鬼少女の幻想奇譚 作:らくしゅみ
目を覚ますと、辺りは真っ暗だった。
どうしてだろう。昭義は迎えに来ると言っていたのに。
頭が少し痛かった。その痛みは固い地面に頭をつけていたときのものというよりかは、毒を盛られたときのような、吐き気をともなう頭痛だった。
「父……上?」
まさか、昭義が私のことを忘れて帰ったわけではないだろう。「最後の外出」になると言ったのは昭義自身なのだから。
体を起こして辺りを見回すが、動くものと言えば、ときおり風にゆられてさざめく木々と、かさかさとまるで生き物のように音をたてる落ち葉くらいである。
急に心細くなった。闇を照らすものは弱弱しい月の光だけであり、木の影、地面のくぼみには、恐ろしい魔性が棲んでいるような錯覚さえ起こす。私は、昭義の姿を求めた。
結局のところ、私は昭義を頼る以外に生きていく術を持っていなかった。だからこそ、心のどこかでは他人を殺す命令はしても、私自身は放り出さずに最後まで大切にしてもらえると思っていたのかもしれない。
昭義の姿を見つけられない焦りで、ぐっと右手を握りこんだ。すると、その手の中でくしゃりという音がして、ようやく私は自分が手に紙を持っていることに気がついた。
『もう二度と里に戻ってはならない』
短く、そう書かれていた。そしてその字は、文字を教えてもらうときに見た昭義の文字と、全く同じだった。
「は……はは……」
そのたった15文字がこれまで私が昭義に寄せていた、自分を放り出さないだろうという信頼を崩すのを目の当たりにして、乾いた笑いが出た。
そうか。二度と里に戻ることはないから。だから、最後の外出。昭義が外出を許可した理由も、私に気づいた人間が咎めなかったのも、私が里から放逐されるのを知っていたからなのだ。
どうして思い至らなかったのだろう。殺しにくい厄介者を追い出そうと考えるのは当然であるはずなのに。
私は、自分を放り出した昭義を、そしてその意図に気づきもせずのこのことついていった私自身を呪った。そしてこれから自分が歩まなければならない孤独な道を。
じんわりと涙があふれてきた。泣くことはよくあったが、もう涙をぬぐってくれる者はいない。背中をさすって嗚咽を止めてくれる者もいない。
母の意向は分からないが、少なくとも昭義は一人娘よりも家を優先した。そのことは分かっていた。当主としてそれは当然なのは分かっていた。
だが、そのときは私を見捨てたというその一点が、私にとって昭義を憎むにたる対象とするには十分だった。……とはいえ、「恐ろしい」人里に舞い戻る気はなかったため、泣き明かしたあと、私はあてもなく幻想郷をさまようことになった。
非力な人間が幻想郷の野山を歩き続けることは危険であり、私の場合も例外ではなかった。私はよくよく見れば角があるものの、見た目は人間と変わらず、またその頃は鬼の力もなかったために、野犬や妖怪の襲来に逃げ惑った。
昼は見通しがきくためにまだよかったが、最も恐ろしいのはやはり夜だった。ぎらぎらと光る眼差しが音もたてず忍び寄ってくるのである。そして背を見せればたちまち襲い掛かり、喉笛を噛み切ろうとしてくる。
その襲撃に馴れた頃、私は昼に眠り、夜に起きているようになった。
頭がはっきりしている方が逃げやすいうえ、ずっと離れにいたためか、その頃でも夜目は利くほうだったために逃げる支障にはならなかったからである。きちんと寝れば体力を回復できるし、判断力も鈍らなかった。
食事は食べられそうなものであればそのまま食べた。木の根、樹皮、運が良くて獣の死体……。食事面で考えれば、里での暮らしはまだ人間扱いされていたというべきだろう。水が見つけられなかったときは、泥をすすった。着ていた着物や足袋は色を失ってすりきれ、すっかりぼろぼろになってしまっていた。
こうして獣以下の暮らしを続けながら各地を転々としていたが、ある日、私はぽっかりと地面に開いた穴を見つけた。
下をのぞき込むが、穴は底が見えないほど深く、大きかった。吹き込む風の音はまるで亡霊の叫びのようで、そうだとすればさしずめこの穴は地獄へつながる穴だろう、と思った。
「………」
私は深淵を覗きながら、身震いした。
恐怖ではない。この地獄へ通じていそうな穴へ身を躍らせたいという衝動がはしったのである。睡眠と食事で体力は回復できていたが、精神はもう限界だった。
ここに落ちれば、もう何も考える必要は無い。苦しむ必要はない。
(……そう考えると、極楽かしら?)
私は憑かれたようにけたけたと笑った。今思えば、あのときは本当に正気ではなかったと思う。私は笑い終えると、深呼吸して気を落ち着かせた。
「さて、と」
そして空中へと一歩を踏み出した。
少しの浮遊感の後に、私は真っ逆さまに落下した。すさまじい風圧のために髪ははためき、風を切る音だけが聞こえる。遠ざかる地上の光を見ながら、私はため息をついた。
ああ、これで終わり。ようやく楽になれる。
私は阿鼻地獄へと落ちてゆく亡者のように手足の力を抜き、まぶたを閉じた。そしてすべての感覚が喪失する瞬間を待った。
が、いつまでたっても衝撃は伝わってこない。それどころか、死んだ、という感じもしなかった。気がつくと、ごつごつした地面の上に、自分の身体は横たえられていた。
「……?」
もう私は死んだのだろうか? 私がおそるおそる目を開くと、そこには珍妙なこげ茶のドレスを纏った女がいた。女は私が目を開けたことに気づくと、気負う様子もなく話しかけてきた。
「あんた気をつけなよ。あたしが助けなかったら危なかったよ」
「……ここは、地獄ですか?」
「ん? 知っててここに来たわけじゃないの?」
「いえ。偶然見つけたので」
「そう。……まあ、確かに、ここは地獄と呼ばれていたときもあったけど、今はちょっと違うかな」
今は違う? あの世なのに、何の違いがあるというのだろう?
私の疑問の視線に、その女―ヤマメと似た格好だから、おそらく土蜘蛛だったのだろう―は、歌い上げるように答えた。
「幻想郷で最も自由な場所。地獄あらため旧地獄。ここはそういうとこさ」
◆◆◆
春の真っただ中で、今日も暖かい日差しが降り注いでいた。からりと晴れた空は雲一つなく、往来の人の数も多い。
ぱさぱさと店先の土間にたまっていた砂ぼこりを掃き出しながら、小鈴は機嫌よく鼻歌を歌っていた。近頃客が増えてきて、儲かってきているのである。店先の掃除も頻繁にやらなくてはならないが、それは客が多い証拠であるため、嬉しい仕事である。
小鈴が一か所に集めたチリを外へかきだしていると、道を数人の子どもたちが駆けていくのが見えた。
「地底から来た妖怪なんだってさ」
「えー本当? 嘘じゃないの?」
「本物だよ本物。ツノあるもん」
怪訝に思って子供たちが走っていく方を見ると、そちらには人だかりができていた。本当に鬼がやって来ているのだろうか?
(ちょっとくらいなら、いいかな)
今は店の中に母がいる。少し抜け出しても問題はないだろう。小鈴はほうきをそっと壁に立てかけると、珍しいもの見たさに人ごみの方へと歩いて行った。
小鈴が知っている鬼といえば萃香くらいだが、彼女以外の鬼は見たことが無い。霊夢の話で地底にいることは知っていたが、実物を見る機会は今までなかったのである。
小鈴が人だかりの出来ているところへ到着すると、その中心から大きな声が聞こえてきた。
「うん、地上の団子ってのも悪かないな。華扇が食いたがるのも納得だ」
「……はあ、確かにそうですが。あまりその名前を出さない方がいいかと」
「おっと、そうか。おう、あんたら何じろじろ見てんだ」
他の野次馬の背中でその二人を見ることはできなかったが、声からするとやってきた妖怪というのは2人とも女のようだった。
しかし、と小鈴は首をかしげた。大きな声の方は聞いたことがなかったが、それに答えた方の声はどこかで聞いたことがある気がするのだ。
「……ああ、あんたらも団子が食いたいってことか? ……そうじゃない? 金がないから食えないってことか?」
「たぶんそういうことじゃないと思います……皆さんはたぶん私たちが珍しいから……」
「そうか? まあ私たちだけ食ってるってのもこいつらに悪いし、ちょっくらおごってやろう」
そんな声が聞こえたかと思うと、何やらきらきらと光る物が野次馬たちの頭上に振りまかれた。ばららら、と地面に落ちたそれを見ると、黄金色に輝いている石―いや、金だった。
「⁉」
それに気づいたのは、小鈴だけではなかった。その瞬間、皆が目の色を変えてばら撒かれた金を拾い始める。
「待ってください、勇儀様! 里での金の価値は地底とは全く違います! 無暗にばらまくとまずいですよ」
「まあいいだろ。皆楽しそうだし」
小鈴は、唖然としてその二人を凝視していた。
皆がかがんで金を拾い始めたので、小鈴は団子を食べている二人の姿を見ることができたのである。勇儀と呼ばれた方の一人は、派手な服に身を包んでおり、鬼の証である一本づのが額から生えている。しかし、小鈴を驚かせたのはもう一人の方―
あざみだった。
「……あざみ、ちゃん?」
私はその声を聞いて、やはり団子屋に寄り道するのは諫めておいた方がよかったと後悔した。ゆっくりと振り返ると、小鈴が目を見開き、私の方を見ていた。
「あ、ああ……お久しぶりです」
私がぎこちない笑みを浮かべると、小鈴は、おそるおそる、といった表情で尋ねてきた。
「ちょっと待って……住処が地底って言ってたけど、あなたは、妖怪なの?」
「え、ええ………」
「でも華扇さんの弟子だったんでしょう? 仙人が妖怪を弟子にとったの?」
「えーと、それは、そのう……」
答えに窮した。私がすっぱりと認めてしまえば華扇に迷惑がかかるかもしれない。とはいえ、嘘をつきたくもない。私が目を白黒させていると、勇儀様が「そうそう」と小鈴の反応を愉しむそぶりを見せながら、私の前髪をかきあげた。
「こいつも鬼なんだよ。意外だろう?」
「ちょ、何勝手に……華扇さんに迷惑がかかります」
「いまから分家に乗り込むんだ。遅かれ早かれ噂は広がるものさ。華扇には後で謝っときゃいい」
「……それでも、やっぱり団子屋に寄る必要は無かったんじゃないですか?」
私の言葉に、勇儀様は目をそらした。やはり団子屋に行ってみたかっただけか。
「……ま、冗談はこれくらいにするか。もう分家の方に刺客の男を交渉させにいったんだから、向こうから返答するまで私らは適当に待ってればいいだけだろ?」
「む……まあそうですけれど」
すでに私と勇儀様は刺客の男に私たちの要求―稗田昭義の覚え書きと、それを得さえすれば何の危害も加えないという条件を伝え、分家に送り返した。相手が頑としてこちらの要求に応えない場合は、勇儀様は何もできないため私が強行突破しなくてはならないが、おそらくその必要はないだろう。
あちらもまさか鬼二人を敵に回して無事にすむとは思っていないだろうし、その際に受けるであろう被害と私たちの要求をはねつけることが全く釣り合わないからである。
「それでもやはりあまり目立たない方が……どうかしましたか、小鈴さん」
小鈴はびっくりしたせいか、ぽかんと口を開けたままだったが、次の瞬間、私の肩を掴んでゆさぶった。
「……妖怪ってことは、妖魔本も書けるわけよね! 今度、なんでもいいから書いてくれない?」
「は、はあ……こりないですね」
そういえば小鈴は大百足の前でも本だけは捨てずに逃げていた。私が鬼だとわかっても態度が変わらないのは、私に妖魔本を書いてほしいからだろう。
「ほら、書くのはなんでもいいから。とにかく魔力か妖力ののった文字を読みたいの! ねえ、お願いできる?」
「ああ、わかりました。わかりましたからそんなに揺さぶらないで」
しつこく頼み続ける小鈴に、私はそう言った。
「……約束よ?」
にっと笑った小鈴を見て、私ははっとした。約束してしまったからには、絶対に何かの本を書かねばならないのである。つい口をついて出た言葉だったが、まんまと言質をとられてしまった。
私がため息をついていると、交渉にいっていた刺客の男が戻ってきた。
「今から屋敷に来い、だそうだ」
「……そうかい。じゃ、さっそく行くとしようか。呪いを解く答えが待ってるしな」
「はい」
勇儀様は、腰かけていた長椅子から立ち上がると、団子の置いてあった皿に小判を2枚ほど積んで、のびをした。
小鈴と会うなど少し予想外の出来事があったものの、いよいよあの生家に戻るのである。私は、胸の中で暴れる心臓を抑えながら、立ち上がる。
そのとき、ふと嫌な予感が頭をよぎった。
(呪いの鎖を断ち切る手だてが見つからなかったら……どうすればいいのかしら?)
しかし、勇儀様はそのままあの家の方へと歩き出してしまっていた。私はそれを追って駆けだそうとしたが、1つだけ小鈴に伝えなくてはならないことがあることに思いいたり、足をとめて振り返った。
「ああ、小鈴さん。さきほどの約束ですが……1つだけ条件を加えてもよいでしょうか」
「……なに?」
「もしも私が死ぬか筆を持てない状態になった場合は本を書かなくてもいい、ということにしておいてください」
私は、では、と言って今度こそ分家の方へと歩みを進めた。
・あざみの保身
昭義に対して、友人を殺されたことには不満を覚えていたが自分のことだけは何とかしてくれるだろうと思っていた。状況のせいもあるが、少しゆがんでいる。