鬼少女の幻想奇譚   作:らくしゅみ

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第7話 仙人の庵

 

 

 弟子にしてください、と言ってから、華扇と私の間には、微妙な沈黙が横たわっていた。それもそうだろう、踏むべき手順を踏まず、名乗りもせずにいきなり弟子入りを希望したのだから。緊張していたとはいえ、もう少し何か前置きをしてから言えばよかった、と後悔の念にとらわれていると、華扇は少し眉間に皺をよせ、

 

「あなた、その格好は何?」

 

「……あ、これは……」

 

 私は先ほど椛と戦ったせいで着物が汚れたり破れたりして、腹に至っては刺されたのでべっとりと血がついている。彼女が怪しむのも無理はない。そのことに思い至って慌てて弁解しようとすると、

 

「ちょっと来なさい」

 

「へっ?」

 

 むんず、と首根っこを掴まれ、家の中に連れ込まれる。私が戸惑っているうちに華扇はぐいぐいと私の手を引き、風呂場に叩き込んだ。

 

「体洗ってから出てきなさい。話はそれからよ」

 

「あ、はい……」

 

 風呂場は、窓が無いせいで薄暗かったが、壁の隙間から差し込む光でぼんやりとではあるが部屋の様子が分かる。

 見れば風呂桶には水が張ってあり、傍の台の上には、濡れた体を拭く布まで用意してある。時間帯を鑑みるに彼女が入る直前だったのかもしれない。完全に夜になれば光が差し込まず完全な闇になるはずだが、彼女はどうやって風呂に入るのだろうか。

 

 風呂桶にいきなり入ると血糊で真っ赤になってしまいそうなので、何回か水をすくって浴び、目につく汚れを落とすと、わたしはざぶんという音とともに風呂桶に飛び込んだ。

 

秋に水風呂は少し寒いが、いつものことで慣れている。ふうと一息ついていると、風呂場の扉に近づいてくる音がして、「いいかしら」と華扇の声が聞こえた。

 

「はい、なんでしょう」

 

 私が答えると、華扇は扉を開け、台にきちんと折りたたまれた着物と手ぬぐいを置いた。

 

「拭く物と着替え。あの着物、もう駄目みたいだから、それ着てっていいわよ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 射命丸がお金をごっそり取られるかもと言っていたので相当のどケチか守銭奴かと思っていたが、そうでもないらしい。そう思っていると、華扇は巾着と勇儀の推薦状も置いて、

 

「あとこれあなたの持ち物でしょう? 置いとくわよ」

 

「あ、その手紙は華扇さん、あなた宛てです」

 

「私宛て?」

 

 華扇は首を捻ったが、「まあいいわ。ごゆっくり」と手紙を持って風呂場を出て行った。

 

「………引き受けてくれるかな……」

 

 勇儀様の推薦もあるし、無下にはされないと思うが、華扇にも華扇の都合がある。何らかの理由で断られる可能性もあるかもしれない。もしも断られたら—おとなしく地底に帰るしかないだろう。

 

 そうなりませんように、と願いながら口元まで水に沈めていると、壁の隙間から差し込んでくる光が完全に消え、真っ暗になってしまった。射命丸に運んでもらった時はまだ山の向こうに日が昇っていたのでもう完全に夜になったのだろう、そう思っていると、どういうわけか天井が光りだした。

 

「うわあ……」

 

 おそらく光苔の一種なのだろう、天井をよく見るとわさわさとした植物が発光していた。なるほど、華扇が窓を取りつけなくても普通に風呂に入れるのは、この光苔のおかげだったのか。

 

 しかし地底でこれほど大量の光苔を見たことはない。この苔自体が非常に珍しく、生育も難しいからだ。それを明かりとして利用できるほど集めるとは、華扇も勇儀様の友人なだけあって、かなり格の高い仙人なのかもしれない。

 

 私はしばらく光苔が隙間風に揺れるのを見ていたが、流石に寒くなり、用意された布で体を拭き、着物を身に着けようとする。

 

 どしん。

 

「…………?」

 

 そのとき、背後で壁を拳で叩くような音がして、私は振り返った。ぱらぱら、と壁から木屑が落ちる。そしてまた、どしん、どしんと何度も壁を叩くような音がする。

 

「何、これ……?」

 

 続いて、べちゃり、と言う音。まるで、腐った肉を叩きつけているような—

 

「………まさか」

 

 私は地底で襲ってきたあの悪霊のことを思い出した。あの時も、私を見つける前はこうやって壁や扉をすり抜けては来ず、戸をわざわざ開いて侵入してきていた。今回も、そうなのではないか—。

 

 まだ、壁を叩く音は続いている。まるで私がここにいることを確信しているかのように……。

 

 しかし、と私は揺れる壁を見ながら首をかしげた。わざわざ地底から追いかけてきたのだから、それには何か理由があるはずである。単純に殺し損ねたからついてきたということも考えることはできるが、何となく、このバケモノは私自身を目標にして追いかけているような気がした。

 

「……ちょっとあなた、この辺に良くない気配がするんだけど……」

 

 その時、ちょうど華扇ががらりと戸を開けて入って来た。そして、外から叩いている音と揺れる壁を見て、なるほどと呟く。

 

「あの手紙、読ませてもらったわ。……あなた、なかなかいろいろ苦労してるみたいだけど……この悪霊も、あなたについてきたもの?」

 

「……はい、多分そうです。地底で襲ってきたアレだと思います」

 

「なら、仕方ないわね……」

 

 そう言って華扇が取り出したのは、彼女の武器―ではなく、赤く透き通った小さい珠のついたお守りだった。そして私に手渡すと、「ぎゅっと握りなさい」と言う。

 

 その通りにすると、しばらく壁を叩く音が聞こえていたが、だんだんその力は弱くなり、最後には聞こえなくなった。

 

「……これは、何ですか?」

 

「それは私特製の悪霊除けのお守りよ。アレに殺されたくなかったらずっと持ち歩いてなさい」

 

「え、貰ってもいいんですか?」

 

 そう訊くと、華扇は頷いて、

 

「でも、授業代は払ってもらう予定なのよ。そのお守りは、そうね……おまけみたいなものかしら」

 

「え、じゃあそれって……」

 

「ええ。あなたを私の弟子にしてあげるわ」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ひとまず私は風呂場から出させられ、少し古びた座敷のある部屋に通された。しばらく待っていると華扇が戻ってきた。手には団子が何串か載った皿があり、それを畳に置くと、正座をしている私の前に、足を横に崩して座る。

 

「お団子食べる? これ、人里から買ってきた今一番おいしい店のやつよ」

 

「あ、後でいただきます……」

 

 華扇はふーん、そう、と言いながら団子を1串取る。そして一つ目のお団子にかぶりつきながら、話し始めた。

 

「あの手紙……ええ、あなたの持ってきた手紙。あれには、あなたを妖術の勉強……少なくとも弾幕ごっこができるくらいに鍛えてくれって書いてあったんだけど、それでいいのよね?」

 

「はい。……教えてくれますか?」

 

「もちろんよ。勇儀の頼みだし、別に断る理由もないから……。でもあなた、いきなり初対面の人に弟子にしてくださいっていうのはどうかと思うわよ。せめて名前くらい言いなさい」

 

 そこで私は遅まきながら、華扇に自分の名前を告げていないことに気付いた。

 

「えっと、私の名前は……」

 

「あざみ、でしょ。手紙に書いてあったわ。まあそれはいいとして……1カ月で、5両。授業料だけど、払えるかしら?」

 

 射命丸に言われていたので予想はしていたが、まさか5両とは思ってもいなかった。私は勇儀様のくれた巾着袋をとりだし、小判の枚数を確認する。

 

「……6両……か」

 

 1ヶ月分は払えるかもしれないが、2カ月以降は無理だ。修行にどれだけかかるのかわからないが、たった1ヶ月で妖術を習得できるのだろうか。

 

「ちなみに修行はあなたの才覚にもよるけど、最低でも3カ月はかかると思うわ」

 

「……足りません」

 

 そう言うと、華扇はぴくりと眉を動かした。

 

「足らない? うーん、困ったわねー」

 

「でも華扇さん、仙人ってそんなにお金がいるんですか?」

 

 私の仙人像は、もっと人や妖のいないところに住み、霞を食べて生きている、金の全く必要ない生活をしているというものである。それを言うと、華扇は少し顔を赤らめて、

 

「でも、お団子とかお菓子とか、美味しいもの食べたいし……他にも欲しいものがあるから」

 

 思いのほか、彼女は俗っぽいところもあるらしい。しかしそんな事情もあるのなら、彼女も月謝を下げるわけにはいかないだろう。しかしそのままでは私が中途半端にしか妖術を習得できない……。

 

 頭を抱えていると、華扇が不思議そうな顔をして言った。

 

「なら、自分で稼げばいいじゃない」

 

「自分で稼ぐって……どこでですか?」

 

「それはもちろん、人里よ。あなたいかにも妖怪ですってオーラ出てないし、その角も隠れて見えないし、働きに行っても妖怪って分からないんじゃないかしら」

 

 そう言われて、うっと言葉に詰まった。私はできるだけなら人里へ行きたくない。かつて私を追放した場所であり、そして今でもそれを覚えている者がいるかもしれないからである。追い出されてからどれだけの時間が経っているのか分からないが、寿命の長い者ならまだ生きている可能性がある。

 

(もう追い出されるのは嫌だ……)

 

 脳裏に、人里を追い出された日の情景が浮かび上がってきた。

 

 

 あの日、私は父親に手を引かれ、人里の外まで遊びに行った。もちろん父の目的は10歳になった私を巫女の言った通りにどこかへ捨ててくることだったが、その頃の私は初めて「遊びにいく」という体験をしていて、無邪気に喜んでいた。

 

 父と母は私を育ててはいたが私のいる間は他の里の者たちから白い目で見られていたらしく、一緒に遊びに行くという普通の親子であれば当然のはずのこともできなかったのである。

 

 何十年も経ってしまった今、両親の心情を推し量ることは無駄なことなのかもしれないが、両親も私と同じく、この子の髪が赤でなかったら、この子に角が生えていなければ、と思っていたかもしれない。

 

 山に入って栗を拾ったり鹿を追いかけたりしていると、私は突然眠気に襲われ、そばにあったふかふかの落ち葉の上に横になり、眠ってしまった。今思えば、あれは父が私を連れて出る前に食べさせた、どら焼きに眠り薬を入れられていたのかもしれない。

 

 そして目を覚まして夕方になった時には傍に父の姿はなかった。そして手に掴まされていた紙に「帰ってくるな」と書かれているのを見た時、私は博麗の巫女の予言を思い出したのである。

 

 それから山が底知れぬ闇へと落ちていく間、私はただただしゃくりあげて、その紙を握りしめることしかできなかった。頭では両親も好きで私を捨てたわけではないことは知っていたし、そうしなくてはならないことも分かっていた。だが、その時は心細くて、ただただ父と母の名を呼んで、袖を濡らしていたのである……。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「どうしたの? 何か嫌なことでも思い出した?」

 

 華扇が、私の顔の前で手をひらひらさせながら、訊いてくる。

 

「人里で働けって言ってから、何かに怯えるような顔してたわよ、あなた。そんなに人里が嫌い?」

 

「……いえ、そういうわけでは」

 

 私は、答えながら自分の臆病さに辟易していた。昔の闇に包まれていく山の中で独りぼっちだった、あの時の恐怖は今もなお心の奥底に根を張り、私の行動を縛っているのかもしれない。勇儀様のおかげで身体能力は向上していたが、すっかり染みついてしまっていた臆病さまでは、消えていないのだ。

 

「じゃあ人里に行けばいいじゃない。あなた、勇儀の従者なんでしょう? 主にわざわざ筆をとらせてここまで来たのに、人里に行きたくないっていう理由でやめるわけ?」

 

 華扇の鋭い視線は、じっと私を射すくめていた。

 

「わ、私は……」

 

 人里へ行くのは、恐ろしい。またあの時のように追い出されるようなことがあったら、と思うと、足が竦んでしまう。実際には起こりえないであろうということは分かっていても、私の心は恐ろしいと叫ぶのである。

 

「……おかしいわね。あなたみたいな臆病な子、勇儀が従者にするとは思えないんだけど」

 

 私が何も言わずに正座したまま微動だにしないのを見て、華扇はそう言い、立ち上がる。

 

「もう遅いし、今日は泊めて言ってあげる。その後、地底に帰りなさい」

 

 そう言って、華扇は戸を開ける。ここで彼女を呼び止めなければ、私にはもう妖術を習得するチャンスはないだろう。だが、それでも人里に行くよりは—

 

 

『それに、言っただろ、私は強者しか認めないって』

 

 

 ふと、勇儀様の言葉が頭に蘇った。ここで人里に行くのが怖くて、帰ってきたと勇儀様に言えば、私はどうなるのだろう? 華扇も、勇儀が臆病者を従者にするとは、と言っていたし、放り出されるということもあるのかもしれない。

 

「待って……ください」

 

 私は思わず、華扇を呼び止めた。華扇は振り返り、こちらを見る。

 

 ここでまた何も言えなかったら、私は勇儀様にも見限られ、またあの長屋での生活に逆戻りするのではないか……。1人で起き、1人で過ごし、最後に1人で死ぬ―そんな一生を送りたくない。

 

「華扇さん……私、人里に、行きますので……どうか、で、弟子に……」

 

 1つ1つ、絞り出すように言う。彼女はしばらく黙って私の目を見つめていたが、やがてにこりと笑って、

 

「じゃあ、私がいいところを紹介してあげるわ。丁度この前そこに行ったら人手が欲しいって言ってたし……鈴奈庵って、知ってる?」

 

 




・お金の価値
純粋なもとの世界の価値とは微妙に違う。
・金をせびる華扇
言うほど金には困っていない。一応意味があって仕事をさせようと考えている。
・華扇の庵
ちゃんと屋敷がある。こちらは別荘的なもの。
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