鬼少女の幻想奇譚 作:らくしゅみ
私が追い出される前に見たときと変わらず、分家の屋敷は傲然と建っていた。ただ、塀や瓦は少し薄汚れており、やや閑散としている。
もう二度と戻るかと思っていた場所。思い返したくない場所。それが目と鼻の先にある。目のくらむような圧力で、一瞬私は後ずさった。
私はごくりと唾を飲み込み、首を振った。
(……いいや、気圧されちゃ駄目。……あちらも私たちを恐れているはず)
私たちが門に近づくと、門の前に立っていた男が、引きつった顔でうやうやしく礼をした。
「お待ちしていました。勇儀殿。諱殿。早速ですが、当主の所へご案内しましょう」
男はそう言うと、踵を返して門を開けた。ついてこいということだろう。
庭は前に訪れた本家とそれほど変わらない大きさで、昔よりも少し狭く見える。私の背が伸びたせいもあるだろうが、一つだけ気になる点があった。
伸びた雑草が多いことである。稗田の分家ほど大きな家であれば使用人に命じて草むしりくらいさせておくはずなのだが、この庭はそうでない。分家に余力がないことは見て取れた。
「……なんだか、静かで退屈なところだな」
「噂には聞いていますが、旧都の方はここと比べ物にならないほど華やかなのでしょうな」
勇儀様のつぶやきに、男はみみざとく答えた。
「……近頃どうにも首が回らないようでしてね。私ァ、いつ首切られんのかとひやひやしっぱなしです」
そういえば前に怪しい茸酒に手を出していたのも経営が怪しかったからと言っていた。だが、仮にも昔から続いている酒屋がこうも簡単に商売が傾くものだろうか。
私自身がまがりなりにも賭場を仕切っているので分かるが、常連が一定数いれば商売は成り立つものである。これといった原因無しに財政が悪化するわけはない。
「ここに当主様がいらっしゃいます」
男の言葉で、私の意識は現実へと呼び戻された。考えているうちに目的地―当主の部屋の前についていたらしい。
男が膝をついて正座し、すらりと障子を開けた。
「星熊勇儀殿と、稗田諱殿をお連れいたしました」
部屋の中、座布団に座って腕を組んでいた壮年の男と、目があった。天魔に比べると老いによる見た目の深みは浅いものの、やはり名家の当主らしく堂々と構えている。男は視線を勇儀様に移すと、ゆっくりと口を開いた。
「………まさか、本当に来るとは思いませんでしたね」
「私は嘘つかないからなあ。行くっていったら行く。やるって言ったらやる。それが流儀ってもんだ」
「それはよいことですな」
当主の皮肉交じりの言葉を受け、勇儀様は、満足そうにうなずいた。
「……分かってるじゃないか。だから、要求が通らなかったらどうなるかも単純明快だろう?」
当主は、少し身を引いた。しかしすぐに咳ばらいをすると、勇儀様からふたたび私へと視線を戻した。
「単刀直入に訊きましょう、諱さん。あなたに復讐の意志はないと言えますか?」
「……はい。私はそんな気は毛頭ありません。ただ、襲ってくる輩がいれば戦いはしますが。例えば、酒で罠にかけようとする刺客とか」
私は当主の瞳を覗き込んだが、そこに気後れや戸惑いといった表情は見つけられなかった。あるのはただ、私を見定めようという意志のみ。
「気に障ったなら申し訳ない。だが、儲けの振るわない今、あることないことが噂になるだけでも大変なのです。分かってください」
分家という先入観があるせいか、それとも単に殺そうとしてきた本人に分かってくれとぬけぬけと言われるからか、私は当主の言葉に舌打ちをしたくなった。しかしぐっとこらえ、つとめて冷静にふるまいながら、こちらの要件を提示した。
「まあ、今はその話はいいでしょう。私が今日来たのは、私の父―稗田昭義の覚え書きをいただくためです。それを見せてくれるなら、あなた方に決して危害は加えないと約束しましょう」
「嫌だと言ったら?」
「そのときは、あなたがたが床に就くときの見晴らしをよくしてさしあげようかと思っています」
当主は顔をしかめてから、それで、と続けた。
「その昭義という当主の記録を悪用しないということは?」
「もちろん、しません。この角にかけて」
当主は考え込んでいる様子だった。といっても、私たちは簡単な二択を出しているだけである。屋敷をめちゃくちゃにされるか、覚書きを出すかの、簡単な二択。
当主はため息をつくと、やがて懐から、紐のついた、古びた鍵を取り出した。
「……これが書庫の鍵です。目的のもの以外は、決して触れてはいけません」
目の前で揺れる鍵を掴んで受け取ると、私は首肯した。
◆◆◆
書庫の中は外よりも一段涼しい空気がたまっていた。人があまり入らないのかやや埃っぽく、格子から差し込む光に舞い散る芥が照らされていた。
「地下にも本があるそうだから、手分けして探すか」
勇儀様は顎で地下へ続くはしごを示した。
「……そうですね。勇儀様はどちらを探しますか?」
「うーん、じゃ私は地下の方へ行ってみる」
勇儀様はそう言うと、はしごの方へ歩いていき、飛び降りた。
(私も探さないと……)
本棚には月々の帳簿や水の採取地の目録など、種類別に分類されているようだった。一つずつ見落としのないように確認していった。そして最後に「覚書」という張り紙がされている本棚を見つけた。
私はその棚に近づくと、背表紙に目をはしらせる。分家初代から順に並んでいるらしく、第何代目、と書かれた後にその当主の名前が書かれている。背表紙の名前を追い続け、私は、ついに目的のものを見つけた。
『覚書 稗田昭義 壱』
私は震える手で本を抜き取り、乗っている埃を払った。ぱらり、と開くと、そこには目次が書かれていた。その字はまぎれもない、あの記憶の中で何度も思い出した昭義の手によるものだった。
どうやら覚え書きは複数に分けて執筆されているらしく、二巻以降に内容を書き、一巻に目次をあとから追加していくという形式らしい。勘定、日記、備考といった項目を飛ばし、自分に関係のありそうな項目を探して頁を繰っていく。
途中で、人物と書かれた項目を参照したが私の記述は見当たらなかったため、目次を改めて見直す。すると、ある項目を見つけ、私の手は止まった。
『二十三、諱』
これだ。
私は急いでその項目が記された巻を抜き出し、頁を開いた。
『……稗田諱。私の長女である。ただし鬼であったために十になる頃に追放した。人物での記述を行わなかったのはヒトではないからだ』
簡単な説明の後、記されていたのは、予想以上に長い「物語」だった。もしかすると、これほどの文量が必要だからこそ「人物」の項目と分けたのかもしれない。
『諱のことを話すには、あの子が生まれる前から記述をしなければならない。そのことを思い出すと我ながら酷なことをしたと思う。が、あの頃の私はそれを制止したとしても聞きはしなかっただろう………』
◆◆◆
父が死んだため、一人っ子であった私がいきおい稗田の分家を継ぐことになった。
本業の経営に関しては父が健在だったころにしっかり手伝っていたし、本家との仲はそれなりによかった。誰もが私が分家を栄えさせるだろうと期待していたし、私もそうであろうと努力していた。
始めの一月はよかった。父の遺した覚書を見て取引のこつを勉強し、里での役目も果たしていた。父の代でたくわえた金にも手をつける必要がないほど順風満帆だった。
しかし、それ以降、どうにも商売がうまくいかなくなった。
私には商才というものが欠けていたらしい。すでに商売のやり方については頭に叩き込んだつもりではあったが、肝心なときに顧客を逃し、対応を誤り、日に日に財政は傾いて行った。
家人の中でも財政を危ぶむ者も出始めた。私を無能と陰口をたたく者もいたらしい。私は少しずつ追い詰められていった。
私自身が無能であることは自覚していたし、そしられるのは問題がなかった。しかし、このまま家を潰してしまうようなことだけは避けなければならなかったのだ。
そういった商売や算盤勘定に長けた者に任せるというのも考えないではなかったが、そもそもそういった人材はどの店も手放したがらない。そうして解決策が見つからないまま時だけが過ぎていくのに、焦りを感じ始めた。
「ごきげんよう」
ある日の夜、私が書斎でいつものように帳簿を見て頭を抱えていると、いつの間にか見知らぬ女人が立っていた。里では見かけたことのない異国風の格好だった。
「……君は誰だ」
「八雲紫という者よ。……そんなことより、あなたにはお悩みがあるはず。私はちょっとそれを解決しに来たの」
「悩み? 何のことだ」
私が問うと、紫は勝手に向かいの座布団に腰を下ろすと、扇子で口元を覆い隠しながら、囁くように言った。
「あら。あなたは、うまく家の商売を回したいのではなくて?」
「……それがどうした」
「私はそんなあなたの願いを叶えてあげるために来たのよ」
家を潰さない方法がある。それを聞いた瞬間、私は何かの術にかかったかのように、紫を凝視していた。
「本当か?」
「ええ。とりあえず聞くだけでも損のない話だと思うけれど」
「……どういう話なんだ」
私がそう訊くと、紫はパチンと扇子を閉じた。すると私と紫の間の空間に、奇妙な裂け目ができあがった。あぜんとする私の前で、紫は悠々とその空間の隙間へと片足を踏み入れた。
「あなたも、こちらに来なさいな」
紫はそう言うと、そのままスキマの向こうへと行ってしまった。私に気配を悟らせずに書斎へ入っていた時点で気付くべきだったが、彼女はおそらく人間ではないだろう。このスキマも、入ったらどうなるのか、まったく分からない。
しかし、そのとき私は相手が妖怪であろうと何だろうと、家を潰さない方法を教えてくれるならば魂でも売っていただろう。ためらわず、スキマの中に足を踏み入れた。
足袋に石畳の冷たい感触が伝わってきたと思うと、すでに私は神社の境内にいた。あの博麗の巫女が住む神社だ。
「……今、巫女は眠っているはずだから、あまり大きな音を立てないでちょうだい」
紫は、私の真後ろに立っていた。
「………いったいなぜ、こんなところに?」
「それはもちろん、神頼みに決まってるじゃない。この神社の神さまに、ね」
「博麗神社の神……」
神社とは言われているが、そういえばいったい何の神を祀っているのか、私は知らなかった。
「……ご神体もないという話だが?」
「あるわよ。これまでの博麗の巫女たちが気づかなかっただけで」
そう言うと、紫は淡く七色に透き通った、一枚の板状のものを見せた。
「これは、いつもは具体的には言えないけど博麗大結界の中心部に安置されているわ。巫女は近頃結界の管理はしていないから、このご神体の存在に気付かない……これを握りこめば、あなたの意志が神さまに伝わるはずよ」
「……それは何だ?」
夜の闇の中、紫の手にあるそれは、ぼんやりと光っていた。その光に照らされた紫の口元は、当然のことといわんばかりに微笑の形を作っていた。
「これは龍神の鱗。幻想郷を作った最高神。それが、博麗神社の祀る神よ」
最高神。紫の言葉に、私はまるで夢でも見ているかのような非現実感に襲われた。
「……それは、本当なのか?」
そう言うと、紫は少し不本意そうに眉をひそめた。
「私はそのようなくだらない嘘はつきませんわ。そもそも、幻想郷の要である博麗神社が幻想郷を創造した龍神を祀っていて何か不自然なことがあるかしら?」
「………」
確かにそう言われてみれば、その通りだ。納得しかけたところで、とある疑問がわいてきた。
「……なぜ、私にその話を持ち掛けてきたんだ?」
幻想郷の最高神で、商売の御利益があるというのなら、多少道中がけわしくても参拝客は多く来るだろう。にもかかわらず私だけにしか龍神の存在を知らせないのはおかしい。信仰を集めるのならばもっと効率の良い方法はあるのだ。
「いい質問ですわ。契約の前に説明をよく聞くのは大切ですものね。……龍神は、幻想郷を維持するために力を使っている。しかし、その力は並の信仰じゃ補いきれないの。博麗神社は人が来にくいところにあるし、まともなやり方では補充できない……。だから、人身御供を選んで、龍神が力を維持できるようにしているわけ」
「つまり龍神はヒトを食らっていると?」
「まあ、食らうだなんて人聞きの悪い……定期的に一人が死ぬだけで幻想郷が保てるのだから、すばらしい話だとは思わない? それに人身御供を捧げる側にだって、いいことはあるのよ」
紫はそう言うと、私に龍神の鱗を手渡した。
「人身御供を捧げる代わりに、龍神は1つだけお願いを叶えてくれるわ。幻想郷の人間を全員殺せだとかそういった無茶な願いじゃなければね。あなたの場合は、商売繁盛かしら」
「……しかし、人身御供が要る」
「別にあなたじゃなくても、あなたに近い血縁ならば誰でもいいわ」
それを聞いて、私は落胆した。今、この世には私の親類は少ないし、彼らを失えば商売が成り立たなくなる。
「父と母はすでに死んでいる。子どももまだいない」
すると紫は、そんなことは何でもないというように首を振った。
「子どもなら、後で作ればいいのよ。親と違って子どもはいくらでも生まれるから、1人くらい問題ないのではなくて?」
今思い返すと、紫の言葉は明らかに私を惑わす詭弁だった。しかしそのときの私にとってはその甘言は心地よく、耳から頭の奥へとしみわたっていった。
「わかった。ならば誓おう」
私が握りしめると、龍神の鱗の輝きが増した。まるで私の意志に反応するかのように、感情の波に合わせてゆらゆらと明滅していた。
「龍神よ、最初に生まれる子どもを捧ぐ。それを代償として、私に、いや分家に財の恵みをもたらしていただきたい」
瞬間、私の周囲が突然純白の光に覆われた。同時に、稲妻に打たれたかのように体が動かなくなり、ばったりとその場に倒れた。
なぜかだんだんと暗くなっていく意識の中で、紫の声だけがこだまして聞こえてきた。
「これで、契約完了よ。ゆめ忘れないよう……」
何が起きた、と問おうとしたが、その前に意識が完全に闇に呑まれてしまった。
・黒幕 紫。といっても悪気はない。「龍神と契約して人身御供になってよ」とセールスをしただけ。
・龍神が博麗神社の神 ……という設定。原作設定ではないので注意。