鬼少女の幻想奇譚 作:らくしゅみ
夜も更けた頃、私は明日の勇儀様と自分の分の朝食の用意をしていた。味噌汁の下準備と米とぎは前日にしておくのである。初めて勇儀様の住まいで食事を作った時は準備不足で手間がかかったが、これで時間がかなり短縮できる。
「……よし、これで終わりっと」
具を入れた小さい鍋に蓋をして、ひとまずは準備完了、後は調理に使った道具を洗えば今日の仕事は終わりである。勇儀様は会議があるとかで明日の朝に帰ってくるそうなので、今日は空き時間が多かった。
私は水に濡れないようまくりあげていた袖がずり落ちてきたのを元に戻しながら、ふと思った。
(もう2週間か)
私が勇儀様の従者になって、すでにそれほどの時間が経っているのだ。名前を貰ったあの日はまだ昨日のように思い出せるが、それだけの時間が経った証拠に、すっかり新しい生活のリズムが出来上がっていた。
朝は勇儀様の家に行き朝食を作る。その後、勇儀様の賭場に行って、胴元を務めるのだ。これまでは勇儀様がずっと胴元をしていたらしいが、最近は何やらあちこちへ行く用事があって忙しいようなので、私が代行しているというわけである。最初に私が胴元としてやって来たときには、また金を巻き上げに来たと勘違いされ、勝負にならないからやめてくれと鬼たちに懇願された。
しかし私が勇儀様の代理として胴元を務める旨を伝えると、鬼たちは安堵していつも通り博打を始め、2週間たった今でもなんとか賭場を保っている。
しかし、勇儀様は何のためにあちこちへ顔を出しているのだろうか。賭場にいる勇儀様の仲間らしき鬼たちに訊いても分からなかった。私や仲間に話さないということは、別に話す必要が無いか、話したくないからなのかもしれない。
(………まあいいか)
私は勇儀様の多くいる子分のうちの一人でしかない。勇儀様がわざわざ自分のすることを私に言う必要は無いのだ。
こうして1人の従者として目をかけてくれているのだから、これ以上何かを勇儀様に求めるべきではないのだ。……とはいえ、やはり何か隠し事をされていると思うとなぜだかもやもやとした気持ちがわだかまってくる。
(……あーもう、何してるのか気になる!)
叫びだしたい気持ちを抑えながら包丁を洗って片づけていると、がらがら、と戸を開ける音が聞こえてきた。
勇儀様が帰って来たのだろうか、と慌てて玄関へ走った。
「こんばんは。……あれ、勇儀はいないの?」
そこに立っていたのはパルスィだった。いつかあった時と同じ服装で、肩には白い
「勇儀様はお出かけです、パルスィさん」
「あーそう、いつ戻ってくる?」
「朝には帰ってくると思いますが……」
「じゃあ待たせてもらおうかな。明日非番だし。……ん、私どっかであなたに会ったっけ?」
パルスィは私の顔をじろじろと見て、やがて緑色の眼をまんまるにした。どうやら思い出したらしい。
「あ、店でぶちのめされてた……ええと、名前なに?」
「あざみです」
「あざみ。あざみね。でもよく弱っちいあんたが勇儀の子分になれたわねー」
パルスィは嫌味でも何でもなく、本当に感心しているようだった。
「はは、まあいろいろありまして……荷物、持ちましょうか?」
「あ、持ってくれるの? ありがと」
パルスィは頭陀袋を私に手渡した。私が受け取った時、がちんと袋の中で
「せっかくいい酒が入ったから、勇儀と呑もうと思ってたのよね。ちょっとあてが外れたけど」
「一応おつまみくらいは出せますけど……要ります?」
「ん、じゃあ貰おうかな」
私はパルスィを適当な部屋に案内した。マッチで行燈に火を点けると、橙色に輝く炎が生まれ、ぼんやりと座敷を照らす。私は持っていた酒瓶入りの頭陀袋を置くと、胡瓜のからし漬けと湯飲みを持って戻った。
「お疲れ、でもここには暇が潰せるようなのは一つも無いのね」
パルスィはきょろきょろと部屋の中を見回していたが、私の持ってきたおつまみと湯飲み、パルスィの持ち寄ったお酒以外はちゃぶ台一つしかない。畳や天井は綺麗で高級なのに他に何もないというのが奇妙なほどだった。
「まあ勇儀様は自分の家を寝る場所くらいにしか思ってませんし、多分どこ探しても無いですよ」
勇儀様の屋敷は広く立派であるが本人がさほど興味を持っていなかったので勇儀様の寝る場所以外は掃除もされず、埃がたまったままだった。数日前に私が大掃除をしてどの部屋もようやく使用可能な状態まで戻ったのだが。
「そういえば勇儀がうちに朝食食べに来なくなったんだけど、あなたがご飯作ってるの?」
「そうです。私の仕事ですので」
にこりと微笑むと、パルスィは「ふーん……妬ましい」と呟いた。最後の一言はごくわずかにしか聞こえなかったが、おそらく例の発作だろう。
「でも最近はあまり帰ってきませんし、何か忙しい事でもあるんでしょうか?」
「さあ、悪霊探しでもしてるんじゃないの? あいつ結構暇そうだし、探し出して倒してやろうとか思ってるのよ。多分」
「悪霊ですか……本当にいるんですかね」
「うん、かなり目撃者はいるから、多分いると思うわよ。最近ほんと暇だし、お目にかかってみたいわね。昨夜はこの辺りにいるのを見た奴がいるらしいけど」
「そういうこと言ってたら本当に来ますよ。ていうかその悪霊ってどんな姿だったんですか?」
「うん、それはね……」
パルスィが言おうとした時、玄関から乱暴に戸を開ける音が聞こえてきた。
「あ、勇儀が帰って来たのかな?」
「…………ほんとにそうですかね」
入って来た者はこちらへ向かっているようだが、床板が軋む音が全くしない。勇儀様や、比較的軽量な私でさえ歩けば少し音が鳴るのに、移動する気配があるだけで無音なのは解せない—
そう思っていると、やがて私の耳には、何かを引き摺るような音が聞こえてきた。ずるり、ずるりとまるで血にまみれた肉塊を引きずるような音。パルスィも異常を察したらしく、さっと顔色を変えた。
「………ねえ、これって」
声を出そうとするパルスィに、慌ててしっ、と人差し指を唇にあてて喋らないように頼んだが、遅かった。先ほどまでゆっくりだった移動音が、速度を増したのだ。
ずるり、ずるり、ずるり………。
「それ」が私たちのいる座敷の前にやって来た時、パルスィは押し殺した悲鳴をあげた。行燈の光が、侵入者の影を映しだしたからだ。
障子に映る影は、どう見ても普通のものではなかった。最初は巨大な栗のイガのようなシルエットだったが、よく見ると突起の先端は丸く膨れ、そのさらに先は枝分かれしていることから、どうやら手足であるらしいことが分かった。それは絶えず
—こいつが、まさか—
息を呑みながら影を見つめていると、がたり、という音とともに指が障子に差し込まれた。黒く、乾いた血のこびり付いた指は、座敷の中と外を隔てる障子を、すうっと開けた。
最初に目に飛び込んできたのは、赤黒い肉塊からのびる無数の腕だった。よく見るとその腕を生やしている球体の正体は男とも女とも知れない無数の顔がびっしりとはりついたもので、その眼窩に収まっているはずの目玉は無く、闇があるばかりである。
悪霊は行燈の光に照らされて、人の肝臓を思わせるねっとりとしたどす黒い皮膚を晒していた。
「あ………ああ………」
私が呆然としていると、パルスィは私の肩を掴み、後ろへ思い切り引っ張った。直後、私のいた空間をその化け物の伸ばした腕が空振りした。
「どうする? あんなヤバそうなやつ、勝てっこないわ。殴っても霊だから効かないだろうし……」
「とりあえず場所を変えましょう」
「どうやって。後ろは壁よ? 前はこのわけわからない奴に塞がれてるし」
「だから、逃げる道を作るんです」
私は心の中で勇儀様に謝りながら、壁を思い切り殴りつける。
どがああん!という大音量とともに壁が崩れ、外への逃げ道が出来上がった。
「ほら、逃げますよ!」
悪霊は目の前まで迫ってきていた。私の開けた大穴から部屋を脱出する。後ろを振り返ると、悪霊は普通に壁を通り抜けてきていた。まごまごしてはいられない。私たちは、駆けだした。
「なんであの時は障子開けて入って来たのに、今回は普通に壁抜けできるんですか⁉」
「多分あなたか私を目標にしたからじゃない⁉ あの手の悪霊は取り憑こうと決めた相手がいれば、壁だろうが岩だろうがすり抜けてくるのよ!」
パルスィは走りながら、後ろを見る。悪霊はすさまじいスピードで私たちを追ってきていた。
「私は飛ぶから!」
パルスィはそう言って、空に飛びあがる。
「………って、私は連れて行ってくれないんですか!」
「ごめん。私、あなた一人抱えて飛べるほどパワーないからさ。応援呼んでくるまで頑張って逃げてて」
「そんな! 待って! ちょっと!」
私の必死の呼びかけにパルスィは手を合わせて謝罪の意を表し、飛んで行った。私は妖力が使えないため、パルスィのように空を飛ぶことはできない。このまま地上で悪霊に追われ続けるしかないのだ。
こんな鬼ごっこは二度としたくないと思っていたが、あの化け物は、どうやら私を目標にしているらしい。怪物の視線ははっきりと私に向けられているようだった。
「………この!」
私は近くに落ちていた石を拾って悪霊に投擲する。が、石は悪霊をすりぬけて遥か後方へと飛んで行った。やはり、直接攻撃は通用しないようだ。つまり、私はあれに対抗する手段は何1つ持ち合わせていないということになる。
(なんで私、最近こんなに運が悪いのよ!)
私は自分の運命を呪いたくなった。良いことが起こった後には、バランスをとるように悪いことが、しかも絶対に良いことに釣り合わないほどろくでもないことが起こっているのだ。
「あっ」
私は、がつ、と言う音と、その瞬間に視界が地面に近づくのを感じた。石に蹴躓いたのだ。前のめりに手をつく。すぐに起き上がろうとした時、私の右足が、掴まれた。
「ひっ……!」
私は振り向き、そしてそれを後悔した。私の足を掴んでいたのはあの化け物から伸びる無数の腕の一つだったからである。その手は血糊で黒ずみ爪は剥がれかけており、それでもしっかりと私の足を掴んで放さない。私は思い切り足をばたつかせ、逃れようとしたが手の力は強く、さらに他の腕に左足を掴まれる。
「うっ……!」
両足を掴まれた私は、ずるずると後ろへ引っ張られ始めた。このまま悪霊の餌食になると、どうなるのだろう。ずたずたの肉片にされる? そしてその後に、喰われるのだろうか?
私は、あの悪霊に四肢を喰い千切られ、髄を
「やめて! やめてやめてやめて!」
叫ぶ。だが化け物が聞き入れるはずもなく、爪の後を地面に残しながら、私は引きずられていく。視界を、悪霊のおぞましい姿が覆いつくしていく。
「やめてーっ!」
「怪輪『地獄の苦輪』っ!」
目の前に醜悪な悪霊の口腔が迫り、私の腕に噛みつこうとした瞬間、上空で何かが光った。瞬間、悪霊に降り注いだ光球が炸裂し、私は放り出される。悪霊は鉄をこすり合わせたような耳障りな叫びをあげ、なおも私を捕まえようと迫る。が、伸ばした腕をも光弾が粉砕し、悪霊は怯んで手を引っ込める。
見上げると、光球の源らしい場所には、勇儀様ともう1人、誰かが飛んでいた。
「罠符『キャプチャーウェブ』」
宣言とともに繰り出された光の糸は悪霊に絡みつき、がんじがらめにする。まさに悪霊は手も足も出ない状態となってしまった。
「え……な、何?」
悪霊はもう何もできないと悟ったのか、姿が薄れていく。勇儀様ともう1人の誰かが下りてくる頃にはすっかり消えていなくなってしまっていた。
「ち、逃がしたか。わざわざあんたまで呼んで悪かったね、ヤマメ」
勇儀様がそう言うと、もう1人—ヤマメと呼ばれた少女は「まあいいさ」と答える。どうやら格好から考えると土蜘蛛であるらしい。ヤマメは、「それよりも」と言って私を見る。
「あざみ、無事か?」
「はい、何とか……パルスィさんが呼んでくれたんですか?」
「ああ。そのうちここにも来るだろう。危機一髪だったな」
私は、こくりと頷いた。今回は本当に死ぬかと思った。あの悪霊に絶対に話は通じないだろうし、殺そうという意志のみで動いているような奴だったのだから。
「でもさあ勇儀、弾幕使えば悪霊でも倒せるじゃん。なんでこの子は自分で戦わなかったの?」
「……弾幕が使えないんだよ。多分妖力はあるんだろうが、妖力の扱い方が分からんらしい」
私はそのやりとりを聞いていて、何故だか無性に恥ずかしくなってきた。ヤマメは妖力をもとに「弾幕」とやらを使うのを当然のように考えているようだ。そんなものも使えないのか、と言っているようにも聞こえる。
それは、妖術も使えないにも関わらず、「自分の身さえ守れる実力があればいい」などとのたまっていた私を嘲っているようにー彼女にはそんなつもりは無いのだろうがー感じ、言い様のない羞恥心がわきあがってくる。
このままで本当にいいのだろうか。いつでも勇儀様が守ってくれるわけではない。また今回のような身体能力が全く意味をなさない相手とまみえたら、はたして私は身を守ることができるのだろうか?
そして、勇儀様の従者と言えるだけの強さを妖力を使えない私が持っているかと聞かれれば、否である。少なくとも妖力を扱えねば、いくら身体能力が高くても強いとは言えない。
私は気がつくと、ひとりでに勇儀様の名を呼んでいた。
「勇儀様」
「なんだい?」
勇儀様に聞き返されて一瞬だけ気後れした。勇儀様は首をかしげてもう1度、
「何か言いたいことがあるならはっきり言いな?」
「あ、あの……」
私は、ありったけの勇気を振り絞って答える。
「私、妖力を使えるように……いえ、それで弾幕で戦うことができるようになりたいです。勇儀様……お願いです! 私にそれを教えてくれませんか?」
「……そうだな」
私は、勇儀様が頷いてくれるものと思った。しかし、実際の答えは
「駄目だ」
という、簡潔な、それでいて有無を言わせない響きをもった一言だった。
ここでは後書きがわりに少し世界観の補完を行う予定です。小説の中で説明すればいいのですが、やりすぎるとテンポが絶望的に悪くなるので……。
・勇義の屋敷
星熊勇義の住む巨大な御殿。あざみは別に住みかがあり、そこから通って来ている。
・パルスィと勇義の関係性
仲のいい友人。というかパルスィの性格的に勇義くらいしか友人がいない。
・悪霊
霊というよりクリーチャーっぽい。消滅したわけではなく、一時的に引っ込んでいるだけ。夜になったら普通にまた出てくる可能性が高い。
・妖術の扱えないあざみ
妖力そのものはあるが、使い方を知らない。MPがあって呪文を覚えていない状態。