だった。老婆は私に何かを教えても無駄だろうと言ったが、それでも空の彼方に赤みが差し始める時間には、昭義は必ずやって来た。

 

 昭義の用意してくれた紙に、ゆっくりと、「ちりぬるを」と書いているときだった。昭義は横で私の書いた文字を見ながら、満足そうにつぶやいた。

 

「お前は物覚えがいいな。やはり私の娘だ」

 

「……ちちうえも、わたしとおなじとしのときにはかけましたか?」

 

「ああ。一ヶ月もあればかなの読み書きはできるようになる。我々稗田一族はな」

 

「ひえだ?」

 

「……そうか、知らないか。婆は何も教えてくれなかったのか?」

 

 私はうなずいた。老婆から教えてもらったのは、怖いという感情と、決まりごとを守らなければ怖いことが起こるということ。老婆が怒り狂って手を上げるとき以外は互いに距離を取っていたので、教えるも何もない。

 

「私たちのご先祖様は、この世界で起こったことを書き残してきたんだ。私たちはその仕事をすることはないけれど、ちょっと頭がいい」

 

 昭義は人差し指で頭を指した。

 

「だから、他の人たちを束ねる仕事をするし、勉強もしなくちゃならないんだ」

 

「……わたしもいつかそのおしごとをするのですか?」

 

 そう訊くと、昭義は一瞬だけ、さっと顔をこわばらせた。しかし瞬きをして再び顔を見ると、そこには柔らかい笑みが浮かんでいた。

 

「ああ、きっと」

 

 それから二カ月でひらがなとカタカナを覚えた私は漢字を覚えるかたわら、簡単な本を昭義に読んでもらうようになった。しかし稗田家にある本にひらがなとカタカナを読める程度の知識で読める物はなかったため、絵入りの短いひらがなで綴られた本を昭義がどこからか持ってきていた。

 

 その中で、記憶に残っている本は、外の世界から流れ着いた本だったと思う。あの頃はたいして気にもとめなかったが、本の綴じ方、字の均等さは明らかに幻想郷のものではなかった。

 

「こころのやさしいおにのうちです。どなたでもおいでください……」

 

 昭義は、いったんそこで言葉を切った。私はしばらく続きを待ったが、昭義は黙りこくったままだった。

 

「つぎにすすまないのですか?」

 

「……うん、いや、ちょっとね。もしお前がこの人間と友達になりたい赤鬼ならどうするかなって思ってね」

 

「わたしがですか?」

 

「うん。お前ならどう人間と友達になる?」

 

 私は考えた。外に行けないから友達を作ったことがない。しかし、想像することはできる。あの老婆と「友達」になれるかどうか。

 

 私は黙って首を振った。

 

「わたしは、きらわれているのならともだちにならなくていいとおもいます。おなじおにのともだちをつくります」

 

……この話の結末はどうだっただろう? それだけが思い出せないが、とにかく昭義に読み聞かせてもらったときがあったことは覚えている。

 

 昭義と過ごす時間は楽しかった。が、しばらくすると、昭義に不信感を抱くようになった。

 

 六、七歳くらいの頃だろうか。その日、私は縁側の下にある巣を出入りする蟻の列を眺めていた。せかせかと休みなく動き、餌を運び込む。この繰り返し。

 

 なぜそんなものに夢中になっていたのかは分からないが、座敷牢の中よりははるかに楽しいものである。「外」へ出られない身としては、昭義のいない時間の中でも指折りの楽しい時間だった。

 

 日が真上から少し傾き、日影が濃くなったころだった。こつん、と空から降ってきた石が地面ではねた。

 

 何だろう、と思って立ち上がると、私の背後にあった壁の向こうから、ひそひそ声が聞こえてきた。

 

「やめなって。こんなことしたら屋敷の人に怒られるわ」

 

「ばか。今の石で誰かが驚く声がしたら逃げればいいんだ。今は誰もいない」

 

「やってみなくちゃわかんねえしな」

 

「そうだよ。そのために俺の父ちゃんからはしご借りてきたんだからさ」

 

「もういいわ。あんたたちで勝手にやってればいいじゃない」

 

 3人の子どもの声。この壁を越えて入ってくるつもりらしい。今までなかったことなので、私は驚いた。早く引き返して離れに入れば、鉢合わせはしない。

 

 しかし、そこで私はいや、と思いなおした。ここで待っていれば、昭義でも老婆でもない他の人間に会えるのではないか。「外へでてはならない」という決まりも、あちらから勝手に入ってくる分には大丈夫なはずだ。

 

 漆喰で塗り固められた塀の向こう側から、かたっ、と何かがぶつかる音がした。はしごをかけた音。かたかたと音を鳴らしながら、誰かが登ってくる気配がした。

 

 ひょっこりと顔を出したのは、日に焼けた顔の少年だった。塀の上から敷地の中をきょろきょろと見回し、私の方を向いたとき、ちょうど目が合った。

 

「うわっ、やべっ」

 

 少年は慌てて顔を引っ込めようとした。しかし私が人を呼んだり追い散らすようなこともせず、ただ突っ立っているのをけげんに思ったらしい。

 

「……お前、何してんの?」

 

「蟻の巣を見てました」

 

「マシタって、何で俺に敬語使うわけ?」

 

 そういえば、なぜだろう? 私が首をかしげていると、少年はぽりぽりと頭をかいた。

 

「まあいいや。ここの家の人に俺のこと言わないでくれよ」

 

「あ、あの……」

 

「いや、ほんと。頼むからさ」

 

「……はい。秘密にします。でも、その代わりに……外ってどうなってるのか教えてくれませんか?」

 

 私がそう言うと、少年は目を丸くした。何を言っているんだと言いたそうな顔である。

 

「私は一度も外へ出たことがなくて。だから……」

 

「……いやー、今も誰かが来たらやばいんだ。ここで話してる暇はないよ」

 

「そうですか……」

 

 せっかく「外」のことについて語ってくれると思ったのに。外には本当にたくさんの人が歩き回っているのか。店で商売をしているのか。妖怪や神さまがいるのか。確かめたいことはいくつもあった。

 

 私が落胆していると、少年はがらがらと何かを引き上げると、こちらに向けてそれを落としてきた。

 

 がたん、という音とともに私の前に落ちてきたのは、木でできたはしごだった。

 

「お前も外に来てみればいいだろ。ほら、来なよ」

 

 私は逡巡した。外に出てはいけない。しかし、本に書いてあったことを自分の目で見て確かめたい。

 

 迷った。もしもこれがばれたら? 老婆は激怒するだろう。手を上げることは今ではあまりないとはいえ、昭義のいない間にひどい目に遭うのは明らかだ。

 

 しかし、してはならないと言われるものほどしてみたくなるものである。怒られるかもしれない。叩かれるかもしれない。それでも、少しだけならー

 

 私は、はしごに手をかけてしまった。

 

 

 

「ちょっとお、その子誰?」

 

「稗田のお屋敷のお嬢様じゃねーの?」

 

 塀のむこうには、少年の仲間らしい2人が待っていた。1人はいがぐり頭で、大柄だった。残った1人の少女はやや茶がかった短髪で、目が鋭い。

 

 私を連れてきた方の少年が、何かを言おうとして、あっと口ごもった。

 

「名前聞いてなかった。なんて呼べばいい?」

 

「諱。いみなと言います」

 

「よし分かった。俺は賢三。こっちの坊主が大六、うるさそうなのが菊枝だ」

 

「誰がうるさいって?」

 

 菊枝の睨みを無視して、賢三は「それで」と話を続ける。

 

「何かして遊ぼうぜ。鬼ごっこでも缶蹴りでもいい」

 

「え? 遊ぶんですか?」

 

「当たり前だろ。外見て終わりとかつまんないじゃん」

 

 賢三はそう言うと、あざみの腕を引っ張って駆けだした。

 

「一番遅く遊び場にきた奴が鬼な!」

 

「あっ何それずるい」とか「ふざけんな」と言いつつ、菊枝と大六もついてくる。しかし里の大通りは人が多く、今まで2人以下の人間と同時にあったことのなかった私にとっては、目が回るような光景だった。

 

 賢三はすいすいと人を避けていくが、私はその後ろをもたもたと動いていたため、大通りを抜ける寸前、どさっと誰かにぶつかってしまった。

 

「いたた……すみません」

 

「あらあら、ちゃんと前見て歩くのよ」

 

 ぶつかったのは、紫色の洋服を着た女性だった。リボン付きの奇妙な帽子、目の模様のあしらわれた傘、流れるような金髪。

 

 私は彼女に抱き起されながら、少し妙だと思った。私がぶつかったのに、彼女の上体はこゆるぎもしなかったのである。

 

「次は気をつけなさいね」

 

 そう言うと、女性は私たちの走って来た方向―稗田家の方へ歩いて行った。

 

 私が呆けていると、賢三が戻ってきた。

 

「ごめんな。もうすこしゆっくり行こう。あいつらに抜かれるかもしれないけど」

 

「いいえ、気にしてません」

 

「それならいいけど。……ところでさっきの人、お前の屋敷の方に行ってたな。すっげえ綺麗な人。オトナの魅力ってやつがあるよな……あの人知ってる?」

 

「いいえ。まったく」

 

 そもそもずっと離れにいるので、老婆と父親以外は、使用人はおろか家族の顔さえ知らない。もっとも、昭義によると母は私を産んで以来、いつも体調がすぐれず、母屋の自室にいるらしいが。

 

 賢三はしばらくその女性が去った方を見ていたが、くるりと回れ右して手招きした。

 

「……ま、いいや。お前は「外」を見たいんだろ? 今は中のことなんてどうでもいい」

 

 外は楽しかった。毎日、外へ出るのが楽しみになった。昼過ぎにはしごで塀を叩く音がするのが合図。私は塀にかけられるはしごを登って外に出て、賢三たちと遊ぶ。町はずれの野原を駆けまわり、なんでもないおしゃべりで笑う。そして昭義がやってくる時間までに離れに戻る。それで大丈夫。

 

 それで大丈夫、のはずだった。

 

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